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砕ける月

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  第 23 章  

 村上は祖父の部屋の隣にある応接間に通されていた。
 以前から数奇屋造りのこの家には似合わないなと思っている真新しい洋間で、元は和室だったものを改造した跡が鴨居や柱に見え隠れしている

 アタシは祖母に言われて部屋に戻って着替えてきていた。ベージュのフレンチスリーブのニットにロングのフレアスカートというシックな出で立ちだった。来客を迎える良家の子女といった感じで、そういう格好をすると歩き方まで上品になるような気がした。
 アタシが部屋に入ると村上はソファから腰を上げた。
「ご協力いただき感謝します。高橋拓哉さんのことでお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
 村上は今までアタシには使ったことのないような丁寧な口調で言った。
 警官がこういう物言いをすると必要以上に慇懃無礼な感じがするものだけれど、村上が言うとそういう感じはしなかった。育ちの良さというのはこういうところに出るのだなと思った。
「別に何を訊いてもいいわ。スリー・サイズは秘密だけど」
 村上はメタルフレームのメガネの奥で目を細めた。
 笑ったのではなかった。ただ細めただけだ。
 トレイに載せてきたコーヒーカップを村上の目の前に置いた。
 アタシに来客があることは滅多にないけれど、以前に工藤さんが来たときには祖母はコーヒーを運んできて、必要以上に愛想よく挨拶をしに顔を出した。
 今回はコーヒーを淹れる手つきこそ丁寧だったけれど表情は強張ったままで、アタシに「持って行きなさい」と言っただけだった。
 つまりは、それが祖母の村上に対する偽らざる心境ということだ。
 アタシはソファに腰を下ろしてスカートの中で脚を組んだ。腕組みをして村上の顔をじっと見つめた。
「しっかし、よくこの家に顔を出せたものよね。どんな神経してんの?」
「仕事だからね」
 相手がアタシ一人だからか、村上は口調を変えた。柔らかいけど抑揚のない淡々とした物言い。
「もっと行きづらいところに聞き込みに行ったこともあるよ。麻薬でボロボロになって自殺した少女の親御さんのところとか、リンチにあって博多湾に浮いてた少年の実家とか」
「それに比べれば、自分が刑務所に送った男の娘に会うことなんて何でもないってわけね」
 村上は答えなかった。頂きますと言ってコーヒーカップを口に運んだ。
「いいわ。訊きたいことをきいたら、さっさと帰ってくれる? アンタがいるとお祖母ちゃんの機嫌が悪くなる一方だし、もしお祖父ちゃんが帰ってきたら、何があっても責任持てないわよ」
「そうするよ」
 村上は大判のシステム手帳を開いた。
 警官が聞き込んだ内容を警察手帳に書き付けていたのは過去の話で、今の警察手帳は手帳とは名ばかりのパスケースのようなものになっている。それでもシステム手帳を持ち歩いている刑事は珍しいんじゃないかと思った。警官というよりも法廷での方針について打ち合わせに来た弁護士のように見えた。
「で、訊きたいことって何?」
「高橋拓哉の立ち回りそうなところを知らないか?」
 意味がよく分からなかった。
「……立ち回り先も何も、まだ入院してるんでしょ?」
「高橋拓哉は今朝方、入院先の病院から姿を消した」
「エッ!?」
 思わず大きな声が出た。
「高橋は昨日の夕方、意識を取り戻した。最初こそ意識混濁の兆候が見られたが、程なく回復した。医師の呼びかけにも正常に応えていたし、両親ともキチンと話している。我々は早速、事情聴取を行おうとした。ところが、本人が事件については話したくないと言い出した」
「どういうこと?」
「傷害事件に限らず、被害者が警察の事情聴取を拒むのは実はそんなに珍しいことじゃない。被害者側にも非がある場合や、弱みを握られていて話せなかったりする場合もあるからね」
 確かに迂闊には話せないだろうなと思った。高橋を襲ったのが誰であれ、それは必ず敬聖会に対する恐喝事件と繋がっているし、それは何処かで由真とも繋がっているからだ。
「我々としては、彼が話してくれなければ捜査に支障を来たすことになる。目撃証言も物証もほとんど見つかっていないからだ」
「最初から捜してないんでしょ」
「言い訳のしようもないね」
「でも、本人が訴えないって言ってるのにどうして警察は捜査を続けてるの? 福岡県警がそんなにヒマだって話は聞いたことないけど」
「傷害罪は親告罪じゃないからね。それに高橋の周りではもう一つ事件が起きてる。香椎にある高橋家の会社事務所が何者かに荒らされているんだ」
「……そう言えば、そんな話を聞いたような覚えがあるわね」
「二つの事件が繋がっているのかどうか、今の段階では何とも言えないが関連はあるはずだ。我々は高橋の両親と話して、彼に捜査に協力するように説得してもらうことにした」
「ところがその矢先に、高橋が自主的に退院してしまったってわけね」
 村上は頷いた。
 高橋の立ち回り先については、アタシはまるでお手上げだった。
 アタシが知っている彼の交友関係で警察が把握してなさそうなのはウチの学校の地学教師くらいだったけど、彼は高橋が電子カルテのビューアーソフトを探していたことを知っている。警察に教えるのは得策とは思えなかった。なのでアタシは何も知らないと答えた。
「でも、高橋さんって大怪我してるんでしょ?」

 村上は呆れたように肩を竦めた。
「関係者は全員驚いているよ。骨折などはなかったと言っても全身打撲でとても動けるような状態じゃないんだが……。ひょっとしたら何者かが病院を抜け出すのに手を貸したのかもしれないな」
「あるいは、誰かが連れ出したのかも」
「その可能性も否定はできない。とにかく我々は今のところ、両親からの保護願いを受けてという形で高橋の行方を追っている」
「それでアタシにも高橋連れ出しの容疑がかかってるって訳?」
 村上は薄い微笑を浮かべた。
「だとしたら今頃、お前さんは博多署の取調室でカツ丼を食ってるよ」
「だよね」
 一応、昨夜から今朝方にかけて何処にいたかを訊かれた。
 本当のことなど言えるはずもないので、適当に夜遊びをして一時過ぎには家に帰っていたとウソをついた。どうしても誰かに証明してもらわなくてはならないなら、ピアニッシモのマスターの名前を出さざるを得なかったけど、村上はそこまでは要求しなかった。
 代わりに村上は爆弾を投げつけてきた。
「そう言えば、徳永由真というのはお前さんのクラスメイトだよな?」
 頭をぶん殴られたような衝撃だった。
 警察はすでに由真のことを把握しているのだろうか?
 アタシは声が裏返るのを、辛うじて堪えた。
「――そうだけど。それがどうかしたの?」
「高橋にお前さんを紹介したのは、彼女なのか?」
 何と答えるべきか迷った。アタシは狼狽を隠すのに必死だった。
 アタシはそうだと答えた。高橋とアタシを引き合わせたのは由真なのだから、まったくのウソとも言えない。
「彼女がどうかしたの?」
「いや、どうもしないよ。連絡がとれないだけでね。高橋の携帯電話の通話記録を調べたんだが、通話の半分は徳永由真宛てにかけたものだった。まあ、通話自体がそんなに多くはないというのもあるがね」
「へえ……。で、連絡がとれないってどういうこと?」
「それはこっちの質問さ。友だちなんだろ?」
「……まあね。でも夏休みだし、アタシは昨日まで能古島に行ってたから。家には電話してみたの?」
「一応はね」
 村上はアタシの目の色を探るような視線を向けた。
 アタシは目を逸らしたくなる衝動を抑えて、その視線を真っ直ぐ受け止めた。
 一瞬、メガネの奥でその厳しい目が緩んだように見えた。村上はわざとのようにパタンと音を立ててシステム手帳を畳んだ。
「もし彼女と連絡が取れたら、高橋のことで何か知らないか、訊いておいてくれないか」
 アタシはそうすると答えた。
 
 玄関で村上を見送りながら、アタシの頭の中では警察が由真に迫りつつあることに対する恐怖心のようなものが芽生えていた。
 とは言っても、アタシに出来ることはなかった。あるとすれば、彼らよりも先に由真を見つけるくらいのものだ。
 祖母は見送りに出てくる素振りも見せなかった。村上も自分が招かれざる客であるという自覚くらいはあるようで、挨拶するとは言わなかった。
 村上は靴を履くと扉の前で、取って付けたように敬礼して「ご協力感謝します」と言った。
 アタシは嘆息した。
「わざわざ、気まずい想いをして訊きに来るほどのことじゃなかったんじゃないの? 電話で良かったんじゃ?」
「警察ではそういう横着は許してもらえないんだ。それに直接会って話してみないと分からないことも多いからね」
「……へぇ、そう。アタシと話して何か分かった?」
「大いに」
 村上はそう言って出て行った。アタシはそれを無言で見送った。

 祖母に村上の――警察の来訪の意図を納得させるのは一苦労だった。
「ヘンなことに首を突っ込んでるんじゃないでしょうね?」
「そんなことないって。大丈夫よ」
「言っておきますけどね、真奈。私はあなたのことを、あなたの両親――佐伯さんと奈緒美から預かった大事な身だと思ってるのよ。あなたのことは信用してるし、自由にさせてるけど、警察沙汰になるような危ない真似をしているんなら許さないわよ」
「だから、そんなことないってば」
 アタシは勤めて明るい口調で言った。
 言いながら、自分が明らかなウソをついていることに良心の呵責のようなものを感じていた。
 アタシは祖父母に対して何度となく反抗的な態度を取ってきたけれど、補導されようが何をしようがウソをついたことはなかった。ウソをついて自分を良く見せる必要がなかったからだ。
 今、アタシが祖母にウソをついているのは自分を守るためではなかった。
 強いて言えば祖母に本当のことを話して由真を捜すのに支障が出るのを恐れたからだけれど、同時に祖母に心配をかけたくないからでもあった。
 もちろん、それが身勝手な言い分だということくらいの自覚はあった。それはアタシの胸の中で抜けない棘のような不快なものを残していた。
 今一つ納得していない祖母を残して、アタシは自分の部屋に引き上げた。
 高橋が病院を抜け出したことで予定が一つなくなってしまっていた。
 行方を捜そうにも手掛かりも心当たりもまったくなかった。
 ケイタイに電話をかけたところで出るとも思えなかった。ケイタイは着信すると、どの基地局のエリア内にいるかが分かってしまうからだ。そのくらいのことはアタシでも知っている。他人の電話番号を調べ出すことが出来る高橋がそんなミスを犯すはずはない。
 アタシは自分が高橋について知っていることを思い起こした。
 高橋の話によれば、二人が知り合ったのは高橋が働いていたパソコンショップという話だった。
 その店は芳野か、あるいは梅野が知っているかもしれない。もちろん、それが分かったからと言って由真に繋がっているとは限らないけれど、二人のことを知る別の人物には繋がっているかも知れない。
 何よりも座して待つよりはマシだった。

 学校の名簿を引っ張り出して芳野の自宅の住所を調べた。
 個人情報保護が謳われて久しい昨今、特に良家の子女の多いウチの学校では生徒の住所や電話番号は公開されていないけれど、何故か依然として教職員は住所も電話番号もしっかり載せられている。
 そこに差を設ける意味はまったく分からなかったけれど、夏休みだというのに教務課に出向いて調べる手間が省けたのだから、アタシとしては素直に名簿の編集方針に感謝するべきなのだろう。

 芳野の住所をメモに書き写しているとケイタイが鳴った。見覚えのない番号だった。
 通話ボタンを押した。
「榊原ですけど」
「ああ、俺だ。熊谷だ」
 わざと押し殺した声だった。太いバリトンのせいか、こういう喋り方をすると威圧感たっぷりで、自分でもそれが分かってやっているような感じだった。
「夕べ、というか今朝方はどうも。どうしたんですか?」
「警察に何か喋ったのか?」
「いいえ、何も」
 熊谷の声に含まれる剣呑な響きの理由が分かった。
「――ああ、実家の方に電話があったんですね」
「どういうことだか、説明出来るかね?」
「高橋が病院を抜け出したのはご存知ですか?」
「いや。そうなのか?」
「そうらしいですよ。それで、さっきまでウチにも刑事が来てたんですよ。高橋の立ち回り先を知らないかって」
「……で、君は何て答えたんだ?」
「実際、知りませんから、その通りに答えましたよ。由真のことは友達かって訊かれたんで、そうですって答えただけですけど。由真のことは高橋さんのケイタイの通話記録から割り出したみたいです」
「そういうことか……」
 納得したのか、熊谷はフゥッと大きく息を吐いた。
「高橋さんから何か訊き出せるかと思ってたんですけど、お役には立てそうにないですね」
「君は本当にヤツの立ち回りそうなところに心当たりはないのか?」
 アタシも大きくため息をついて見せた。
「残念ながら、ないですね。もともとが由真を介しての知り合いですしね」
 熊谷はしばらくの沈黙の後、分かったと言って電話を切った。
 窓から外を見ると空はさっきよりも鉛色に近づいていた。
 南国九州と言いつつも日本海側で、一年を通じて曇天の多い福岡に住んでいても、やはりこういう空は好きにはなれない。それはアタシがバイク乗りだというのもあるけれど、ただでさえ重苦しい気分が更に落ち込んでいくような気がするからだ。
 でもまあ、文句を言っても始まらなかった。
 半袖のダンガリーのシャツといつものジーンズに着替えて、プロテクター付きのメッシュジャケットを羽織った。普段は暑いのでパーカーで済ませている(褒められた話じゃない)けれど、雨の日は転倒の危険があるのでキチンと着ることにしているのだ。
 レインコートを防水仕様のバックパックに放り込んで、バイク用のショートブーツと指ぬきのライディング・グラブを身に着けて庭に出た。
 母屋に向かって大声で「出かけてくるから!!」と一方的に宣言してから、祖母の返事を待たずにアタシはガレージに駆け込んだ。

 エンジンを始動させてブリッピングを繰り返した。スタンドを起こしてシートに跨り、ヘルメットのシールドを下ろした。
 電動のシャッターが開くのと同時に、アタシは逃げ出すような勢いで走り出した。








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