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砕ける月

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  第 25 章  

「……で、何を根拠に私がそんなコト、知ってると思うわけ?」
 トモミさんはガサガサした麻の布を連想させる、低くてハスキーな声で言った。
 部屋着にしては派手な蝶々柄の黒いノースリーブのワンピース、綺麗な栗色に染め上げられた髪。晴れ舞台に臨む大物演歌歌手のように念入りなメイクを施している。
 膝の上では飼い主に似て丸々と太った毛並みの良いアメリカン・ショートヘアが、気持ち良さそうに背中を撫でる手に身を任せている。テーブルにはまだ午前中だというのに緑色のワインのボトルと華奢なワイングラスが置いてあった。
 彼女はリビングの真ん中に置かれたスカンジナビア家具のソファに腰を下ろして、優雅に脚を組んでいた。仕草の一つ一つに中洲のクラブ経営者に相応しい風格が漂っている。

「根拠ってほどのものでもないんだけどさ。でも、アタシの知り合いでそっち方面のことに詳しそうな人って言ったら、トモミさんくらいしかいないんだもん」
「まあ、そりゃそうだろうけどね。あ、お土産買ってきてくれた?」
「買ってきましたとも。はい、コレ」
 アタシはスーパーの袋を手渡した。中には彼女の大好物のチョコレートが五種類ほど入っている。
 包装を乱暴に破ってチョコレートの欠片を口に放り込むと、トモミさんの目が細まった。
 彼女の持ち物はどれも名の通ったブランド物ばかりなのだけれど、何故かチョコレートはコンビニで売っているような安物が好みなので、アタシのお小遣いでも貢ぎ物が買えるのだった。
 深く刻まれた目許の皺はきっちり塗り込まれたファンデーションと青いシャドウで、自然な動きを封じられているように見えた。トモミさんは表情が豊かでよく笑うのだけれど、アタシは彼女が破顔するたびに風雨に晒された石像が崩れ落ちるところを想像してしまう。本人には口が裂けても言えないけど。
 アタシは冷泉公園の向かいにあるトモミさんのマンションに来ていた。
 築年数が経っている割にはしっかりした建物で、トモミさんの部屋はその最上階の4LDKだった。
 とは言ってもそのうちの二部屋は衣裳部屋、一部屋は物置なので実際に生活に使っているのはリビングと寝室だけだ。
 最後にここに来たのは一年くらい前のことで、父親の初公判――罪状認否が行われた日の夜だった。
 アタシが生まれて初めて悔し泣きというものをした日だ。
「そう言えば、最近、シンさんから連絡あった?」
 シンさんというのはアタシの父親(佐伯真司)のことだ。アタシは首を振った。
「全っ然。もともと筆不精なヒトだしね。トモミさんとこには?」
「実の娘に送らないものを、私に送ってくるわけないでしょ」
「あれ、二人は恋人なんじゃなかったっけ?」
「私はそう思ってるんだけど、あっちはどうなんだか」
 トモミさんは噴飯やるかたないといった風にため息をついた。アタシは思わず吹き出した。
 アタシの父親とトモミさんの馴れ初めはおよそ四年前、県警の取調室だったと聞いている。トモミさんの当時の恋人が覚せい剤所持で逮捕されて、トモミさんも巻き添えをくらうような格好で逮捕された。その取調べを担当したのが父だったというわけだ。
 似ている俳優はと訊かれたら「……悪役商会の真ん中の人」としか言えない父のどの辺りがストライクだったのかは未だに謎なのだけれど、トモミさんはどうやら一目惚れしてしまったらしかった。
 以前からその恋人に嫌気が差していたこともあって、起訴猶予で釈放されてからというもの、トモミさんは父に猛烈なアタックを繰り返した。そして遂には――あくまでもトモミさん本人に言わせるとだけれど――父のハートをゲットしたということだった。
 普通だったらいくら母親の死から時間が経っているといっても、思春期の娘にとって父親が恋人を作るのは到底許し難い行為だったに違いない。
 にもかかわらずアタシが困惑する父を冷やかし、あまつさえ言い寄る相手と仲良くなったのは(もちろんトモミさんの人柄もあったのだけれど)彼女の戸籍上の性別が女性ではないからだった。
 アタシはトモミさんの向かいのソファに腰を下ろした。
 座り心地は抜群だった。背もたれに身体を預けて脚を投げ出すとトモミさんの眉根が寄った。
「また、真奈ったらそんなはしたない格好して」
「いいじゃない。ラクなんだもん」
「まったく。あんたは図体ばっかり大きくなっても全然子供なんだから。そんなんだからオッパイが大きくなんないのよ」
「胸は関係ないでしょ。それより、どうなの、大沢って男のこと?」
「一応、訊いてはみるけど」
 アタシはケイタイの画像と、大沢の外見の覚えている限りの特徴を話した。
 トモミさんは膝から猫を下ろして立ち上がった。
 キッチンから持ってきた新しいワイングラスにアタシの分を注いでくれた。トモミさんのお気に入りのミュスカというアルザス・ワインで、彼女は家ではこれしか飲まない。マスカットの華やかな香りの割に甘さの欠片もない辛口の白だ。飲酒運転になるといけないので舐めるだけで我慢することにした。
 それからトモミさんは自分のお替りを持って寝室に入って行った。そっちで電話をするのだろう。アタシは足元に擦り寄ってきた猫と遊びながらトモミさんを待った。

 十分ほどでトモミさんは戻ってきた。
「どうだった?」
 アタシが訊くと、トモミさんは曖昧な表情を浮かべて向かいに腰を下ろした。
「そいつの事、調べてどうすんの? まさか愛の告白しに行くんじゃないでしょうね」
「意外とそうだったりして」
 内容はとてもロマンティックなものとは言えないけど、と心の中で付け加えた。
 トモミさんはアタシに向き直った。
「いいこと、真奈。止めても無駄だろうから止めはしないけど一つだけ約束してちょうだい。そいつとはどうしようもないことにならない限り、事を構えないって」
「……そんなにヤバイの?」
 トモミさんは頷いた。
「あんたの言った特徴に合致しそうな男が一人だけいるわ。幸いヤクザ者じゃないけど、そう遠くもないってところね」
 アタシは思わず顔をしかめた。
「何者なの?」
「FBRって会社の社員だって。福岡ビジネス・リサーチの略ね」
「何をやってる会社?」
「主な業務は企業の信用調査ってことになってるわ。要するに興信所ね」
「興信所って、結婚相手の身の周りのことを調べたりするところだよね?」
「それはかなりの偏見だと思うけど、そういう仕事もするわね」
 アタシは昨夜の二人連れを思い出した。あんまりそういうイメージは湧かなかった。
 とは言っても、アタシの周りには興信所員などいないので、彼らがどんな人種かなど分かるはずはないのだけれど。
「じゃあ、大沢もその……興信所の探偵ってわけ?」
「そこのところは何とも言えないけど、用心棒だって話もあるわ」
「でも、用心棒のいる会社って、あんまり真っ当なところじゃないよね」
「確かにそうね。でも、裏で何やってるか分かんない怪しい会社だって話よ」
 あのマスク男が大沢の上司であるとするならば、確かに怪しい会社ではあった。マスク男はそういう如何わしい雰囲気をふんだんに漂わせていた。

 トモミさんの”企業信用調査”の御前講義を受けても、彼らが具体的に何をする連中なのかはよく分からなかった。
 ただ、そんなアタシでもそういう連中にとって敬聖会のスキャンダルが途轍もなく”おいしい”ネタであることくらいは分かった。


 アタシはトモミさんに、徳永祐輔の医療事故から始まった一連の出来事を説明した。
 トモミさんはアタシの説明の意味の通じないところを訊き返した以外は口を挟まずに聞いていた。猫は再びトモミさんの膝の上で丸くなっていた。
「――なるほど、そういうことなのね」
 トモミさんはチビチビ飲んでいたワインを飲み干した。アタシはお替りを注いであげた。
「でも、大沢たちはどうやってそのディスクのことを嗅ぎつけたのかしらね。アンタのお友達が持ち込んだのかしら?」
「それはないと思うけど。だったらディスクはとっくに奴らの手に渡っているはずだし」
 熊谷は二組の脅迫者の間には協力関係はないと言った。ただ、同時期に行動を起こしていることから何らかの繋がりがある可能性は否定出来ない。トモミさんの疑問はもっともだった。
 それでも、由真がそんなことをするとは思えなかったけれど。
「そうよねぇ。だとするとその――なんて言ったっけ、最初にカルテと写真を持ち出した男がネタの出所ってことよね。そいつがカネを借りてたところ、分かる?」
 アタシは首を振った。
「小宮とかいう男だけど、街金融としか聞いてないわ」
 話の途中で熊谷の物言いにカチンときて、話を中断してしまったからだ。
 アタシは自分の短気を後悔した。トモミさんにそう言うと、彼女は「しょうがないわよ」と言った。
「あんたは刑事でも探偵でもないんだから。でも、それでおおよその見当はつくわね」
「どういうこと?」
「多分、その街金はFBRと繋がりがあるところだったんじゃないかしら。小宮――だっけ?」
 アタシは頷いた。
「そいつが追い込みをかけられて「カネが手に入る目途がある」とか何とか、そういうことを喋ってたとか。小宮もディスクを取り上げられるほど馬鹿じゃなかったんだろうけどね」
「そのFBRって会社、何処にあるの?」
「グランドハイツ大名ってマンション、知ってる? 中央区役所の近くなんだけど」
 トモミさんが放ってよこしたメモ紙には大名二丁目の住所が書いてあった。どのマンションかは知らないけれど、近くに行ってみればすぐに分かるだろう。

 アタシはそのメモを畳んでポケットに押し込んだ。
「ところで、大沢が何故、警察を辞めたのかは分かる?」
 トモミさんは肩を竦めた。
「そこまでは、ね。時間があれば調べてもらうことは出来るけど」
 一瞬、どうしようか迷ったけれど調べてもらうことにした。トモミさんは「分かったらメールを送るわね」と言った。
「トモミさん、メールなんて打てるの?」
「バカにしないでよ。昔はお客様にお礼の葉書とか出していたけど、最近はそんなのまでメールに取って代わられてるんだから。スタッフにバカにされたくないからずいぶん勉強したのよ」
 トモミさんは顎をしゃくって、リビングの隅に鎮座するデスクトップを示した。モニタを睨みつけながらキーボードと格闘するトモミさんを想像して、アタシは何だか微笑ましい気分になった。
「じゃ、その成果を見せてもらうわ。メール、よろしくね」
 時計は十二時半を指していた。そろそろ行かないと三村との約束に遅れてしまう。
「いろいろ教えてくれてありがと。じゃ、アタシ約束あるから、そろそろ行くね」
 アタシは立ち上がった。
 トモミさんは猫の背中を撫でながら、ワイングラスを手に取った。
「いきなり押しかけてきて、変なことばっかり頼んでごめんね」
「いいのよ。アンタは私の娘みたいなものなんだから。それとも、こんな厚化粧のおばさんは嫌?」
 アタシは首を振った。
「ありがと、ママ」
「どういたしまして」
 トモミさんは穏やかな微笑を浮かべていた。
 アタシは急に照れ臭くなって「……じゃあね」と言ってその場を辞した。







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