砕ける月

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  第 28 章  

 PCシステムサプライは西鉄の九産大前駅を少し通り過ぎた辺り、国道四九五号線が和白通りという名前で呼ばれるところにあった。
 この道は今の国道三号線がまだ香椎バイパスという名前の路線だった頃の三号線の本線で、その名残かどうかは分からないけれど道幅が狭い割に交通量が多くて流れが悪い。梅野も来る途中、ハンドルを指で叩きながら先方を苛立たしそうに睨んでいた。
 店舗はオレンジ色の壁の一見すると倉庫のような建物で、それが三つのスペースに分割されていた。
 PCシステムサプライと同居しているのはカジュアルっぽい古着を扱っているお店と、どう見てもアダルトヴィデオのものとしか思えない――まぁ、実物は見たことがないのだけれど――ポスターが飾られている怪しいお店だった。
 さっきの剣呑な雰囲気を誤魔化そうと冗談めかして「ひょっとしてアレですか?」と訊いたら、梅野にかなり嫌そうな目で見られたので、アタシは思わず首を竦めた。
「さ、着きましたよ――あ、やっぱり芳野さん、いるな」
 梅野の視線の先にはライトブルーのハイラックス・サーフが停まっていた。
 これと同じボディカラーのクルマを学校の駐車場で見たような記憶はあった。それが芳野のクルマだとはもちろん知らなかったけど。
 自分はオタクではないと強く主張していた割には、梅野はごく当たり前のように店に入っていった。
 店内はガラクタを陳列したスーパーマーケットという趣きだった。
 踏み台なしには手の届かない背の高い棚には、何に使うのかまったく予想できない基盤や電子部品が整然と並べられていた。
 どの商品の前にもアルファベットと数字の羅列にしか見えないプレートがかけてあって、それを頼りに欲しいものを探している客が棚の間を行き来していた。スーツ姿のサラリーマンや人の良さそうな初老の男性、どちらと言えばギター・ショップが似合いそうな若い男など客層は様々だった。
 PCオタクという言葉からアタシはもっとイタイ連中を想像していたのだけれど、それは偏見というものだった。
 梅野は勝手知ったるという足取りで奥へ向かった。アタシはアチコチから感じる場違いな闖入者を見るような視線を無視してその後に続いた。
 店の奥のパーテーションで仕切られたスペースで芳野は独りで作業をしていた。
 休日だからか、普段はキッチリと撫で付けている髪はボサボサのままだった。向こうを向いたままなのでどんな表情なのかは分からない。ゴムバンドで矯正してやりたくなるような猫背はいつも通りだったけれど、トレ−ドマークの白衣はさすがに着ていなかった。
「芳野さん、コンチハ」
 梅野が言った。
 芳野は振り返りもせずに「お疲れ」と答えただけで、あとは黙々とコンピュータの基盤とにらめっこをしていた。どういうわけだかこの手の部品の色はダークグリーンと相場が決まっていて、アタシはどうせならもっとカラフルにすればいいのにと思った。
「何やってんすか?」
「ハードディスクの復旧さ。いつもの仕事だよ。あ、コレはちょっと休憩中の暇つぶしだけどねぇー」
 語尾が微妙な伸びかたをする、思わずぶん殴りたくなるような甘ったれた口調だった。
 授業では高圧的で粘着質ではあるけれど、もっとまともな喋り方をする男なのだけれど。おそらく、こっちが彼本来の気質なのだろう。
 芳野の前には外側のカバーを外して中身がむき出しになったデスクトップが置かれていた。
 それには様々なコードが差し込まれていて、それは傍らにあるノート型のコンピュータに繋がっていた。ノートの画面ではいっぱいに並んだ数字の列がスクロールしていた。
「どうしたのさ、高橋くんのことで何か分かったの?」
 芳野は椅子を回して振り返った。
 アタシと目が合うと、驚いたように「……さ、榊原!?」と言った。
「こんにちは、芳野先生。お休みなのに精が出ますね」
 ウチの学校の就業規則など読んだことはなかったけど教職員の副業は厳禁のはずだ。いつだったか学習塾でテストの採点のバイトをしていた教師が謹慎処分になったこともある。名門校というのはそういうつまらないことには異様に煩いのだ。
 芳野は目に見えてうろたえ始めた。
「あ、いや、これは知り合いに頼まれて手伝ってるだけで、別にバイトってわけじゃないんだ。その、何と言うか……」
「別に告げ口なんかしませんよ、芳野センセ」
 アタシはニッコリと微笑んで見せた。
 事態が飲み込めない梅野が小声で「どうしたんすか?」と言った。芳野は分厚いメガネの奥から恨みがましそうな視線を梅野に投げつけていた。
 ちょっと話を訊かせて欲しいとアタシは言った。芳野は黙って部屋の隅にある椅子を指し示した。

「うん、高橋くんは確かにこの店で働いていたよ。半年ほど前に辞めたけどねー」
 芳野が言った。今更、取り繕ってもムダだと諦めたのか、口調は休日仕様のままだった。手にはコーヒーの缶を手持ち無沙汰に玩んでいる。梅野が買いに行ってくれたものだ。
 アタシは首筋辺りがモゾモゾするのを堪えるのに必死だった。
 高橋のことを訊きたいと言うと、芳野は最初アタシと高橋に何の関係があるのかを訝った。
 と言うのも、梅野は芳野から電子カルテのデータを読み出すソフトを譲り受けるにあたって、カルテの内容や徳永家のことを話していなかったからだ。芳野も特に訊かなかったらしい。関心のないことには欠片ほどの好奇心も示さないところはオタクと呼ばれる人種の特徴のように思えた。
 だからだろうか、アタシの高橋の関係については”知り合い”の一言で済んだ。
「でも彼、誰かに殴られて入院してるんだってねぇ」
「そうなんですよね。そんな目に遭わされる理由、何か心当たりあります?」
「僕が? 何で?」
「お友達なんじゃないんですか?」
「そりゃ、同好の士ではあるし、今でも手が足りないときには手伝ってもらうけどさ。彼、こういうの専門なんだよね」
 芳野は作業台の上の中身が剥き出しになったコンピュータをコンコンと叩いた。
「何してるんですか、これ」
「ハードディスクのデータのサルベージ。大手の会社の下請けでね」
「サルベージ?」
 アタシは梅野のほうを見た。
「要するに壊れたハードディスクからデータを拾い出しているんすよ。他にも削除しちゃったデータの復元とか、そういう作業のことっす」
「そんなことが出来るんですか?」
「百パーセント可能ってわけじゃないっすけどね。でも、ハードディスクだけじゃなくて、SDカードとかやフラッシュメモリとかでも、中にデータが残ってれば復元できるんすよ」
 消えてしまったものを復元出来る、というのがアタシには今ひとつ分からなかったけど、そういうことが出来るらしかった。
 理屈は分かってもやはり何となくピンとこなかったけど、芳野の目に侮蔑の色が見え隠れしているのがムカついたので、アタシは分かったフリをすることにした。
「ところで、榊原は何でそんなことを調べてるの?」
「例のカルテのデータ、彼女が高橋から預かってたものなんすよ」
 梅野が横から口を挟んだ。芳野にどこまで話すかについては車中で打ち合わせてあったし、そのための口裏合わせも済んでいた。
「そうなの?」
「ええ。それが何なのかは聞いてなかったですけど。そしたら高橋さん、あんなことになっちゃって」
「高橋くんがフクロにされたのと、その電子カルテが何か関係がある、と思ってるんだ?」
「その可能性が高い、と。それで、梅野さんから先生と高橋さんが知り合いだって聞いたんで、何か分かんないかなって思って」
「なるほどねー。でも……僕も一応、教師だから言うけどさ。それは警察の仕事じゃないの?」
「警察は何もしちゃいませんよ。知り合いの刑事に聞いたんですけど」
「知り合いって――あ、そういうことね」
 アタシの父親が元警官であることは、ウチの学校の関係者であれば誰でも知っていることだった。
「僕が高橋くんから聞いたのは、知り合いがどうしても内容を知りたいデータがあって、そのビューアーソフトが必要なんだってことだけだったんだよ。いや、ボクだってそれが電子カルテだって聞いていろいろ想像はしたけどさ。最近、多いじゃないか、医療事故の裁判とかさ」
「らしいですね」
「まあ、ソフトの仕様とか聞いたら、どうも福岡の会社が作ったものらしくて、それなら何とかなりそうだったんでね」
「先生と高橋さんって、そういうこと、何にも聞かずにやってあげるような仲なんですか?」
「そういうわけじゃないけど。数少ない友達の頼みだしねー」
 その頼みを聞いてやったばかりに高橋と由真は危険な計画を実行に移してしまったのかもしれないのだけれど、それで芳野を責めても始まらないのだろう。
「その知り合いっていうのが誰かも言ってなかったんですか?」
 芳野は顔をしかめて短く唸った。
「でもなぁ、これ言ってもいいのかなぁ……」
「何がですか?」
「高橋くん、実は彼女がいるんだよね。徳永由真。確か、榊原と同じクラスじゃなかったっけ?」
「そうですけど……」
 アタシと由真がつるんでいるのは(周囲からは”意外な組み合わせナンバーワン”と言われているらしい)割と有名だと思っていたのだけれど、あまり生徒に興味がなさそうな芳野がそのことを知らないのは不自然なことではない気もしなくはなかった。
「ゆ――徳永さんがそのカルテを見たいって言ったんですか?」
「直接聞いたわけじゃないけどねー。でも、そうじゃないかなと思うんだ。徳永んち、病院でしょ? ――実際、どうだったの?」
 後のほうは梅野に向かって言ったことだった。
「そうっすね。俺は医者じゃないんで、何が書いてあるんだかサッパリ分かんなかったっすけど」
 梅野は肩を竦めた。不必要なことは喋らない。打ち合わせどおりだった。
「彼女は高橋さんと付き合ってたんですか?」
「彼は否定してたけどね。あの子は俺なんかには勿体ないとかカッコいいこと言ってさ」
 アタシも高橋からはそう聞いていた。
「でもさ、実際には――意外と言ったら悪いんだろうけど、徳永のほうが彼に惚れてたみたいなんだよね」
「……へぇ」
 アタシは間の抜けた感嘆の声をあげた。
 由真がよく使うフレーズに、アタシもたまに流用する”遊び相手のルックスにはうるさい”というのがあるのだけれど、もしそれを本気で言っているのなら彼女にとって高橋は”遊び相手”ではなかったか、あるいは眼科に緊急入院する必要があることになる。
 他人の恋路に口を出すほど無粋ではないつもりだけれど、アタシは何と言っていいのか分からなかった。とりあえず由真の審美眼についての疑問は頭から追い出すことにした。
「徳永さんと高橋さんがどこで知り合ったか、ご存知ですか?」
「ここだよ」
 芳野は店のほうを指差した。
「高橋くんはここの店員で、徳永は常連客だったんだよ」
「わざわざこんな遠くまで? 彼女の家、百道浜ですよ。街中にだってコンピュータ・ショップはあるのに」
「僕に言われても知らないけどさ」
 百道浜と和白は市内中心部を挟んで正反対の方向にある。
 地下鉄とJRを乗り継いで来ても、駅からは徒歩だと結構な距離を歩かなくてはならない。どうやってスタイルを維持しているのか分からないくらい運動嫌いの由真がそんなに歩いたというのは意外だった。
「ま、ここは中古のソフトだとか周辺機器だとか、正規の販売店にはあんまり置いてないような掘り出し物が多いんだよね。昔よりはマシになったと言っても、量販店じゃマックの扱いは良くはないから」
「そうなんですか?」
 梅野に訊いた。梅野は「そうっすね」と短く答えた。
「先生はここで徳永さんと会ったことはあるんですか?」
「何回かはね。でも、高橋くんが辞めてからは、彼女、あんまり来なくなったみたいだよ」
「最後にここに来たのはいつなんですか?」
「オイオイ、僕は店員じゃないんだよ。ちょっと待ってて、訊いてみるから」
 芳野は立ち上がって、店のほうに出て行った。
 アタシは梅野と顔を見合わせた。
「いつも、あんな感じなんですか?」
「そうっすけど。学校じゃ違うんすか?」
「全っ然」
 アタシはどれくらい違うのか説明しようとした。でも、あまりに非生産的な行為であることに気がついてやめた。
 わざわざ出向いた割にはそれほどの収穫でもなかったことに、アタシはガッカリしていた。







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