Left Alone

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  第 44 章 

「……そう、恭吾がねえ」
 村上が置かれている状況を聞き終えると、トモミさんは小さなため息をついた。村上が父の部下だったこともあって二人はそれなりに近しい関係にある。二年前の事件ではアタシの知らないところで情報のやり取りもしていた。
 もっとも、村上はトモミさんのストライク・ゾーンではないらしく、それ以上の関係には進む気配はない。村上の年齢の割に悟りきったようなところが気に入らないらしい。
「容疑は何て言ったっけ?」
「不正アクセス禁止法違反と地方公務員法の守秘義務違反。多分、誰かに陥れられたんだと思う。でも、それをどうやって証明すればいいのかがね……」
「あのフィリピーナみたいな奥さん、じゃなくて、元奥さんがついてるんでしょ。何か手を打ってくれてるんじゃないかしら。何回か会ったことあるけど、けっこう食えない弁護士みたいだし」
「だといいんだけど。――じゃあ、アタシ帰るね」
「立花のこと、分かったら電話するわ」
「よろしくね」
 小さく手を振って病室を後にした。意外と長居してしまって時刻は四時を過ぎている。まぁ、この後の予定までは少し時間があるが。立花についてはトモミさん待ち、郁美については由真と留美さん待ちだからだ。
 トモミさんとの話題に上ったからか、村上のことが気になった。駐車場のロードスターに乗り込んで、ケイタイのメモリから菜穂子の番号を呼び出した。日陰を選んで停めていたので灼熱地獄にはなっていなかったが、エアコンから吹き出す風が冷えるのには少し時間がかかりそうだ。
「――そろそろ、かけてくるんじゃないかと思ってたわ」
 菜穂子は張りのない声でそう言った。
「疲れてるみたいですね?」
「みたい、じゃなくて疲れてるの。あなたみたいに若くないんだから」
「体調でも崩したんですか?」
「気疲れよ。久しぶりにお義母さんと会ったから」
「お義母さん?」
「監察事案に弁護士は立ち会えないけど、身動きのとれない恭吾の法的代理人の地位は確保しておく必要があるからね。で、本人が代理人の選任ができない以上、親族に委任状を貰うしかなかったってわけ」
「なるほど」
 それは疲れただろうな、と思った。特にあのお義母さんなら。
 アタシは一度だけ村上の両親と会ったことがある。中学校に上がったばかりのころで、六本松の村上のマンションに遊びに行ったら、所用で福岡に出てきたという両親が突然立ち寄ったのに出くわしたのだ。
 何となく想像していたとおりの夫妻で、父親は柔らかい白髪とシワの多い引き締まった顔立ちのロマンスグレイ、母親は周囲の人間の背筋まで引き伸ばしてしまうような凛とした雰囲気を漂わせた和風の美人だった。村上はどちらともあまり似ていない。後で本人に訊いたところ、兄弟そろって母方の祖父によく似ているらしい。隔世遺伝というやつだろうか。
 それまで何一つ敵うところのなかった菜穂子が突然の来訪者の前に色を失うのを見て、心の中で後ろめたい快哉を叫んだことをよく覚えている。今思えば、それは結婚した女性の大半が避けて通れない宿敵との対峙なのだが。
 それはともかく、離婚した元妻と義母が協力しあうという構図はさぞかし気まずいギクシャクしたものだったに違いない。アタシはおそらく初めて菜穂子に同情した。
 菜穂子はそんなアタシの気持ちに気づく様子もなく、淡々と今の状況の説明を始めていた。
「とりあえず、恭吾の容態は安定してるわ。意識も回復してるみたい。ただ、今のところはまだ取調べに応じられる状態ではないようね」
「誰も会わせてもらえないんですか?」
「今朝、お義母さんがちょっとだけ病室に入れたわ。片岡とかいうイヤミな警視がずいぶん渋ったんだけど、さすがに親まで締め出すわけにはいかないものね」
「何か、話せたんですか?」
「残念ながら、そのときはまだそんなに話せる状態じゃなかったみたい。それでも、お願いしたメッセージは伝えてくれたそうよ」
「メッセージ?」
「そう。外であたしや真奈ちゃんが動いてるんだから、あなたは何があっても完全黙秘で通せってね」
 菜穂子の不敵な微笑が脳裏に浮かんだ。撃たれてから以降の状況の変化を伝える方法がなく、情報を引き出すことも打ち合わせをすることもできない以上、悪いが村上にできることは何一つなかった。その状況下で迂闊なことをしゃべられては却って外の動きに制限を加えることになり兼ねないというわけだ。
「村上さんの容疑のほうはどうなんですか。片岡警視たちは何か掴めてるんですか?」
「そっちは姉さんに探ってもらってるけど、あまり進展はないようね。そう言えば、恭吾の部屋のパソコンがなくなったの、アレ、どうなったんだろ」
「それは今、アタシの手元にあります」
「へえ。経緯を聞かせてくれる?」
 村上の部屋からパソコンを持ち出したのが彼女の元義兄であることを話した。
「それがどうして真奈ちゃんへ?」
「村上さんが預け先にアタシを指定してたんで、上社さんがアタシに引き渡してくれたってわけです」
「なるほど。中は調べた?」
「とりあえず、ザッと」
 例の関係者のリストとメールボックスに残っていた大阪のホテルの予約票のことを話した。それが権藤康臣の調査旅行のためのものであり、彼が探していたのがおそらく若松郁美であることに菜穂子は並々ならぬ関心を示した。
「どうして、権藤さんはその子のことを捜してたのかしらね?」
「まだ、そこまでは分かってませんけどね。ただ、渡利純也の事件と関わりがあるのは間違いないと思います」
「どうして?」
 その質問が電波の途中で引っかかったように、アタシは答えることができなかった。
「……他に考えられないと思うんですけど」
「ごめんなさい、質問の仕方が悪かったわ。アタシが訊いてるのは、どうして権藤さんが渡利純也の事件を調べてたのかってこと。恭吾がやるのは分かるわよ、自分が手がけた事件の関係者なんだから。でも、権藤さんにはそこまで執念を燃やすような関わりはないんじゃないかな。しかも今ごろになって」
「……確かにそうですね」
 権藤とアタシの父は上司と部下を越えた親友だった。その父の未解決事件を何とかしようと考えても不思議はない。
 しかし、あれはもう三年以上前の話だった。主犯の渡利純也が死んだことでドラッグ密売事件は終わりを告げた。多少なりとも関係があった者、特に法を冒していた者たちにとっては、それらはもう関わりあいになりたくない過去でしかなかったはずだ。故に村上の調査は困難を極めた。
 菜穂子が言うとおり、村上がそれでも調査を続けているのは理解できる。しかし、権藤がそうする動機は分からなかった。もし父のやり残しを手がけるのならばもっと早く始めているはずだ。少なくとも、まだ薬物対策課の課長だった間に。
 それから少しの間、アタシと菜穂子はいくつかの可能性について話し合った。しかし、圧倒的に情報が不足している中では実りのあるものにはならなかった。仮説は何処まで行っても仮説でしかない。
「真奈ちゃんはこれからどうするの?」
「とりあえず、見つかったリストに載ってる人を訪ね歩くことにしてます。何か分かるかもしれないし」
「そうね。あ、そのリストはあたしのところにも送って欲しいんだけど」
「いいですけど、どうやって?」
「名刺にアドレスが載ってるわ。まさか、メールもできないなんて言わないわよね?」
 菜穂子はそれだけ言うと、さっさと電話を切った。アタシだってメールくらい打てる。ファイルの添付のやり方がよく分からないだけだ。腹立たしいけど由真にやらせることにしてケイタイを助手席の上に放り投げた。

 エアコンが効いてくるのを待つか、思い切ってフルオープンにするかは迷いどころだ。
 オープンカーというのは走っているときは風を切って気持ちいいけど、一度渋滞に巻き込まれようものなら文字通りの地獄となる。一つは灼熱、もう一つは排気ガスだ。今の時間からだと、福岡市内では何処でそうなるか分かったものではなかった。素直に待つことにした。
 その間、ドリンクホルダーの中でホットと化したウーロン茶を口に運びながら、リストに載っているランクAとBの人間の名前を拾い出したメモを眺めた。由真がリストを並べ替えて作ってくれたものだ。
 Aは元より渡利の共犯者である四人(守屋卓、篠原勇人、倉田和成、倉田康之)と白石葉子、若松郁美の六人だけだ。ドラッグ売買に関わっておらず、警察への密告にも関わっていなかった和津実はここから洩れてBになっている。
 一方のランクBは和津実と立花正志を除いて五人だった。
 新庄健史、新庄圭祐、井芹幸広、半田亮二、椛島博巳。このうち、住所や電話番号などの情報も載っているのは半田と椛島だけだ。あとの三人はその部分は空白になっていて、しかも上社の調査対象からも外れている。
「……ヘンだな」
 思わず一人ごちた。このアルファベットが一連の事件との関係の深さを表しているのはランクAの連中が証明している。この三人もランクBということはそれなりに――いや、かなりの関係者のはずだ。それなのに、村上はこの三人を空白のままで放置していたということになる。緻密に見えて意外と大雑把なところもあるけど、アタシが知っている村上恭吾はそんないい加減な仕事をする男ではなかった。
 居所をつかむことができなかったのだろうか。いや、それなら上社に調査を依頼したはずだ。現に村上は十二人もの行方を上社に追わせている。その中にはCどころか、それほどの重要度のないランクDの人物まで含まれている。Bの三人を放っておく理由にはならない。
 だとすれば、答えは一つしかない。村上にとって調べるまでもない知己の人物――つまり警察関係者ということだ。上社は「恭吾に分からないものが俺に分かるはずはない」と言っていた。仮に村上が三人の居所をつかんでいなかったとしても、上社に調査を依頼しなかったことの説明はつく。
 この辺りが渡利と取引をしていた連中なのかもしれない。放り出したケイタイを拾いあげて、藤田警部補のケイタイを鳴らしてみた。
「もしもし、アタシ。今、いい?」
「いいよ、なんだい?」
 手軽な用事を片付けるような軽い口調だった。自分でかけておいて何だけど、この男は仕事中に私用の電話がかかってきても平気らしい。ちなみにアタシは父がそういうことを許さない人だったせいで、自分もかけるのもかかってくるのも好きではない。
「今朝、話した村上さんのリストなんだけど、三人ほど調べて欲しい人物がいるの」
「聞こう。メモするから、ちょっと待ってくれ」
 ガサガサと衣擦れの音がした。背後でカー・ラジオらしき音がする。移動中の車内でハンズフリーキットを使っているのだろう。走りながらメモをとることなんてできるんだろうか。
「――いいよ、どうぞ」
「シンジョウタケシ、またはタケフミ、シンジョウケイスケ、イセリユキヒロ」
「ツヨシはいないのか?」
 くだらないジョークは聞き流した。三人の名前の漢字を説明する。
「オーケイ、それで?」
「この三人が警察か、その関係者の中にいるかどうか、知りたいのよ」
「聞いたことのない名前だな。分かった、調べてみよう」
 返事を待たずに電話が切れた。ひょっとしたら彼なりに忙しい最中だったのかもしれない。
 これで結果待ちが三件に増えた。
 残りの二人に目を向けることにした。住所はそれぞれ福岡市内だ。半田亮二は城南区片江、椛島博巳は中央区美野島。電話番号はどちらも携帯電話のものだった。一人暮らしだとケイタイだけで固定電話ナシは珍しくない。バカ高い権利金と安くない月額料金を払うメリットがまるでないからだ。実際、村上のマンションにも固定電話はない。
 ここから近いのは、美野島の椛島のアパート(末尾に二〇六という番号がついている)のほうだ。
 ふと、福岡ではあまり聞かないその苗字が記憶の何かに触れた。椛島博巳――渡利純也が乗っ取ったグループの元のリーダーがそんな名前じゃなかっただろうか。
 再び電話を拾って留美さんのケイタイを鳴らした。八コールで留守電に切り替わる瞬間に留美さんが出た。
「あぁ、真奈ちゃ……ふわぁ」
 語尾に欠伸が混じっている。電話越しに吸い込まれそうな特大の欠伸のあと、留美さんは照れたように「えへへ」と笑った。
「ごっめーん、寝ちゃってたわ。昨日は結構遅かったのに、葬式はバカみたいに早かったし」
 葬祭場の案内板には和津実の葬儀は午前九時からと記してあった。やや常識はずれな時刻からになっているのが単に時間的な都合なのか、意図的なものなのかは留美さんに訊いても分からなかった。
「お疲れ様です。今、何処ですか?」
「由真ちゃんちの病院。初めて来たけど、あの子、こんなとこのお嬢様だったのね。みんな恭しく頭下げてたからビックリしたわ」
「……ですよね」
 曖昧な笑いでごまかした。彼らの態度の裏側にはかつての経営陣――由真の両親と熊谷幹夫――が起こした事件への複雑な心境が隠されている。一方で加害者の娘であり、同時に被害者の娘でもある由真へどういう目を向けていいのか、誰もが困惑せずにいられないからだ。由真もそれは分かっていて、やむを得ない場合を除いては近寄らないようにしている。
 アタシは自分がとんでもない思い違いをしていたことに気づいた。
 由真が敬聖会の理事の地位にあるのは、様々な事情でそうせざるを得なかったからだ。彼女にとってあの病院との縁は切れるものなら断ち切ってしまいたい代物なのだ。それなのに郁美の行方を捜し出すために、由真はそんなことは億尾にも出さずに理事の権限を使うことを引き受けた。

 ――くそっ、何が餅は餅屋だ。
 
 自分で自分をぶん殴りたい気分だった。
「……どうしたの、真奈ちゃん?」
 留美さんは怪訝そうに言った。
「いえ、何でも。ところで、一昨日のことなんですけど」
 アタシは大石夫妻との話に同席した留美さんに自分の記憶を確認した。
「ノンさんの旦那さんの話じゃ、椛島が何かをしくじって福岡を離れたときに渡利がグループを乗っ取ったんでしたよね」
「そうそう。グループのナンバーツーがジュンのタレコミでパクられたのよ」
「やっぱりそうか」
 その時の会話を思い出した。その乗っ取りのときの密告の話から、渡利に警察の庇護があるという話に繋がったのだ。
「それがどうかしたの?」
 アタシは村上のリストに椛島博巳の名前があって、しかも住所が載っていることを話した。何処かへ逃げる前の旧住所である可能性もあるが、ひょっとしたらこっそり戻ってきているのかもしれない。
「何か関係でもあるのかな?」
「分かりません。でも、単にグループの前リーダーってだけなら、あいつがそんなに高いランクをつけるはずないんですよね」
「あいつ? ああ、そのリストを作った村上さんのことね」
 留美さんの声には何か含みのようなものがあった。問い質すようなことではないのでそのままやり過ごした。
「で、真奈ちゃん、どうするの?」
「椛島の住所に行ってみるつもりです。幸い、近くだし」
「ちょっと本気!?」
 留美さんの声がひっくり返った。
「そいつ、ヤクザくずれとか言ってなかったっけ?」
「そうですけど?」
「あのさ、簡単に言うけど一人で大丈夫なの?」
「多分……」
 まったく自慢にはならないけど、過去を振り返ればヤクザくずれなど比べ物にならないような連中を相手にしたこともある。その中にはアタシの路上の戦績に数少ない黒星をつけた大男もいたりして、アタシはいつかリターン・マッチを挑むために鍛錬を怠っていない。
 それでも、正直に言えば不安がないわけではない。相手は理屈もプライドもない裏社会の住人だ。真っ正面から挑まれればそう簡単には負けないつもりだが、出方の分からない相手にはもっと根源的な恐怖がある。
 相手がヤクザ絡みであるならば、情報源としてもボディガードとしても打ってつけの人物に心当たりがないわけではない。ただ、あまり成功しなかったヤクザを父に持つその男に何かを頼むのは、アタシの面の皮がどれだけ厚くても無理なことだった。アタシはつい数時間前に武松俊を拒んだばかりなのだ。
「でも、誰か連れていくったって、当てがないですもん」
「あたしが行くわ。ここにいてもやることないし」
「留美さんが?」
 あまりの意外な申し出に、今度はアタシの声が裏返りそうになった。
「あ、真奈ちゃんったらあたしのこと、バカにしてるでしょ?」
「いえ、そんなことないですけど……」
「あたしだって、それなりにケンカ慣れはしてるんだよ。これでも元レディースのアタマなんだしさ。そりゃあ”中洲の鬼姫”には敵わないかもしれないけど」
「……なんですか、その二つ名は?」
「あれっ、宮下が言ってたんだけどな。あいつが真奈ちゃんのことを教えてくれたときに、その子がそう呼ばれてるって。ひょっとして知らなかった?」
「いえ、まったく」
 仇名は他人が勝手につけるもので当人の与り知るところではない。しかし、もうちょっとセンスのあるネーミングはなかったのだろうか。名付け親を捜し出して膝を突き合わせてコンコンと説教してやりたくなった。
「とにかくあたしも着いていくからね。そんな危ないとこ、真奈ちゃん一人で行かせるわけにいかないから」
 留美さんは有無を言わせない口調で言い切った。
「でも、アタシも自分の身を守るだけで精一杯かもしれませんよ?」
「大丈夫よ、あたしも自分の身くらい自分で守れるから。足手まといになんかならないから心配しないで」
「……分かりました。じゃあ、お願いします」
 それ以上は言わなかった。何といっても一人よりは安心なのだし、由真を連れて行くと思えば腕に覚えがある留美さんのほうが数段マシなのも事実だ。要は矢面に立たせなければいいのだ。
 本当はそれ以上に、留美さんがアタシのことを案じてくれていることが嬉しかった。それを邪険にすればバチが当たろうというものだ。
 狭苦しい美野島の裏路地でクルマ二台を連ねるのも何なので、留美さんのハイラックスで行くことになった。
「って言うか、真奈ちゃんってその人のこと、ホントに信頼してるんだね」
「へっ?」
「村上さんって人のこと。だってそうでしょ。そんなリスト一枚でこれだけ危ない橋を渡ろうとするんだもん。よっぽど信用してないとできないよ」
「そうですかね」
「そうだよ。――ねえ、ひょっとして真奈ちゃん、その人のこと好きなの?」
「あ、いえ、その……」
 ちゃんと説明しようとすればするほど言葉があやふやになる。留美さんのクスクス笑いがアタシの焦りに拍車をかけた。
「そういうわけじゃないんですけど、いや、まあ、はずれてもない――」
「真奈ちゃんってホント、分かりやすいよねぇ」
 留美さんは電話の向こうで爆笑していた。恥ずかしさとほんのちょっとの苛立ちで顔が熱くなるのを感じた。
「ねえねえ、写真とかないの?」
「ありません。……あの、そこって病院ですよね」
「それが? ――あ、いっけない。婦長さんが睨んでる」
 今は”師長”さんというのだがそこまで揚げ足を取る必要はなかった。留美さんはまだ笑いの混じった声で「それじゃ後でね」と言い残して電話を切った。
 アタシは液晶画面をジッと睨んだまま、相手のいない送話口に特大のため息を送り込んだ。

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