砕ける月

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  第 41 章  

 ドアロックの外れるカタンという音が静まり返った廊下に響いた。
 実際にそんなに大きな音がしたわけではなかった。アタシにそう聞こえただけだ。
 何だかんだ言ったって今度ばかりは本当に犯罪――住居不法侵入――に手を染めることに、ちょっとだけビビっていたのだ。
「――オッケー、開きましたよ」
 梅野はドアノブの鍵穴から細い耳かきのようなピッキングツールを引き抜いた。すばやくドアを開いて身体を中へ滑り込ませた。アタシもその後に続いた。
 内側からカギを掛けるとき、梅野はカギのツマミを四十五度の中途半端な角度で止めた。
「何してるんですか?」
「こうしとくと外から開けられなくなるんすよ。本物のカギでもね。見事なもんでしょ?」
 梅野は得意げに言った。アタシは思わずため息をついた。
「カギ開けもそうですけど、ホント、どこでそんなコト覚えたんですか?」
「昔取った杵柄ってヤツっすよ」
「ええっ!?」
「冗談っすよ。アニキが昔、鍵屋で働いていたことがあるんすよ。で、家で練習してるのを見て俺も覚えたんすよ。何なら今度教えてあげましょうか?」
「……結構です」
 手先があまり器用とは言えないアタシには到底出来ない芸当だったし、あまり身に着けたいと思うような技術でもなかった。
 部屋の中には人の気配はなく、聞こえるのは冷蔵庫のモーター音だけだった。冷房を切って相当な時間が経っているようで、室内には密度の濃い熱気が篭っていた。
 ケイタイのスポットライトを頼りに蛍光灯のスイッチを捜した。
 灯りが点ると雑然とした玄関周りと、同じように雑然としたキッチンが目に入った。
 間取りはいわゆる2Kで狭いキッチンの奥に二間が続いている形だった。メンバーに女性がいる割には掃除はあまり行き届いていなかった。流しには洗っていないコーヒーカップがそのままになっていて、屑籠からは湿ったタバコの吸殻特有のすえたニオイがしていた。
 アタシは土足のままで室内に上がり込んだ。
 特定の何かを捜すのではないのでそれほど時間をかけても仕方がなかった。とりあえず目に留まったものを眺めてみるだけだ。それにいつ住人が戻ってこないとも限らない。
 手前の六畳間には小型のテレビと四人用の応接セットが置いてあった。見るからに休憩室という感じでテーブルの上には乱雑に畳んだスポーツ新聞が放り出してあったし、クズ籠にはスナック菓子の袋が捨ててある。部屋の隅にマガジンラックがあって、ゴルフ雑誌と怪しい実話系の週刊誌が数冊ずつ乱暴に押し込んであった。
 奥は事務所になっているようだった。八畳ほどの手狭な室内に普通の事務机が置いてあって、壁際にファイルキャビネット、スチール製のロッカーが並んでいた。
 ファイルキャビネットにはカギは掛かっていなかった。開けてみると何に使うのかよく分からない機械やビデオカメラ、工具の類が並べられていた。
 事務机のブックスタンドには”領収書綴り”だとか”現金出納帳”といった経理関係のようなタイトルのバインダーが並んでいた。
 試しに”売掛台帳”なるものを手に取ってみた。予想通り何が何だかサッパリ分からなかった。商業科のある高校に行っているならともかく普通科の劣等生には眠くなる系の魔法以外の何者でもなかった。
 呪文の書を元に戻して机の引き出しを開けた。
 ペンやペーパークリップのような事務用品を除けば、目に付いたのはハードカバーの「世界の中心で愛を叫ぶ」と買い置きのヴァージニア・スリム、缶に入ったのど飴、ファッション雑誌が数冊といったところだった。
 ここは事務所と言っても社員が常時待機しているようなところじゃなくて、調査に使う機器を置いておいたり打ち合わせなんかをするときに集まる場所のようだった。
 現実がどうかを知っているわけではないけれど、彼らの仕事はデスクワークなど滅多にない一日中外回りと言ってもいいようなものに思えた。常駐の人間がいるとすれば(机の中身からして)宮田とかいう元婦人警官だろう。
 由真がここに連れてこられた痕跡のようなものがないか、部屋中を見回してみた。けれどそれらしきものは見つからなかった。
 アタシはロッカーに近寄った。扉には名札がついていて古瀬和男、大沢隆之、永浦伸吾、小宮健太郎、宮田史恵とあった。
 古瀬のロッカーから順に開けていった。中身はどれも着替えの服ばかりで、スーツなどはクリーニング帰りのビニールが被さったままになっていた。
 宮田史恵のところにだけはカギが掛かっていた。
「開けますか?」
「もちろん」
 梅野はピッキングツールを差し込むと一瞬でカギを外した。
 中はに他と同じく着替えの服が吊るされていた。ベージュやオフホワイト、ライトグレイのスーツでどれも生地や縫製はしっかりしていそうだけれど飾り気のないデザインだった。ベージュのパンツスーツが徳永邸で見た小太りの女性が着ていたものかどうかははっきりしないけど、タグにあった十一号というサイズは同じくらいのようだった。
 足元のほうには中身の詰まったボストンバッグが置いてあった。アタシはそれを引っ張り出した。ジャガード織のキャンパス素材で表面に”BVLGARI”のロゴがあしらわれている。
「何が入ってるんすかね?」
 梅野は興味深そうに覗き込んだ。
「すっごい派手な下着だったりして。Tバックとか出てきたらどうします?」
「どうしますって……。そんなの穿いてそうな感じの女なんすか」
「さあ? でも、見た目が地味な人ほど、下着は派手だったりしますからね」
 アタシは小さく笑ってボストンバッグを開けた。
「あれっ?」
 半ば冗談だったのだけど、中身は本当に下着やTシャツといったインナーの類だった。予想と違ったのはそれがブルガリのバッグに入っているにしては、やけにチープなものばかりだったことだ。
「……えらく地味っすね」
「そうですねぇ」
 バッグの中身を床に空けた。
 Tシャツはユニクロの同じデザインの色違いで、まとめ買いしたのが丸分かりだった。ショーツやブラジャーも同じくユニクロのものだった。
 ブラジャーの一つを手に取った。タグに記されていたサイズはアンダー65のD。TシャツはどれもMサイズで一枚だけ入っていたリネンのハーフパンツはウェストが五十五センチだった。
 無理して窮屈な下着を身に着けているのでない限り、かなり細身で尚且つなかなか立派なバストをお持ちと言うことになる。いずれにせよ熊谷の連れていた女性のものではなかった。
 よく意味が分からなかった。アタシは梅野にそう言った。
「由真さんの着替えに用意したんじゃないっすか?」
 梅野はアタシの手元から視線を外さずに言った。
「監禁してるのに、着替えさせたりするもんですかね?」
「まあ、普通はしないと思うんすけど、その熊谷とかいうオッサンは由真さんのことを娘みたいに思ってるんでしょ? あんまりひどい扱いはしないんじゃないっすかね」
 確かに梅野の言っていることはあり得る話だった。サイズ的にも由真にちょうどいいような気はする。バストがそんなに豊かだとは知らなかったけど。
 アタシが服をバッグに押し込んでいる間、梅野は手持ち無沙汰にその様子を眺めていた。
「そんなにヒマだったら、パソコンでも調べててくださいよ」
「それが無いんすよ」
「えっ?」
「無いんすよ、パソコン。一台も。高橋にぶっ壊されたからじゃないっすかね。デスクトップがあったような跡はありますけど」
 梅野は机の上を指して淡々と言った。机の上には不自然なスペースがあったけれど、そこにあるべきものは見当たらなかった。
 アタシ自身では無理でも梅野がいるので、そこから何か見つかるんじゃないかと期待していたのだ。しかしその目論見はあっさりと崩れた。
 しょうがないので更に手分けして手がかりを捜した。梅野はキッチンに戻って顔をしかめながら屑籠の中を覗き始めた。
 アタシは事務机の周りを見渡した。
 ファックスと一体型の電話機には留守番のメッセージは残っていなかった。元より社員間の連絡はケイタイを使うだろうから、この留守電には外部からのメッセージしか残らないはずだ。
 電話機はアタシの家と同じメーカーだったのでおおよその操作法は分かった。
 この電話機は着信のほうは履歴が残るのに、発信は直前のものが残るだけだった。
 かけた先は誰かのケイタイだった。リダイヤルしてみようかと思ったけど、誰にかかるかわからないものをこの電話でかけるわけにはいかなかった。あとで公衆電話からかけることにしてその番号をメモにとった。
 それからアタシは着信の履歴を呼び出してみた。
 世の悪党と呼ばれる連中が盆に墓参りのための休みをとるほど信心深いのかどうかは知らないけど、この数日でFBRにかかってきた電話はたったの七件、しかもそのうちの一件はアタシが公衆電話からかけたものだった。残りの六件の内訳は”ナカス・ハッピー・クレジット”から二回、”カンバヤシコウギョウ”から一回、”ケイシンフドウサン”から一回、”ミタムラキカク”から一回、”ガラパゴス”から一回だった。 
 ”コウギョウ”が”興業”であるならば、前の四つはいずれもトモミさんから見せてもらった資料に載っていた”関連のある企業・団体”だった。
 最初、アタシは一連の事件と外部の怪しい団体の間には何らかの関わりがあるんじゃないか、と漠然とした疑問を抱いていた。
 梅野の言うように由真が持ち出したMOディスクが熊谷にとって都合の悪いものである場合、それは敬聖会とは関わりのない熊谷独自の事業(?)絡みであることが考えられるからだ。
 しかし、そうであるなら逆に由真の拉致・監禁に外部の人間が関わっている可能性は低いようにも思われた。
 熊谷からすれば”表沙汰に出来ないファイル”の存在を知られることは自分の立場を弱めるだけだし、仮にそれが流出して痛手を受けるのが熊谷だけではなかったとしても、その相手が事態の収拾に乗り出す前に自分たちで何とかしようとするだろうからだ。そうでなければ彼らは信用を失い、もし警察に捕まらなかったとしても同じ商売はやっていけなくなる。
 そう考えれば、四つの怪しい団体は由真の監禁先からは除外してもよさそうだった。
「――こっちはダメっすね。そっちはどうっすか?」
 収穫がなかったことを表情でアピールしながら、梅野がこっちに来た。
「まだ手がかりと言えるかどうか分かんないですけど」
 梅野はアタシの横に立った。体を折り曲げて電話機の液晶ディスプレイを覗き込んだ。
「ガラパゴス? 中南米から国際電話っすか?」
「まさか。市内局番ですよ。多分、飲み屋だと思うんですけど」
 ガラパゴスの電話番号は市外局番〇九二なしで、先頭は”五”から始まっていた。
「南区ですかね」
「博多区の南のほうかも知れないっすね」
 アタシと梅野は思わず顔を見合わせた。
「――雑餉隈!!」
 二人で思いっきりハモった。
 高橋が発見された雑餉隈は南区や大野城市と接する博多区の南端だ。番号も南区と同じ”五”で始まるものが多い。
 長い距離を歩けるような状態じゃなかったことを考えると、高橋が監禁されて暴行を受けたのは雑餉隈の周辺の何処かだ。もし、このガラパゴスが熊谷たちの隠れ家のような場所だったとすれば、そこが暴行の現場だったということは充分に考えられる。
 ひょっとしたら由真もそこにいるかも知れない。
 梅野はケイタイでガラパゴスの電話番号と住所の問い合わせの電話をかけた。NTTの番号案内だと住所は教えてくれないので番号からは割り出せないのだけれど、ケイタイ各社の番号案内はその辺のガードが緩いのだと梅野は説明した。
 電話を切ると、梅野は満面の笑みを浮かべた。
「間違いないっすね。博多区銀天町。雑餉隈の飲み屋街のど真ん中っすよ」
「場所、分かります?」
「大体のところは。行ってみれば何とかなるっすよ」
「了解。行きましょうか」
 アタシと梅野は後片付けもそこそこに、福岡ビジネスリサーチの事務所をあとにした。







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