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砕ける月

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  第 8 章  

 食事を終えて、泊まっていくのかと訊くと由真は少し意外そうな顔をした。
「いいの?」
「ウチは別に構わないけど。そっちは大丈夫なの?」
「うん。パパもママも出かけてていないし。でも、どこで寝るの?」
「アタシのベッド使っていいよ。アタシ、ソファで寝るから」
「えー、一緒に寝ようよ」
「ひょっとしてアンタ、そっちの気があるの?」
「……バカ」
 時計は十一時半を回っていた。
 二人で行儀よく手を合わせて「ご馳走様でした」と言ってから、食べ終えた食器をキッチンに運んだ。
 洗い物を由真に任せて、アタシは残ったご飯をラップに包んで冷凍庫に入れて米を研いで炊飯器をセットし直した。祖母はともかく、祖父は炊立てのご飯にこだわりがあるので時間の経ったものを出すと目に見えて不機嫌になるからだ。
 ダイニングのテーブルを拭いたりしながらもアタシはいつ茶碗の割れる音や由真の悲鳴が聞こえてくるか、気が気じゃなかった。
 幸い何事もなく後片付けは終わった。
「ヘェ、やれば出来るじゃない」
「真奈ってば、あたしのことバカにしてるでしょ」
 子供のように頬を膨らませる由真を見て、アタシはこみ上げる笑いを堪えた。
「してないよぉ」
「ウソだ。絶対してる」
 由真はアタシを軽く小突いた。アタシは堪えきれずに大笑いした。由真はますます膨れっ面で、でも途中からアタシと同じように笑いだした。
 いつもと同じ他愛もないやりとり。誰にも気を使わず心から笑えること。
 それは父親がいなくなって以来、アタシが求め続けているものなのかもしれない。

 アタシは客間の押入れから由真の分の枕とタオルケットを引っ張り出し、自分の離れまで運んだ。
 他人の部屋に行くと家捜し同然に部屋中を引っ掻き回す輩というのがたまにいるけど、由真はまさにそのタイプだった。先に部屋に入っていた由真は、さっそくアタシのクローゼットを開けて中身をチェックしていた。
「……アンタ、何してんの?」
「ファッション・チェック」
 何ら悪びれている様子はなかった。見られて困るようなものは入っていないので放っておいた。
 いや、待てよ。一つだけマズイものがある。
 今年の春先、祖父の喜寿のパーティのときに無理やり作らされたエメラルド・グリーンのドレスがクリーニングの袋に入ったまま吊り下げてあるのだ。コイツに見つかったら大変なことになる。
 アタシが慌てて(でも表面は何食わぬ顔で)クローゼットのほうを振り向いたとき、由真の爆笑にも似た歓声があがった。
「きゃあー、なにコレー!」
 ……遅かった。
 由真はそのドレスを手にとって、しげしげとアタシとドレスを見比べていた。
 明るいところで見るそのドレスは思っていたよりも数段派手で、アタシはそのドレスを着て人前に出たときの恥ずかしさを思い出して改めて赤面した。
 リサイクル・ショップに売り飛ばすなり捨ててしまうなり、さっさと始末しておかなかった自分の不精さを呪った。
「な、何やってんのよ。さっさと元に戻しといてよね」
「ねえねえ、コレ着て見せてよ」
「ヘッ?」
「真奈がコレ着たとこ見たい」
 ご飯のときもそうだったけれど、由真と言い争うのは大抵の場合は時間の無駄でしかない。とは言ってもこれは何とか回避する必要があった。
「あのー、多分、入らないと思うんだよね。それ、オーダーメイドだし、アタシ、それ作ったとき今より痩せてたから」
「大丈夫よ。後ろはファスナーだし、着てどっか行こうって言ってるんじゃないから」
「いや、でもさぁ。あ、由真にあげるよ。アンタ似合うよ、そういう派手なの」
「真奈のオーダーメイドがあたしに合うわけないでしょ。ホラ、手伝ってあげるから脱いで」
 そのときアタシの脳裏に絶好の言い訳が閃いた。
「あー、でも今、汗かいてるし。せっかくクリーニングしてあるからさ。また今度ね」
「あ、そうか。それはそうだよねぇ」

 由真は意外なほどあっさり同意した。アタシは心の中で相手の上段回し蹴りを紙一重で見切ったときのような快哉を叫んだ。
「仕方ないね。汚しちゃいけないし」
「うん」
「じゃ、早くお風呂、入ってきてね」
 由真の流れるような連続攻撃の前にアタシは敢無く撃沈した。

 夜は母屋の戸締りをする関係上、アタシの部屋には小さいながらも水回り一式(キッチンとバス、トイレ)がついている。
 アタシと由真は交代でシャワーを浴びた。
 彼女が先にシャワーに行っている間にドレスを始末しようとも思ったのだけど、アタシの行動パターンは読まれているのか、由真はドレスを脱衣所(中から鍵がかかるのだ)まで持ち込んでいた。
 アタシが髪を拭きながら出てくると、由真はアタシのワンピースのパジャマを着てデスクトップの前でキーボードを打っていた。アタシはタンクトップとハーフパンツを着ていた。
 アタシはモニタを覗き込んだ。
「何してんの?」
「あ、真奈ってばiMac持ってるんなら、自分でダウンロードすればいいのに」
「出来れば自分でやってるけどね」
 由真はマウスを操作して、何かのホームページ上のボタンを押していた。
「iTunesをダウンロードしといてあげるよ。あたしが落としてあげてもいいけど、自分で出来たほうがすぐに聴きたい曲があるときにはいいでしょ?」
「まぁ、そりゃそうなんだけどさ」
 本心を言えば自分でなんかやりたくはなかった。
 面倒くさいとかそういうことじゃない。聴きたい曲があればCDショップ(またはレンタルショップ)へ行けばいいのであって、アタシが由真にダウンロードを頼んでいるのは彼女に何かを頼むこと自体が目的だった。そう考えると自分が何だか暑苦しい人間に思えてきて気が滅入りそうになる。
 アタシの葛藤に気付く様子もなくダウンロードは着実に進んだ。
 由真が自分の財布からカードを取り出して裏の銀色の部分を十円玉で削り取った。アタシがそこに書かれた文字を読み上げて、由真がそれを入力すると曲が購入できる状態になった。
「じゃ、何かダウンロードしてみようか」
 そう言って彼女は立ち上がった。替わりにアタシに座るよう促した。
「ヘッ?」
「自分でやんなきゃ覚えないでしょ」
 由真が指でどこをクリックすればいいか指示して、アタシはその通りにマウスを動かした。
「で、何を落とすのよ?」
 アタシが訊いた。
「真奈って洋楽ばっかりだよね。J−POPは聴かないの?」
「ヒット曲は店の有線とかで聴くけど。自分で買ってまでは聴かないね」
「だったら、あたしの好きな曲にしていい? ちょっと前の曲なんだけど」
 アタシは構わないと答えた。由真が横から手を伸ばしてキーボードで何かを打ち込んだ。
 彼女が選んだ曲は鬼束ちひろの「月光」だった。
 この曲が出た頃、アタシは(もちろん由真も)中学生だったはずだ。切ないピアノのメロディと感情を絞り出すような歌い方が新鮮で、洋楽かぶれのアタシも気になっていた曲だった。
「へぇ、そう来ますか」
「意外?」
「まぁね。B’zだと思ってたから。なに、思い出の曲なの?」
「まあね。……そっか、真奈には話したことなかったよね」
「え、何が?」
「あたしさ、パパとママのホントの子供じゃないんだよね」

 アタシは思わず由真の顔を見上げた。
 由真の口許には静かな笑みが浮かんでいた。それは哀しい過去を思い出すような、それでいてその事実を乗り越えた者だけが持つ優しい表情だった。
 何と答えていいか分からずに、アタシはただ「……そう、なんだ」と言った。
 由真はアタシのベッドに腰を下ろした。
「ホントの母親はママの妹なの。死んじゃったのはあたしが三歳のときだったかな。と言ったって、小さかったから覚えてないんだけど。真奈は自分のお母さんのこと、覚えてるんだよね」
「アタシはもう小学生だったからね。――じゃあ、お父さんは?」
 由真は首を振った。
「ホントの母親っていうのが、かなり奔放なヒトだったらしいの。ずっと東京にいて、帰ってきたときにはあたしを抱いてたんだって」
「いつ、その事を知ったの?」
「中学生になってすぐだったかな。パパとママがすっごい改まった顔であたしを呼んでね。そして、ホントのことを話してくれたの。いつか、誰かの口から知ることになるだろうから、その前に自分たちから伝えておくって」
 由真はフゥっとため息をついた。
「本人が話さなかったから詳しい事情は分かんないらしいんだけど、福岡に帰ってきたときには深刻なノイローゼでね。で、ある日突然、発作的に手首を切っちゃって。急いで病院に――ってウチなんだけど――運ばれたんだけど間に合わなかったの」
「そっかぁ……」
「でもさ、そんなこといきなり言われたって、ハイそうですか、なんて納得できるわけないじゃない。それまで自分はパパとママの娘だと思ってのに、ホントの母親はあたしを残して自殺しちゃうようなヒトで、しかも父親はどこの誰だか分かんない、なんて」
 サラリと言ってのけるけど、当時、彼女が受けたであろうショックはアタシに想像できるものじゃなかった。
 由真は財布からラミネート加工した二枚の写真を取り出して見せてくれた。
 一枚は少し色の褪せた二人の女性の写真だった。
 一人はふくよかな顔立ちの優しそうな少女で、もう一人は由真とよく似た少女(というか、由真がこの人に似ているのだけれど)だった。二人が着ているのはウチの学校の昔の夏の制服で、今も校門の脇にある大きな樹が背後に映っている。
 もう一枚は写真館で撮ったような家族写真だった。さっきのふくよかな感じの女の人(歳はとってるけど)が座っていて、その傍らに日に灼けた凛々しい男の人が立っている。二人のそばには丸顔の気の弱そうな小学生くらいの男の子と愛くるしい顔立ちの小さな女の子がいる。女の子が由真であることは面影で分かった。
「あたしが引き取られてすぐの頃に撮ったものなの。隣のはお兄ちゃん」
 由真に歳の離れたお兄さんがいるのは聞いたことがあった。確か関西の医大に行って、今は一族の経営する病院で後継者として修行しているという話だった。
「あたしね、真奈のことを最初に知ったとき、あたしと同じだ、と思ったの」
「どういうこと?」
「あたし、そのことがあってからぐれちゃってね。中学生のとき、すっごいワルかったんだよ。タバコは吸うわお酒は飲むわ。万引きはするわ。夜遊びしては補導されたりね」
 アタシは由真の顔をまじまじと眺めた。
「……ちょっと想像つかないな」
「でしょ。真奈みたいにケンカ強くないから、カミソリとか忍ばせてね」
 由真は指にカミソリを挟んでいる仕草をしてみせた。
「だから、お父さんの事件で傷ついて自棄になってる真奈を見たとき、とても他人事だとは思えなかったの。でも、どうやって声をかけていいか分かんなくて。だから、真奈があたしを助けてくれたとき、ホントに神様の引き合わせだと思ったんだよ」
 そう言われると、自分がぐれていたのがいかにも子供っぽく聞こえて、アタシは顔が赤くなるのを感じた。
 アタシはコーヒーを淹れようと立ち上がった。由真はミルクと砂糖大盛りと言った。二人分のカップを用意してポットの再沸騰のボタンを押した。
「アタシはさ、あんたのおかげで立ち直れたけど、由真はどうやって?」
「それはね、お兄ちゃんのおかげなの」
「……へぇ」
「お兄ちゃんはあたしがホントの妹じゃないのに、一度も、ケンカした時だってそんな素振りを見せたことがなかったの。だからその頃、ある意味では一番キライだった。親が事情を隠すのは分かるけど、お兄ちゃんまであたしにホントのこと黙ってたんだって。すっごい勝手な言い分だけどね」
 実はアタシは一度、そのお兄さんを見たことがあった。
 福岡では珍しく雪の積もった朝のことで、ダーク・ブルーのBMWを学校の正門前に乗り付けて、由真を見送りながら先生と談笑していたのだ。写真と同じく丸顔だったような気がするけど幾分は精悍な感じで、ファッション雑誌から抜け出してきたような身なりの良さと相まってクラスメイトが随分と騒いでいた。
「忘れもしないけど、中二のクリスマス・イブに何回目か分かんないけど補導されちゃってね。そのときパパもママも急患で外せなくて、たまたま帰省してたお兄ちゃんが迎えに来てくれたの。警察のヒトには平謝りでね。あたしは隣りで、ナニ偽善者ぶってんだろう、とか思ってたんだけど。で、二人で駐車場に出て、お兄ちゃんが何したと思う?」
「……分かんない」
「いきなり、往復ビンタ」
 由真は思い出すようにクスクスと笑った。笑うところじゃないような気がするけど。
「ふざけんなテメェって。すっごい怒鳴られてね。どれだけ家族に心配かけたって、それは家族なんだから構わない。でも、自分を傷つけたり貶めるような真似は許さないって。パパもママもあたしに対しては腫れ物に触るような感じだったから、変な話だけど、思いっきり怒られたのが嬉しくて泣いちゃったの。恥ずかしいのと叩かれて痛いのとで頬っぺたが熱かったのを覚えてる」
 ポットの”沸騰”のランプがついた。アタシはカップにお湯を注いだ。砂糖とミルクをたっぷり入れたほうを由真に手渡して、アタシは再びパソコンの前に腰を下ろした。
「それから、お腹空いてないかって言ってロイヤルホストに連れて行ってくれて。お兄ちゃんは何も言わずに、あたしがオニオングラタンスープを食べてるのを見てた。帰りの車の中で、ホントの母親のことは自分には同情しかできないけど、それでも、あたしは自分の身に起こったことを受け入れて生きていかなきゃならないんだって。自分にできることはなんでもするから、頼むから、自分を大切にしてくれって言われたの。あたし、ホントに子供みたいにビービー泣いちゃってね。そのとき、ラジオから流れてたのが――」
「この曲なんだ?」
 由真はコクリと頷いた。
 ダウンロードはとっくに終わっていた。由真が手を伸ばして再生のボタンをクリックした。叙情的なピアノのイントロが始まり、鬼束ちひろの澄んだ歌声がそれに続いた。

”I am God's Child、この腐敗した世界に落とされた、How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない”

「……悲しい詞だよね」
「うん。でも、救いのない詞でもないんだよね。だから好きなの」
 由真は曲に合わせて、歌詞を口ずさんだ。


”最後(おわり)になど、手を伸ばさないで。貴方なら救い出して。私を静寂から”

 曲が終わって、アタシと由真は黙ったままチビチビとコーヒーをすすっていた。
「……アンタさぁ、ひょっとしてブラコン?」
 アタシはちょっとだけからかうような口調で言った。
「えー、どういうこと?」
「何だか、お兄ちゃんのこと話してるとき、彼氏のこと話してるみたいだったから」
「そんなんじゃないよ。……でも、感謝してるんだ。自分だって進路のことで悩んでるときだったのに、あたしのこと心配してくれたんだよ」
「進路?」
「ほら、やっぱり一人息子だから。医者になりたかったわけでもないのに、跡取りってことで医大に行かされててね。ホントはアパレル関係の仕事をやりたかったらしいの。自分でお店出すのが夢だって言ってた。すっごいオシャレなんだよ。今は普段はスーツと白衣ばっかりで、休みの日はTシャツとジーンズばっかりになっちゃったんだけど」
「ふーん、やっぱアンタのお兄ちゃんだね」
 何の気もなしに言ったのだけれど、由真は嬉しそうに顔をほころばせた。
「お兄ちゃんがもしお店やってたら、あたし、毎日手伝いにいってたと思うよ」
「でも、あんまり口出しするから、来るなって言われてたかもよ」
「……真奈のイジワル。そんなことないもん」
 アタシは吹き出した。
「それで、お兄ちゃんに諭された不良少女はどうなったの?」
「やっぱりパパとママとはすぐに関係修復ってわけにはいかなかったけどね。でも、今では二人に感謝してるんだよ。別に養女にしなくったって、身寄りのない姪ってことでもよかったのに、自分たちの子供として育ててくれたんだもんね。二人から事情を聞かされるまで、あたしは自分がパパとママのホントの子供じゃないなんて考えたこともなかったの。ということは、二人がそれだけあたしに愛情を注いでくれてたってことじゃない?」
「そうだろうね」
 アタシは育ての親に対して感謝している、という由真を見ていて、自分のことを振り返っていた。アタシだって祖父母の(法律的には両親の)愛情は感じているし感謝だってしている。でも心を開けているかというとそうは思えなかった。目の前の同い年の少女がなんだかすごく大人に見えて、アタシにはまぶしかった。
「ねぇ、由真。この曲ってアタシのiPodに移せないかな?」
「できるよ」
 自分でやれと言われるかと思ったけど、由真は手を出してiPodを受け取るとアタシに替わって椅子に座り、専用のドックに乗せた。
「じゃあ、真奈のお勧めの曲も一曲、ダウンロードしようか。で、あたしのiPodに入れるの」
「えー、そんなのすぐには思いつかないよ」
「じゃ、思いつくまでコレのファッション・ショーでもする?」
 由真はニンマリ笑って、ベッドに広げたエメラルド・グリーンのドレスの裾をつまみあげた。
「待って。スグ決めるから」

 アタシはエリック・クラプトンの「チェンジ・ザ・ワールド」を選んだ。

”If I can change the world,I would be the sunlight in your universe”







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