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砕ける月

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  第 39 章  

 梅野と連絡がとれたのは六時を少し回った頃だった。
 家に帰ろうかどうか迷って、西鉄薬院駅のドトールで考え事をしているところだった。見たことのない番号からの電話に出てみたら梅野からだったのだ。
「何してたんですか、今日一日!? 電話はぜんぜん直らないし!!」
 アタシは店の中だというのも忘れてケイタイに向かって大声を出した。朝からほったらかしにされて腹を立てていることにアタシは今頃気がついた。
「いや、スンマセン。実は……」
 梅野はクドクドと言い訳をし始めた。
 要約すると”ケイタイの修理にNTTのショップに行ったら、修理よりも先に未払いだった料金の支払いを求められて、買い替えるには手持ちが足りなくなってしまった”ということだった。今、使っているケイタイは福岡に戻ってきてから、お兄さんから借りたおカネで買ったプリベイドタイプのものだった。
「まあ、梅野さんのケイタイが壊れたのはアタシの責任ですけどね」
「いや、まあ、そんなことないっすけど……」
 しかし、言ってくれれば何とかしたものを――何かの場合に備えて、祖父からクレジット・カードを持たされているのだ――と思いながらアタシは今日一日のことを話した。
「……はぁ、そんなことがあったんすか。それじゃ、あとはそいつらを見張って、由真さんが何処にいるのかが分かればオーケーってことっすね」
「そう簡単にいけば苦労しないんですけどね」
 でも、やるべきことはそうなのだった。
「それより梅野さん、何処に行ってたんですか?」
「久留米に行ってたんすよ」
「えっ?」
 アタシが眠っている間に新聞社のデータベースを検索してもそれらしき記事を見つけることの出来なかった梅野は、久留米在住のヤンキー時代の友だちを頼って現地へ行ってみたらしかった。アタシを起こさなかったのは疲れていそうだったからと梅野は言ったけれど、アタシとその友だちを会わせたくなかったからでもあるようだった。
 この男は普段、友人のことは”ダチ”または”ツレ”としか呼ばない。オンナの勘によればどうも友だちというのはかつての彼女のようだったので、それ以上突っ込むのはやめておいた。
「で、何か分かりました?」
「いやあ、久留米中央パーキングなんて言うから街のど真ん中にあるもんだとばっかり思ってたら、すっごい外れにあって、ホント参ったっすよ。田主丸ってどの辺か分かります?」
 アタシは記憶を探った。
「それ、久留米じゃないんじゃ?」
「平成の大合併で久留米市になったそうなんすけど」
「ああ、なるほど」
 記憶に残っている何となくのイメージでは”朝倉平野にある果樹栽培で有名なところ”という感じの町だった。確かに由真はフルーツ好きだけど、二人してわざわざ出かけるようなイベントをやっているところではないはずだ。
「そんなところにあの子たち、何の用事があったんだろ?」
「それなんすけどね」
 梅野の声のトーンが下がった。
「あんまり良くない知らせがあるんすよ。二人がいなくなったのって八月十日の深夜だったっすよね。その前の日の昼間、田主丸で空き巣があったんすよ。婆さんが一人で住んでる一軒屋なんすけど、この婆さんが日課の、なんていうんですかね、老人ホームからお迎えの来るヤツ」
「デイケアのことですか?」
「そう、それっす。それで出かけてる間にカギをぶっ壊して入られたみたいなんすよね。被害金額とかは分かんないんすけど」
「それがどうかしたんですか?」
「この事件の日とその前の日、近所をウロウロしている黒い小型車が目撃されてるんすよ。ホンダのやつが」
 黒いホンダの小型車?
「まさか、CR−X?」
「そこまで特定はされてないっすけどね。でも、この家と例の駐車場は何とか歩いて行き来出来る距離なんすよ」
「じゃあ、残ってたレシートの日は二人して空き巣の下見に行ってたってこと?」
「そう考えていいんじゃないんすかね」
「でも、そんなところに空き巣に入るなんて何の意味があったんだろ。そのお婆さん、名前は何ていうんですか?」
「えーっと、クマガイヨシエさん、ヨシコさん、どっちだったかな……」

 由真がブログに書いていた”オリジナル”の在処。
 彼らがそれを久留米市田主丸町にある熊谷の実家と考えた可能性は充分にあった。
 オリジナルというのが何なのかは分からないけど、それは人目に触れてはいけないものなことは間違いない。熊谷がそれを隠しておくのに自分の実家を選んだのは、自然な心理といえるだろう。
 空き巣が入ったのは八月十日の前日、つまり八月九日の昼間。由真が脅迫メールを送りつけた日で、その日は由真は夕方までアタシと一緒だった。つまり空き巣に入ったのは高橋一人だったことになる。
「由真はブログでオリジナルは処分するって書いてましたけど、手には入れられたんですかね」
「……それはどうっすかね」
「どういう意味ですか?」
「下見してたからって確証があったような感じじゃないし、空振りだった可能性があるっすよね。仮に手に入れたとしても九日の昼に手に入れておきながら、十日の夜に拘束される段階になっても告発文書が送られていないのはおかしいっすよね。時間は充分にあったわけだし」
「でも、目当てのモノが手に入らないのに脅迫メールを送ったっていうのは、筋が通らない気がしますけど」
 由真はブログで”それをどうにかしなければ、計画は失敗”とまで言っている。
「それは確かにそうっすね。すると、その”オリジナル”とやらを手に入れることは出来たけど、何らかの理由で告発する条件を満たさなかったってことになりますね」
「そうですねぇ」
 議論はそこで唐突に終わった。結局のところ、由真の言う”オリジナル”が何を指すのか分からない以上、仮説は何処まで行っても仮説のままだった。
「それより、そのFBS」
「FBR。FBSは福岡放送でしょ」
「そう、それの見張りはどうします? 由真さんの居所を突き止めるのには、そいつらの動きを監視するしかないっしょ」
「そうですね。とりあえず、事務所のあるマンションにもう一回行ってみるつもりですけど」
「だったら、俺もそっちに行きますよ。メシは食べました?」
 アタシはまだだと答えた。あとで会って話すときに、一緒に何か食べに行くことになった。
 八時に天神地下街で会うことにして電話を切った。

 二日連続で帰らないわけにもいかないので家に帰ることにした。
 二人とも出かけていることに微かな望みをかけていたのだけれど、無情にもガレージにはアウディが鎮座していた。祖父のメルセデスはなかった。
 どういうわけだか、二人は一台のクルマで出かけるということがない。つまり、祖母は間違いなく家にいるということだった。
 バンディットをガレージに停めて母屋に上がった。鳩尾の辺りが鉛のカタマリを抱え込んだように重かった。朝帰りの翌日は無残外泊。そしてまた夜遊び(遊びじゃないけど……)に出かけようとしている。まごうことなき不良娘だ。
「……ただいまぁ……」
 恐る恐る灯りの点いていたダイニングに入ると、祖母はダイニングのテーブルに突っ伏したままで眠っていた。
 一瞬、まさか昨夜からそうだったのかと思ったけれど、身なりを見るとそういうわけじゃないようだった。それでも祖母がこんなところで転寝をしているのを見るのは滅多にないことだった。
 アタシはさっきとは違う意味で苦いものを飲み込んだような気分になった。
 しばらく突っ立ったままで祖母を見下ろしていると、気配を感じたのか小さく身じろぎをして祖母は目を覚ました。
「……ん、ああ、真奈。帰ってたの?」
 祖母は顔を上げると、少し焦点の定まらない眼差しをアタシに向けた。
「あらら、こんなところで寝ちゃうなんてね。今、何時?」
 祖母は壁の時計に眼をやった。骨董屋に並んでいてもおかしくない柱時計は午後六時半を指していた。
「あら、大変。御飯の支度しなくっちゃ。――あなたは? 食べるでしょ?」
「ううん、アタシ、また出かけるから」
 出来るだけ素っ気ない口調で言った。祖母はニッコリ笑って、そう、とだけ言った。
「何だか疲れてるみたいだけど、ちゃんと寝なさいよ。若いからってムリしてると体、壊すわよ」
 祖母は立ち上がると、台所に行って急須の中のお茶っ葉を新しいものに換えた。愛用の鉄瓶をコンロにかけて、冷蔵庫の上に置いてあるCDラジカセのスイッチをいれた。
 流れ出したのはトラジ・ハイジの「ファンタスティポ」だった。この人の音楽趣味もちょっと理解し難いところがある。
 狙っていたわけじゃないだろうけど能天気なダンスナンバーのおかげで、怒られるんじゃないかとちょっと身構えていたアタシは気勢を殺がれていた。
「そういえば、あなた宛に手紙が来てたわよ」
「えっ?」
「最近、お手紙をもらうことが多いのね。この前のと違ってきれいな字だけど」
 茶箪笥の抽斗から大判の茶封筒を取り出すと、祖母はそれをアタシに手渡した。
 祖母の言うとおり、高橋の丸っこい字とは違ってキレイに整った字だった。
 封筒には差出人の名前はなくアタシの名前だけが書かれていた。
 住所も郵便番号もなく、当然消印もなかった。と言うことは、これはこの家の郵便受けに直接投函されたということだった。触ってみると結構分厚い中身が入っていた。硬い板のようなものの感触もあって、アタシはこの事件の始まりだった高橋からの封筒を思い出した。
 アタシは「ありがと」と礼を言って、自分の部屋に行こうとした。
 祖母は何も言う様子はなかった。
 アタシはダイニングの出口で振り返った。
「何処に行ってたか、訊かないの?」
 アタシは言った。祖母はキョトンとした顔を向けた。
「どうして?」
「……どうしてって。普通、訊くもんじゃないの」
「言いたくないことは言わなくてもいいわ。あなただって年頃だもの、親に言えないことの一つや二つはあるでしょ。無理に訊けばあなたはウソをつかなきゃならなくなるわ。――でも、嘘はついて欲しくないから」
「そんなもんかな」
「よそは知らないけど、ウチはそうなの。奈緒子も――あなたのお母さんもそうやって育てたけど、あの子は真っ直ぐに育ってくれたわ。その娘であるあなたも同じだと思うけど」
「信じてるってこと?」
「そうね。自分の娘や可愛い孫娘を信じられないくらいなら、死んだ方がまし。もちろん、人を信じるってことは、本当はとっても大変なことよ。それに比べれば疑うほうが簡単だわ。でも、それじゃあんまり哀しいじゃない」

 アタシはコクリと頷いた。
「信じるっていうのは、すべてを受け入れるってこと。たとえ裏切られたとしても、嘘をつかれたとしてもね。PTAで話してると、その覚悟もないくせに”信じてる”って言葉で子供から逃げてる親が多いのに本当に驚かされるけど」
「……お祖母ちゃんらしいね」

 祖母はいつもと同じように柔らかい微笑を浮かべていた。
 名前は出さなかったけど、アタシは昨日から男の人の部屋に泊まっていたことを話した。このためにわざわざトモミさんに口裏合わせを頼んだのだけれど、こういう言い方をされては嘘はつけなかった。
「あなたが自分に恥じることがないのなら、わたしは何も言わないわ。でも……」
「でも、なに?」
「もしそういうことになったら、ちゃんと避妊はしなさいよね。まだ曾孫は欲しくないから」
 アタシは度肝を抜かれて言葉を返すことが出来なかった。祖母は一本とったと言わんばかりにケラケラと笑った。

 母屋のバスルームで浴槽に湯を落としながら、アタシは脱衣所で持ってきた封筒を開けた。
 中にはA4の紙が綴じられた冊子と厚手のボール紙で挟まれたCD‐ROMが入っていた。何となく感じていた嫌な予感は、残念ながら的中しているようだった。
 それは徳永由真の名前で出された医療法人敬聖会福岡中央病院の外科副部長、徳永祐輔による医療事故と、その後の隠蔽工作に関する告発書だった。
 告発書は事故の起こった概要について、カルテの細かいところを参照する形で始まっていた。
 事故が起こった背景については、最初の担当医(自身の都合で退職、との付記があった)の引き継ぎ時の重要事項の記載洩れが元で、後任の担当医となった祐輔が誤診に至ったのが原因としていた。更には祐輔が研修医として勤め、その後二年間在籍した関西の医大において、彼の専門が敬聖会の診療科目にはない小児科であったこと、外科医への専門転換が本人の希望ではなく病院の経営者側――つまり徳永夫妻の意向だったことが留意するべき事実として書かれていた。
 アタシには専門的なことはまるで分からなかったけど、医療事故そのものについては”カルテの通り”とするような記述が目立った。アタシが熊谷幹夫からと徳永祐輔本人から聞いた内容とも矛盾はしていないようだった。
 これは一つには敬聖会側にとっては医療事故の内容そのもので争う気はなかったこと、もう一つは告発文を書く由真の側にカルテの矛盾(そんなものがあるとしての話だけれど)を追求するだけの医学的な知識がないからだと思われた。
 文書は途中から医療事故後の敬聖会の動きを追う形になっていった。
 これは大筋では熊谷の言った通りだけれど、証拠として挙げるものがないせいか、前半に比べるといささかトーンダウンした内容となっていた。
 それが勢いを取り戻すのは、カルテ改竄の経緯に差し掛かる辺りからだった。
 これについては梅野がMOのデータを見ながら推測としてアタシに示した内容を、より詳細にしたものと言ってよかった。違っていたのは徳永祐輔名義の本物のカルテのほうを数回にわたるグループ内の転院を繰り返し、時期を見計らって現存しない診療所へ移すことで、通常の運用方法では検索出来なくする工作の部分くらいだった。これはカルテというものが、たとえ一度きりであとは病院に来なかった患者のものでも作成したものには保管義務が発生する関係で、電子カルテのデータからも削除が出来ないようにシステム上の制約が設けられているのが原因だった。
 カルテ改竄については身代わりを引き受けた村松俊二医師の素行問題や、彼と癒着していた業者に対する温情と言ってもいい処置などが傍証として挙げられていた。この部分にも具体的な証拠となりそうなものがないせいか、話の流れとしては納得できても、この文書だけで事件の内幕を証明したものとはなり得ていなかった。
 それでも、例えばこれをマスコミの記者が見れば”怪しい”とか”調べてみようか”という気にはなるだろうし、由真の文章もそれを期待しているような書き方だった。
 医療事故の告発文はそこまでだった。
 いよいよ本題の徳永麻子による村松俊二殺害に移るのかと思い、アタシは重苦しい思いと不謹慎ながら多少の期待を感じながらページを繰った。
 文書はそこで終わっていた。後ろのページはカルテをプリントアウトしたものが綴じられているだけだった。
「……どういうこと?」
 アタシは呟いた。
 湯がちょうどいいところまで溜まったので、告発書を脱衣所の濡れないところに置いて服を脱いだ。
 汗だらけの髪と身体を洗って湯船に浸かった。このところシャワーばっかりだったので、思わず声が出るほど気持ちよかった。
 どうやら由真はかなり折衷案的に――言い換えれば、可能な限り都合よく――事を運ぼうとしていたようだった。
 徳永祐輔の医療事故を告発して愛する兄を苦悩の日々から開放する。しかし母親の殺人事件については証拠となり得るものを消し去り闇に葬り去る。
 もちろんそれでも隠蔽工作を行ったということで、敬聖会は十分なダメージを受けるだろう。
 村松俊二の死も”疑惑”という形で再浮上するかも知れない。しかし、死体が火葬された今となってはそれが殺人だったことを証明するのは困難だと想われた。村松の死因が死亡診断書と明らかに異なることを証明するたった一つの証拠――死体を写した画像データがない限り。
 由真はすべてを消し去り――オリジナルを奪い、熊谷のコンピュータは高橋に破壊させるつもりだった――、自分は姿を消すつもりだったのだろうか。脅迫者に成り下がることで自分も痛みの一部を背負おうとしたのだろうか。
 だとすれば、それはあまりにも哀しい選択だった。








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