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砕ける月

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  第 27 章  

 ドドドドド、という野太いエグゾースト・ノートを轟かせて福岡ドームの隣、シーホーク・ホテルの車寄せに入ってきたのは、豪奢でエレガントな造りにはまるでそぐわないファイア・パターン入りの黒いシヴォレー・カマロだった。
 何と場違いなクルマだろうと思うのと同時に、嫌な予感がアタシを捕らえていた。
 残念ながらその予感は見事に的中していた。
 運転しているサングラスをかけたガラの悪い男を見て、アタシはその場を立ち去りたくなる衝動に駆られた。しかし、そうするよりも先に梅野がカマロの窓から顔を出して大声でアタシの名前を呼んだ。
「真奈さん、スンマセン。遅くなりましたぁ!!」
 アタシは思わず周囲を見渡した。お仕着せを着た中年のドアマンは礼儀正しくアタシとカマロを無視してくれた。
 拳を固く握り締めながら素早くカマロの助手席に乗り込んだ。
 ただでさえ低い車体が、サスペンションをいじってあるせいで地面に這い蹲るようにさらに低くなっていた。
 アタシはヘルメットとバックパックを後部座席に放り込んだ。ドアに埋め込まれたウーファーからは何の曲か分からないくらいの音量で重低音が鳴り響いていた。
 アタシはカーコンポのパネルに手を伸ばしてヴォリュームを下げた。曲は布袋寅泰の「アップサイド・ダウン」だった。
「ひょっとしてコレ、梅野さんのクルマなんですか?」
「いえ、アニキのですよ。スッゴイ目立つっしょ?」
 自慢げな口調だった。
 確かに思わず振り返って眉を顰めたくなるほど目立つクルマだった。どうせなら窓にきっちりスモークフィルムを貼っておいてくれると良かったのだけれど、そういうところは違法改造されていなかった。アタシは知り合いとすれ違わないことを祈った。
 美幸と別れてから、アタシはすぐに梅野と連絡をとっていた。

 雨が降りそうだからという理由で梅野はクルマを出してくれた。雨に濡れないところで待ち合わせることになり、梅野がシーホークの前で待っていてくれと言ったのだ。
 もちろんありがたいなとは思うけれど、クルマがコレだと知っていたら即座に断ったに違いなかった。
 ドリンクホルダーに買っておいた缶コーヒーを突っ込んだ。アタシのはいつものようにブラック、梅野のは微糖タイプのものだった。
「あ、サンキューっす。よく俺の好み、知ってましたね?」
「ええ、まあ」
 梅野は嬉しそうだった。アタシは曖昧に誤魔化した。実は適当に買っただけで梅野の好みなど知るはずもなかった。でも、そう思っているのならそういうことにしておいた。
 カマロは車寄せを離れて道路に出た。ホークスタウンの傍らを通り過ぎて、よかトピア通りを東区のほうに曲がった。
 交差点でこっちを見て笑いの混じった感嘆の表情を浮かべているカップルと目が合った。アタシはダッシュボードに放ってあったサングラスをかけた。
「……雨、降ってますけど、そんなに眩しいっすか?」
「ええ、まあ」
 アタシは再び曖昧な返事をした。梅野はそれ以上、追及してこなかった。
 カマロは福浜団地前を通り過ぎて西公園ランプから都市高速に乗った。
 本線に乗ると博多湾の向こうに海ノ中道が霞んで見えた。雲が低く垂れ込めていて、空は白っぽい灰色から重苦しい鉛色に変わろうとしていた。
 フロントグラスに当たる水滴も結構な量になっていた。梅野は小さく舌打ちしてワイパーのスイッチを入れた。
 舌打ちの理由はすぐに分かった。ワイパーは微妙な異音を立てながら扇型の筋のような拭き残しの線を作っていた。
「ホントね、こういうとこ、アメ車ってボロなんすよねぇ。ま、もう十年選手っすから仕方ないけど。まっすぐショップに行きますか?」
「そうですね……。実は他に、ちょっと寄りたいとこもあるんですよね」
 アタシは美幸が教えてくれた由真の隠れ家の話をした。梅野は興味深そうに聞いていた。
「オッケー、じゃ、先にそっちに行きましょうか」
「芳野先生、それまでいますかね」
「いるでしょ。帰ってたら、家まで行けばいいんだし」
 それは梅野の言うとおりだった。アタシは吉塚駅の近くまで行ってくれと言った。カマロは千鳥橋のジャンクションで都市高速一号線から二号線に入った。
 
 千代ランプで都市高速を降りると吉塚はすぐだった。
 妙見通り沿いのトイザらスやファーストフードが立ち並ぶショッピングモールにカマロを停めて、マンションまでは歩いていくことにした。美幸の地図が正確ならばマンションは駅からあまり離れてはいないところのはずだった。
「傘、一つしかないっすよ?」
 梅野はトランクから傘を取り出して言った。大き目の紳士用の傘だったけど、二人で入るにはちょっと役不足の感は否めなかった。
「いいです、アタシ、濡れても平気ですから」
「そういうわけにはいかないっすよ」
 若干の押し問答の末、二人で相合い傘をしていくことになった。
 誰かに見られたら大変なことになるのだけれど、梅野は何となく嬉しそうな顔をしていたし、アタシも「まぁいいか」という気分になっていた。
 梅野はアタシのほうに傘が余計に被さるような持ち方をしていた。撥水加工のしてあるパーカーを羽織っているのに、ほんの二、三百メートル歩いただけで梅野の肩や髪はびっしょり濡れてしまっていた。
 篠栗線の高架下に入って、アタシはハンカチで梅野の濡れた顔と髪を拭った。
「ごめんなさい、待っててもらえば良かったですね」
「気にしないでくださいよ。それより、マンションってあの辺じゃないっすか?」
 梅野は顎をしゃくった。
 アタシはポケットから地図を引っ張り出した。
 確かにビルの谷間から美幸が目印だと書いている病院の看板が見えた。地図ではほんの少ししか離れていなかったけど、実際には結構な距離だった。
 文句を言っても始まらなかった。さっきよりも体を寄せてマンションまで歩いた。梅野の頬が緩んでいるような気がしたけれど、それは気にしないでおくことにした。


 吉塚パークサイド・ヒルズは東吉塚の郵便局に程近い、表通りから一本裏に入ったところにあった。
 ご大層な名前とは裏腹に何の変哲もない、鉄筋六階建てのワンルーム・マンションだった。
 郵便受けはチラシやダイレクト・メールの投函を防ぐために蓋がされていた。グレーのタイル貼りの壁には”入居者の皆様へ”という張り紙がしてあった。正面には管理会社の電話番号と所在地が記されたプレートがあった。
 美幸の話どおり、入口はオートロックになっていた。
「ここがその、由真さんが住んでたマンションなんですか?」
 アタシはそうだと答えた。梅野はアタシが渡したハンカチで肩の辺りの水滴を拭いていた。
「そうは言っても、何号室かも分かんないんですよね。郵便受けとか表札があるわけじゃないし」
「そうっすね。ま、どうせカギがないんじゃどうしようもないでしょうけど」
「玄関周りの何処かに隠してると思うんですけどね」
 アタシは由真がよくカギを忘れて出かけるので、百道浜のマンションでそうしていることを説明した。ただ全部の部屋の前で怪しそうなところを見て回るわけにはいかなかった。
「こういうとこっておカネさえあれば、未成年でも借りられるんすかね?」
 梅野はロビーの中を眺めながら言った。いつの間にかタバコを咥えて使い捨てライターの石を擦っていた。湿って上手く火がつかなくなっているようだった。
「そうですねぇ。どうなんだろ。――やっぱムリなんじゃないですか」
「だったら、由真さんはどうやって借りたんすかね?」
「知り合いに借りてもらったとか……」
「誰に?」
「……誰でしょうね?」
 高橋拓哉は何歳なのだろうかと思って記憶を探った。入院先の病院のコーヒーラウンジで村上に話を訊かれたとき、十九歳だと言っていたのを思い出した。
 ということは、このマンションを借りたのは高橋ではない、ということになる。一体、誰の名義になっているのだろう。
 せめて何号室に住んでいたのかさえ分かれば管理会社に訊きようもあるのだけれど、それさえ分からなければお手上げだった。
「とりあえず、これを控えて帰りましょうか。――あれっ?」
 考え事をしているうちに梅野の姿が見えなくなっていた。
 外に出てみると梅野は通りからマンションのベランダを見上げながら、ケイタイで誰かと話していた。
 そばまで行こうと思ったけど傘は梅野が差していた。やがて梅野はケイタイを畳んで尻ポケットに押し込んだ。アタシは大声で梅野を呼んだ。
「梅野さん、何してるんですか?」
「いや、ちょっと。そうだ、ちょっと来てくださいよ」
 梅野はアタシを手招きした。アタシは一瞬、躊躇したけれど思い切って傘の中まで走った。
「どうしたんですか?」
「アレ、お友だち――由真さんのじゃないっすか?」
 梅野が指差していたのは三階の一番端の部屋のベランダだった。ベランダには(少なくとも見えるところには)何も干されていなかった。
「どれがですか?」
「窓を見てくださいよ。カーテンが半開きになってるとこっす。カーテンのレールに掛かってる制服、アレ、真奈さんとこの学校のじゃないんすか?」
 それは一見、普通の白いブラウスのように見えた。でも、よく目を凝らして見ると確かにウチの夏服のような小さめの襟と胸元のフリルが付いていた。
「そうです、間違いないですよ!!」
 諦めかけていたことに光明が差して、アタシは思わず興奮気味になっていた。

 あの日、バスの窓越しに視線を交わして以来の、ようやく見つけた由真の痕跡だった。
 アタシは周囲を見回した。
 三階のベランダによじ登るのは容易なことではなさそうだった。身軽さと腕力に自信があると言ってもベランダの縁に指をかけて体を持ち上げるのは相当に難しいし、それ以前に道路に面したところでそれをやるのはまずい。
 オートロックをくぐり抜けて、ドアの前を捜せばカギがあるかもしれない。
 アタシは傘から飛び出してマンションの表に戻った。
 もちろんそう簡単に侵入できるような造りにはなっていないし、非常階段の類もなかった。
 それでもオートロックの建物というものには――主に火災のときの避難上の理由からだと思うけど――いざとなれば飛び降りられる(ということはよじ登れる)ところがあるものだ。
 祖父母と同居するまではそういうところにばかり住んでいて、何度もオートロックに詰め出された経験を持っているアタシはその道のオーソリティだった。
 どこから入れるかを品定めするために裏手に回ろうとしたところで、追いかけてきた梅野に腕を掴まれた。
「ちょっと待って。ひょっとして忍び込むつもりっすか?」
「もちろんよ。だって、あそこに由真が――」
「お願いっすから少ーし落ち着きましょうよ、真奈さん。マズイっすよ、こんなに真っ昼間に」
 腕を掴んでいる梅野の手に力が篭った。アタシは思わず梅野を睨みつけた。
「ジャマしないでよ」
 腕を振りほどこうとしたのに振りほどけなかった。痩せていて貧弱そうに見えてもそこはやはり男の腕力だった。アタシは反射的に拳を握った。
 でも、それを振り上げない程度の冷静さはまだ残っていた。
 アタシは梅野の目を覗き込んだ。アタシよりもそれは少しだけ高いところにあった。梅野は初めて見る厳しい目つきでアタシを見下ろしていた。
 自分の中の怒りが急速に萎んでいくのを感じた。
「あの――手、痛いんですけど」
「あ、イヤ、スイマセン」
 梅野は慌てて手を離した。スイマセンを繰り返しながら、言い訳のようなことを口の中でゴニョゴニョと呟いていた。アタシは握られていたところをさすった。
「そうですよね、ムチャですよね」
 アタシは項垂れた。カッとなっていたとはいえ自分のバカさ加減が嫌になった。もし住人に不法侵入を見咎められるようなことになったら、由真を捜すどころではなくなってしまうというのに。
「……どうすればいいんだろ?」
 アタシは呟いた。梅野はいつの間にかアタシが濡れないように傘を差しかけてくれていた。
「暗くなるまで待ちましょうよ。どの部屋に人がいるかが分かれば避けようもあるし、カギを探すのだって暗がりだったら、それっぽく見えるじゃないっすか」
「……そうですね」
「大丈夫っすよ。俺、手伝いますから」
 ついさっき思い切り剣呑な眼差しを向けたアタシに対して、梅野はニッコリと笑ってくれた。
 アタシは何だか救われた思いがして、素直にコクリと頷いた。








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