スタンド・バイ・ミー?

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「――ネェ、いいこと?」
 朝食のテーブルで、あたしは言った。
「どうしたのさ、改まって」
「あなた、自分が死んでるって気づいてる?」
「何だって!?」
 ダンナは素っ頓狂な声をあげた。ひどくショッキングなことを聞かされたようなリアクションだけれど、あたしにとっては見慣れた、いつもの光景だった。
「そんなバカな。だってぼくはここにいるし、ちゃんと君と話してるじゃないか」
「それはそうなんだけど」
 あたしはいつもと同じやりとりにウンザリしながら、いつもと同じ説明を始めた。
「あなたは交通事故で死んだの。そりゃ、信じられない気持ちはわかるわよ。だって、よそ見してたらいきなり後ろからドカン、ですもの。何が起こったのか分かる前に、あなたの脳みそはザルから落っことしたトウフみたいにコナゴナになってたわ」
「そりゃヒドイ」
 ダンナは顔をしかめた。
「せめて、分かるまで待ってくれりゃよかったのに」
「いや、そういう問題じゃないんだけど」
 あたしはコーヒーをすすった。ブルーマウンテンの繊細で華やかな薫りが鼻腔をくすぐった。
 カップをダンナの鼻の下に近づけた。
「ほら、嗅いでごらんなさいよ。いい香りでしょ?」
「……何も感じないけど」
「それがあなたが死んでる証拠なのよ」
「鼻が詰まってるだけだよ。ぼくはホラ、カゼをひきやすいし」
 現在形なのにツッコミを入れるかどうか、ちょっと迷った。
「たしかにね。あなたが跳ね飛ばされたのは、あの夏、二回めのカゼをひいて病院に行く途中だったわ」
「そうだったっけ?」
「そうよ。あれからもう、五年がたつわ。――あら、やだ。もうこんな時間」
 時計は八時を少し回っていた。そろそろ家を出ないと、会社に間に合わない。
「大変だ。ぼくもそろそろ会社に行かなきゃ」
「そう。だったら早く支度してよ」
 ダンナは自分の部屋(というのがあるらしいのだ。この部屋はワンルーム・マンションだというのに)へ引っ込んでいった。

 あたしはコーヒーを飲み干してから、自分の支度をして、玄関でサンダルのストラップに足を通した。
 ダンナがいわゆる幽霊なのか、それともあたしの妄想なのかは、最初の頃こそ気になったけど、今はどうでもよかった。
 ロマンティックな言いかたをするなら、ダンナはあたしを心配して、この世に残ってくれている、ということになるのかもしれない。まあ、おかげで、いまだにシングルライフが続いているのだけれど。
 正直に言えば、毎日、同じやりとりをするのがウザいこともある。話したことを覚えておいてくれればな、と思うこともある。
 でも、コナゴナのトウフにそれを期待するのは酷なんだろうな、とも思う。
 ダンナはあの日からずっと変わらない。それがイヤにならないのは、彼と過ごした数年間が、あたしにとってかけがえのない日々だった証拠だろう。

 と、いつものようにあたしは自分を納得させた。
「じゃあ、行ってくるね〜!!」
 誰もいない――いや、ダンナしかいない部屋の中にそう声をかけて、あたしは玄関を飛び出した。


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