Left Alone

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  第 69 章 

 いつも思うことだが、ロックが外れてシリンダーが回るときの”カタンッ!”という音は本当に心臓に良くない。アタシがある条件――暗くて静かな、要するにホラーかサスペンス向きのシチュエーシュン――でビビりになるのは置いとくとしても、だ。
 ピッキングの師である元彼には散々からかわれたものだが、天地神明に誓って犯罪行為の一歩手前まで手を伸ばしているわけで、堂々としてるほうがおかしいとアタシは思っている。まあ、だったらやらなきゃいいのだけど、多香子が言うようにアタシの動向が何らかの方法で監視されているとしたら、迂闊に事務所の関係者を巻き込むわけにはいかない。
「開いたのか?」
 無言で頷いてみせると、手元を覗き込んでいたシュンがオーバーに頷き返してくる。窓から差し込む蒼い光で灼けた肌の上のピアスが光っている様は、悪いけどちょっと不気味だったりする。
 言うなら、この男だって巻き込んではいけない一人には違いない。でも、今さら手を引けと言ったら怒りだすに違いない。アタシにしても一人っきりは不安だし、申し訳ないと思いつつも彼のアタシへ向ける好意に頼らせて貰わざるを得ない。悪い女の謗りは甘んじて――とほざくのは自意識過剰というものか。
 ピッキングツールを引き抜いて、ペン型のアイライナーに見せかけたケースに差し込んだ。シュンはそれにも興味津々な視線を向けてくる。
「……スゲェな、真奈っち」
「コツさえ掴んじゃえばそんなに難しくないんだけど。それより、誰も来てないわよね?」
「ああ、大丈夫」
「ホントに? さっきからずっとアタシの横にいたじゃない」
「心配ないって。俺、耳は良いんだぜ。階段上ってくる足音一つしてねえよ」
「……ま、いいけど」
 これ見よがしのため息にもめげず、シュンは得意そうな笑顔を向けてくる。
 実のところ、ここ〈第三上社ビル〉は大名界隈によくある三階建ての雑居ビルで、モデルプロダクションはその三階。つまり最上階だ。同じフロアには大家の個人事務所があるのみで、つまり、空き巣を除けば上がってくるのは事務所の関係者か上社龍二だけだ。そういえば昨日の夜、竹下駅前で別れてから連絡をとっていないが、あの男は何をしているのだろう。
 シュンには一度ビルの外に出て、ビルに入る人間を見張ってもらうことにした。警備システムが沈黙しているのを確認してから、ゆっくりドアを開けた。
 ほぼワンフロアを借り切っているとはいえ、大きなビルではない上に奥にレッスンスタジオがあるので、オフィスははっきり言って狭い。パーテーションで仕切られた応接スペースと、撮影用の機材などを納める倉庫がそれを更に圧迫している。
 ここに顔を出したのはずいぶん昔のような気がする。しかし、実際にはたった一週間前のことだ。

 三ヶ月前に由真に騙されて連れて来られて、最初はただ面食らうだけだった。モデルの仕事を始めてからも場違いな雰囲気に気後れするのを隠せなかった。未熟な素人の分際でステージに立ち、自己嫌悪に苛まれたこともあった。
 それがいつの間にかこの仕事にも、アタシと最も縁遠い世界の住人である先輩モデルたちにも、オンオフのメリハリがつき過ぎの社長・常務姉妹とスタッフにも馴染めるようになった。何より、これまで一度も自信を持ったことがない自分の外見にも、ほんのちょっとだが自負に似た何かを感じられるようになった。
 それが今、自分が選んだこととはいえ、アタシは真っ当な十九歳の女子大生モデルの日常と掛け離れた世界にいる。何度も思ったことだが、歯車はどこで狂ってしまったのだろう。

 気を取り直して村上の”ラブレター”を探した。明かりをつけるわけにはいかないが、窓ごしに差し込む街の明かりのおかげでそれほどの不自由はない。
 アタシは結局、葉子がくれた一通しかファンレターなるものを貰ったことがないが――そもそもアタシには手紙を書くファン心理が理解できないが――過去に在籍していて現在は東京で活躍している人だと、直接や雑誌の編集部経由で毎日のように届いていたと聞いたことがある。現在も留美さんクラスには結構きているらしい。
 モデル宛ての郵便物は開封しないまでも透かしたりしてチェックしてから渡されるので、それらが常務の机の引き出しに納めてあることは知っていた。鍵は掛かっているが、例によってアタシにはないのと同じだ。
 常務の机は人柄どおりに几帳面に整理されていて、引き出しの郵便物置き場も宛先毎に仕切りが設けてある。それぞれの仕切り板に名前のタグがあるのには驚いた。アタシの名前の仕切りもちゃんとあって、その中に数通の手紙が入っていたのには更に驚いた。ひょっとしたら、社長が事務所に顔を出せと言っていたのはこれを渡すためだったのかもしれない。
 感慨を抱いている場合ではなかった。手紙を全部引っ張り出してケイタイのライトにかざした。最初の一通がビンゴだった。封筒の厚みも形もいかにもDVDのケースが入っているという感じだし、差出人を見るまでもなく宛名が村上のちょっとクセのある字だった。
 封を切った。プラスチックの薄いケースに収まっているのは無地の白いディスクだった。そこに黒のマーカーで”3”と記してある。一枚しかないので同じディスクのコピーに割り振られた番号のようだ。渡利純也がディスクの存在を仲間にも秘密にしていたことから考えるとそんなに枚数があるとは思えないが、新庄警視監に送られた脅迫用が”1”、渡利自身のスペアが”2”、そして、渡利が言ったところの”保険”である郁美に持たせたコレが”3”といったところだろう。
 DVDを再生したかったがここにはデッキがなかった。パソコンは置物同然のiMacしか扱ったことがないので起動法が分からない。スタジオにレッスン用のものがあるが、見やすいようにモニターが壁の高いところに掲げてあるので、詳細を確認したいアタシには不向きだ。あまり大きな音も立てたくない。
 仕方ない、持って帰るしかなさそうだ。シュンもいることだしボニー・アンド・クライドの事務所で見ることにしよう。
 ケースを封筒に戻す前に、他に何か入っていないか確かめてみた。出てきたのは二つ折りにしたメモ紙だった。

”真奈へ。面倒をかけて済まないがこれを預かっておいてくれ。見たければ見てもいいが、他言は無用で頼む。村上”

「……面倒なんて思ってないけどさ」
 盛大なため息が洩れた。ラブレターなんて銘打っておきながらこの素っ気無さはなんだろう。
 まあ、村上とアタシの間にそんな色っぽい展開などあろうはずもない。由真のせいで急に意識しだしただけで、そうでなければ村上にこんな想いを抱いたりすらしなかっただろう。
 封筒とDVDはウェストポーチに入らなかったので、自分のロッカーに置きっ放しになっていたハンドバッグを引っ張り出した。アタシ宛の他の封筒も持って帰ろうかと思ったが、それまで無くなっていたらいくら常務でも気づくだろう。ざっと眺めて引き出しに戻した。宛名が何処かでみたような字で書かれた分厚い封筒に差出人の名前がないのが気になったが、取り急ぎ見る必要もないだろう。それも引き出しに戻した。

 ――カタンッ!

 不意に遠くでそんな音が聞こえた。
 心臓が口から飛び出すかと思ったが、悲鳴は喉の奥のほうで鳴っただけだった。シュンが上がってきたのだろうか。それとも空耳か。
 素早く侵入の痕跡を消してオフィスから出たが、誰もいなかった。
 ピッキングツールで鍵を掛けるのは、鍵を外すより少しだけ面倒で時間がかかる。何となくドキドキしながらシリンダーの中のピンを押していく。その間もさっきの音が耳の奥でリフレインする。

 ――カタンッ!

 同じ音だった。しかも、今度はハッキリと。
 聞こえたのは廊下の奥のほうだった。そこには上社龍二の個人事務所がある。探偵事務所だというのに、白いドアにはそれを示すようなものは何もない。
 近づいてドアノブに手を掛けた。鍵はかかっていない。ゆっくりとドアを開けた。
 次の瞬間、今度はアタシは本当に悲鳴をあげた。メチャクチャに荒らされた部屋の床の真ん中に人が倒れていたからだ。〈フェノミナン〉で復活してからの太ったジョン・トラボルタに似たチョイ不良オヤジ。
 いつかアタシがメタボ気味だと揶揄した腹部には大振りなナイフが深々と刺さっていた。  
「上社さんッ!!」
 不法侵入中なのも忘れてアタシは怒鳴った。上社に駆け寄り、大きな身体にしがみつくようにして肩を揺すった。男性モノの香水と汗の混じった匂いは、こんな非常時だというのにとてもいい匂いだった。
「ちょっと、上社さんってばッ!!」
「……そんなに怒鳴らなくても聞こえるよ」
 薄く開いた目がアタシを見返してくる。片頬には力のない笑みが浮かんでいる。アタシは思わず彼の身体を抱き起こしていた。
「おいおい、痛いよ。初めてなんだ、もっと優しくしてくれ」
「なに、バカなこと言ってんのよ……。ちょっと待って、これ、抜いてあげるから」
 アタシは上社の腹部から生えたナイフの柄に手を伸ばそうとした。
「おい、やめろ。……そいつを抜いたらホントに死んじまう」
「どういうこと?」
「刺さったままだから、出血が少なくて済んでる」
 そういうものなのだろうか。アタシの師匠はナイフを持った敵との闘い方は教えてくれたが、考えてみたら、やられたときの対処法は教わった覚えがない。
 それにしても上社は酷い状態だった。ナイフは別としても顔は赤黒く腫れ上がっているし、口の端は切れてシャツの襟につくほど血が滴っている。顔がこれなら身体はもっとダメージを受けているだろう。
 ここで何があったのか。訊きたいことは幾らでもあるが今はそんな場合じゃない。
「すぐ、救急車を呼ぶわ」
 自分でも驚いたがアタシは涙声になっていた。上社をゆっくり横たえて立ち上がった。ケイタイでもいいが、例によってここの固定電話を使ったほうが説明が簡単に済む。
 デスクを回って受話器を取ろうとした背後で、また”カタンッ”という音がした。上社の手からジッポが滑り落ちた音だった。
「……やめろ。警察には関わりたくない」
「なに言ってんの。あんた、死に掛けてんのよ!?」
「それでもだ。心配するな、見た目ほど深く刺されちゃいない」
「でも――」
「グリップは仰々しいが刃渡りは大したことなかった。腹の皮下脂肪をちょっと通り越した程度のはずだ。大金をかけて溜めてきた甲斐があったってもんだな」
 そんな馬鹿な話があるものか。アタシは上社を睨んだ。
 有無を言わさず119をプッシュすべきだ。上社がどの程度腕に覚えがあるか知らないが、今ならアタシを力づくで止めることなどできない。救急隊員にだって逆らえはしない。
 しかし、見返してくる上社の表情に、アタシは大きなため息で応えた。こんなときだというのに愛嬌のある笑みを浮かべて片目でウィンクしていたからだ。
「どうすればいいの?」
「代わりに電話して貰いたいところがある。俺の携帯電話を鳴らしてくれ。殴られてる途中でどこかに行っちまった」
 言われたとおりに上社のケイタイにかける。〈帝国軍のテーマ〉の着メロが、部屋の真ん中にどんと置かれた大きな机の下から鳴り響いた。何故、アタシからの電話がこれなんだろう。
「それで?」
「陣内聡子ってのがあるはずだ。……そう、それだ」
 メモリから呼び出して画面を見せると上社が頷いた。たったそれだけの動作で顔をしかめる。今からでも遅くないから救急車を呼ぶべきな気がした。
「この人、何なの?」
「俺の飲み友達だ。腕の良い外科医でね」
「ちょっと待って。今、何時だと思ってんの?」
「心配ない。ワーカホリックの代名詞みたいな女なんだ。さ、頼む」
 言われたとおりに電話をかけてみた。
「んー、リュウちゃ〜ん?」
 溶ける寸前のチョコレートのような甘ったるい声。上社の飲み友達という時点でまともな人間だとは思ってなかったが、あらかじめ医者だと聞いてなかったら、中洲のホステスのケイタイを鳴らしたと勘違いしただろう。
 アタシは上社の代理で電話していて、彼が暴行されて腹部を刺される重傷を負っていることを伝えた。本来なら救急車を呼ぶべきなのだが、本人の意向であなたに電話しているのだと説明すると、彼女はまったく緊迫感のない笑い声をたてた。
「リュウちゃんらしいわねぇ。いいわよ、すぐ連れていらっしゃい」
「分かりました。場所は?」
「薬院六つ角の近くよ。詳しいことは彼が知ってるわ。意識はあるんでしょ?」
 あると答えると、彼女は「だったら大丈夫ね」と言って電話を切った。何の根拠があるのかはさっぱり分からなかった。

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