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砕ける月

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  第 46 章  

 河村靖子が待ち合わせ場所に指定したのは、マリノア・シティの観覧車の近くにあるイタリアン・レストランだった。
 アタシは浦上脳神経科を出てから、靖子に「昼休みにでも会って話がしたい」と電話をかけていた。
 昨夜のことがあってか、彼女は仕事を休んでいた。
 アタシは姪浜の彼女のアパートまで出向くつもりだったけど、彼女は買いたいものがあるからとマリノアまで出てきたのだった。アタシとしてはどちらに行ってもそれほどの違いはなかった。
 十二時を少し過ぎていた割には席はまだ空いていた。アタシは初めてきたけど人気のある店だということは知っていたので、ちょっと意外だった。もう少ししたら混み合い始めるのだろう。

 アタシは窓際のテーブル席に座った。
 窓からは百道浜方面の景色と博多湾を見ることができた。灼けつくような日差しのせいで一瞬、外の景色から色彩が失われたように見えた。海の青だけがあとから色をつけたように強いコントラストを保っている。
 店に入ってきた河村靖子はアタシに気づいて近寄ってきた。男物のような飾りのないポロシャツとジーンズのラフな格好で、日焼け防止のために(だろう、多分)”FDH”のロゴが入ったキャップを被っている。セルフレームの丸っこいメガネはプライベート用なのだろう。
 アタシだったらとても面倒で出来ないけど、TPOでメガネを使い分ける人間は意外と多い。村上がそうで、アタシが知っているだけでも同じ度数の様々なメガネを六本は持っていた。
「お待たせ。何か頼んだ?」
「いえ、アタシも着いたばっかりなんです」
 声に疲れの色がにじんでいるけれど、靖子の口調は意外と明るかった。
 スタッフの女の子がオーダーを取りに来た。彼女はこの店によく来るらしく、女の子と親しげに言葉を交わした。
 ランチコースは二人分の前菜、ピッツァ、パスタをメニューの中から選んで取り分けるようになっていた。アタシは好き嫌いはないのでどれにするかは任せた。靖子は農園風のサラダとピッツァ・ペパロニ、トマトソースのスパゲッティをオーダーした。飲み物は二人ともアイスティーにした。
 女の子がテーブルを離れると、アタシは徳永麻子が祐輔を強引に連れて帰ったことを話した。
「――うん、さっき同僚の子から聞いたわ。特別病棟に入ってるって」
 靖子は落胆したように肩を落としていた。
「特別病棟?」
「なんていうのかな、ちょっと外界から隔離されたい人たちのための病棟よ。大きくはないんだけどホテルみたいな造りでね」
「……何に使うんですか、そんなの?」
「いるのよ、警察が逮捕状をとる直前に都合よく病気になったりする偉い人たちが。そういう人たちが面会謝絶を理由に身を隠したりするの」
「あるんですね、そんなのが」
「じゃなきゃ、あんな大きな病院はやっていけないわ。移転のときに熊谷事務長が半ば強引に作らせたって話だけど」
「熊谷――さんが?」
「あの人を知ってるの?」
「ええ、まあ。でも、そこに入れられてるんじゃ会いには――」
「もちろん無理よ。敷地の一番奥にあって警備員までいるんだもの。あたしたち、一般の職員は近づくこともできないわ」
 アタシはため息をついた。
 そんな予感はしていないこともなかったけど、せいぜいICUで面会謝絶にされている程度で、内部の人間なら何とかなると思っていたのだ。
 これで祐輔の口から話を訊くことは出来なくなった。
「ところで、あたしに頼みたいことがあるっていってたけど、何? ひょっとして、祐輔に話を訊きにいかせるつもりだったの?」
「それもあったんですけど。――河村さんって、コンピュータには詳しいんですよね?」
「まあ、それでご飯食べてるからね。それがどうかしたの?」
 アタシはヒップバッグから一枚のプラスチックの板を取り出してテーブルに置いた。ここに来る途中に工藤さんのマンションに立ち寄って回収してきたMOディスクだった。
「……これは?」
「その前に話を聞いてもらえますか? あのときは祐輔さんから聞けっていったことですけど、こんな状況だから……」
「事件のことなのね」
 彼女の声に硬い響きが混じった。アタシは頷いた。
「いいわ、覚悟はできてるから。聞かせてちょうだい」
 アタシは混乱しないように出来るだけ事の流れに沿って話した。
 祐輔の医療事故のこと。徳永夫妻がその罪を被せるために村松俊二と裏取引をしようとしたこと。警察の介入に怯えた村松が取引を反故にして開き直ったこと。正気を失った徳永麻子が村松俊二を扼殺したこと。その隠蔽のために夫の徳永圭一郎が死亡診断書を偽造したこと。一連の隠蔽工作に関わっていた小宮健太郎の手によって、村松の死体写真と偽造カルテが持ち出されたこと。その背後に敬聖会の経営コンサルタントである熊谷幹夫がいること。
 直属ではないにしても自分の上司と元同僚が事件に関わっていることに、靖子はかなり驚いているようだった。
「それがこのMOディスクなのね。でも、どうしてこれがあなたの手に?」
「それが本題なんです」
 ちょうどそこでオーダーした料理が届いた。
 話の途中だったけれど、冷めたパスタやピッツァを食べたくはなかったので食べながら話を続けることにした。靖子は片手で持ったフォークとスプーンを器用に操ってサラダを取り分けてくれた。
 アタシは話を続けた。
 祐輔が自分の起こした医療事故に対する罪の意識に苛まれていたこと。由真が全てを明らかにして罪を償うように母親に直談判したこと。それが元で両親と由真の間が断絶してしまったこと。祐輔と母親のやりとりから徳永麻子の起こした殺人事件を由真が知ったこと。苦悩の末に由真が祐輔の事件を明らかにする一方で、母親の事件を闇に葬ることを決意したこと。そのために事件を知る熊谷と取引をすることにしたこと。熊谷の弱みを握るべく彼の事務所から何かのファイルを盗み出したこと。その一連の行動に高橋拓哉という協力者がいたこと。その高橋が熊谷の実家に隠されていた”オリジナル”という名の何かも同様に盗み出したこと。
 由真がマンションを飛び出した直接の原因である二人の諍いについては伏せておいた。祐輔にしてみれば気の迷いだったのだろうし、それは由真と祐輔の問題だったからだ。それにアタシはこの女性を傷つけたくはなかった。
「その”オリジナル”って何なの?」
 靖子はフォカッチャを食べやすい大きさにちぎりながら言った。アタシも食べるほうだけれど彼女も見かけによらずよく食べた。料理はすっかり片付いてしまっていた。飲み物のお替りをもらうことにして彼女は同じアイスティーを、アタシはコーヒーを頼んだ。
「それはまだ分かってません。でも、おそらく由真のお母さんの事件に関わりがあるものじゃないかと思うんです。ディスクの中の画像の原本とか、それ以外に証拠になりそうなものだとか」
「あり得る話ね。デジカメの写真だけじゃ証拠とは言いがたいものね。ところで、高橋くんっていうのは由真ちゃんの彼氏なの?」
「そうみたいですね。夜の警固公園で二人に偶然に出くわしたのが、アタシがこの事件に関わったキッカケなんです」
 密会現場を見られた由真がアタシを無視したことは端折った。
「このMOは高橋さんがアタシに送りつけたものなんです」
「どうしてあなたに?」
「それは分からないんですけど。その後、本人と会う機会があって、そのときには由真に頼まれたって言ってました。でも、どうもそうじゃなかったようなんですよね」
「どういう意味? 彼が勝手にそうしたってこと?」
「おそらく」
 アタシはさらに話を続けた。
 その後、由真が熊谷に対して五千万円を要求する脅迫の動画メールを送ったこと。翌日の深夜に二人が相次いで拘束されたこと。高橋が重傷を負わされながらも監禁場所から逃げ出したこと。高橋と熊谷はそれぞれの切り札をチラつかせながら交渉のタイミングを図っていること。しかし祐輔への殴打事件で警察が介入してきたことから、熊谷たちが焦りだすのが予想されること。
 徳永麻子が由真の拘束が熊谷たちの仕業だということを知っているというのは、今のところアタシの推測でしかないので話さなかった。
 自分が親不孝通りで目撃したのが他ならぬ由真が拘束されている現場だったことは、彼女にとって相当にショックなようだった。彼女はテーブルの何も置かれていない一角を頑なに見つめ続けていた。
「――じゃあ、あたしはみすみす、由真ちゃんを見捨てちゃったってことなの?」
「結果から言えば、そういうことになるんでしょうけど……」
 アタシは声に非難の響きが混じらないよう、気をつけて答えた。
 小さく震える唇を押さえるように靖子はそれを噛んだ。

「……やっぱりあの時、声をかけるべきだったんだわ。でも、あたしはアルバイトが表沙汰になるのがイヤだからって見なかったフリをした。あたしが声をかけていれば、そいつらは由真ちゃんを連れて行ったりしなかったかも知れないのに」
 靖子の声は聞き取れないほど小さくて、細かい砂をまぶしたようにザラザラしていた。メガネの奥の切れ長の眼が瞬きを忘れたように見開かれたままになっていた。
「仕方ないですよ、それは。そんなことだとは知らなかったんですから」
「でも、せめて早く誰かにその話をしてれば――」
「だから、それを言っても始まらないんですってば!」
 アタシは彼女を遮って強い口調で言った。店中の視線が集まるのを懸命に無視した。
 視線はやがて、何事もなかったように散っていった。
「……後悔したければどれだけしたってかまいません。けど、今は何の役にも立たないんです。あなたが由真のことを心配してくれるんなら、今は出来ること、やるべきことがあるんじゃないですか?」
 確かに彼女が声をかけていれば事態は大きく変わっていたかもしれない。将来の義理の妹があんな時間に盛り場を歩いているのを黙殺したのもどうかとは思う。
 しかし、起こってしまったことはどれだけ悔やんでも変えられはしない。世の中の大抵のことはそうなのだ。アタシだって何度、父親が事件を起こしたあの夜に戻れたらと思ったことか。何としてでも、どんな強引な理由をつけてでもアタシは父親に仕事を休ませていただろうに。
 彼女はしばらく呆けた顔をしていたけど、やがて気を取り直して弱々しい微笑を浮かべた。
「ありがと。そう言ってくれると救われるわ。それで、これをどうしろっていうの?」
 靖子はMOディスクを指した。
「調べて欲しいんです。アタシが気づいてない何かが隠されてないか」
「どういうこと?」
「さっきも話しましたけど、中に入ってるのは村松とかいう医者の写真と、専用のソフトがないと読めない電子カルテです。アタシは最初、これは由真が高橋さんに頼んで送ってきたものだと聞いていたんで、その目的は信用できる第三者に預けることだと思ってました。実際、由真にそれとなく聞いたときもそんなニュアンスでしたし。でも、これが高橋さんの独断で送られてきたんなら話が違ってきますよね。少なくともアタシは彼にとっては安心して何かを預けられる相手じゃない。――第一、面識もなかったんですから」
「つまり、彼があなたを選んだのには、他に理由があるんじゃないかってことなのね?」
「そうです。それがアタシに対するメッセージなのかどうかは分かんないですけど」
 口には出さなかったけれど、アタシが高橋の独断が由真のためのものではないと考えたのにはもう一つ理由があった。二人の計画にとっては、このディスクの中の村松の死体の写真も抹消しなくてはならないものの一つだからだ。間違ってもアタシなどに預けたりするはずはない。
 にもかかわらず、このMOディスクはアタシの手元に送られてきた。それには理由があるはずだ。由真の意志に反してでもそうしなくてはならなかった重大な理由が。
「でも、それがあなたへのメッセージだったとしたら、あなたに分からないような方法じゃ意味ないんじゃないの?」
「そうかもしれません。でも、知識豊富な人ほど自分を基準に物事を考える傾向ってないですか? 自分にとって当たり前のことは、相手にとっても当たり前だって思ったりしますよね」
 事実、高橋はアタシがディスクの中身を見ていなかったことに怪訝な顔をしてみせた。一般家庭のパソコンにMOドライブがないことなど考えてもいなかったのだ。
「まあ、あり得ることだけど。オーケー、調べてみるわ。分かったらメールするわね」
「お願いします」
 アタシはペコリと頭を下げた。彼女の笑みはまだ少しぎこちなかったけれど、声には張りが戻ってきていた。

 店を出てから、アタシは河村靖子の買い物に付き合ってマリノア・シティの中をウロウロした。梅野との約束の時間までは結構あったからだ。
 マリノアにはシンボルの大きな二つの観覧車があるショッピング・モールと、九州ではここが一番最初だったというアウトレット・モールがある。
 靖子はアウトレット・モールの南側にあるシャツとネクタイの専門店で男物のワイシャツを数枚選んでいた。時折、何かを思い浮かべるような表情をしていたのは、それを着る人物に似合うかどうかをイメージしていたのだろう。
 靖子は選んだシャツをレジに持っていき代金を払った。店を出て駐車場のほうへ歩いた。
「それ、祐輔さんのですか?」
 アタシは彼女が胸に抱いている紙袋に目をやった。靖子は頷いて照れたように目を細めた。
「買っておいてくれって頼まれてたの。そろそろ手持ちのシャツがダメになりそうだからって。祐輔ったら普段の着るものにはうるさいのに、こういうのにはホントに無頓着なのよねぇ」
「お仕事用なんですね」
「ええ。でも、夏だから半袖でいいんじゃって言ったら、長袖じゃないとダメだって。男の人のこだわりってそんなものなのかしらね。そんなにゴチャゴチャ言うなら自分で買いなさいよって言ってやりたいんだけど」
 文句の割には表情はまんざらでもなさそうだった。
 アタシは何も言わず紙袋から視線を外した。アタシの手元にある告発書が公になれば、その目的で使われることはないワイシャツだった。
「――いくつか、訊いていいですか?」
 アタシは言った。
「なぁに?」
「昨日のことですけど、アタシが帰った後、祐輔さんはずっと病院に?」
「ええ。あたしが帰ったのが六時過ぎで、そのときにはまだいたわ。BMWが駐車場にあったもの」
 一緒じゃなかったのかとは訊かなかった。昨夜、靖子はアルバイト先のスナックにいた。身支度にかかる時間を考えると夕方以降は別行動だったはずだ。
「勤務時間は何時までだったんですか?」
「ERの正規の交代は六時なんだけどね。でも昨日はあの後、立て続けに患者が運び込まれて、自宅待機の先生に電話したくらいだからかなり忙しかったはずよ。だから結構遅くまでいたんじゃないかしら」
 時計を見たわけじゃないけど、アタシと梅野が祐輔を発見したのがおそらく午後十一時前後だった。
 BMWのボンネットはすっかり熱を失ってしまっていた。少なくとも一時間以上はあの場所に停まっていたはずだ。
 ということは、終わったのが仮に七時だとして、祐輔はわずか二時間あまりでガラパゴスを突き止めたことになる。事件の構図に疑念を抱いたのがアタシと会った昼過ぎだとすると、それはいくら何でもありえない速さだ。
 ガラパゴスが営業している普通の店であるなら以前から知っていた可能性(例えば熊谷と一緒に飲みに行ったとか)もあるけれど、見た限りではあそこは半年以上は営業はしていない。
 では、どうやって彼はそこへ辿り着いたのか。
 アタシがそう言うと靖子はあっさりと言い放った。
「それは、誰かに呼び出されたんだと思うわ」
「……どうしてそう言い切れるんです?」
「だって、祐輔はあの辺りのことはほとんど知らないはずだもの。大学も研修医のときもずっと関西だったから、逆にこっちのことはあんまり分かんないって言ってたし」
「なるほど。確かに雑餉隈は高校生がうろつくようなところじゃないですけど。でも、一人で飲みに行ったりはしないんですか?」
「そういうのは出来ない人なの。もともと家で飲むほうが好きってタイプだし。だから、あたしもあんなバイトやってられるのよ」
 まあ、それはそうだった。内緒のアルバイト先にふらりと恋人が入ってきたりしたら、それこそ目も当てられない。
 アタシはもう一つ、祐輔が誰かのあとをつけて雑餉隈へ行ったことも考えていたけれど、靖子の言うように祐輔があの辺りにあんまり土地勘がないのであれば、その可能性はかなり低いものになる。
 靖子の言うとおり、祐輔は誰かに呼び出されてガラパゴスに行ったと考えて良さそうだった。
「ということは、呼び出したのと、祐輔を殴り倒したのは同じ人物ってことなのかしら?」
 靖子は自分の恋人の身に起こったことを思い出して顔をしかめた。
「その可能性は高いですね。問題は、なんで祐輔さんが呼び出しに応じてノコノコ出かけて行ったかですけど」
「そうよね。何でだろ……?」

 靖子はしきりに首を傾げていた。アタシは自分にも分からないといったふうに曖昧に調子を合わせた。
 本当は――確証はないにしても――その理由は容易に想像することが出来ていた。
 その相手が祐輔のよく知る人物だったからだ。ケガを負わされてもその名前を挙げられないほどに。








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