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砕ける月

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  第 29 章  

 和白通りを逆戻りして、税務署前の交差点を香椎神宮のほうへ曲がった。
 このすぐ近くにタカハシ・トレーディングの様子を見にやってきたのは、ほんの数日前のことだった。
 カマロは高橋拓哉の自宅がある舞松原のほうに向かっていた。
 昨夜、熊谷と一緒に来た流通センターから三号線博多バイパスをそのまま北上すると、東区の山間に広がる広大な住宅地にぶつかる。舞松原はその一角にあった。
「スンマセンっしたね。何か、あんまり得るものがなくって」
 梅野は申し訳なさそうに言った。
 アタシは落胆が声に出ないよう、気をつけて口を開いた。
「どうして梅野さんが謝るんです? アタシが行くのに着いてきてくれただけじゃないですか」
「そうなんすけど……。でもなぁ、何の役にも立ってないし」
「そんなことないですって。梅野さんが止めてくれなかったら、今頃アタシは空き巣で捕まってたかも知れないんですよ。それに高橋の住所だって調べてくれたじゃないですか」
「……ま、そうっすけどねぇ」
 由真の最後の来店も結局は分からずじまいだった。
 アタシは高橋の自宅に行くことを思いついた。
 息子が姿を消したというのに母親がボンヤリ病室で待っているとは思えなかったからだ。もちろん彼女に会って何が分かるというものでもなかったけど、このまま暗くなるまでボーっとしているのは嫌だったのだ。
 村上が東区の何処かと言ったのは覚えていたけれど、アタシは高橋の正確な住所は知らなかった。芳野も聞いたことがないと言った。面識のない梅野は訊くまでもなかった。
 どうやらことごとく思惑通りにコトが運ばない日のようだった。
 再びアタシがガックリと肩を落としていると、梅野は「何とかなるっすよ」と言って作業部屋を出て行った。
 数分後、梅野はニンマリした顔で戻ってきた。PCシステムサプライの店長と交渉して、保管してあった高橋拓哉の履歴書からその住所を調べてくれたのだった。
 カマロは香椎神宮の前を通り過ぎて、西鉄香椎線の線路を渡った。ダッシュボードに突っ込んだままになっていたロードマップでおおよその場所の目処をつけながら、入り組んだ住宅地をウロウロした。
 県営住宅と舞松原小学校の間の区画に目指す家はあった。

 高橋拓哉の家はいかにも建売といった佇まいの家屋が並ぶその辺りでは、比較的大きな家だった。母屋と離れがあって、クルマが数台停められそうな広い庭がついている。
 庭にはダークブルーのスバル・ヴィヴィオと高橋のCR−Xが停まっていた。香椎の駐車場で見た両親のセダンの姿は見えなかった。
 ここまで来て留守かと思うと、本当にウンザリしてきた。
「梅野さん、今朝のカウントダウンの星座占い、見ました?」
「見ましたけど。何座でしたっけ?」
「七月二十三日でギリギリ獅子座ですけど」
「ウチの兄貴と同じっすね。だったら、確か今日は十一位じゃなかったかな……?」
「ビミョーな順位ですね」
 それでも最下位でなければ、まだ望みはあるかも知れない。
 カマロを庭先に横付けしてもらってアタシはクルマを降りた。梅野には外で待っていてもらうことにした。梅野は「タバコ吸ってます」と言った。アタシが隣にいるので車中ではガマンしてくれていたのだ。
 玄関に回って呼び鈴を鳴らすと、中からドタドタという足音と「はーい、だーれぇ?」という声が聞こえた。少し鼻にかかった高い声で、高橋の母親の声とは明らかに違っていた。
 ドアが開いて、高橋と目元がよく似た女性が顔を出した。三十代後半くらいに見えるけれど、後ろで無造作に結んだ髪と化粧っ気のなさがそう見せているだけで、声の感じではもうちょっと若いのかも知れなかった。
「ひょっとして拓哉のお友達?」
「はい、榊原っていいます。あの――お姉さんですか?」
 彼女は破顔してアタシを中に招き入れた。
「叔母よ。この家に居候してるの。あたし、そんなに若く見える?」
「ええ、まあ」
「ありがと。どうぞ、お上がりなさいよ」
 彼女は上がり框に置きっぱなしになっていた中身のパンパンに詰まった袋を持ち上げた。
 アタシは彼女の後について家に上がりこんだ。テレビと座卓のある畳敷きの部屋に通された。
 開けっ放しの窓から湿っぽい風が入り込んできたけれど、直射日光に晒されていない分だけ中は涼しかった。
 彼女は袋をどこかに運んでいこうとした。手伝おうとしたら「汚れ物だからいい」と言われた。
「拓哉のモノなのよ。あたしもさっき病院から帰ってきたばっかりなの。あ、知ってるのかな、拓哉がボコられたこと」
「聞いてます。昨日、病院にお見舞いに行きましたから」
 彼女はマジマジとアタシの顔を見た。
「じゃあ、あなたが拓哉の彼女なの?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
 アタシはキッパリ否定した。すると、叔母さんはケラケラと笑った。
「だよねぇ。写メ見せてもらったことあるんだけど、雰囲気が違うものね。なんて言うのかな、雑誌のモデルみたいな感じの――」
「縦巻き髪の?」
 アタシはもみ上げの辺りで指をクルクルと回した。
「そうそう。可愛らしい子だったわ。――あら、ごめんなさい。あなたが可愛くないってことじゃないのよ」
「いえ、別にいいです。ホントのことですし」
「そんなことないわよ。あたしはむしろ、あなたみたいな気の強そうなタイプのほうが、拓哉にはお似合いな気がするんだけどね」
 アタシは乾いた笑いを浮かべながら、寝言は寝てから言ってくれと心の中で呟いた。
 彼女は汚れ物の袋を運んでから、よく冷えた麦茶を出してくれた。
「さて、拓哉が入院してるのを知ってて、わざわざウチに来たってことは――あの子が病院を抜け出したことも知ってるの?」
 アタシは頷いた。
「担当の刑事が、行き先に心当たりがないかって訊きに来ましたから」
「なるほどね。歩くのもままならない重傷だっていうのに、何を考えてんのかしら、あの子」
「ホント、心配ですね」
「ありがと。あなたは拓哉を捜してくれてるの?」
「そんなところです」
「そうなの。で、ここに何か手掛かりがあると思ったわけ?」
「そこまで見込みがあって来たわけじゃないんですけど。少し訊いていいですか――えーっと」
「高橋静香。冗談みたいな組み合わせだけど、本名なのよ」
 最初、彼女の言っている意味が分からなかった。拓哉と静香。なるほど。
「静香さん、あなたは拓哉さんが雑餉隈で見つかった前の日の夜、家にいらっしゃいましたか?」
 高橋静香はチラリとカレンダーに目をやった。
「あれは一昨日のことだから、その前は――十日の夜ね。ええ、いたわよ。ちょうど離れで絵の仕上げしてたから。十日が締め切りだったから追い込みだったのよ」
「絵の仕上げ?」
「あたし、画家なの。まったく売れてないけどね。それで?」
「庭に拓哉さんのクルマがありましたけど、あれは後から回収されたものなんですか? それとも乗って行かなかったんですか?」
「乗って行ってないわね。ずーっとあるもの」
「だとしたら、拓哉さんはどうやって街中まで行ったんですか?」
「どうやってって、あの日は兄貴も姉さんも出かけてていなかったから、送って行ったってことはないわね。拓哉はあんまり電車には乗らないし、タクシーで行くほどお金は持ってないだろうから……。友だちに送ってもらったんじゃないかしら?」
「友だちって誰だか分かりますか?」
「ケンジくんっていう、クルマの修理工場に勤めてる子よ。苗字はちょっと覚えてないけど……。高校のときからの遊び仲間なの」
 連絡先を訊くと壁に掛かっているレターポケットから封筒を一枚、引っこ抜いて渡してくれた。
「姉さんの知り合いなんで、ウチのクルマは全部そこで修理とか車検とかするの。あたしのヴィヴィオもこの前、調子が悪くなったときに見てもらったわ」
 封筒には糟屋郡久山町の住所と坂崎自動車工業という社名が印刷されていた。ここからだと小高い丘陵地(名前は知らない)を越えた向こう側の街になる。
 何か書き写すものがないかとヒップバッグを探っていると、彼女は封筒はいらないから持って行っていいと言った。あたしは封筒の中身を出して彼女に手渡した。
「じゃあ、拓哉さんが出かけるところは誰も見てないんですね」
「そういうことになるわね。離れにも来なかったし。でも、置き手紙はしてたみたいよ。ちょっと出かけてくる、福岡市内の友達のところに泊まるから心配しなくていい、みたいな内容だったそうだけど」

「そういうこと、よくあるんですか?」
「夜遊びに出かけること? まぁ、そんなにしょっちゅうでもないけど、時々ね。でも、あの子が自分のクルマを出さなかったのは、確かに珍しいかも」
「そのケンジくんと一緒のときも?」
「そうね。他人の運転は怖いって言ってたし。あたしに言わせれば、拓哉の運転だってロクなもんじゃないけど」
「市内の友達に心辺りは?」
「残念だけど、ないわ。あたしは最初、写メの子のとこじゃないかと思ったんだけど」

「彼女のことで、何か知ってることはありませんか」
 彼女は肩を竦めた。
「下の名前が由真ちゃんってことだけ。実はあたし、一回だけ二人が一緒にいるとこ見たことあるの。ゴールデンウィークに赤坂の画廊に画をもって行く途中でね。何ていうのかな、ホントに幸せそうで、お似合いのカップルって感じだったわ。多分、叔母バカなんだろうけど」
 高橋静香は”あたしは若い二人の理解者なのよ”という感じの微笑を浮かべた。
 アタシはその光景を思い浮かべた。二人が付き合っているという話はあまりピンとこなかったけど、二人の間のことは周りからでは分からないものなのかも知れない。

「……多分、ホントに幸せだったんじゃないですかね」
「そう思う?」
 アタシは頷いた。
 由真がいつ頃から事件のことを知っていたのかは分からないけど、少なくともその頃、両親と祐輔の間は冷え切っていたはずだ。心を許せる人間の存在がどれほど由真の救いだったか、想像に難くなかった。
「ところで、あなたはその子とはどういう関係なの?」
 高橋静香は言った。
「クラスメイトです。実はその子もちょっと行方が分かんなくて、それでひょっとしたら拓哉さんがいなくなったのと関係があるんじゃないかと思って、捜しているんです」
「そういうことなのね。ひょっとして、駆け落ちでもしたのかしら。ねぇ、その彼女ってすっごい箱入り娘だったりしない?」
「いえ、そんなことないですけど」
 アタシは思わず苦笑した。職業柄、想像力は豊かなのだろうけれど、それはあまりにも時代錯誤な筋書きに思えた。
 残念ながら現実はそんなロマンチックなお話ではないのだった。

 どうやら彼女が高橋拓哉の面倒をみることになっていたのが彼の脱走によってヒマになったらしく、しばらく取り留めのない話を聞かされることになった。
 アタシの興味を引いたのは高橋が由真の写メールを叔母に見せる羽目に陥った件(挙動不審になっていた高橋は彼女の誘導尋問で自ら白状したらしい)と、こんなときに一家でやっている輸入代行の会社に空き巣が入って、その後始末に追われていることくらいだった。母親は踏んだり蹴ったりだと憤慨しているらしい。村上は高橋の事件と関連があるような言い方をしていたけれど、当の本人たちはそうは考えていないようなのが(こう言っていいのか分からないけど)おかしかった。
 話の切れ目で礼を言って、アタシは腰を上げた。

 高橋静香は「何か分かったら連絡してね」と言った。アタシはそうしますと答えた。ケイタイの番号を交換して、高橋家を出た







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