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砕ける月

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  第 26 章  

 ハードロック・カフェの店内にはシェリル・クロウの「エヴリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード」が流れていた。
 サックス・ブルーのオックスフォード・シャツとローライズ・ジーンズのフロア係の女性に待ち合わせであることを告げて、ざわついた店の中に入った。
 時刻は一時を少し過ぎたところだった。ギターを模ったバー・カウンターの方から一段、低くなっているフロアを見渡した。
 アタシが三村美幸を見つけるよりも早く、彼女のほうがアタシを見つけて手を振った。
 彼女は窓際のテーブル席に陣取っていた。すぐ傍にはこの店のシンボルと言ってもいいエルヴィス・プレスリーのステンドグラスがあって、三村はその足元の辺りにいた。ちょうど見下ろされるような格好だった。
 アタシは早足で店内を横切った。ホークスはビジターでどこかに出掛けていてドームでの試合はなかったけど、昼下がりの店内はそれなりに混んでいた。
「ゴメン、待った?」
 アタシは空いている椅子にヘルメットとバックパックを置きながら言った。見ると、その反対側の椅子にもフルフェイスのヘルメットとバイク用のレザージャケットが置いてあった。
「あれっ、部長ってバイク乗るんだ?」
「学校には内緒よ」
 三村は眉根を寄せて、唇に人差し指を当てる仕草をしてみせた。
 目尻がちょっと下がり気味なのを除けば、大陸系のいわゆるアジアン・ビューティー・タイプの整った顔立ちだ。
 キレイなストレートの髪は夏休み前までは肩甲骨くらいまであったのが、思い切ったショートボブになっていた。左胸に”RealMadrid.com”のロゴの入った白いポロシャツとブーツカットのジーンズという格好だった。ほっそりと引き締まった体躯と、それと不釣合いに――正直、ジェラシーを感じるほど――大きく盛り上がった胸元が目をひく。
 もっとも本人にはコンプレックスらしくて、いつもきつめのスポーツブラで押さえつけているのをアタシは知っていた。人間誰しも悩みはあるのだ。
「それと、部長っていうの止めてくれない?」
 三村が言った。
「じゃあ何て呼べばいいのよ? 三村さん?」
「美幸でいいよ。私もあなたのこと、真奈って呼ばせてもらうから」
 いきなりの提案だけれど初対面なわけでもないし、特に異議はなかった。
 ただし、自分の中で定着してしまった呼び名を変えるのは結構骨の折れる作業で、ちゃんと意識していないと”部長”か”三村さん”と呼んでしまいそうだった。福岡県民の多くが未だに福岡ソフトバンク・ホークスを「ダイエー」と呼んでしまうのと同じことだ。
 今にも中が覗けそうなミニスカートのウェイトレスがお冷を持って注文をとりに来た。三村――美幸はベジタブル・サンドウィッチとジンジャーエールを、アタシはチーズバーガーとオレンジジュースを注文した。
 ウェイトレスが行ってから美幸が声を潜めた。
「……すごいミニだよね。ちょっと前屈みになったらパンツ見えそうだし」
「ホントだね。ま、中には何か履いてるんだろうけどさ」
「私にはムリね、あんなの。さ――真奈は似合うんじゃない、ああいうの。脚、長いし」
「やめてよ。それと今、榊原って言おうとした」
「あ、ゴメン」
 美幸はバツの悪そうな微笑を浮かべた。
 多分、アタシも似たり寄ったりの表情なのだろうなと思った。
 由真を除けばアタシは滅多に同世代の女の子と話さないし、美幸もそんなアタシとどんな風に話せばいいのか分からないようだった。
 中学生の初デートのようなぎこちなさを漂わせながら、注文した料理が届くのを待った。
 その間、二人でポツポツと話したことと言ったらアタシの能古島合宿のことや夏休み明けに行われる試合のこと、要するにアタシたちの共通項である空手の話だけだった。お互いに何の話をしにきているのかは自覚していたはずだけれど、それを切り出すタイミングは掴めなかった。
 そうしているうちに二人分の料理が届いた。
 チーズバーガーはちょっとしたヴォリュームで、それだけでお腹いっぱいになりそうだった。
 会話というものの存在が頭からすっぽり抜け落ちたように、互いに黙ったままでそれを口に運んだ。
 早食い競争のような勢いでチーズバーガーを平らげて、やけくそのように盛られた付け合わせのフライドポテトもオレンジジュースで流し込んだ。美幸も早々にサンドウィッチを片付けていた。
 ウェイトレスを呼んで食後のコーヒーを注文した。美幸も同じものをと言った。どうすればあんなに自信満々に太腿を出せるのだろうと思いながら、ミニスカートの彼女が去っていくのを見送った。
 美幸が少しわざとらしい咳払いをした。
「――そろそろ、本題に入ろっか」
「そうだね。由真のことで心配してることがあるって言ってたっけ?」
「それなんだけど、これから話すことは絶対に内緒にしてよね」
「オーケー」
 美幸は頷いて話し始めた。
 彼女の話はやはり百道浜の徳永家のマンションで起きた出来事についてだった。
 徳永祐輔の乱心の現場に出くわしたのは彼女で、不意の来訪者に驚いた(それで我に返ったらしい)祐輔は由真を置いてその場を足早に立ち去っていた。
 細かいディテールはともかく、概ね熊谷の話から予想していた内容と同じだった。
 由真は最初こそ子供のように泣きじゃくっていたけれど、小一時間ほどして落ち着いてからは、逆にこのことについて沈黙を約束させる気丈さを取り戻していたらしい。
 アタシはそれを胸の潰れるような想いで聞いていた。
「かなりのショックだったと思うのよね。彼女、お兄さんとすっごく仲良かったし。でも私、由真があんなに気が強いと言うか、しっかりしてるとは思わなかったわ。取り乱したのは最初だけで、あとは信じられないくらい落ち着いてたもの」

「……そうなんだ」
「でも、私にはそれが逆に危なっかしく思えてね。それで、出来るだけ連絡をとり続けようと思ってて、実際、毎日メールしたり、二日に一回は何でもない用件でも電話したりしてたの」
「ところが、急に連絡が取れなくなったってわけね」
 美幸は頷いた。
「最後に電話で話したのはこの前の日曜日かな。月曜と火曜は私のほうが忙しかったんで、メールだけ送ったの。最後に来た返事はコレよ」
 美幸はケイタイのメールを見せてくれた。
 彼女が送った<元気? 何してるの?>という短いメールに対して、<今、天神で真奈とお買い物中。すっごい水着買ったよ。あとで写真とれたら送るね。P.S.今日は暑いねー。ホント、溶けそうだよ>という返事だった。
 由真が最後にメールを送ったのは八月九日、合宿の前の日にアタシが由真と街を遊び歩いた日の昼下がりのことだった。
 たった四日前のことなのに何だか遠い昔のような気がした。
「水曜日には電話したの?」
「うん。でも、急に繋がらなくなってたの。最初は電池切れかな、と思ったんだけど、それから全然繋がる気配もないから、だんだん心配になってきて……」
「それで、アタシに連絡してきたってわけね」
 話を聞きながら、アタシは胸に蟠るモヤモヤしたものを感じていた。
 想いの正体は分かっていた。我ながらくだらないと思うけれど、それは由真に手を差し伸べていたのが自分ではなかったことへのジェラシーだった。しかし今はそんなことを言ってる場合じゃなかった。アタシは内心の葛藤をひとまず抑えつけた。
「ところでその――不幸な出来事のあと、由真はどうしたの? 自分ちにいたの?」
 由真が家を飛び出したことは熊谷から聞いて知っていたけれど、それは言わなかった。
 自分しか知らないはずのことをアタシが知っているとなれば彼女も態度を変えるだろう。相手が与えてくれるかも知れない情報をこっちから拒む理由はなかった。
「その日は私の家に連れて帰ったわ。やっぱり、そんなことがあった場所にはいたくないだろうなって思って。同じ百道浜ですぐ近くだし、うちの親は私の友達が泊まりに来ても何も言わないから」
「ずっと泊まってたの?」
「えーと、一週間くらいかな。あれは終業式の三日前だったから――七月の十六日に急に出て行っちゃったの。もっと居ていいって言ったんだけど、彼女が他に泊めてもらえる当てがあるって言うから」
「どういうこと?」
「それがさ、よく訊いてみたらその当てっていうのが男の子のところだって言うじゃない」
「へぇ……」
「私としては行かせたくなかったんだけどね。でも、そういうのって無理に引き止められるものでもないし。だから結局、気をつけてね、いつでも相談に乗るからねって言って送り出すしかなかったわ」

「その男がどこの誰かは訊かなかったの?」
「さすがにそこまでは、ね」
 ところが美幸は意味ありげな微笑を浮かべた。
「だからさ、実は終業式の日に学校から帰るところを後をつけたの。こっそりね」
「……何だか探偵みたいだね」
「ちゃんとそういう本も読んだのよ。本当に探偵やってる人が書いた、尾行の仕方とかが解説してあるのをね。実際にはあんまり参考にならなかったけど」
 いかにも彼女らしい話だった。

「誰のところに泊まってたの?」
「それがさ、徳永さんが泊まってたのは男の子のところじゃなくて、吉塚駅の近くのウィークリー・マンションだったの」
「また、何でそんなところに……」
 吉塚駅は博多区と東区の境目にあるJRの鹿児島本線と篠栗線(福北ゆたか線)が分岐する駅だ。
 博多駅の隣駅で時間も五分とかからないので、駅周辺には中心部よりは若干家賃の安い賃貸マンションが多い。住んだことはないけれど、その辺りは県庁や県警本部のある東公園にも近くて道に迷わない程度には土地勘はあった。
「由真はそこに住んでたのね?」
「そうみたい。本当は中について行って何号室かまで確かめたかったんだけど、入口がオートロックで入れなかったのよ。それにああいうところには郵便受けがないから、それを見て確かめることも出来なかったし」
「なるほどね」

 アタシは嘆息した。
 男のところと聞いて、アタシが最初に思ったのは高橋拓哉のところだった。しかし高橋は親と同居しているし、母親は息子が女性と付き合っていることに気付いていないフシがあった。高橋邸がよほど広大なお屋敷でもない限り、内緒で由真を匿うことなど出来はしない。
 その点、ウィークリー・マンションなら比較的、容易に居所を確保できる。料金は決して安くはないはずだけれど由真には問題ではなかっただろう。
 アタシが頼むと、美幸はバッグからボールペンと手帳を取り出してマンションの地図を描き始めた。
 彼女が地図を描いている途中でコーヒーが届いた。
 アタシはそれを啜りながら吊られたモニタを見た。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「バイ・ザ・ウェイ」のプロモーション・ヴィデオが映っていた。彼らの曲にしてはポップなメロディと、裏道をブッ飛ばすタクシーに連れ回されるアンソニー・キーディスを眺めて時間を潰した。
 地図が描き上がると美幸はそれをアタシによこして、満足そうにコーヒーに口をつけた。
 地図の縮尺が丸っきりデタラメなのには閉口したけれど、それでもおおよその場所は見当がつきそうだった。辺りを二、三周すれば何とかなるだろう。
 それからしばらく由真の行方についてとりとめのない話をした。

 ほとんどが想像の域を出ない上にすぐに「どこ行っちゃったんだろうね?」という台詞に戻る堂々巡りで、率直に言って無駄話以外の何者でもなかった。
 それでも会話の中でいくつか分かったこともあった。由真は美幸にはディスクのことや恐喝に関わることを喋ってはいなかった。それと自分の生い立ちについても話してはいなかった。
 話が尽きて、帰ることになった。レジでそれぞれに支払いを済ませて店を出た。以前からレジ横のスペースで売られているTシャツやキャップを見ようと思っていたのだけれど、今はお買い物をする気分じゃなかった。
 美幸はホークスタウンの駐輪場に、アタシは道向かいの九州医療センターにバイクを停めていた。アタシは彼女のバイク見たさに駐輪場まで着いていった。
 彼女のバイクはマットブラックに塗装されたドゥカティ・モンスター400だった。
 イタリア製のバイクで、国産メーカーの機体にはないマッチョなボディラインがその名前を納得させるものにしている。新車で買えば総額百万円近くする代物で、アタシは改めて自分が通っている学校がお金持ちの子女が通う学校なのだということを思い出した。
 彼女がレザージャケットを着る間、アタシは傍らでヘルメットとバッグを抱えていた。顔に小さな水滴が当たる感触がした。雨が降り出すのにそう時間はかからないようだった。
「じゃ、マンションに行って何か分かったら連絡するね」
「よろしく。こっちも何か思い出したら連絡するわ」
 アタシと美幸は顔を見合わせて、どちらからともなく微笑を浮かべた。
 それは由真の身に起こった不幸な出来事を通じてではあるけれど、少しだけお互いを理解し合えたことに対する、いくらか照れの混じったものだった。
 美幸はヘルメットを被ってシートに跨り、ドゥカティのエンジンをスタートさせた。

 アタシのバンディットとは比べ物にならないくらい低くて太い排気音だった。二、三回アクセルを空ぶかしすると轟音に近くを歩いていた家族連れが驚いて足を止めた。彼女は気にする様子もなく駐輪場からバイクを出した。
 西区方面に向かう車線に滑り出ると、美幸はアタシに向かって片手を挙げて「じゃあね」という感じの合図を送った。アタシも同じように合図を送り返した。
 美幸はヘルメットのシールドを下ろして、カタパルトから打ち出された戦闘機のような勢いで走り去った。







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