Left Alone

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  第 62 章 

 気持ちを落ち着かせるために残りの麦茶をゆっくり喉に流し込んだ。
 さて、これからどうしよう。
 ホンモノのDVDとやらを手に入れて、四年前の夜に起きた事故の真相を明るみに出す。それは間違いなくやるべきことだ。その隠蔽工作が生み出した渡利純也の事件。これは事故の真相が明らかになれば芋づる式に引っ張り出されるだろう。権藤康臣の犯行とされている吉塚和津実殺害。これはまだ、どういう繋がりがあるのかがハッキリしない。調べなくてはならないだろう。そして、白石葉子の轢き逃げ。それは本当に不幸な事故だったのか。誰かが真実を突き止める必要がある。
 こうやって考えると、あまりにも手に余ることを抱えていることを自覚せざるを得ない。自分は村上の代わりなのだという自負がなければ、とてもじゃないけど持ち応えられはしない。
 問題はやはり、ホンモノのDVDの在り処だ。しかし、これについてはまったく手掛かりがない。
「……待てよ?」
 アタシは思わず一人ごちた。
 村上は何故、銃撃の前にDVDを何処かに隠していたのだろう。ノートパソコンはそのままにしていて、慌てて上社に部屋から持ち出すように指示をしているのに。自分が撃たれて身動きが取れなくなることを想定していたとでもいうのか。
 そんなことはあり得ない。
 しかし、大切なものを何処にでも置いておけるはずがないのも事実だ。村上の性格からしてコピーをとって分散させていた可能性はあるが、しかし、それなら原本がマンションから見つかっていないのは不自然だろう。
 やはり、村上は何かを察知して自分の部屋からDVDを移動させている。
 葉子から村上へのメール、そして、その転送メールの日付がリアルタイムに近いものだと仮定した場合、DVDが村上の手に渡ったのは七月三〇日、あるいはその前日。
 二人の間でどんなやり取りがあったかは分からない。けれど、それは村上にとっても予想外の展開だったはずだ。そうでなければ、決定的な証拠を手に入れながら何日も行動を起こさなかったことの説明がつかない。ようやくど真ん中のピースが埋まったパズルの全体像を眺めながら、それをどうやって確実な方法で明るみに出すかを考え続けたのだろう。相手の力を考えればどんな妨害があってもおかしくないし、同僚である警察組織すら信用することができないのだから。
 そんな中で葉子が轢き逃げされ、まったくの偶然ではあるけどアタシが首を突っ込んできた。さすがの村上も焦ったはずだ。だから、上社に頼んでアタシの調査書をでっち上げさせて、アタシを事件から引き離そうとした。同時に不穏なものを感じてDVDを隠した。
 あり得る話だ。パソコンがそのままだったのは、それが日常の使用に必要だったからだろう。
 しかし、それでは一つだけ説明がつかない点がある。権藤康臣の行動だ。
 何故、権藤は村上を撃ったのか。アタシの質問に須崎埠頭のラブホテルの駐車場で権藤はこう答えた。

 ――村上を撃ったのは、俺の邪魔をさせないためだ。

 そして彼は思い通り、誰にも邪魔されることなく娘を弄んだ男たちに復讐を果たした。その行動には納得はできないがそれは今はいい。問題はそれが何ゆえにあのタイミングだったのか、だ。
 権藤は職権を利用して渡利の仲間の一人、篠原勇人の出所を察知している。そして、彼が転がり込んだかつての仲間、守屋卓のアパートを訪ねて二人を射殺している。その後、倉田和成、康之兄弟のマンションで二人を待ち伏せて二人を射殺した。
 あれは何故、あの夜だったのだろう。篠原の出所は事件よりもずっと前だ。凶行に及ぶのはもっと早くでも良かったはずだ。こんな言い方はしたくないが、和津実殺害と村上を撃った容疑で追われる身での犯行よりも遥かに容易かっただろうに。
 ここからはアタシの想像だ。
 事件から遠くない時期、前日とか前々日くらいに権藤はホンモノのDVDを見たのではないだろうか。おそらくは村上には内緒で。そして、その中に自分の娘の姿を見つけた。
 すべてが腑に落ちたことだろう。そして、郁美が男たちの欲望のはけ口にされただけでなく、腐りきった警察官僚と薄汚い不良少年の取引の証人にされていることを知ってしまった。娘を貶めたのは不良少年たちだけではなかったことを。
 和津実と権藤がどうして連絡を取り合えたのかは分からない。でも、彼は和津実が福岡を離れることを知り、話を聞かせて欲しいと南福岡駅のホームに彼女を呼び出した。
 そのときは権藤は最後の決断はしていなかったとアタシは思う。願望を言わせてもらえるのなら、権藤が和津実から聞きたかったのは、最後の一歩を踏み止まるために必要な何かだったのではないだろうか。
 二人が話せていたら違う展開があったかどうか。
 それは所詮「たら・れば」の世界だ。二人は顔を合わせることはなかった。権藤の話を信じるなら、彼がホームに着いたときには和津実はすでにこの世の人ではなかったからだ。権藤の中で何かが壊れたとしたら、そのときだろう。入念な準備をしておきながら指をかけられずにいた引き金は、そうやって引かれたのではないだろうか。そして、それを制止しようとした村上が凶弾に倒れた。
 そうであればもう一つ説明できることがある。権藤はアタシと対峙したホテルでクルマを乗り換えるつもりだった。あの時点で彼の復讐はまだ終わっていなかったのだ。
 天井を見上げて盛大なため息をついた。
 アタシの考えは想像にすぎない。けれど、事実とそれほど大きくかけ離れてはいないと思う。
 しかし、そうであったとしても何の救いにも助けにもならなかった。村上がDVDを隠すのにあまり手の込んだことをする余裕がなかったであろうという以外、アタシはホンモノのDVDに一歩も近づいていないからだ。

 気を取り直して由真のケイタイを鳴らした。
「もしもし?」
「アタシ。今、どこ?」
「都市高の上。もうすぐ香椎浜」
「……そんなとこで何やってんの?」
「イオンでタクと待ち合わせ。村上さんのパソコンを受け取る約束してるの」
 そう言えば高橋はあれから村上のノートPCの分解に取り掛かったはずだが、何か発見できたのだろうか。アタシがそのことを言うと由真は「何も聞いてないよ?」とあっさり否定した。メールには<お昼過ぎに香椎浜のショッピングモールで待ち合わせよう>としか書いてなかったらしい。
「普通に考えて、ノートの筐体に何か隠せるようなスペースなんかないよ。なんでそんなこと思いついたの?」
「思いついたのはアタシじゃないけど。でも、あり得ない話しじゃないかなと思って」
「どういうこと?」
「上社さんの話によれば、あいつはあのノートをアタシに渡せって言ったわけよね?」
「そうだったね」
「それが単に保管しといてくれって意味とか、もう一歩踏み込んで誰にも奪われないように隠してくれって意味だったんなら、別にどうってことはないわけだけどさ。でも、そこに何かのメッセージが隠されてるんだとしたら――」
「……したら?」
「アタシが大のパソコンオンチだって知ってるあいつが、パソコンの知識がないと見つけられないような隠し方するかなって。そりゃ、あんたや高橋に頼ることを見越したかもしれないけど」
 由真はしばらく黙っていた。
「確かにあり得ない話じゃないね。もう一回、タクと話してみるよ」
 アタシはそうして欲しいと頼んだ。
 それからたった今、例のDVDを見たことを話した。何か分かったことはないかと訊かれたので、胃袋が鉛になるのを我慢しながら事故の映像の流れを説明した。留美さんの説明よりはアタシのほうが理路整然としていたらしく、由真は途中で何度か「ああ、なるほど。そういうことね」と納得したように呟いた。
 話に流れで和津実が立花に事故のDVDを渡さなかった理由についての推論や、その死に関して調べ直す必要があること、それに関連して葉子のひき逃げ事故の関係者を捜していることも話した。その矢先、藤田警部補や桑原警部、高坂警部補が相次いで身動きが取れなくなった話をすると、由真は音が聞こえるほど大きく息を呑んだ。
「……どういうことだろ?」
「何が?」
「相手の反応が早すぎるよ。まるでこっちの手の内が見えてるみたいじゃない」
「そりゃそうなんだけど……」
「まあ、それはここでゴチャゴチャ言っても始まらないんだろうけど。――あ、そろそろ都市高降りるから切るね。真奈はこれからどうすんの?」
「このDVDを菜穂子さんに見せなきゃなんないし、それよりも、葉子が言うところの”ホンモノのDVD”ってヤツを手に入れないとね。それと留美さんが関係者を見つけてくれたら会いに行くってとこ」
「オッケー、あたしも何処かで合流するよ」
「せっかく元カレと会うんだから、デートくらいしてきたら?」
「ふーんだ、戻らないって分かってるヨリに時間かけるほどヒマじゃないもん。じゃあね」
 ちょっと乱暴に通話は切られた。
 留美さんが注いでいってくれたアイスコーヒーに口をつけた。留美さんはまだ二階から降りてこない。自分で頼んでおいてなんだが、そう簡単に関係者が見つかるとも思えないので仕方がないことだろう。

 ――まるでこっちの手の内が見えてるみたいじゃない。

 由真の声が脳裏に響く。実はアタシも同じことを感じていた。
 何がおかしいのか、はっきりと言い表せはしないのだけれど、アタシと警察の接点が断たれたタイミングがあまりにも良すぎる。特に藤田警部補だ。村上のときとは別の意味で、まるで拘束するタイミングを見計らっていたかのようだ。
 ただし、不可解な点もある。アタシが真相に近づくことを面白く思っていない誰か――と呼んでおこう――がいるのは事実だが、そうであるなら、その誰かはどうあてこれまで藤田警部補を自由にしていたのだろう。彼からもたらされる情報がなければアタシは大きく足踏みしていたはずだ。どのみちでっち上げの容疑なら身柄を拘束するのはいつでも監察側の好きなようにできたわけで、もっと早くそうされていてもおかしくない。
 考えてみても筋の通る理由は思いつかなかった。敢えて言うなら、藤田がアタシに協力してくれている事実を今になって把握したという可能性くらいだけど、高坂警部補にまで拘束の手を伸ばすだけの見通しを立てられる相手がそんな失策をするとも考えにくい。
 誰かが何らかの目的を持って、アタシの動きを注視している。
 思い浮かんだ考えにアタシは身震いした。可能性はある。問題はその理由だけど、それはやはり考えても分からない。
 もう一口、アイスコーヒーをすすっているとケイタイが鳴った。ディスプレイには”公衆電話”と出ている――誰だろう、いったい。
「もしもし?」
「お、やっぱりこの番号で間違いなかったな」
「桑原さんッ!?」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえる。どうだ、元気にしてるか?」
「元気かって、何をそんな呑気な……」
「おや、ひょっとして心配してくれてたのか?」
「別に……心配なんか」
 言葉は出てこなかった。自分でも驚いたけど、アタシはこの生理的には受け付けがたい貧相な刑事のことをかなり気にしていたらしい。
「ところで、俺が左遷されたのを誰から聞いた? やっぱりあの顔の濃い女弁護士か」
 そうだと答えた。桑原は「あのおしゃべり女が」と言った。菜穂子ではなくその姉のことだろう。同じことを村上の搬送先で初めて会ったときにも言っていたが、あのときとはニュアンスはまったく違っていた。
「今、何処にいるの?」
「天神地下街。捜査中の事件からはぜんぶ外されちまったが、自宅謹慎ってワケじゃないんでな。強制的に有休を取らされたんで、カミさんと娘をつれて久しぶりの家族サービスってとこだ」
「あんた、家族なんていたの?」
「いちゃ悪いか?」
「悪かないけど……」
 確かに悪くはないけれど、まったく想像がつかない。というより、アタシは何の根拠もなく桑原を奥さんに逃げられた男ヤモメだと思い込んでいた。
「それより、おまえの友だちのことはこんな結末になって済まなかったな。俺が外されたことを知ってるなら、捜査本部がどうなったかも知ってるだろう」
「解散したんだってね」
 和津実の事件についてアタシが責任を感じるのは筋違いだ。それは一昨日の夜、権藤の死に直面したときにこの男がアタシに言い聞かせてくれたことだ。だから、変に同情めいたことを言うのはやめた。
「あれって、権藤さんの犯行ってことになったの?」
「まあな。捜査本部内じゃ最初からそういう意見が多かったし、残念ながらそれを覆すだけの証拠も見つかってない。否認するべき本人は死んじまったしな。おそらく、今日の午後には被疑者死亡で送検って運びになるだろう」
「そうなんだ……。ところで、どうして公衆電話から?」
「俺が普段使ってる携帯電話は官給品なんで、誰に電話をかけたかが筒抜けなんだ。自前のは使わないから解約しちまってるんで、それでやむを得ずってわけさ。テレホンカードなんか何年ぶりに買ったかな」
「そう言えば、地下街のコーナーにカードの自販機があったっけ。ねえ、家族サービスの最中なのに電話なんかしてていいの?」
「ああ。娘が服を買うのにカミさんもくっついて行ってるんでな。えらくキラキラしたモンばっかり置いてる店だが、ありゃなんて読むんだ。えーっと、サマンタ――」
「サマンサ・タバサ」
「さすがモデル、よく知ってるな」
 アタシが少なくともブランド名だけは覚えているのは、仕事柄と言うよりはギャル系のアイテムに憎悪の視線を向ける由真の文句を聞かされ続けているからだ。
「これからどうするの?」
「三越のキハチカフェに昼メシを喰いに行くことになってるが」
「そうじゃなくて。捜査一課から外されてどうするのかって訊いてるの」
「どうもしない。クビになったわけじゃないしな。まあ、見せしめみたいなもんだから遠からず呼び戻されるとは思うが、それまでは次の配属先で大人しくしとかなきゃならんだろう」
「次って何処よ?」
「警察音楽隊」
「そりゃまた、やけに畑違いなところに」
「バカにするな、これでも九州大学ジャズ同好会出身だぞ。若い頃は中洲のマイルス・デイヴィスと呼ばれてたんだ」
「へえ、そうなんだ」
 警察音楽隊はジャズのビッグバンドとは違うと思うし、そもそも楽器の腕前を見込まれての異動でもない。それでも何もできないで居心地の悪い思いをするよりはいいのかもしれない。
 会話は何となくそこで途切れた。
 訊きたいことは山ほどあった。和津実の事件に関して警察は何をどこまでつかんでいたのか。村上の容疑はその後、どうなったのか。藤田警部補は今、どんな状況に置かれているのか。
 逆に伝えたいこともあった。村上の調査が思いもよらないほど大きな敵を相手にしていたこと。まったく関係のないはずの公安部の刑事やその上司が関わっていること。すべてが四年前の夜の醜悪な出来事に端を発していること。和津実の事件を含めて、多くの事実がそこへと収斂していくであろうこと。
 しかし、それを桑原に伝えてもどうしようもない。ましてや、事実関係を知った彼が村上のように職を賭して行動するようなことがあってはならない。監視されてはいないだろうけど、アタシと話していることだってこの男にはプラスにはならないのだ。
 カードの残量がなくなるビーッという警告音がした。それが合図だったかのように桑原は小さなため息をついた。
「おまえが何を考えてるのか、分かるぜ」
「……何よ?」
「俺に迷惑かけちゃいけないとか、そういうつまらん気遣いだ。まったく、十九の小娘にしちゃ出来過ぎだよ、おまえは」
「あんたのことなんか心配してないわ」
「ああ、心配なんか無用だ。それより、カードがなくなっちまう前に伝言がある。誰からかは訊くな。いいか、”もし、警察の誰かに話が聞きたいんだったら二年前のことを思い出せ”だそうだ」
「二年前ってどういうこと?」
「俺は知らんよ。ただ、おまえの力になれる人間が一人だけ警察に残ってるんだとさ」
「どういうことよ?」
「だから訊くなって言ったろ。おっと、そろそろ切れる。じゃあな」
 タイミングを計っていたようにそう言い終えると、アタシの呼び止めを無視して電話は切れた。プーッ、プーッ、という無情な音を聞きながら、アタシは桑原の言葉を頭の中で反芻した。
 二年前のアタシと警察の関わりは由真の実家絡みのあの事件しかない。それ以外にはスピード違反の取り締まりとすら無縁なのだから。それはつまり、そのときの誰かがアタシに手を貸してくれるということなのだろう。
 しかし、こんな状況でとなると相手は限られてくる。
 真っ先に脳裏に浮かんだのは、須崎埠頭で藤田警部補(と当時は知らなかったけど上社)に人生最大級のピンチから救われた後、否応なく参加させられた極秘の捜査会議だ。
 民間人のアタシに明かせない諸事情があったことを差し引いても、遅々として進まない話にかなり苛々した思い出がある。西鉄グランドホテルの地下の中華料理店が会場で、とりあえずの腹ごしらえの割にはなかなか高そうな皿が並んでいたこともよく覚えている。後で藤田が教えてくれたことによると、柳澤とかいうロマンスグレイの県警副本部長が何も言わずにポケットマネーで払ったらしい。
 それはともかく、可能性があるのはそのときの出席者だ。父親の元同僚にも何人か顔見知りはいるけど、残念ながら今のアタシに力を貸してくれそうな部署にはいない。
 しかし、出席者は出席者で選択肢がない。六人しかいないからだ。村上と藤田、死んでしまった権藤康臣。柳澤は異動で何処かにいったそうだし、片岡警視は敵――となると残りは一人。毛利明雄、県警組織犯罪対策課長。当時は下の名前は知らなかったが、後になって聞いたので覚えている。父方の祖父と同じなのだ。
 居眠りしていると勘違いされそうな風貌の温厚そうなおじさんで、あのときは藤田の直属の上司として会議に出ていた。そんなに昔ではない藤田の話に名前が出てきた記憶があるし、今は人事異動の季節でもない。たぶん今でも同じポストにいるはずだ。
 村上が追っていた一連の事件は組織犯罪とは関係なさそうなので、毛利課長の職位上の力はあてにはできないだろう。それでも他の部署の動向くらいは耳に入ってくるはずだ。しかも、おあつらえ向きなことに組織犯罪対策課と捜査四課(マル暴)はお隣さんのような関係にある。アタシが誰にも訊けなくて困っていることも毛利なら知っているかもしれない。

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