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砕ける月

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  第 35 章  

 ――泣き疲れて眠ったのは、いつ以来のことだろう。
 母親が死んだとき、アタシは人前では泣かなかった。理由は分からない。ただ、そうしなくちゃいけないような気がしただけだ。
 その代わり、アタシは夜になると一人で泣き続けた。そして、いつの間にか眠りに落ちるという生活を一週間ほど続けた。
 おそらくそれ以来だ。
 ベッドのヘッドボードの時計は午前九時を示していた。思っていたよりも早いことに少し驚いた。
 ズンと重い頭を振って体を起こした。
 胃薬と水はそのままにしてあった。胃の辺りを押さえながらしばらくグラスとにらめっこをして、諦めてパッケージの封を切った。粉薬はあまり得意ではないのだけれど胃のムカつきには勝てない。
 眠っている間に脱いでしまったらしく、ジーンズはベッドの足元にクシャクシャになって蟠っていた。
 と言うことは、アタシは寝姿どころか下着姿を梅野に見られたことになる。昨夜、あれだけの醜態を晒しておいて今さら恥ずかしいも何もないのだけれど、腹の底に飲み込んだ鉛の塊のような自己嫌悪は更に嵩を増したようだった。
 テーブルの上には梅野の汚い字で”用事があるんででかけます”と書かれたメモが残されていた。その下には”ブログを見たいなら――”という書き出しでパソコンの起動方法の説明も書いてあった。どうしようか迷ってよく分からないので触らないことにした。
 こんな時間に何の用事なのだろう。
 アタシは耳を澄まして部屋の外の様子を窺った。二階には誰もいないのか、物音はしなかった。
 おそらく父親と兄はショップにいるのだろう。大橋モーター・ファクトリーは日曜祭日も開いているのでお盆に営業していてもおかしくはない。梅野家が父親と兄、梅野本人の三人暮らしであることは夕べ知った。母親はずいぶん昔に離婚して家を出て行ったのだそうだ。
 部屋を出て居間のほうに顔を出した。
 エアコンを切って時間が経っているようで室内には生ぬるい空気が漂っていた。
 男所帯の雑然とした感じがアタシには少しだけ新鮮だった。おそらく祖母の血筋だろうけど榊原家には片付け魔が多い。アタシもその一人だ。
 気晴らしに掃除を始めたくなる血の誘惑を振り切って洗面所で顔を洗った。出来ればシャワーを浴びたかったけど着替えもないし、無断で他人の家の風呂を借りるほどアタシは鉄面皮ではなかった。
 洗面台の鏡に映ったアタシは自分でも驚くほど酷い顔をしていた。
 泣き腫らした目の周りは真っ赤になっていた。ただでさえ無愛想な面構えなのに、表情が消えた顔には生気というものが感じられない。髪は寝癖でクシャクシャで肌も十七歳の乙女とは思えないくらいくすんで見えた。
 梅野の部屋に戻ってベッドに腰を下ろした。バイクは昨日から福岡ドーム前の国立病院に停めっ放しだし、梅野が帰ってこないことには動きようがなかった。
 ケイタイを引っ張り出して梅野に電話をかけてみた。呼び出し音すら鳴らずに例の”おかけになった電話は電波の届かないところにあるか云々――”というメッセージを聞かされただけだった。
 アタシはベッドにバッタリと倒れこんだ。

 寝かせる前に換えてくれたのか、シーツは真新しいものだった。糊の効いた清潔な匂いと他人のベッド特有の嗅いだことのない匂いが入り混じっていた。それは不快ではなくて、むしろ不思議なくらいに心地良かった。
 音楽が聴きたくなったので梅野のコンポのスイッチを入れさせてもらった。
 CDトレイの中身は例によって布袋寅泰だった。他のモノがないかとCDラックの中を探ってみたけれど、ほとんどが布袋か氷室京介、BOφWY、COMPLEXのものだった。ここまで徹底しているともはや感嘆するしかない。
 その中に一枚だけ白地に梅野の字で”MOVIE”と書いてあるCDを見つけた。それをセットしてリモコンの”PLAY”を押した。
 流れ出したのはスティングの「シェイプ・オブ・マイ・ハート」だった。
 アタシはしばらくそれに聴き入っていた。曲はビョークの「アイヴ・シーン・イット・オール」からホリィ・コールの「コーリング・ユー」と続いた。レオン、ダンサー・イン・ザ・ダーク、バグダッド・カフェ。洋画の主題歌ばかりを集めたもののようだった。
 坂本龍一の「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」が終わったところで、アタシはCDを変えようと思ってリモコンに手を伸ばした。
 ”STOP”を押すのとタッチの差で次の曲――「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」が流れ始めた。
 アタシはリモコンを操作する指を止めた。
 この曲が「ボディガード」の主題歌として大ヒットしたのはアタシが小学生の頃だ。ホイットニー・ヒューストンの量感溢れるヴォーカルは子供心にも圧倒的で、当時のアタシもデタラメな英語で真似をしたものだ。
 この曲にはそれ以外にちょっとした笑える思い出があった。
 洋楽にはあまり興味を示さない由真が、覚えやすいようにこの曲の歌詞カードにカナを振ってほしいと頼んできたことがあったのだ。
 なんでも結婚を機に帰国するアメリカ人の英語の先生を送る会を催すことになって、その席で全員がお祝いに一曲ずつ英語の曲を歌うことになったと言うのだ。
 アタシはしばらく彼女の顔を見つめてから、カナを振る代わりに歌詞の内容を教えてやった。

 そのロマンティックなメロディラインのおかげで高らかに歌い上げるラブソングだと思われがちな曲だけれど、本当は相手の幸せのために身を引く女の歌なのだ。

 ――うっわー。ヤバイよね、それって。


 由真は目を丸くしてそう言った。

 代わりの選曲にはアタシも付き合うことになったのだけれど、それはなかなか大変だった。
 同じホイットニーの名曲「セービング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」も、内容的にはあまり幸せなカップル向きじゃないし、カーペンターズは他の誰かが歌うことになっていた。キーの高い曲は由真にはムリだし、アタシお薦めのマドンナは由真のほうから却下された。
 出来るだけスロー・テンポの歌いやすそうなものを(由真の英語力はペーパー・テストはバッチリだけど発音とヒアリングはボロボロ――アタシと真逆だ)というリクエストに応えてアタシが選んだのは「タイム・アフター・タイム」だった。
 シンディ・ローパーの舌足らずな歌い方と由真のたどたどしい発音がどこかマッチしているような気がしたのだけれど、歌ってみると実はなかなか難しい曲で、彼女がこれを習得するのにはかなり時間がかかった。
 アタシはほぼ毎日カラオケボックスに付き合わされて、ノイローゼになるんじゃないかというくらい同じ曲を聴かされる羽目になった。多少、ウンザリしなくもなかったけれど、たかが歌を贈るだけのことにそこまで一生懸命になれる彼女の優しさはアタシには眩しかった。
 それに当てられて、最後のほうはアタシも「そこ、発音がおかしい!」だの「もっと感情を込めて!」だの、由真以上に真剣になっていた。あとで本番の録音を聴いたときには涙が出そうになったほどだ。

 気がつくと、アタシは小さな思い出し笑いを浮かべていた。
 曲はいつの間にか、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」に変わっていた。アタシは曲を止めてベッドにひっくり返った。部屋の天井をボンヤリと眺めた。
 アタシは夕べ読んだ由真のブログの内容をもう一度思い返した。
 一晩過ぎたせいか、昨日よりもその内容を素直に受け入れることが出来た。どんなショックでも一度目よりは二度目のほうが凌ぎやすい。
 しばらく頭の中でその内容を反芻した。
 そうしていると、次第に自分の考えの輪郭がハッキリしてきた。徐々に感情が昂ってきて顔が熱くなるのを感じた。
 
 ――アタシは何をしているのだ?

 
 アタシの全身を貫くその感情は怒りだった。
 徳永祐輔とその両親も、熊谷幹夫も、事件に関わっている人々はみんな振り落とすことの出来ない灰色の重荷を背負って歩き続けている。帽子を目深に被って昏い眼差しを地面に向けて、不幸へとひたすら続く一本道を。由真もまた同じ道を歩いて行こうとしている。
 冗談じゃない。
 体を起こしてベッドに座り直した。握り締めた自分の拳をじっと見つめた。
 徳永祐輔の医療事故もその母親の殺人事件もアタシの知ったことではなかった。敬聖会に対するもう一つの恐喝事件も知ったことではなかった。高橋拓哉への暴行事件は気になるけれど、それも含めて全てを明らかにするのは警察の仕事だった。アタシの為すべきことは由真を無事に連れ戻すこと――ただ、それだけだ。
 由真がアタシに別れを告げようと黙って受け入れなくてはならない謂れなどない。例えそれが由真自身が選んだ道だとしても、彼女が破滅へ歩んでいくのを黙って見ていなくてはならない謂れもなかった。
 理由なんかどうでもいい。由真とこのままサヨナラするなんてまっぴらゴメンだった。
 落ち込んでいる暇などアタシにはない。アタシは両手で自分の頬を叩いて気合いを入れた。
「――ヨッシャ!!」
 あまり上品な掛け声ではないけれど気力のようなものが戻ってきた。アタシは勢いよく立ち上がった。急いで身支度をして、階下のショップへ降りた。

 ウメノモータースのメカニックである梅野のお兄さん(実はアタシはこの人のほうが馴染みが深い)によると、梅野は今朝方、行き先を言わずにそそくさと出て行ったとのことだった。
 ケイタイが通じないのは、昨日の雨でずぶ濡れになったときに浸水したのが原因のようだった。
 父親から機体交換の費用をたかっていったようなので今日中には復旧するよ、とお兄さんは言った。
 アタシは泊めてもらったお礼を言って、梅野の家を出た。

 由真のトートバッグには特に手掛かりになりそうなものは見当たらなかったので、梅野の部屋に置いていくことにしていた。レインコートを入れたバックパックとヘルメットはお荷物だったけど、これなしではバイクを回収に行けないので我慢して担いだ。
 西鉄の大橋駅から天神へ移動してそこからバスに乗ることにした。
 バンディットを回収したあとに家に寄るかどうかは、考えると気が重くなるので考えないことにした。
 昨日は午前様で今日は無断外泊。不良少女時代に逆戻りだ。当時は祖父母の目など気にもならなかったけど、中途半端に更生したらかえって気に掛かるようになっているのはちょっとした驚きだった。
 駅に着いて切符を買おうとしているときにメールの着信音が鳴った。
 梅野のケイタイが復旧したのかと思って見ると、トモミさんからの<頼まれてたの、分かったわよ。連絡ちょうだい>というメールだった。

 トモミさんが待ち合わせ場所に指定したのは天神地下街にある高級なケーキショップだった。実は由真のお気に入りの店でもあって、何度か付き合わされたこともあった。
 全身黒づくめのトモミさんは店の奥のテーブル席でヴァージニア・スリムを吹かしていた。
 薄手のストールを肩に羽織って光沢のある生地のロングスカートの中で脚を組んでいる。胸元には大振りの宝石のついたネックレスがジャラジャラとその存在をアピールしていた。おとぎ話の魔女を連想させるラメ入りのアイシャドウのせいで、遠目には「アダムス・ファミリー」のモーティシアのコスプレのように見えた。
 もちろん例によって本人には口が裂けても言えない。
 アタシはウェイトレスの女性に待ち合わせであることを告げて店内に入った。
「ごめーん。待った?」
「遅いわよ。すぐ来るって言ったじゃない」
「だって、途中で着替えとか買ってたんだもん」
 アタシはここに来る前にソラリアの地下の無印良品でTシャツや下着、ハーフパンツなどの着替えを買ってきていた。
 トモミさんがイムズにあるストーンスパのタダ券を持っているというので、そこで風呂に入っていこうと思ったのだ。
 アタシはトモミさんの向かいの椅子に腰を下ろした。トモミさんはタバコを灰皿で揉み消した。
 注文を取りに来たウェイトレスにトモミさんはノアラメールというチョコレートのムースを、アタシはマドレーヌを頼んだ。飲み物は二人ともコーヒーにした。
「どれくらい待ったの?」
「そうね、五分くらいかしら」
「たったそれだけ? ずいぶん早くマンションを出たって言ってなかったっけ」
「人と会う約束があったのよ」
「こんな真っ昼間に?」
「私の知り合いだからって、みんなが陽光で灰になるわけじゃないわ。――ところで」
 トモミさんはニヤニヤした微笑を浮かべて、皮肉っぽく口の端を歪めた。
「不良娘の真奈ちゃん。家に内緒でオトコの家にお泊りだなんて、アンタも結構やるじゃないの」
 昨夜から無断外泊中であることは電話で言ってあった。祖母に咎められたときに口裏合わせをしてもらうためだ。この人のところへ行くのも祖母はあまりいい顔をしないけど、男の家に泊まったと言うよりはマシだろう。
「ふーんだ、そんなんじゃないもんね」
「どう違うっていうのよ。あーあ、あんなにウブでオクテだったアンタも、とうとうオンナになったってわけね」
「……だから、そんなんじゃないってば。ちょっと酔い潰れただけよ」
 言いながら、とても”ちょっと”で済まされる話じゃないということに気がついた。梅野が――顔に似合わず――紳士だったことに感謝しなくてはと思った。
 トモミさんからは相手のオトコについて根掘り葉掘りいろんなことを訊かれた。アタシは「だから、何もなかったんだってば!!」という同じフレーズを繰り返して抵抗したのだけれど、それでもいろんなことを訊き出されてしまった。
「……あのさあ、ここって取調室じゃないんだから、いい加減にしてくんない?」
「だって、シンさんがいないんだもの。親代わりの私が訊かなくて、誰が訊くのよ?」
「嘘ばっかり。興味本位のクセに」
「バレた?」
 トモミさんはイタズラっぽく舌先をペロリと出した。
「バレバレよ、まったく」
「でも、良かったじゃない」
「……何が?」
「その彼のコト。アンタの話を聞いてる限りじゃ、悪いオトコではないみたいだしね」
 トモミさんは嬉しそうに目を細めていた。アタシは何だか恥ずかしくなって小さく咳払いした。
「あー、アタシのことはいいからさ。本題に入ろうよ」
「そうだったわね」
 トモミさんがバッグの中を探っていると注文したケーキが届いた。ウェイトレスが立ち去るのを待って、トモミさんは大判の封筒からA4の紙をクリップで留めたものを取り出した。
「えーっと、まず大沢隆之のことで新たに分かったことから。あ、コレが大沢の写真だけど。間違いないわよね」
 トモミさんが封筒から取り出した写真には、一昨日の夜にアタシを追い詰めた男の今よりも少し若いときの顔が写っていた。身分証明書などに貼る小さなものを引き伸ばしてあって画質はあまり良くない。それでも工藤さんに送ってもらったメールのものよりは特徴が出ていた。
 厳つい顔立ちは決して女性にモテるタイプではないのだろうけど、誠実そうな眼差しが印象的だった。
「間違いないわ。コイツよ」
「そう。で、まず経歴なんだけど九十二年に警察に入ってるわね。機動隊から交番勤務を経て、県警の警務課に勤務。空手の有段者で国体の強化選手だったから、現場じゃなくて内勤に配属されてたみたいね。勤務態度は極めて良好。警察を辞めたのは三年前、プライベートで起こした傷害事件が原因で諭旨免職処分になってるわ。相手は当時の奥さんだって」
「流行りのドメスティック・ヴァイオレンスってヤツ?」
「でもないみたいね。何でも奥さんの方が浮気がバレて居直っちゃったらしいの。大沢は武骨で一本気っていう、いかにも武道家って感じの男らしいんだけど、その分、何て言うのかな、面白みには欠けるっていうのか」
 何となく、トモミさんの言っていることは理解できた。
「奥さんのほうも、それが気に入らないなら結婚なんかしなきゃよかったのに、子供が出来ちゃったからってね。まあ、これも噂じゃ大沢の子供じゃなかったらしいんだけど」
「……へぇ」
「それはともかく、大沢は警察を辞めて奥さんとは離婚。しばらくは工事現場とか体を動かす仕事をしていたみたい。そこでの評判は上々だったそうよ。もともと真面目な性格だし」
「そんな人が何で――何て言ったっけ?」
「FBR。就職したのは二年くらい前。警官時代の先輩の紹介って話だけど――コイツがそうよ」
 トモミさんは別の写真をアタシに手渡した。吊り上がった目と狭い額が特徴的で、全体的に狡猾そうな印象を与える顔立ちだった。断定はもちろん出来ないけど顎のラインや目つきがマスク男に似ていないこともなかった。
「名前は古瀬和男。こっちはなかなかの経歴の持ち主ね。博多署の生活安全課の刑事だったんだけど、七年前に捜査情報漏洩で懲戒免職になってるわ。その前にも疑わしい行動は数知れず。ヤクザに飼われてたクチじゃなくて、どっちかといえば怪しい商売をやってる連中の上前を刎ねてたタイプね」
「……やっぱり、警察にもそんなヤツがいるんだね」
「警官の大部分は人間的にはともかく、仕事については誇りを持ってやってる立派な連中よ。アンタのお父さんもそうだったようにね。でも、どんな世界にだって”腐ったリンゴ”はいるものよ」
 トモミさんは事も無げにそう言った。目の前のノアラメールをフォークで口に運んで幸せそうな笑みを浮かべた。
 確かに彼女の言うとおり世の中というのは”そういうもの”なのだろう。しかし、それを受け入れられるほどアタシは大人でも世慣れてもいなかった。
「大沢の――って言っていいのか分かんないけど、その子供はどうなったの?」
「……さあ? ちょっと待って。――それについては書いてないわね。でも、奥さんのほうが引き取ったんじゃないかしら。男手一つで子供を育てるのは大変だもの」
「アタシも男手一つだったけど?」
「アンタはそのときには小学生だったでしょ。大沢の子供はまだ幼稚園に行き始めたかどうかってとこよ」
 確かにそれは難しいだろう。
「――誠実な警察官が今やヤクザまがいの興信所の用心棒。人生って何処でどう転ぶか、分かんないものね」
「そうだね」
 アタシはマドレーヌをコーヒーで流し込んだ。市販品のように甘ったるくなくてほんのりとオレンジの良い香りがするこのマドレーヌは、甘いものが苦手なアタシでも食べることが出来る。というか、これがあるからこの店で会うことをオーケーしたのだけれど。
「でも、昨日の今日でよくこんなに詳しいことが分かったね。探偵でも雇ったの?」
「まあ、そんなところかしら。調査料は結構高いものについたんだから、この恩はしっかりカラダで返してもらうわよ」
「……エッ?」
「というのは冗談だけど。とりあえず、その彼氏は紹介しなさいよね」
「だから、彼氏じゃないんだってば」
 最初の話題に戻ってしまってアタシは内心ウンザリしながら言った。自分がいつの間にか梅野に好意を持ってしまっていることは認めるけど、それは付き合ってるとかそういう次元ではないし、これでもし梅野にそんな気がなかったりしたらアタシはまるでピエロだ。
 恋愛経験の乏しいアタシにはそういうことへの免疫はまったくと言っていいほどない。想像するだけでへこんでしまいそうなので、アタシはその考えを頭から締め出した。
 このあとトモミさんは資料を眺めながら(彼女も受け取ったばかりで全部に目を通していたわけじゃなかった)、一緒に調べてもらった有限会社FBRという会社について説明してくれた。
 業務内容については、トモミさんの部屋で聞いたことを詳しくしただけで大して違わない内容だった。つまり何のことだかよく分からなかった。
 気になったのは社員が古瀬と大沢を入れても四、五人で、これは表のほうの仕事をするには明らかに足りない人数だということだった。
「どういう意味なの?」
「簡単に言うと、このFBRという会社は単独では仕事をしていない、言ってみればダミー会社だってこと。よくあることなのよ。ある会社があって、そこが自分のところの名前では出来ない汚れ仕事をするためにダミー会社を使うことがね」
「じゃあ、大沢たちの会社は……?」
「おそらく別に本体があるはずよ。残念ながら土日は法務局が休みなんで、資本関係までは調べがつかなかったみたいだけどね」
「そうなんだ……」
 アタシは落胆の色を隠すことも忘れて盛大なため息をついた。トモミはそれを無視して資料に目を走らせていた。
「でも、結構あくどいこともやってるだろうから、その辺りから分かることもあるはずなんだけどね――あ、あった。福岡ビジネスリサーチの関連する企業・団体って項目があるわよ」
 トモミさんはその紙をクリップから外して見せてくれた。
 そのワープロ打ちに文書には該当する会社や団体の名前とその繋がりがどんなものかが簡潔に記されていた。
 内容は明らかに暴力団関連と分かる”会”が二つ、ちょっと怪しい金融業らしき会社が三つ、何をやっているのかよく分からない”商事”やら”商会”などがずらりと並んでいた。どれも聞いたことがあるようで実際には知らない会社ばかりだった。
 そんな中に一つだけ知っている名前があった。
 アタシは意外なような、予想されたことのような不思議な気持ちで,、その名前を見詰めた。

 
 ”熊谷総合企画――企業活動に繋がりはないが人的な関連が推測される”







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