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砕ける月

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  第 14 章  

 由真の実家へ行く前に天神に出ることにした。
 街までは祖母にクルマで送ってもらった。
 格好がバンディットに乗るのに向いていないので祖母のベスパを借りるつもりでいたのだけれど、元々年季が入っている上にあまりにもほったらかしにしていたせいでバッテリがあがっていたのだ。
 バンディットの修理中に乗っておけばよかったと思ったけど後悔しても始まらない。ついでに言えばアタシはこの原付バイクという乗り物の椅子に座って脚を揃えるライディング・ポジションが苦手で、出来れば乗りたくなかったというのもあった。
 盆休み直前の週末ということで渡辺通りはいつもよりも渋滞していた。そんな中、祖母は平然と福岡三越前のガードレールにアウディを横付けした。
 アタシが滅多にしない女の子らしい格好なせいか、祖母はご機嫌だった。男の子(高橋のことだ)から電話がかかったりしたのもあって、アタシに時季外れの春がやってきたと勘違いしているようだった。
 期待に応えられる見込みはゼロなので心苦しくはあった。でも「お出掛けするなら必要でしょ」と臨時のお小遣いを貰えたので申し訳ないけど黙っていることにした。
「遅くなったら迎えに来るから、電話するのよ」
「ありがと。そうする」
 ドライバーたちのイライラを表すように間の詰まった車列に当然の権利のように割り込んでいくアウディA3をヒヤヒヤしながら見送って、アタシはいつものようにガードレールを跨いで越えようとした。
 脚を上げようとした瞬間に自分がスカートを履いていることを思い出した。正確には通りを歩いていた男の子のビックリしたような視線と目が合ったからだけれど。
 アタシは何事もなかったように脚を下ろして、平然とした顔で――内心では顔から火が出るような思いで――ガードレールの切れ目まで歩いた。


 天神ビルの屋上にあるキリン・ビアガーデンは、喉の渇きを潤すことを求めてやまない大勢の客で混雑していた。
 蒸し暑い空気の中でフロア係が運ぶビアジョッキが気持ち良さそうな汗をかいていた。テーブルを囲む男女の輪から歓声が湧いて、中年のオジサンや若いお姉さんたちが今日この為に生きていると言わんばかりの飲みっぷりを披露している。
 アタシは工藤さんの姿を捜した。
 今日から店はお盆休みで、工藤さんと板長がここに飲みに行くという話はサマー・キャンプ――はなくて夏季合宿のときに聞いていた。
 家を出る前に電話で「お邪魔してもいいですか?」とアタシが訊くと、工藤さんは一瞬の沈黙のあと、いつもの気軽な調子でオーケーと言った。
  目当ての二人は隅のフェンス沿いのテーブルに陣取っていた。
「――オイオイ真奈ちゃん、どうした? そんなヤラシイ映画に出てくる未亡人みたいな格好してさぁ」
 板長はアタシの姿をみるなり周囲に響きわたるドラ声で言った。喩えが不謹慎なのはいつものことだけど、顔はハケで刷いたように真っ赤ですっかりデキ上がっていた。
「誰が未亡人ですか。まだ結婚もしてないのに」
「じゃあ、オレと結婚するかぁ?」
「冗談でしょ。だって板長、奥さんいらっしゃるじゃないですか」
「別れるっ!!」
 板長はいきなり背筋を伸ばし――たつもりのようだけど実際はほんの一瞬、上体が持ち上がっただけだった――世界中に宣言するように言った。
「真奈ちゃんが結婚してくれるなら、ヨメとなんか明日にでも別れる。だってさぁ、あの女さぁ……」
 最後のほうは何を言っているのか聞き取れなかった。
 周囲の視線を感じて工藤さんも苦笑しながら板長をなだめにかかった。しばらく訳の分からないことを呟いていた板長も実はそろそろ限界だったらしく、椅子の背に寄りかかるとおとなしくなった。
「あーあ、こんなになるまで飲ませちゃって。知りませんよ、板長の奥さんに怒られたって」
「いやぁ、そんなに飲ませてないんだけどなぁ。大体、ビールだけでこんなにヘベレケになる方がどうかしてると思わない?」
「知りませんよ、そんなこと」
 アタシは空いている椅子に腰を下ろした。
 トレイを持ったフロア係の女性が通り掛かったので生ビールを注文した。彼女がビアサーバーのほうに戻っていくと、工藤さんはわざとらしく声を潜めた。
「あれっ? 真奈ちゃんってば、未成年じゃなかったっけ?」
「よく言いますよ。昨日のバーベキューで梅野さんにみんなで寄ってたかって飲ませたくせに。言っときますけど、梅野さんも未成年なんですからね」
「だって、あいつが飲むっていうんだもん。それよりナニ、梅野を庇ってるの?」
「……ホントに昨日のこと、バラされたいんですね」
「もおしわけございません」
 工藤さんは得意の高嶋政伸のモノマネをしながら恭しく頭を下げた。アタシは思わず吹き出した。
 アタシは酒は強い方でビールならかなり飲めてしまう。
 ひょっとしたらアタシの周囲だけかもしれないけれど、九州の大人の未成年の飲酒に対するモラルは相当に低い。
 父親はさすがにアタシが酒を飲むことにいい顔はしなかったけど、それでも厳しく禁じられたことはない。ウチにやってきた父の同僚(……警官だ)に勧められた回数は数えきれないほどだし、道場のオジサンたちも打ち上げの席で当たり前のように勧めてくる。
祖母には黙っているけど祖父の晩酌に付き合ったことすらあるのだ。
 もちろんアタシにも一応、罪の意識のようなものはあって、冗談半分の懺悔のつもりで由真に「アタシ、実は酒豪なんだよね」と告白したことがあった。

 アタシとしては、たしなめるような言葉を期待していた。
 ところが意外なことに由真もいけるクチだという逆告白をされて、アタシは声も出ないほど驚かされたものだ。
 それから由真は時折「二人で飲みに行こうか」などと言うのだけれど、アタシはその一件以来、自分がひどく悪いことをしているような気がして、飲みたいという気持ちが失せてしまっていた。
 それなのに急に飲みたくなったのは、能古島から帰ってからの数時間の間に直面した事柄があまりにもそれまでの自分の世界とかけ離れていることへの不安からだった。
 ビールはすぐに届いた。
 KIRINのロゴマークの入ったジョッキからは泡がこぼれそうなほど盛り上がっていた。フロア係はアタシが未成年だということには気付いていないようだった。
 アタシは乾杯の代わりにジョッキを掲げてみせた。工藤さんもテーブルのジョッキを取って小さく掲げてくれた。
 久しぶりに飲むビールは思いの他、苦かった。それでも一息にジョッキの半分ほどを流し込むと胃が急に熱を持ったような感覚におそわれた。
 押し黙ってビールを飲むアタシを見て、工藤さんはビュッフェスタイルのフード・バーからつまみになりそうなものを取ってきてくれた。皿をアタシの前に置いて椅子に深く腰掛けた。
「預かって欲しいものがあるんだったね?」
 口調の変化にアタシは思わず工藤さんの顔を見た。
 アタシはコクリと頷いた。

 こんがりと焼けた粗挽きソーセージを齧りながら、工藤さんはアタシの話に耳を傾けていた。
 その間、説明が要領を得ないところを聞き返した以外はほとんど口を挿まなかった。おかげでアタシは何が確かなことで、何が今の段階では推測に過ぎないのかを整理することができた。
 確かなのはこのMOディスクを由真が(高橋を通じて)アタシに預けたこと。高橋が何者かに襲われたこと。高橋家の会社事務所が何者かに荒らされたこと。ディスクには何らかのシステムで使うデータが記録されていること。同じくディスクに村松俊二という医者が心筋梗塞ではなく首を絞めて殺された証拠の画像が入っていること。村松医師は敬聖会病院で起きた医療事故の当事者で同時に病院に対する背任で告発されそうになっていたこと。
 そして今現在、由真と連絡がつかないこと。
 事の経緯を聞き終えると工藤さんはディスクを預かることを承諾してくれた。
 アタシは飲み残していたビールを飲み干した。少しぬるくなっていて苦味は最初よりも強かった。それでも胸にたまっていたものを吐き出した安堵感からか、さっきよりも美味しく感じられた。
 工藤さんはフロア係にお替りを頼んだ。アタシにもお替りするかを訊いてくれた。
 アタシは遠慮しておくことにした。ビール二杯くらい何ということもないのだけれど、これから徳永家に乗り込むのに酒臭い息を吐きながらというわけにはいかない。一杯目が緊張と不安をほぐしてくれただけで十分だった。
 アタシはウーロン茶を頼んだ。飲み物のお替りが届くまでの間に二人で連れ立ってフード・バーから料理を運んだ。
 板長はすっかり夢の中でテーブルに突っ伏して鼾が鼻から抜ける間の抜けた音をさせている。起きる気配は微塵もなかったけれど、一応、気を使って静かに皿を並べた。

 アタシは小皿に取り分けたチャーハンを口に運んだ。
 昼食以降、何も食べていなかったのでそろそろ空腹になってきていた。これから後も食べる機会があるかどうかは怪しいのでしっかり食べておくことにしたのだ。
 フード・バーには他にもから揚げや焼きソバなどがあって、アタシはそれらも持ってきていた。猛烈な勢いで料理を平らげるアタシを嘆息して眺めながら工藤さんは苦笑いしていた。
「まぁ、しかし何だねぇ」
「何です?」
「いや、入り組んでる上に仮定だらけでよく分からないんだけど、要するに真奈ちゃんはこれから、病院のスキャンダルが公表されるのを防ぐために荒事専門の連中まで雇ってるかも知れないような家に、のこのこ出かけていこうとしているんだよね?」
「……そういう事になるんですかね」
 高橋を襲った連中が敬聖会の手の者と決まったわけじゃないけれど、その可能性は高かった。アタシは改めて自分がとんでもなく無謀なことをしようとしていることを自覚して、気が重くなるのを感じた。
 工藤さんの目は「お前にそんな奴等を相手にする覚悟があるのか?」と問いかけているようだった。
 アタシはその視線を正面から受け止めた。
 怖くないといえばもちろんウソになる。でも、だからといって何もせずに座して待つことなんてアタシには出来なかった。
 由真はこのMOディスクを預ける相手にアタシを選んだ。それはアタシを信用してくれていたということだし、アタシを頼ってくれたということだった。
 もちろんアタシが勝手にそう思っているだけかもしれない。それでも、アタシにとってはそれは危険を冒すに足る十分な理由だった。
 アタシは一呼吸置いてニッコリ微笑んで見せた。
「それで脅かしてるつもりですか?」
 工藤さんは仕方ないな、という感じで苦笑した。
「くれぐれも無茶はしないようにね。俺が着いていくわけにもいかないんだろうけど、もし必要ならいつでも連絡してくれよ。必ず護ってやるから」
 アタシはそうすると答えた。


 板長をビアガーデンから連れ出すのは一苦労だった。
 完全に意識を失くした体からはあらゆる力が抜け切っていて、まるで紐の切れたサンドバッグを運んでいるようだった。
 人目がなくなると工藤さんは板長をかなりぞんざいにエレベータに押し込んだ。おそらく多少、余計な痣が出来ているだろうけど本人がその原因を知ることはないだろう。
 板長をタクシーに押し込むまで手伝ってからアタシは工藤さんと別れた。
 八時を回っていて、辺りは灯りのスイッチを切ったように暗くなっていた。

 本当なら他人の家を訪ねるのには非常識な時間だった。
 アタシが今夜のうちに由真の実家に行くことをを選んだのは、とても明日まで待てないというのもあったけど、この時間なら両親とも家にいるだろうという目論見からでもあった。
 タクシーを拾って行く先を告げた。
 シートに身体を預けると不意に睡魔が襲ってきた。アルコールのせいもあるし、合宿の疲れもあった。ひょっとしたら板長を運んだ疲れかも知れない。
 天神から大濠公園までは渋滞していなければ十分もかからない。着いたら起こしてくれるだろうと勝手に期待してアタシは瞼を閉じた。








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