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  第 16 章  

「――あたしたち、やっぱり面接に来たみたいだよね」
 隣の由真がわざとらしく声を潜める。アクエリアスの鏡のような羽目板に映ったアタシたちは、確かにそんな感じに見えた。
 由真が着ているのはローズピンクのワンピースと白いレースのボレロ。シフォン素材の柔らかさとAラインの甘めな感じがフェミニンな雰囲気によく似合っている。春先のボブからずいぶん伸びた髪をカチューシャで留めて、アクセサリも普段よりも派手で大振りなものだ。メイクもいつもより派手めで中洲を歩いていても何の違和感もない。
 一方、アタシはプレーンなノースリーブのワンピースの上から丈の短い半袖のジャケットを羽織っている。色はいずれもお気に入りのミッドナイト・ブルー。背抜きになっているのでそんなに暑くはない。グレイのストッキングに由真から借りた黒いパンプスを履いてほぼ黒ずくめのアタシは、事務所のスタッフから「ヴェールを被ったらまんま未亡人だよね」と言われてしまっていた。
 その話をすると、由真はプッと小さく吹き出した。
「女王様だよね、真奈の場合。そういうカッコすると」
「う・る・さ・い」
 文句を言ってはいるが自覚はなくもない。自分で服を選ぶと、どうしても威圧感丸出しのモノトーンになってしまう。
 八時の開店間近ということもあって、店内は黒服のスタッフだけでなくホステスまで出てきて、テーブル上のセッティングや装飾品のチェックに追われていた。ボックス席の仕切りの上には細長い円筒形のアクアリウムがコーナーごとに載っていて、年嵩のリーダー格の黒服がその汚れを一つ一つチェックして、若い黒服に磨き直すように指示している。
 営業用の照明になればグッとムードが出てくるのだろうけど、普通に灯りが燈された準備中の店内は雑然としていた。アタシは開店前のクラブに入ったことがあるので驚かなかったけど、由真は子供のように興味深々でその様子を眺めていた。
 アタシたちが待たされているバックヤードの入口は当然ながら人の出入りが激しくて、邪魔にならないように壁際に張り付いていなくてはならなかった。
 もっと他の時間にしたほうが良かったような気がするのだけれど、あらかじめ電話で都合のいい時間帯を訊いてみたら、開店前のほうがいいと言われたのだ。早い時間ならまだ客の入りも少ないので、少々営業時間に食い込んでも支障がないらしい。
 黒服の一人がマネージャーの使いでアタシたちを呼びに来た。
 店内とは打って変わって殺風景な廊下を通って一番奥の小部屋に通された。ソファに腰を下ろしていた四十歳くらいの男性が優雅な手つきで向かいに座るように示す。口ひげを生やしたクリス・ペプラーという感じのバタ臭い顔立ちだったけど、ハンサムの部類には入れてよさそうだった。
「すいません、お忙しいときに」
「いえいえ。小野寺さんのご紹介ですからね」
 アタシが頭を下げると、つられるように由真もペコリと頭を下げた。ここではアタシが話をして、必要なときだけ口を出すように事前に打ち合わせてあった。
「私がマネージャーの池上です。……えーっと?」
「榊原です。こちらは徳永。一緒に白石葉子さんのことを調べるのを手伝ってくれてるんです」
「それはそれは。まるで探偵さんみたいですね。てっきり、ウチで働きたいと言って下さるのかと思ったのに」
 池上は冗談めかした口調で言った。
 彼ははるかに年下のアタシたちに大して、ごく自然に敬語を使っていた。アタシが”生き字引”(小野寺というのは彼女の苗字)の知り合いだからではなく、誰にでもそうしているようなスマートな物言いだった。
 事前に”生き字引”から仕入れておいた話では、有限会社南陽観光はナイトビジネスと飲食店チェーンを中核にする会社で、中洲にはアクエリアスを始めとして”サジタリアス”と”ピスケス”という三つのラウンジを持っているとのことだった。目の前の彼は社長の次男で、三軒のマネージメントを任されているらしい。だからか、彼が着ているのはフロアで接客するには不向きなダークグレイのビジネス・スーツだった。
「しかし、ハコさんを撥ねたヤツは捕まったんじゃなかったですか?」
「ハコさん?」
「失礼、そういう仇名だったもので。ほら、字面で」
「ああ、なるほど」
 身体にピッタリとフィットしたロングドレスの女性が三人分のコーヒーを運んできた。
 彼女は社長がよそを向いた隙に、アタシたちが何者なのかを訝るような無遠慮な視線を投げつけていった。無理もないことではある。もしアタシたちが本当に面接に来ているのなら、アタシはともかく由真は強力なライバルになるだろう。
 当の由真は気に留める様子もなく、涼しい顔でカップを口に運んでいた。
「差し支えなければ、事情を教えて頂けるとありがたいのですが……」
 池上はそう言って、慌てて言い足した。
「いえね、小野寺さんのご紹介ですから信用しないわけじゃないんですが、やっぱりほら、亡くなった方のことですし」
「すいません、そうですよね」
 一度、言葉を切った。間を取るためにコーヒーを口に運ぶ。
「葉子さんはアタシの父親の知り合いなんですけど、ずっと音信不通だったアタシと連絡を取りたがっていたみたいなんです。それを人づてに聞いて、こっちから連絡を取ろうと思ってたらあんなことになっちゃって」
「ほう、それはそれは……。ハコさんがあなたを捜していた理由は?」
「それが結局、理由は分からず仕舞いで。それで、葉子さんのことを知ってる人を訪ね歩いてるってわけなんです」
 訊かれることは分かっていたので、あらかじめ話の内容は考えてあった。中身は大幅に端折ってある。葉子とアタシの関わりを最初から話していては時間がかかるし、その中には話せないこともあれば、アタシ自身にも分かっていないことも多い。
「なるほど、そうでしたか。しかし、だとしたらあまりお役には立てないかもしれませんね。彼女、プライベートでは他のキャストとはあまり、というか、まったく付き合いがなかったようでしたから」
「一人もですか?」
「強いて言えばノッコさんが店では仲良くしてたようですが……。あ、いえ、別に彼女がキャストの中で孤立していたとか、そういうことじゃないんですよ。礼儀正しかったから先輩キャストの受けも良かったし、後から入ってきた娘の面倒見も良かったし。ただ、やはりどこか人を寄せ付けないようなところがありましたね」
 葉子のアパートの様子からプライベートで付き合っている友人の存在には期待をしていなかったが、仕事場にも友人がいなかったというのは少し驚きだった。アタシも父の事件後、ずいぶんと友だちのいない時期を過ごしたが、それでも人付き合いまでなかったわけじゃない。当時のアタシを知る人はそれなりにいる。だからこそ上社のような探偵があれだけ詳細な調査報告書を作ることができたのだ。
 しかし、葉子にはいずれもなかった。引きこもりでインターネットだけが外界との接点というわけでもないのに、そこまで人間関係が希薄な理由がよく分からなかった。一人が落ち着くとか孤独が好きとかいう次元ではない。
 由真がアタシを見やってから、おもむろに口を開いた。
「彼女に恋人がいたって話は聞いたことありませんか?」
「恋人?」
「そう。それらしき形跡はあるんですが」
 自分で見つけた”収穫”のことだろうが、それなら友人がいない理由も少しは納得できた。恋人がいるとき、女はどうしても友達付き合いが疎かになりがちだ。かく言うアタシも元彼と付き合っていた頃、一緒に住んでいる由真以外とはあまり遊んだ記憶がない。
 しかし、池上は首を捻った。
「どうでしょうかね。まあ、いたっておかしくはないんでしょうが、そんな話を聞いたことはありませんね。私も何度か、天神とかキャナルとかで買い物をしているハコさんを見かけたことがありますが、いつも一人でしたから。ああ、一度だけお母さんらしき人と一緒のところを見たことがありますが」
「そうですか。分かりました」
 最初からそれほど期待していなかったのか、由真はまったく落胆していないようだった。
 ノッコさんという、それでも多少は仲良くしていたというホステスを呼んでもらって同じように話を訊いてみても、答えは池上のものとほとんど変わらなかった。
 年嵩の黒服が開店前のミーティングの時刻になったことを知らせに来て、池上はそれに身振りで答えた。これ以上ここで粘っても何も得られそうにはなかった。由真と顔を見合わせてその場を辞することにした。
「お忙しいところを時間割いて戴いて、ありがとうございました」
「いえ、今度はお二人とも、ぜひ面接に来てください。――そうだ。これを預かってもらえませんか?」
 池上は今思いついたような口調で、ソファの傍らからあらかじめ用意してあった岩田屋の紙袋を取り上げた。
「何ですか、それ?」
「ハコさんの荷物――と言っても大した量じゃありませんが。ロッカーに入れっぱなしだったドレスとか雑誌とか。申し訳ないんですがロッカーの数には限りがありますので」
「彼女のお葬式には誰も出られなかったんですか?」
 池上は寂しげな微笑を浮かべて、首を横に振った。
「私が一応、お通夜には行ったんですけどね。ご両親から告別式は遠慮してくれと言われましたので。世間体が良くないと思われたんでしょう。それでなくても、新聞に”ホステスひき逃げ”って書き立てられましたからね。――私は彼女がこの仕事を恥じていたとは思わないんですが」
 最後の一言は葉子の名を借りた彼の独白にも聞こえた。お預かりしますと答えてバッグを受け取り、すでにホステスと黒服が集合しているフロアを横目に店を出た。
 由真のBMWが停めてある春吉のコインパーキングまで歩きながら、預かった紙袋の中身を漁ってみた。赤いマーメイドラインのドレスが二着、ビニール袋に入ったアクセサリ類、使いかけの小振りなメイクセット、ケイタイの充電器、それとファッション誌が三冊。一番底に細長いクリアファイルが入っている。
「……何だろ、これ」
「名刺入れだよ。お客さんからもらったのを入れといたんじゃないの」
 パーキングに着くと、由真は当たり前のように運転席に身体を滑り込ませた。一瞬、力ずくで取って代わろうかと思ったけれど、あんまり虐げるのもよくないだろう。
 吉塚方面に走り出したBMWの助手席でさっきのフォルダのページをめくってみた。結構な数の名刺が差し込んであってかなり分厚い。当然のことながら見覚えのある名前などなく、それは途中で単に由真の運転の恐怖から気を紛らわせるための逃避になっていた。
「あれっ?」
 最後のページまでおざなりに眺めて、他の名刺の最近の洒落たデザインとは違う無愛想な白地の名刺に手を止めた。
「どうかしたの?」
 由真の問いかけには返事をせずに、その最後のページの一枚を引き抜いた。名刺には縦書きの明朝体で”村上恭吾”と記されていた。

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