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砕ける月

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  第 7 章  

 バイト先には約一時間の遅刻で入ることが出来た。
「遅いよ、真奈ちゃーん」
 板長が妙に間延びした声で言った。
 東京の有名な料亭で修行したというこのオジサンは、体を壊したお母さんの面倒を見るためにその料亭の次期総料理長の座を辞して帰ってきたという話だった。気の荒いのが相場の料理人の世界に長くいる割にはおとなしい人で、親分がそうだからなのか、この店の若手はみな真面目で腕は良いけれど自己主張の乏しい、おそらく他の店では苛められること受けあいの人材が揃っている。
 だからこそバイトの身の上のアタシが場を仕切って怒鳴り散らしても許されるのだろう。どう考えてもおかしいような気はするけれど。
「ナニ? 真奈ちゃん、デートだったのか?」

 アタシは一笑に付した。
「そんなわけないでしょ。友達の用事だったんですよ」
「ホント? ま、いいけどさ。早く着替えてよ。忙しいんだからさ」
 板長はそう言って持ち場に戻った。

 とは言っても今日は月曜日で店はそんなに忙しくはなかったので、アタシがいなくても困ることはないはずだった。
 アタシの腕が必要になるのは主に団体さんの多い、数をこなす必要のある週末だった。平日にやってくるオジサン達はそれほど食べないし、板場のレギュラーだけでこなすことが出来る。内容的にも焼き物や椀物といった技術が必要なものがメインになるのでアタシの出番はあんまりないのだ。
 そんなわけでドタバタして入った割にはアタシはヒマだった。
 洗い物やゴミ出しといった雑用をこなしながら、時々、裏の非常階段で休憩中のフロア係のお姉さんとお喋り(アタシはもっぱら聞いているだけなのだけれど)しながら営業時間が過ぎるのを待った。ここではアタシは”訳ありなので学校に内緒でバイトをしている女子高生”で通っているので、あまり身の上を詮索をされることがない。
 短大を卒業後、専門学校に入りなおして勉強中という眼鏡美人のお姉さんから”カレシの浮気の見抜き方”という、アタシにとっては差し迫って必要ではない――でも将来は必要かも知れない――御前講義を受けていると、休憩に入った別のお姉さんがアタシを呼びにきた。
「――真奈ちゃん、電話だって」
「アタシに?」
「うん、家からだって。ケイタイ繋がんないんじゃないの」
 基本的に水仕事なのでアタシはバイト中はケイタイを持っていない。
 家からというのは意外だった。一瞬、祖父が倒れたんじゃないかという不安がよぎった。殺しても死なないような妖怪ジジィだけれど、実は医者からずいぶんといろんな忠告を受けているからだ。分かりましたと答えてアタシは事務所に向かった。
 工藤さんは入れ違いに店に出ていて事務所には誰もいなかった。受話器を取り上げて保留になっていた回線のボタンを押した。
「もしもし、アタシだけど?」

 電話の相手は祖母だった。
「ああ、ごめんなさいね。あなたにお客さんがいらっしゃってるものだから、何時頃に帰ってくるのか、訊こうと思って」
 心当たりは全くなかった。
「お客さんって……誰?」
「あなたの学校のお友達よ――確か、徳永さんっていったかしらね」


 突然の由真の来訪に一番舞い上がっていたのは、実はアタシではなく祖母のようだった。
 アタシは「今日のバイト代は要りませんし、合宿では飯炊きでも何でもしますから」と渋い表情の工藤さんを拝み倒してバイトを早退していた。バンディットをぶっ飛ばして自宅に戻って、ガレージのシャッターが閉まるのも待たずに母屋に駆け込んだら、何があっても”走る”ということをしない祖母が慌しくキッチンから出てきたところと出くわしたのだ。
「あら、お帰りなさい、真奈」
「ただいま。由真は?」
「リビングよ。あ、あなたもお饅頭食べる?」
 祖母が抱えている塗物の御盆には有田焼の湯呑に注がれた緑茶と、福岡では定番の和菓子であるひよ子(という名前の饅頭)が鎮座していた。
 アタシが基本的に甘いものを食べないせいで、この家には甘いお菓子といえば饅頭くらいしかない。アタシはいらないと答えた。
 祖母と一緒にキッチンに戻り、アタシの分のお茶を湯呑に注いだ。
「アタシが持ってくわ。お祖母ちゃんはもう寝てていいよ」
「……そう?」
 祖母は残念そうに言った。
 気を使っているつもりでいて自分が親不孝をしているらしいことに、アタシは急に気がついた。
 アタシはこの家に学校関係者はもちろんのこと、道場の人間も、バイト先の知り合いも誰一人として呼んだことがない。

 理由の一つは由真の家に上がらなかったのとほぼ同じなのだけれど、もう一つの理由は、ここは自分の家ではないという遠慮のような感情だった。
 父のことで迷惑をかけているという思いもあって、アタシは素直に祖父母に甘えることが出来なかった。名前が”佐伯真奈”から”榊原真奈”に変わったからといって、この家に住むのを当然とは思えなかった部分もある。
 アタシが次の言葉を言いよどんでいると、祖母はいつもと同じように穏やかな微笑を浮かべた。
「お友達は泊まっていくの?」
「……うん、この時間だし、泊まっていくんじゃないかな」
「だったら、客間からお布団を持っていきなさいね。おなかが空いたら、冷蔵庫に何かあると思うけど、買い物に行くんだったら気をつけるのよ」
 アタシは、そうする、と答えた。

 祖母は「おやすみなさい」と言ってキッチンを出て行った。アタシは気まずい思いでその小さな背中を見送った。

 由真はリビングの真ん中にデンと置かれた三人掛けのソファの上に膝を抱えて座っていた。
 祖父のご自慢の五十インチのプラズマテレビで、SMAPのコントを見ながら大笑いしていた。
 入ってきたのがアタシだと気付くと、一瞬「アレッ?」とでも言いたげな表情を浮かべたけど、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「お帰りー。早かったね。お祖母様から遅くなるって聞いてたのに」
「……うん、途中で抜けてきたから」
 アタシは御盆をガラステーブルに置いた。
 お茶とひよ子をのせた小皿を彼女の前に置いて、自分の湯呑を持って、何処に座ろうかと迷った。
 リビングと言ってもこの部屋は祖父がホークスの試合をテレビ観戦するためにあって、馬鹿でかいテレビに向かい合うようにソファが置いてあるだけで他には椅子はない。祖父母の来客は和室の客間に通されるし、祖母もアタシもテレビは自分の部屋で見るのでそれで事足りるのだ。
 由真は体を動かしてアタシが座る分のスペースを空けてくれた。床に座るわけにもいかず、アタシは少し気まずい想いでその場所に腰を下ろした。
 アタシが食べないことは分かっているので、由真はひよ子を皿ごと自分の手元に引き寄せた。目を輝かせながら包装をはがして、名前の通りヒヨコの形をした饅頭をどこから食べるかを思案していた。アタシがその様子を眺めているのに気付くと由真は少し照れてような表情になった。
「ママがアンコ嫌いだから、ウチにはないんだよね、こういう和菓子。好きなんだけど、自分で買ってまでは食べないじゃない?」
「ま、それはそうかもね」
 何を言えばいいのか分からないまま、アタシは湯呑を両手で包み込むように持ってお茶を啜った。
 どうやら話の切り口を探しているのは由真も同じらしかった。いつものように振舞っているように見えて、何処かぎこちなかった。
 沈黙に耐えかねて先に口を開いたのはアタシのほうだった。
「……どうしたの、急に?」
 声に冷たい感じが響かないように気をつけたつもりだったのだけど、我ながらひどくよそよそしい声に聞こえた。
「あー、うん。そうだね、なんて言ったらいいのかな」
 そう言って由真はひよ子を小皿に戻すと、リモコンに手を伸ばしてテレビを消した。おもむろにアタシのほうを向き直ってソファの上に正座した。
「ゴメン!」
 由真は顔の前で手を合わせると、唐突に深々と頭を下げた。
 アタシは面食らった。
「……あ、いや、いきなりそんなこと言われてもさ」
「ホントにゴメン。あんなコトするつもりじゃなかったんだよ。でも、まさかあんなトコで真奈に会うとは思わなかったし、何ていうか、ビックリしたっていうか、恥ずかしかったっていうか、ね。でも、一回あんな態度しちゃったら、今度は引っ込みがつかなくなって……」
 アタシの言っていることを聞いているのかどうか分からないけど、由真は畳み掛けるように謝った。
 何度も「ゴメンね、ゴメンね」と繰り返す由真の泣き出しそうな表情を見ていて、アタシは心の奥のほうで固まってしまっていた何かが急速にほぐれていくのを感じた。
 最後のほうはアタシが「わかった、わかったから」と逆に彼女をなだめていた。
「アンタ、そんなこと言うためにわざわざ来たの?」
「うん」
「だからってこんな夜にさぁ。明日でいいし、電話でも良かったじゃない。そりゃ、来てくれたのは嬉しいけどさ」
 由真は頬を可愛らしく膨らませた。
「だってこれ以上、一分でも真奈とこんな感じでいるの、イヤだったんだもん。だから、来たことなかったけど、真奈んちに行こうって思ったの」
「アタシが夜はバイトしてるって知ってるでしょ?」
「……それは思い出さなかったけど」
 この一週間、アタシは自己嫌悪と向かい合って過ごしてきたのだけれど、そんなことはどうでもよかった。話をする機会があったら言ってやろうと思っていたこともあったけれど、それもどうでもよかった。
 由真は小声で「許してくれる?」と訊いた。
 許すも許さないもなかった。アタシはただ「……うん」とだけ答えた。

 昂っていた気持ちが落ち着いてくるとお互いに照れくさくなった。どちらからともなくニヤニヤした微笑を浮かべた。
「あーあ、何だかお腹すいちゃった」
 由真は両脚を投げ出してソファの背に埋もれるように体を預けていた。
 空腹なのは同感だった。三時頃、梅野と一緒にファミレスで食べてから何も口にしていなかったのだ。
 本当はバイト先でまかないにありつけるはずだったのだけれど、遅刻したせいで着いたときには今日のまかないは食べ尽くされていたし、仕事中に板場のメンバーの隙をみて何か作るつもりでいたら祖母からの呼び出しで急遽帰ってくることになってしまったのだ。
「オッケー。何か食べに行く?」
 アタシはキーホルダーを指先で回して見せた。
「うーん、この辺って美味しいとこあったっけ?」
「失礼な。薬院まで出ればいっぱいあるよ」
 確かに平尾浄水は住宅地で彼女好みのカフェはあまりないけれど、浄水通りから薬院の六つ角まで出ればお店はたくさんある。
「でもなぁ、今から外に出るのもヤダなぁ」
「どうすんの、宅配のピザでもとる?」
「……えーとねぇ」
 由真の目がイタズラっぽく細くなった。アタシは何となくその言葉の続きが想像できた。おそらくコイツは最初からそのつもりだったに違いない。
「真奈が作ったゴハンが食べたい」
 やっぱり。
「あのさぁ、何時だと思ってんの?」
「食べたい」
「だからぁ」
「食・べ・た・い」
 こうなったら由真はテコでも動かない。アタシはこれまでの経験からあっさり議論を放棄した。
 キッチンに移動して冷蔵庫の中を眺めた。祖母は日持ちのしない生鮮類はともかく、割と買い溜めをするほうなので食材はそれなりにいろんなものがあった。
 とはいっても夜も遅いので重たいものは作りたくなかった。
 祖母が明日の朝に炊き上がるようにセットしていた炊飯器を早炊きに切り替え、刺身用のサバの半身を一口大に切って、刺身醤油と少量のワサビ、すりゴマ、刻んだネギを和えてゴマサバを作った。味噌汁は冷蔵庫にあったナスと玉ねぎを刻んだものを入れることにした。和食の店でバイトしているので出汁にはうるさいのだけれど、時間がないので粉末でごまかした。昨日の残りの祖母特製のがめ煮を電子レンジで暖めて器に盛り、漬物といかの塩辛を出すと食事の用意が出来あがった。
 リビングに由真を呼びに行ってダイニングのテーブルに出来上がった料理(と呼べるほどのものじゃないけど)を運んだ。
 由真はちょっと大げさなほど感嘆の声を上げた。
「すっごーい。三十分しかたってないのに、こんなにいろいろ作れるんだぁ」
「大げさだって。サバは切って和えただけだし、味噌汁も具を切って煮て味噌を溶かすだけでしょ。がめ煮はアタシが作ったんじゃないし、ご飯を炊いたのは炊飯器」
 とか言いながら褒められて悪い気はしなかった。お茶を淹れてテーブルについた。
「いっただっきまーす」
 由真は嬉しそうに料理をパクついた。
 アタシには料理を作っているとそれだけで食欲が満たされたような気になるクセがあって、あまり箸は進まなかったけど、自分が作ったものを誰かが食べてくれるというのは悪くない気分だった。
 ご飯を食べながらアタシは気になっていたことを訊いておくことにした。
「あのさ、答えたくないなら答えなくてもいいんだけどさ」
「なぁに?」
「アンタが送ってきたディスクのこと」
 それを送ってきたのが由真本人じゃないことに気付いていて、しかもそのオトコに会いに行ったことは黙っていた。せっかく仲直りしたのに、その原因になった出来事に触れるような気がしたからだ。
 由真の箸が動きを止めた。アタシは一瞬、訊き方がまずかったかと思ったけど、由真は思い直したようにがめ煮に箸を伸ばした。
「ああ、アレ。届いてたんだ」
「うん。何にも書いてないからさ。何だろうと思って」
「アレね、ちょっとウチに置いとけないんだよね。で、どこに預けようかなー、と思って……」
「アタシのところに送ったって訳?」
 由真はコクンと頷いた。
 置いておけない理由や何が入っているのかなど訊きたいことはあったけど、それ以上は訊かないことにした。事前に言わなかったことについても追求しないことにした。
「で、どうするつもり? 返したほうがよければそうするけど」
「迷惑じゃなかったら、だけどさ――」
 由真は言った。
「真奈が預かっといてくれないかな」
「別に迷惑じゃないよ。じゃ、アタシが持ってていいのね?」
 由真はお願いと言った。
 それから料理が片付くまで、由真もアタシも一言も喋らなかった。








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