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砕ける月

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  第 12 章  

 梅野の部屋に入って最初に目に付いたのは、胸の谷間を強調するようなポーズをしたグラビアアイドルのポスターだった。
 テレビで見たことはあるけど名前は思い出せなかった。ベビーフェイスとそれに似合わないヴォリュームの体つき。どちらもアタシには逆立ちしてもマネの出来ない代物だ。
 病院を出てから、アタシは梅野に電話してここに来ていた。
「へえー、梅野さんってこういうタイプが好みなんですか?」
「エッ?」
 アタシの視線がポスターに向いていることを見てとると、梅野はバツが悪そうに視線を逸らした。
「あー、いや、そのー」
 アタシは笑いを噛み殺した。
 意地悪をする気は毛頭ないのだけれど、どうにも隙だらけで突っ込みどころ満載の梅野といるとそういうことになってしまう。村上と話したことで刺々しい気分だったので、気軽に話せる梅野の存在がありがたかった。
 開け放した窓から上手い具合に風が抜けていて、部屋の中は思ったより涼しかった。
 六畳間の壁一面を占めるオーディオ・ラックと要塞のような周辺機器に囲まれたデスクトップのコンピュータ。座椅子のような小さなソファ。窓際に置かれたパイプベッドには洗濯したばかりのような真新しいシーツが掛かっていた。
 男性の部屋にしては片付いているような気がしたけれど、それが普段からそうなのか、アタシが来るから急いで掃除したのかどうかは分からなかった。他に適当な場所がなかったのでアタシはベッドに腰を下ろした。
 スピーカーから流れているのは布袋寅泰の「新・仁義なき戦いのテーマ」だった。
 コンポの前には映画のサウンドトラックのCDジャケットが立てかけてあって、豊川悦治と布袋寅泰が二人合わせて五人は殺していそうな剣呑な眼差しを投げかけている。
 梅野はコンポのスイッチを切った。泣き叫ぶようなギター・リフは会話のBGMにはあんまり向いていないからだろう。
「すいません、疲れてるのに押しかけて来ちゃって」
「いや、いいんすけどね。どうしたんすか?」
 アタシはヒップバッグからMOディスクを取り出して、梅野に見せた。
「これなんですけど」
「――ああ、そう言えばそんな話、したっすね」
「こっちからお願いしたのに、ホントすいません」
 アタシはペコリと頭を下げた。あの日、由真が訪ねてきたことでアタシの頭からはMOドライブの手配を頼んだことはキレイに抜け落ちていた。
「とりあえず、見てみましょうか」
 梅野はデスクトップの前の大きな背もたれのついた椅子に腰を下ろした。
 アタシが手渡したディスクを梅野はドライブに挿し込んだ。
 隣りで立って見ていようかと思ったけれど、梅野の気が散るといけないので、おとなしく下がって後ろから作業を見守ることにした。
 
 二十分ほどが過ぎて、梅野は唐突に「……なるほど」と言った。
「何か分かりました?」
 アタシは訊いた。
 梅野は何かを書き記していた紙を裏返して伏せると、タバコに使い捨てのライターで火をつけて、眉根を寄せてため息のように煙を細く吐き出した。
「真奈さんって、コンピュータのこと、どれくらい分かります?」
「……えー、三歳児よりはマシなくらいですね」
「なるほど。ちょっと専門用語が混じるけどいいっすか?」
 アタシは構わないと答えた。
 梅野が空けてくれた椅子に腰を下ろした。梅野は立ったまま横から身を乗り出すような格好で画面を覗き込んだ。マウスを操作すると画面に開いたウインドウ一杯にアイコン(これくらいはアタシでも知っている)が表示された。
「えー、まず結論から言っちゃうと、入ってるファイルは殆どが開けないんすよね」
「どういうことですか?」
「これ見てください」
 梅野がマウスを操作すると一覧表のような形の並びに変わった。
 上のほうに”名前”や”サイズ”、”種類”といった表示がされている。ファイル名のところはどれも十二桁の数字と四文字のアルファベットだった。ざっと眺めた限りでは同じ数字が並んでいるように見えたけど、意味はもちろん分からない。
「この”種類”なんですが、こんなファイル形式にはお目にかかったことがないっすね。少なくとも、普通に出回っているアプリケーション用のデータじゃないっす」
 梅野はファイルの一つをクリックした。小さなウインドウが開いて”このファイルを開けません”というメッセージが表示されただけだった。
「ウェブ上を探してみたんですけど該当するアプリが見当たらないんすよね。コレって多分、何処かの専用のシステムで使うファイルなんだと思うんすよ」
「……そうなんですか」
 当てが外れたせいでアタシは思わず盛大なため息をついた。梅野はスンマセンと呟いた。見られないのはもちろん梅野の責任ではない。アタシは慌てて謝った。
 高橋が「見たければ見ればいい」と余裕だった理由が分かった。専用のプログラムがないと見られないことが分かっていたからだ。腹の中で笑っていたのかと思うとムカッ腹が立ったけど、高橋の状況を考えると怒りをぶつけることも出来ない。
 アタシの悶々とした想いなど露知らず、梅野は”拡張子がどうとか”だとか”ファイルの関連付けがどうとか”というような技術的な話をしてくれたけれど、残念ながらアタシの理解できる範囲は軽く飛び越えた内容だった。
 そして、その途中で気がついた。
「”殆どは”ってことは見られるものもあるんですか」
「……ええ、あるにはあるんすけど」
 何故か、梅野は言いにくそうだった。
「どうかしたんですか?」
「いや……見ます? かなりグロいっすよ?」
「グロい?」
「死体の写真っすから」
「……死体?」
 意味が分からずにアタシは訊き返した。
「死体っつってもそんなにスプラッターじゃないんすけどね。どっちかっていうと、警察の霊安室みたいなとこで撮ったような感じっすよ。ほら、よくドラマとかに出てくるタイル貼りの病院みたいな――」
 実際には日本の警察署には梅野のいうような霊安室――いわゆるモルグ(死体安置所)はないのだけれど、言わんとするところはイメージできた。
 いよいよ高橋の――そして由真の意図が分からなくなってきた。いったい二人は死体写真なんかをどうするつもりだったのだろう。
 アタシは生唾を飲み込んだ。答えはその写真の中にしかない。
 意を決して「見てみます」と言うと、梅野は下のほうにあったファイルの一つをクリックした。
 画像を表示するソフトが立ち上がって、液晶の美しい画面いっぱいに鬱血した中年男性の顔が表示された。
 知り合いではもちろんないけれど何処かで見たような顔だった。悪代官という言葉を連想させる押しの強そうな顔つき。時代劇や二時間もののサスペンスによく出てくる俳優(名前は思い出せない)にビックリするほど似ている。
 「ねぇ、梅野さん、この人って……」
 言葉はそこで詰まった。確かにこの顔はアタシの記憶のどこかに引っかかるものがあった。でもそれが何なのかは分からなかった。
「ま、普通は分かんないっすよね」
 梅野の顔が、いつの間にかアタシの顔の真横にあった。熱のこもった眼差しで画面を見つめている。
「梅野さん、分かるんですか?」
「ええ。ちょっと前まで俺、福岡で起きた事件を扱うニュースサイトを手伝ってたことがあるんすよ。事件自体は覚えてなかったんすけど、このオッサンの顔で思い出したんす。――真奈さん、ここ見てください」
 梅野が画面の上の端を指差した。そこには表示されている画像のファイル名が表示されている。

<050318_Syunji_Muramatsu_01>

「ムラマツシュンジ?」
「そう。それでさっき新聞社のデータベースで検索したんすよ。前の六桁はどう見ても日付っすから、その付近で”ムラマツシュンジ”という人物が出てる記事をね」
「あったんですか?」
「ビンゴでした。コレを見てください」
 梅野はいつの間にかプリンターから吐き出されていた紙をとってアタシに手渡した。
 それは西日本新聞の記事をプリントしたものだった。
 記事の日付は今年の四月十六日。社会面を表す<社会>という記号があって、その下に<西区の総合病院 患者の死亡に人為的ミスを認める 担当医は三月に死亡>という見出しがあった。

 福岡市の医療法人敬聖会(徳永圭一郎院長)は十五日、同法人が経営する敬聖会福岡総合病院に入院していた五十九歳の男性患者が手術の後に死亡した件について、担当医の人為的なミスが原因だったことを認め、患者の遺族に謝罪と補償を申し入れた。
 敬聖会の広報担当者によると、担当医の村松俊二医師が二月下旬に行われた手術後の投薬を指示するにあたり、検査結果の数値を見誤り、通常の数倍の量を看護師に指示したという。患者は手術の後、一度は意識を取り戻したが投薬後に昏睡状態に陥り一週間後に死亡した。患者の男性は一人暮らしで、家族に連絡が届いたのは男性の死亡の後だった。
 福岡県警は遺族の申し立てを受けて業務上過失致死での立件を視野に調査を進めていたが、三月に村松医師が心筋梗塞で死亡している為、立件を見送っている。
 尚、村松医師に対しては敬聖会が、医療機器メーカーとの癒着で病院に損害を与えたとして背任罪での告訴を検討していたことも分かっている。
 徳永院長は記者会見で「素行、及び医師としての能力に疑問のある人物を責任者に据えていたことは、管理者である自分の責任。大変、申し訳なかった」と述べている。

「最初にニュースになったのは三月の初めごろだったと思うんすけどね。確か、どっかのテレビ局がこの村松という医者にインタビューしようとした映像があったんすよ。で、それを見ていたツレが誰かにスッゲエ似てるとか言い出しちゃって。オレも名前は知らないけど、見たことはあったからそうだなとか思っちゃって」
 アタシは梅野の言葉をほとんど上の空で聞いていた。
 報道されている医療事故は由真の両親が経営する病院で起こっている。そして由真が何処かで手に入れたディスクには、心筋梗塞で亡くなったというその医師の死体写真と専用のシステムで使うデータが収められている。
 あの夜に警固公園で見た由真の深刻な表情とそれらが混じりあって、アタシの中で不吉な想いが急速に膨れ上がっていくのを感じた。
「……あれっ?」
「どうかしたんすか?」
 アタシは応えずに自分の中に浮かんだ疑問の輪郭を掴もうとした。それはすぐにはっきりした。
 心筋梗塞?
 アタシの父方の祖父はアタシが子供の頃に心臓の発作で亡くなっている。
 母が亡くなってすぐのことで子供心にも”命の儚さ”というものを感じたのだけれど、そのせいか棺の中に収められた祖父の作り物のような真っ白な顔をよく覚えている。
 アタシは医者じゃないし確かなことは言えない。でも心筋梗塞で亡くなったのに顔面が鬱血しているというのはあまり自然なこととは思えなかった。
 目を逸らしたくなる衝動を抑えてアタシは画面に見入った。
 次の画像もクリックしてみた。今度は緑色のビニールのカバーがかかった台に仰向けに寝かされた死体の全身を上から撮影したものだった。写真には頭を真っ直ぐにするために添えられた手が映っていて、その人物はベージュの薄いゴムの手袋をしていた。ワックスの効いた白い床も映っていた。
 だんだんと込み上げてくる吐き気を堪えながら、アタシは次々に画像をクリックした。全体に青白いトーンの光のもとで撮影されていて、病院かそれに類する場所で撮影されたもののように思えた。
 七枚目で手が止まった。
 それは男性の首の辺りをアップにした鮮明な画像だった。
 そこには素人目にもはっきりと分かるほど首を一周する細い痕――紐のようなもので絞めたような青黒い痕が写っていた。
「――何すか、これ」
 梅野の声には興奮とも怖れともとれる妙な熱気がこもっていた。
「……それはアタシが訊きたいですよ。この人、心筋梗塞で死んだんじゃなかったんですか?」
「ニュースではそういうことになってるっすね」
「でも、これって――」
「……絞められてるっすよね、間違いなく」
「殺されたってこと?」
 アタシの声は梅野とは対照的に微妙に震えていた。”殺人”がドラマや映画の中のものじゃなくて現実の、しかもそう遠くない身近なところにあるものだという現実を見せつけられて、アタシは少なからず混乱していた。
 アタシは大声で喚きたくなるような衝動に駆られた。キレそうになる気持ちを繋ぎとめていたのは被害者が一面識もない人物で、その死を自分の痛みとして捉えなくてもいいという距離感だった。
 アタシは自分が目にしている画像が持っている意味を考えた。
 これは二つの犯罪の証拠だった。
 一つは殺人の。
 もう一つは、その偽装工作の。

「どうするつもりなんすか?」
 デスクトップの前を離れてアタシは再びベッドに、梅野は座椅子に腰を下ろしていた。
「どうするって?」
「だってこれ、ヤバイっすよ。警察に届けたほうがいいんじゃないっすか」
「……そうなんですけどね」
 常識的に考えれば、そうするべきだった。
 これはれっきとした犯罪の証拠だった。それにこのディスクの存在が高橋が襲われた原因である可能性も十分にある。
 さっき聞いた村上のケイタイに電話して、事情を説明して(ま、文句は言われるだろうけど)ディスクを引き渡すべきだ。そうなれば警察はアタシがどれだけ時間をかけても分からないことをすぐに調べ上げてしまうだろう。
 アタシは警官でもなければ事件の解決を依頼された探偵でもない。自分から事件に首を突っ込んで危ない目にあう二時間ドラマの素人探偵の真似事をするなんてまっぴらゴメンだ。
 本当ならば。
 そう出来ない理由はただ一つ、由真が一連の出来事にどう関わっているのかが分からないことだった。
 由真が何のためにこの画像(とファイル)を手に入れて、そして何をしようとしていたのかはどれだけ考えても推測の域を出ない。ひょっとしたらたまたま手に入れたモノの始末に困っていただけかもしれないし、何らかの後ろ暗い思惑が彼女にあったのかも知れない。
 どちらの可能性が高いかと言えば圧倒的に後者だった。信じたくはないけれど。
 それを確かめずにこのディスクを放り出すことはアタシには出来なかった。
 アタシは梅野の目を見つめた。
「あの、梅野さん、お願いがあるんですけど」
「え……何っすか?」
「これから話すこと、絶対に内緒にするって約束してもらえますか?」
 唐突なアタシの申し出に、梅野はうろたえたように「えー」とか「あー、そのー」とかいった意味不明のことを呟いた。
 アタシは梅野が逡巡している間、彼から視線を離さなかった。梅野はしばらく部屋中に視線を彷徨わせてから、思い切ったように大きく息を吐いた。
「わかりました。真奈さんが言うんだったら、そうしますよ。約束します」
「ありがとうございます!!」
 アタシはベッドを跳び降りて梅野の手を取った。梅野は再び意味不明の呟きを繰り返した。

 アタシはMOディスクがアタシのところに届いた経緯や高橋が襲われたことなどを話した。由真のことも必要と思われることは話した。由真がこの殺人と大きく関わりのある敬聖会を経営する徳永家の養女であることは梅野の興味を大きく引きつけたようだった。
 由真を探す方法については二人ともいいアイデアは浮かばなかった。
 足取りを追おうにもアタシは能古島から帰ってきたばかりで、その間に由真が何をしていたかなど全く見当がつかない。由真の交友関係を当たろうにもそういう連中とはアタシはほとんど繋がりがないし、アタシの知らない友達(高橋だってその一人だ)がどれくらいいるかもやはり見当がつかなかった。
「でも、娘が帰ってこないのに、親は何にも言わないんすかね?」
「うーん、親と一緒に住んでませんからねぇ」
 アタシは由真が兄と二人で百道浜のマンションに住んでいることを説明した。お金持ちなんっすねと梅野は嘆息した。
「別宅に帰ってないんなら、その兄貴が何か言っててもいいでしょうけどね」
 確かに由真から聞いた話の印象だと無断外泊を許すようなタイプとは思えない。でも会ったことがないので判断はつかなかった。
「でも、その親はコッチと何か関係があるかも知れないんすよね」
 梅野はデスクトップの方を指した。
 確かにそうなのだ。
 言いたくはないけどもしこの画像が公表されて殺人事件として捜査がされれば、真っ先に疑われるのは敬聖会の関係者だろう。村松が死んだことで警察の追及を受けずに済んだのだから。
 でも、それだけのために殺人まで犯すだろうかという疑問もあった。医療ミスの事実は認めているのだし補償もしているらしい。それに結局、新聞で報道されているのだから信用低下を回避出来たわけでもない。人を殺しただけのメリット(イヤな言い方だけど)があったようには思えなかった。
 考えるほど何が何だか分からなくなってきた。
 それからしばらく梅野と「ああでもない、こうでもない」と話をしたけれど、納得のいくような答えは出てこなかった。仮定の話や不確かな推測が元になっているのだから当然だった。
 焦りがないと言えばウソになる。現実に高橋は重傷を負わされているのだ。由真がもし同じような目に遭わされていたら――。
 やはり警察に任せるべきじゃないのか。
 頭の片隅でそんな呟きが何度も繰り返されていた。でも自分の選択が――たとえ結果的にでも――由真を警察に突き出すようなことにでもなれば後悔してもしきれないだろう。いくら図太いアタシの神経でもとても耐えられそうにない。
 アタシは身悶えしたくなるようなもどかしさに苛まれた。


 話が煮詰まったところで、梅野は一階に下りてコーヒーを淹れてきてくれた。
「インスタント?」
「冗談でしょ。サントスっすよ」
 カップから立ち昇る香りをたっぷり楽しんで、酸味のない苦味の効いたサントスを口に含んだ。
 梅野は受け皿を持ったまま、コーヒーを口で吹いて冷ましながらチビチビと啜っていた。アタシがその仕草を見ているのに気付くと「猫舌なんすよ」と照れ臭そうに言った。
「――オレ、考えたんすけどね」
 梅野が言った。
「なんですか?」
「この読めないデータって病院の専用のコンピュータ・システムで使うヤツなんじゃないかと思うんすよね。電子カルテとか」
「電子カルテ?」
「カルテを従来の紙じゃなくてコンピュータで管理する医療用のデータベースのことっす。このオッサンも医者ですし、そもそも病院絡みの話っすからね。その友達――由真さんも医者の娘なんでしょ?」
「そうですけど。じゃ、殺された村松って医者のカルテ?」
「それはどうか分かんないっすけど。それともう一つ、ファイルを見ていて気がなったことがあるんすよ」
 梅野はアタシにデスクトップの前に座るように言った。自分はさっきと同じように隣に立って、手を伸ばしてマウスを操作した。画面にはファイルの一覧が表示されていた。
「えー、まずこのファイル名なんですけど、どれにも十二桁の数字の列が付いてるんすよね。で、コレはおそらくカルテを管理するコード番号みたいなモンで、同じ数字なら同じ患者のデータと考えていいと思うんすよ」
 ずらりと並んだ十二桁の数字は確かに同じような数字に見えた。
「実際には共通してるのは最初の八桁だけで、あとの四桁はバラバラっすね。数字から見て日付だと思うんすけど。誰それの何月何日の記録って具合に」
「それって何か意味あるんですか?」
「カルテっていうのは治療が進むにつれてあとから書き足していくものっすから、最初の八桁がカルテの識別、残りの日付でトランザクション・ファイルを管理してるんじゃないかと」
 梅野は紙に図を書いて説明してくれた。それによると元々の患者のカルテがあって、治療が行われる毎に新しい項目が別の独立したデータファイル(これがトランザクション・ファイルというモノだそうだ)として加えられていく。カルテという形で表示するときにはそれらを全部合わせて一つの文書の形式に構成するらしい。
「どうしてそんな面倒なことするんですか? 同じファイルに書き足せば良いじゃないですか。別々にしたら管理も面倒だし、データの量もムダに多くなるし」
 アタシは乏しいコンピュータの知識を動員して反論した。
「確かにそうなんですけどね。多分、真正性の確保の問題だと思うんですよ」
「真正性?」
「ええ。真正性の確保っていうのは、分かりやすく言えば”改ざんの防止”のことなんすけど、紙のカルテだったら、一度書いたものを消そうと思っても、内容は隠せても痕が残りますから”消した”という事実そのものは隠せない。でもデジタルデータの場合、そういう痕跡は残らないっすからね。だからこの手のシステムでは、たとえば”1”というデータを”2”に変えたかったら”1”を直接”2”に書き換えるんじゃなくて、別のトランザクション・ファイルの”−1”で差し引いてから、改めて”2”を追加するという形になってるんすよ。最初に”1”と書いた事実は消せない。そうやって改ざんしてもバレるようになってるんすね」
「それは何となく理解出来ました……けど?」
「だから、治療が進めば書き足した分だけファイル数は増えていく。当然、それは数もサイズもそれぞれの患者によって違うハズっすよね。治療内容が違うんだから」
「それはそうでしょうね」
 アタシは彼が何を言いたいのか分からなかった。梅野がマウスを操作すると一覧表がスクロールした。途中で八桁の数字が変化しているのに気がついた。
「あれっ?」
「分かりますか? 八桁の数字は二種類ある。つまりカルテは二通あるんすよね。ところがこの二つのカルテ、数えてみるとファイルの数やファイルサイズがまったく一緒なんです」
 梅野は図を書いた紙を裏返して見せてくれた。そこに左右に並べて書かれた数字は順序の狂いもなく同一だった。最初にディスクの中身を眺めながら書き記していたものだった。
「どういうことですか?」
「中身を見るまでは断定は出来ないっすけど……同じ患者の同じ内容のカルテが二通存在する必要性はありませんよね」
「まあ、確かに……。改ざんされてるってことですか?」
「その可能性がありますね。サイズが一緒ってことは大きな書き換えじゃないんでしょうけど。検査の数値がイジってあるとか、何か重要な項目が書き直してあるとか」
「でも梅野さん、さっき改ざんは出来ないって言ったじゃないですか」
「だからっすよ。中身を書き換えられないなら、丸ごと作り直してすり替えてしまえばいい。カルテを見せろと言われたときに見せられないと言えば疑われるけど、作り直した方を出してしまえば、データベース全体を調べない限りは「本物」の存在は気付かれない。盲点っすよね」
 得々と語る梅野のことをアタシはポカンと口を半開きにして見ていた。
 アタマの悪いヤンキー上がりのお調子者だとばかり思っていたけど、アタシは正直ちょっと――いや、かなり――梅野のことを見直していた。とても泥酔して裸で走り回った男と同一人物とは思えない。
「……梅野さん、すごい。シャーロック・ホームズみたいですね」
「いや、実はちょっと前に面接を受けたとこが医療用のコンピュータ・システムを扱ってる会社だったんすよ。それで予習の意味でそういうのを扱ってるサイトとか覗いてたんすけど、それがこんな形で役に立つとは思わなかったっすね」
 梅野は小声で「ま、そこも落ちたんすけどね」と付け加えた。
 コメントのしようがなかったので、アタシは「……はぁ」と曖昧な返事しか出来なかった。







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