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「ブラジリアン・ハイ・キック 〜天使の縦蹴り〜」

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  第 7 章  

「……どこだよ、ここ?」
 ボクは思わず一人ごちた。
 真奈の電話からおよそ一時間。新宮町から久山町へと繋がる山間――いまいち位置関係が理解できないんだけど、要するに福岡市の東側に広がる丘陵地らしい――にボクはいた。
 辺りに灯りらしきものはなくて、秋の夜空がやけに澄み切って見える。虫や鳥の鳴き声、風が木々を揺らす音。静けさというのは無音のことじゃなく、大きな音が消えたときに聞こえる小さな音のことだという、前に読んだ小説の一節が脳裏に浮かんだ。
 携帯が鳴った。真奈からだ。慌ててヴェスパを停めた。
「やっほー。元気?」
 ……やっぱりいつもとテンションが違うけど、とりあえずそれはヨシとしよう。
「元気だよ。今、どの辺り?」
「どこやろ。とりあえず、高速のガードはくぐったとやけど」
「ということは、割と山奥ってことだね」
 ボクは真奈の部屋から持ち出したロードマップに携帯電話のライトをかざした。
 九州自動車道は福岡市の東側の外周(南側の大宰府市から大野城市、宇美町、須恵町、粕屋町、東区の東端、久山町、新宮町、古賀市)を縦断するように北へ続いている。
 真奈は高速道路の東側、おそらく新宮と久山の境目付近、ボクは西側の幹線道路(にはとても見えないけど)らしい道にいる。人の気配がないのと真っ暗なのはもう慣れたけど、等高線の詰まり具合から予想していたよりも高低差があって、整備が行き届いているとは言えないヴェスパではちょっとつらかった。
「ちゃんと乗れとう?」
「バカにすんなよ。ちゃんとコケずに走ってるよ」
 久しぶりに乗る原付バイクの感覚を思い出すのに、意外と時間はかからなかった。走り出して五分もすれば、ボクは当たり前のようにヴェスパを走らせていた。
 とは言っても、傍から見ればとても乗りこなせているとは言えない。警察に呼び止められるわけにはいかないので、ボクは超がつくほどのノロノロ運転だった。真奈に言わせると幹線道路を流れに乗って走ってれば(あとはスピードオーバーとか、いくつかの違反にさえ気をつければ)まず捕まることはなくて、むしろ裏道をビクビクしながら走っているほうがよっぽど危ないらしいけど、もちろんボクにそんな真似ができるはずはない。
「姉貴たちは?」
「さっき、小道の奥の材木置場みたいなとこに入ってったわ。入口の看板探しながらやったんやろうけど、ずいぶんチンタラ走りるもんやけん、尾行しにくいったらありゃせん」
 小さな舌打ちが聞こえた。気づかれない程度には離れて、しかし、見失わない程度には近づかなきゃならなかったのだ。
「状況はどうなんだい?」
 言いながら、ボクの心には焦りが芽生えてくる。
「敷地は割と広いんやけど、何ていうんかな――そんなに使っとるって感じがせんとよね。潰れた工場みたいって言ったら分かるかな?」
 想像はつく。おそらくそこは材木置場というより廃材置場なんだろう。土地が安いせいだと思うけど、山奥には意外とそういう廃工場とか、使われてるのかいないのかよく分からない倉庫があるもんだ。土浦の祖父ちゃんちの裏山にも潰れた石材工場の跡があって、従兄弟に連れられて地元の子たちと一緒に遊んだことがある。
「二人とも、まだグロリアの中?」
「ううん、降りて軽量鉄骨の倉庫みたいな建物に入ってったよ。灯りが点いてるから電気は来とるんやね。倉庫の前にはグロリア以外にクルマが三台。車種まで分からんけどRVが一台、あとの二台はグロリアと似たり寄ったとよりのヤンキーセダン」
「最低でも四人ってことか」
「やろうね。窓がないけん、確かなことは言えんとやけど。でも――」
 真奈は何かを言いよどんだ。
「でも、なんだい?」
「声は聞こえる。ずいぶんバカ騒ぎしとうみたいやけん。少なくとも二人以上の女の声がしとうね。――あ、悲鳴やないけんね」
 真奈は静かな声で言い足した。
 あり得ない話じゃなかった。古閑一人が女連れというのも不自然だからだ。

 問題はその声の主がどちら側の人間なのか、だ。
 姉貴と同じ連れてこられた子なら――こういう言い方は良くないけど――香椎の裏通りの子のように一人に大勢が向かうよりはリスクは分散される。古閑たち側なら危険度が飛躍的に増すことになりかねない。同じ女の子ということで姉貴が警戒心を解くかもしれないからだ。
 いずれにしても、時間の余裕はあまりなさそうだ。真奈の推測どおりなら、古閑が二十歳になるまであと二時間しかない。そこまでキッチリ考えてはいないだろうし、二十歳になったからといってやめるわけでもないだろうけど。
「とりあえず、そっちまで行くよ。どこをどう行けばいいのさ?」
「それなんやけどさ……」
 真奈は困ったように唸り声をあげた。
「あいつを追っかけて山道をグルグル走ったけん、自分がどの辺におるか、分かっとらんとよね」
「しっかりしてくれよ。目印とかないの?」
「看板はあるとやけど、そこまでの道がさ……。口ではちょっと上手く説明できんね。アタシが亮太のとこまで迎えにいこっか。こっから先はバイク二台連なってっていうのもアレやし」
 ちょっと言い訳めいてるけど、そのほうがいいのは確かだった。ボクはロードマップを眺めて、九州自動車道と併走する道沿いにあるコンビニを指定した。ボクの位置からはすぐだったし、他に分かりやすそうな場所はなかった。
 真奈はすぐにいくと言って電話を切った。ボクも再びヴェスパをスタートさせた。
 
「……亮太、何持っとうと?」
 真奈の視線はボクの肩にかかってる釣竿ケースに向けられていた。
「これ? エクスカリバー」
「へっ?」
 キョトンした顔。ボクは「……金属バット」と言い直した。真奈にテレビゲームの話が通じないのを忘れていた。女の子はアーサー王伝説にも興味ないだろうし。
 怪訝そうな表情のまま、真奈は「頼んだものは持ってきてくれた?」と訊いた。ボクはポケットからずっしり重い棒状の懐中電灯を取り出した。
「なんだい、これ。マグライト?」
「ううん、シュアファイアっていう軍用のフラッシュライト」
「……なんでそんなもの、福岡の中学生が持ってんのさ?」
「父さんに護身用に何か買ってって言うたら、次の日、テーブルに置いてあったとよ。アタシは防犯ブザーとか催涙スプレーのことを言ったつもりやったんやけど」
 真奈はそれをボクに持っているように言った。
「ボクが?」
「お守り代わりってとこ。頑丈やけん、いざってときには棍棒代わりにもなるしさ。絶対に自分に向けたらダメよ。しばらく目が見えなくなるけんね」
「へえ……」
 ボクは手にしたフラッシュライトを眺めた。
 イメージとしては閃光手榴弾のようなものなんだろうか。あんなに威力があるはずはないけど、不意打ちでやれば効果はあるかもしれない。ナイロンのホルスターケースも一緒だったので、それを使ってライトをベルトに留めた。
「あ、亮太。隣の引き出し、開けとらんやろうね?」
「開けてないよ」
 このライトは押入れの小物入れに突っ込んであった。彼女が言ってるのはその横のファンシーケースのことだ。

 開けてないのは本当だけど、中身が何なのかは分かっていた。ケースの前面が半透明のプラスチックで透けて見えていたからだ。下着を見られるのを恥ずかしがるあたりは、真奈も普通の女の子ということだ。
 訝しげな視線を無視して真奈の後ろに跨った。
 バンディットは夜の山道を走り出した。街中よりも空気がひんやりしているような気がする上に、真奈はかなりスピードを出していた。トレーナーに薄手のパーカーだけじゃちょっと寒い。真奈はちゃんとライダーズ・ジャケットを羽織っていた。
 彼女は前に「一度通った道は忘れない」と言っていたけど、何の目印もない山道でもその特技は生きているようだった。分かれ道でも特に迷う様子もなく、バンディットは材木置場の看板に辿り着いた。
「古閑建材、資機材置場か。これじゃ知ってる人間でも注意してないと通り過ぎちゃうだろうな」
 山間部の斜面に沿った緩いカーブの途中、道路脇にクルマが行き違うためのエスケープゾーンがある。周囲には灯りらしきものはまったくない。目印になりそうなものも見当たらない。
 看板はそのゾーンの先の脇道入口に、わざと目立たないようにしてるんじゃないかと思うほどひっそりと立っていた。
「この会社、やっぱり古閑誠に関係あるの?」
 真奈はうなずいた。
「あいつの親がやっとる会社よ。木材加工会社っていうとかな。本社と材木の加工場は雁ノ巣にあるけん、ここはホントにいろいろ置いとくとこなんやろうね」
「詳しいね。さすがは建設会社の社長の孫娘」
「変な茶化し方せんでよ。そういう繋がりで知っとるわけやないとやけんさ」
「どういう意味さ?」
「そこの次男、要するにあのヤンキーの弟なんやけど、アタシの二つ上なんよ。つまり、アタシが一年のときの三年ってことったいね。そいつが中学に上がったばかりのアタシにちょっかい出してきたとやけど、アタシはまったくその気がなかったんで断ったとよ。そしたら、そいつが、その――」
 そこまで聞けば何の話かは容易に想像がつく。彼女の強烈な仇名の由来だ。
 真奈の目にはイヤな光が宿っていた。
「アタシの胸がなかとか、吊り目の大女とか、まあ、そんなこと言うもんやけん、つい半殺しにしてしもたったいねえ」
「……つい、ね」
 気にしていることを揶揄された彼女の心中は察して余りあるけど、普通の中一女子は「つい」三年男子を半殺しにはしないし、したくてもできない。古閑(弟)も声をかけるなら、事前に相手のことくらい調べておくべきだった。
「それ、問題にならなかったの?」
「なったよ。向こうの親が学校に怒鳴り込んできてさ。ウチも保護者が呼び出されて、父さんの代わりにお祖父ちゃんが来たのはよかとやけど、途中で”わしの孫ば侮辱しくさってッ!!”とか逆ギレしちゃって、もう大騒動」
 昼間のとても祖父と孫のものとは思えない罵り合いが脳裏に浮かんだ。そりゃ大変だっただろうな。ボクはその場に立ち会わざるを得なかった学校の先生たちに同情した。
「まあ、結局は子供同士のケンカってことで、治療費だけ出して収まったとやけどね。そんとき、相手の家に一応、謝りに行ったことがあるんよ」
「なるほどね。――それでその後は? 仕返しとかなかったの?」
「なかよ。向こうも二つ下の女子にボコボコにされたとかみっともなくて言えんやろうし。ま、一回だけ兄弟揃って歩きよるとこに出くわして、険悪な雰囲気になったことがあるけど」
「それであのとき、あいつを見た覚えがあるって言ったのか」
 ボクは訊いた。ウチのマンションの前で古閑のグロリアを見かけたときのことだ。
「まあね。そんな強い印象があったわけやないけど、よく似とうとよ、あの兄弟。弟のほうがちょっと目と目が離れてカエルみたいな顔しとうけど」
「それは真奈にやられてそうなったんじゃないの?」
「あ、そうかもしれんね」
 ……否定しろよ。
「さて、と。そろそろおしゃべりは終わり。――行こっか?」
 真奈が言った。バンディットを道端の目立たないところまで押していって、しな垂れている枝の影に隠した。ボクはバットを釣竿ケースから取り出して、右手にしっかりと構えた。
 真奈がゆっくりとうなづいた。それを合図にボクらは暗い山道に足を踏み入れた。


 廃材置場は思っていたよりはずっと狭くて、都会の学校の手狭な校庭くらいの広さだった。
 山肌側には鉄骨で支えられたスレートの大きな屋根があって、見るからに動かなそうなボロボロのトラックが停めてある。うずたかく積み上げられた材木がいくつかの山を作っている。それらが再利用を待っているのか、朽ちるまで放っておかれているのかは分からない。
 敷地の奥のほうに、真奈が言っていたスレート壁の倉庫のような建物がある。採光用の窓は屋根に近い高いところにあって、そこから中に灯りが点っているのが見て取れた。正面のシャッターも完全には閉まっていなくて、下の僅かな隙間から光が洩れている。シャッターの横にドアらしきものがある。その前にクルマが四台――古閑のグロリアと鈍い赤のRV(たぶんトヨタのランドクルーザーの旧型)、そして白いマークUとシルバーのアルテッツァ。
「クルマ、動かんようにしとっちゃろうか?」
 真奈が言った。
「どうして?」
「逃げるとき、追いかけられると面倒やん。こっちは徒歩やし」
 確かにそうだ。バンディットに三人は乗れない。
「でも、どうやって?」
「タイヤをパンクさせとくとか。釘ならいっぱいありそう」
 どこで拾ったのか、真奈は大きな釘を手にしていた。廃材置場だから、探せば木に刺さったままのものは見つかるだろう。
 少し考えて、ボクは首を横に振った。
「時間がないよ。逃げるときはクルマが入れないところに逃げればいいし、音を立てるのもあんまり感心しないな」
「そっかなあ?」
 真奈は少し不満そうだった。
 建物に近寄った。中からはエイベックス系のテクノ(だと思う)が聴こえてくる。それとけたたましい笑い声。どうしてこういう連中は無駄に声が大きいんだろう。
 汚れた窓の一つから中の様子を窺った。
 小さな体育館くらいあるここは元は加工場だったらしくて、中のスペースの三分の一ほどを占める大きな作業台や、機械が据えてあったらしいコンクリートの台座がある。奥のほうには壊れて動かなくなったサビだらけのフォークリフト。天井からはチェーンで材木を持ち上げるウィンチがぶら下がったままだ。正面のシャッターを開けると、ちょうど作業台の前にトラックをつけられるようになっている。外の置場から材木を運んできてここで加工、そのままトラックに載せて出荷という形になっていたようだ。
 建物の残りは加工中の材木を置いておく場所だったんだろう。真四角になるようにとられたそのスペースが、今は古閑たちのアジトになっているというわけだ。
「ひい、ふう、みい……。うっわ、多い」
 隣で窓を覗き込みながら、真奈は指で中の人数を数えている。
 L字型に置かれた三人掛けのソファにそれぞれ三人、床に直置きしてあるコンポのセットの前に一人。そして、その真ん中でコンクリートの床に横座りしているのが一人。合計で八人。

 古閑らしいボウズ頭はこっちに背を向けるソファの一番端。その隣に姉貴のポニーテール。馴れ馴れしく肩に回した手の先にビールの缶が見える。古閑はそれを姉貴に飲ませようとしている。姉貴は露骨には断らないものの、嫌がってはいるようだ。古閑も無理に飲ませようとはしていない。反対の手にはタバコ。
 忙しないやつだな、どっちかにしろよ。
 姉貴を挟んだ反対側には今どきあんまり見かけないリーゼント。もう一つのソファも位置関係は同じ――女の子を男二人で挟んでいる。金髪の真ん中分けと茶髪のトサカという違いはあっても、誰彼かまわず睨みつけずにはいられない澱んだ目つきは同じだ。
 二人の間にいる子は、こういう男たちと詰め合わせセットのような枯れ草色の金髪の女の子だった。

 笑い声の主な供給源はここだった。どぎついアイメイクや露出しすぎの服からして、目指しているところが浜崎あゆみなのは間違いないけど、残念ながらそこへ到達するにはかなりの、しかも困難な道程がありそうだ。まずは歯並びの矯正にいかなくちゃならない。そのあとは断食道場か。
 コンポの前にヤンキー座りしていたのは小柄で痩せた男だ。モジャモジャの髪を後ろに束ねていて、歯をむき出しにして笑っている。何かやってるようには見えないけど、今は立ち上がって、軽くステップを踏みながらロー・キックの真似事をしている。まるで誰かを脅かすように。
 その”誰か”は真ん中で横座りしている女の子だった。モジャモジャの蹴りが空を切るたびにビクッと肩をすくめている。姉貴とは違う高校の制服を着ていて、セミロングの髪は赤みがかっている。目指すところがどこかは分からないけど、いずれにしても浜崎よりは彼女のほうがいくらか道は平坦に見える。
 何を話しているのかは分からなかった。表のシャッターから洩れ聞こえていた声が、この場所からはよく聞こえなかったからだ。
 真奈がボクの肩を指でつついた。
「あんまり状況は良うないね」
「うん。あいつら、何を話してんだろ?」
「見た感じじゃ、真ん中の女の子を吊るし上げよるみたいやけど。しっかし何よ、あのローキック。まったく腰が入っとらんやん」
 そこは怒るところじゃないような気がする。
「誰か、知ってる顔は?」
「お姉さんの隣の軍艦カットは古閑の弟やろうと思う。ずっとアレがトレードマークなんよね。それと、もう一つのソファの金髪女はウチの学校の卒業生」
「そうなの?」
「うん。アタシが弟をぶちのめした後、インネンつけてきたけんね。あの二人、付き合っとったんよ。今はそうやないみたいやけど」
 確かにそんな感じだった。二人が付き合っているんなら、他の男の間には入らないだろう。
「で、どうなったのさ、そのインネンは? まさか、あの歯並びの悪さは真奈に蹴っ飛ばされたから?」
「アタシ、女の子の顔を蹴るほど極悪人じゃなかよ。やたら足クセの悪い女やったけん、徹底的に下段で足を潰してやったけど」
「サラッと怖いこと言うなよ」
 真奈は素知らぬ顔でボクの指摘をやりすごした。
「さて、と。どうする、亮太?」
「……うん、どうしよう」
 真奈と話しながら、ボクはこの後の策を考えていた。
 警察を呼ぶのがベストの選択なのは間違いない。姉貴まで補導されるのは本意じゃないけど、ここまできて「一人だけ何事もなく放免」というほど都合よく物事が進まないのは覚悟しなくちゃならない。姉貴の恨みがましい視線に耐えることなんて、最悪の事態に比べれば何でもないことだ。
 問題はどうやって警察を呼ぶか――言い換えると、どんな容疑で警察に通報するかだった。
 今のところ、こいつらはまだ明確な罪を犯していない。
 十七歳の女子高生を夜に連れまわすのは、たぶん何かの法律か条例に引っかかると思う。でも、それだけで警察が動くとは思えない。そんなことを言ったら、箱崎埠頭あたりにいるヤンキー車はすべて検挙しなきゃならなくなる。動いたとしてもそれほど緊急の物事とは考えてくれないだろう。
 せめてこの廃材置場がもうちょっと民家に近いとか他の誰かの所有だったら、夜に騒がれて近所迷惑とか不法侵入とかいくらでも理由をつけられるけど、ここは古閑の親が経営する会社の持ち物、しかも山奥だ。どうにもならない。
 それでも、警察を呼ぶだけなら手はある。理由をでっち上げればいい。
 問題は呼んだ後だ。もし警察が踏み込んだときにそれなりの事実――つまり、古閑たちを逮捕するに足りる何かがなければ、せいぜい注意を受ける程度だろう。この場はとりあえず姉貴たちを解放することができるだろうけど、それは単に事態を先延ばしするだけだ。おまけに今度は警察もまともに取り合ってくれなくなる。
 何かが起こることを期待してるわけじゃないけど、何も起こらなければ動きがとれない。思わぬジレンマに眩暈がするほど腹が立った。
「六人かあ。さすがにちょっとヤバかよね」
 ボクが考え込んでるからか、真奈は窓からの監視に戻っていた。険しい眼差しや言ってることとは裏腹に、口許には舌なめずりしそうな不敵な笑みが浮かんでいる。

 間違いない。彼女は中のやつらをぶちのめす算段をしている。
「まさか、殴り込むつもりじゃないだろうね?」

 ボクは言った。
「しょうがないやん。打つ手がなかとでしょ?」
「そうだけど……。でも、それはやっぱり無理だよ」
「ビビっとうと?」
 真奈は鼻白んだような視線を向けてくる。ボクは思わず彼女を睨みかえした。
「そうじゃない。この期に及んでビビるもんか。でも、冷静に考えろよ。六対二で勝てるわけないだろ」
 しかも二は数値どおりじゃない。見た限り、ボクが勝てる可能性があるのは金髪女と小柄なモジャモジャくらいだ。真奈は四人を相手にすることになる。
「じゃあ、どうするん? お姉さんがあの真ん中の子みたいなことになってもよかと?」
 赤毛の彼女はさっきからモジャモジャに何やら問い詰められていた。俯き気味の彼女の顔を下から覗き込んでいる。ヤンキー座りでそうするにはかなり身体を捻らなきゃならない。傍から見れば滑稽な格好でしかないけど、彼女からすれば笑うどころの話じゃないだろう。
 ボクは真奈を引っ張って、その場を離れた。
「真奈。――頼みがあるんだ」
 ボクは言った。
「なによ?」
「警察を呼んできて欲しいんだ。正確に言うと、いつでも呼べるところまで行って待ってて欲しいんだ」
「……意味が分からんとやけど」
 真奈は怪訝そうな顔をしている。
「警察なら携帯で呼べばいいやん。電波は来とるんやし」
「それは分かってる。ボクのも通じるしね。言いたいのはそういうことじゃないんだ。真奈、ここの場所を警察に説明できるかい?」
「えっ!? ……うん、やっぱり無理やろうけど」
 一度しか通っていないボクには山道の説明は最初から無理だし、バンディットの後ろで見ていた限り、いくら道を覚えるのが得意な彼女でも他人に説明するのは無理そうだった。何と言っても目印がなさすぎる。
「古閑建材の資材置場って言えば分かるっちゃないと?」
「ここが住所登録されていればね。でも、ここには電話がない。君を待ってる間に一〇四で訊いてみたんだ。古閑建材でいくつ番号があるかって。届けがあるのは雁ノ巣の本社と津屋崎ってとこにある資材置場だけだった。電話で”古閑建材の資材置場”って言ったんじゃ津屋崎に行かれかねない」
「警察もそんなバカやないと思うけど……」
 そう言いながら、真奈もはっきりとは否定できないようだった。
 ボクが心配しているのはそれだけじゃなかった。
 何を理由に通報するかにもよるけど、通報のときに「津屋崎じゃない、山の中の資材置場」と念を押せば、普通は警察はまず所有する会社に確認の連絡を入れるはずだ。
 しかし、今回はそうされるわけにはいかなかった。
 時刻からして、その電話を受けるのは古閑の親だ。彼らはすぐに悪さをしているのが自分の息子たちであることに気づくだろう。ここの場所をとぼけるわけにはいかなくても、そうなればすぐに連絡が入って、警察が到着した頃には誰もいなくなってしまう。
「なるほどね。それで?」
「ボクがこの場でやつらを見張る。君は警察が分かるところ――さっきのコンビニで連絡を待ってる。ボクが電話かメールで連絡を入れたら、すぐに一一〇番するんだ。そして、警察が来たらここまで連れてきて欲しい」
「どうしてアタシが連絡係なん? お姉さんにもしものことがあったとき、誰が助けると?」
「言ったろ、六人はいくら真奈でも相手にできないって。それにコンビニまでどうやって行くのさ。まさか、ボクにバンディットを運転しろって言うんじゃないだろうね?」
「そうやけど……」
 ついでに言うなら、真奈がバイクで警察を先導するような事態も避けたかった。いくら非常時でも無免許運転を見逃してはくれないだろう。
「……分かった」
 いかにも渋々といった感じで真奈は言った。
「頼んだよ。真奈だけが頼りなんだから」
「いまいち納得いかんけど。まあ、よかたいね。そん代わり――」
「何だよ?」
 真奈はボクの目をジッと覗き込んだ。ボクは場違いにも鼓動が早くなるのを感じた。
「もし、お姉さんの身に何かあったって、絶対にムチャしたらダメよ」
「大丈夫、そんな怖いことできないって。何と言っても、ボクは弱虫だからね」
「まだそんなこと言いよる。意外と根に持つタイプやね、亮太って」
 真奈は少しだけ渋い顔をした。ボクは笑った。自分がこの場で浮かべたいと思った、穏やかで自信に満ちた笑顔を浮かべられた気がした。
「約束するよ。ムチャはしない。だから、早く行ってくれ」
 急ぎ足でこの場を離れる真奈を見送って、ボクは時間の計算をした。
 ここからコンビニまでがおよそ一〇分。
 問題は警察に電話をかける段階から後だ。いくら真奈が理路整然と話したとしても、説明に五分はかかるだろう。警察がすぐに動いてくれたとして、コンビニまで五分以内ということはない。まあ、一〇分というところか。そして、ここへ戻ってくるのに一〇分。計二十五分。姉貴に取り返しのつかない傷を――身体だけじゃない。心にも、だ――負わせるのには充分すぎる時間だった。
 建物の中を覗き込んだ。
 どうやら事態は少しずつ進行しているようだった。さっきまで座っていた赤毛の子は床に打ち倒されている。得意げにピョンピョンとステップを踏むモジャモジャの姿。囃し立てる周りの面々。その中で姉貴だけが後姿でも分かるくらい身を硬くしている。
 真奈には事態が動いたら連絡を入れると言った。でも、ボクには最初からそんなつもりはなかった。
 ボクは真奈に向けてメールを打った。細かい指示を書き込むとメールはかなりの長さになった。コンビニに着いたらすぐに警察を呼ぶように――そういう内容だ。打ち合わせの内容と違っているのは、被害者が姉貴でもなければ床に座り込んでた赤毛の子でもないことだ。
 警察を動かすには理由が必要だ。言い換えれば被害者が必要だ。だったら、やつらが行動を起こすのを待たなくても他に手はある。
 被害者は作ればいい。ボクは金属バットを握り締めた。

 ゴメン、真奈。約束は守れそうにない。

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