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砕ける月

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  第 44 章  

 警固公園の前、国体道路沿いに出ている屋台でラーメンと替え玉の遅い夕食を済ませて、アタシは福岡市役所の前の歩道のガードレールに腰を下ろしていた。
 市役所のだだっ広い前庭には正面の大きなガラスを鏡に見立ててダンスの練習をしているグループがいた。縄張りがあるのかどうか知らないけどキチンと住み分けがされていて、それぞれに自分たちのレッスンに余念がない。
 アタシは自分が踊ることにはまったく興味がないけど見るのは結構好きで、夜遊び時代にはよく暇つぶしに眺めていた。
 今も正面入口の前には男女混成の六人組がいて、ラジカセからは割れ気味の音で聴いたことのあるヒップホップの曲が流れていた。

 何度も出だしの部分を繰り返しているけれどなかなか上手くいかないようで、やがて振り付けを担当しているらしい小柄な女の子が音を止めて、大きな身振りで何かを主張しはじめた。他のメンバーはそれを当惑したような表情で聞いていた。
 アタシはそれを遠目に眺めながら河村靖子からの連絡を待っていた。
 別れ際に梅野に「これからどうするすか?」と訊かれて、アタシは「一度、家に帰る」と答えていた。そのときは本当にそうするつもりだったのだ。
 でも、梅野の背中が遠ざかるとアタシはぐずぐずと街に居座る理由を捜し始めていた。今さら梅野に嘘をつくつもりはなかったけど、悠長に構えてはいられないという焦りのような感情がアタシを強く苛んでいた。
 もちろんこんな夜中にできることは限られているし、身体の深いところにずっしりと重い疲労が溜まっているのも感じていた。ぐっすりと眠って頭をリフレッシュさせるべきなのは分かっていた。でも、自分にそんなことができるとも思ってはいなかった。

 電話はなかなかかかってこなかった。
 アタシは時間つぶしがてらに高橋の叔母に電話してみることにした。まさか自宅には立ち寄っていないだろうと思ったけど、念のためにだ。十二時を過ぎていたけれど、遅くまで離れで作業をしていると言っていたので問題はないだろう。
 案の定、彼女は会ったときと同じ張りのある声で、ちょうど休憩に入ったところだと言った。
「どう、そっちは。捜してたお友達は見つかった?」
「まだ現在進行形ですね。拓哉さんから連絡はありませんでした?」
「ぜんぜん。もう大変なのよ。こんな状況なのに兄貴が中国から帰ってこれないなんて言い出すもんだから、姉さんがキレちゃって」
 高橋の話では父親は元商社マンで、今は自分の会社で取り扱う商品の買い付けに行っているという話だった。アタシは香椎の事務所の前にうず高く積まれていたダイエット茶(だろう、多分)のことを思い出した。
「あれから、警察は何か言ってきましたか?」
「それも何にも。あ、午前中に博多署の刑事さんが来て、拓哉の交友関係とか訊いてったけどね。何ていうのかな、ペ・ヨンジュンみたいな感じの人だったわ」
「……はあ」
 それはおそらく村上のことだった。

 パーツ的にはそんなに似ているとは思わない(メガネをかけた茶髪の優男というだけだ)けど、誰に似ているかと問われれば十人中八人はそう答えるだろう。まあ、笑わない微笑みの貴公子には何の価値もないような気がするけれど。
「ひょっとして、アタシのこととか言いました?」
「ううん、言わないわ。賢治くんのことだけよ。どうして?」
「いえ、特に意味はないんですけど。そういえば、その賢治くんってご近所に住んでるんですか?」
 高橋と久住は中学校からの遊び仲間だといっていた。校区が同じなら久住も舞松原周辺に住んでいることになる。
 でも、彼女の答えは違うものだった。
「ちょっと前までね。去年だったかな、久山に引っ越したのよ」
「久山? どの辺ですか?」
「役場の近くじゃなかったかしら。もともと、旦那さんの実家はそっちなんだけど、嫁姑の仲がすっごく悪くってずっと別々に住んでたんだって。それが去年、そのお祖母さまが倒れて面倒を見なくちゃいけなくなったから、そっちに引っ越すことにしたのよ」
「……よく、そんなよその家庭の事情をご存知ですね」
「田舎だもの。そういう話はすぐに広がっちゃうのよ」
 彼女はケラケラと笑った。お互いに何か分かったらまた連絡することを約束して電話を切った。
 そのタイミングを計っていたかのように、河村靖子からのメールが入ってきた。
 祐輔が運ばれたのは南区の脳神経科の病院で、偶然にもそこはウチの道場に来ている浦上さん(通称ガミさん)というオジサンがやっている病院だった。ウチの道場では稽古中にケガをすると自動的にそこに運ばれることになっていて、専門は整形外科だと思っている門下生も多い。東京から帰ってきたばかりの息子と二人でやっていることは知っていたけど、救急外来を受け入れているとは知らなかった。
 アタシは病院に行くべきか、ちょっと迷った。
 いくら知り合いの病院といっても祐輔に会わせてもらえるわけではない。
 警察だっているだろうし、駆けつけた徳永夫妻に出くわす可能性だってある。おそらく感情的になっている徳永麻子に会うのはちょっと憂鬱だった。別にこっちにやましいところはないけれど、そこへ現れた理由の説明が面倒だからだ。
 それでなくてもゴタゴタしそうな予感があった。母親と息子の恋人の初対面の場所としてERはあまり望ましいところではない。ましてや、アタシに病院を知らせたのがその恋人となればなおさらだ。
 祐輔の容態は河村靖子から知らせてもらうこともできる。わざわざアタシが行って話をややこしくする必要はなかった。
 そこまで考えてアタシは大きなため息をついた。
 アタシの迷いの原因は、仕方がなかったとはいえ大怪我をした祐輔を他人任せにしてその場を離れたことへの後ろめたさだった。もちろんそれはアタシの心の中の問題だし、今さら行ったところでそれが帳消しになるわけじゃなかった。
 もうしばらく考えてアタシはその病院へ行くことを選んだ。せめて容態くらいは自分の耳で聞いておきたかったからだ。
 アタシは歩道に乗り上げていたバンディットに跨ってエンジンをスタートさせた。
 ダンス・グループは口論を終えて練習を再開していたけれど、まだ出だしのズレは修正できないままだった。
 どんな話し合いがあったのか知らないけど、感情のぶつけ合いだけで分かり合えるほど世の中は簡単ではないのだろう。それは由真と両親も同じだった。
 一度、狂った歯車はそう簡単には元に戻らない。哀しいことだけれど

 河村靖子は浦上脳神経外科の灯りの落ちた待合室に独りで座っていた。
 アタシが入ってきたのに気づくと彼女はハッとしたように顔を上げた。少しブカブカのTシャツとジーンズというラフな格好で、メイクも人前に出る最低限といった感じだった。熱帯魚の水槽から洩れる蒼い光に照らされて彼女の顔も青ざめて見えた。
「――容態は?」
 アタシは訊いた。彼女は首を振った。
「まだ意識は戻ってないわ。CTで見る限りじゃ、骨折とか脳挫傷はないみたいなんだけど」
「そう、ですか」
 アタシはちょっと迷ってから彼女の隣に座った。
「なにか飲みます?」
「……ううん、いい。ありがと、気を使ってくれて」
 言葉とは裏腹に心ここに在らずといった感じだった。無理もないことだった。
 それっきり彼女は黙り込んでしまった。何と声をかけるべきか考えたけれど、かけるべき言葉は何もないことに気がついた。
 アタシも黙ったままで廊下の奥の処置室のほうに視線を投げた。
 この病院には何度も来たことがあるので、何処に何があるかはだいたい分かっていた。処置室の扉は半開きで暗い廊下に白い明かりが光の帯を作っている。中からは足音や人の声が聞こえた。何をしゃべっているかまではわからないけど、それほど緊迫したようには感じなかった。あるいはアタシがそう思いたいだけなのかもしれない。
 覗きにいきたい衝動を抑えてアタシは浮かしかけた腰を戻した。部外者が立ち入っていい場所じゃなかった。
「祐輔さんのご家族は?」
 アタシは訊いた。
 自分が訊かれているのだと気づいた河村靖子は、ちょっとうろたえたようにアタシを見た。
「えっと、院長先生が――お父様が来られるそうよ」
「お父様だけ?」
「ええ、理事長は具合が悪くて伏せってるからって」
「……へぇ」
 なんだか釈然としない思いがした。あの母親なら這ってでも息子のところに駆けつけそうな気がするのだけれど。よほど具合が悪いのだろうか。
「でも、河村さんがご両親より先に来たの、警察にはなんて説明したんですか?」
「それがね」
 彼女は声をひそめた。
「警察からは先にあたしのほうに連絡があったのよ。あなたから電話をもらってすぐ。祐輔が連絡先の分かるようなものを持ってなかったから、ケイタイの履歴に残ってた番号にかけてみたそうなの」
「そうなんですか」
「それで、あたしはご両親には自分から連絡するって言って、恐る恐る祐輔の家に電話したってわけ。いや、あんなに緊張したの、中学生のときに初めて男の子の家に電話して以来だわ」
 彼女の口調には、ちょっとだけ気が紛れたような明るさが戻っていた。
「まあ、ここに来る口実をでっち上げずに済んだのは助かったわ。まさか、事情も話してくれない女子高生から聞いたなんて言えないものね」
「……すいません」
「ホント、あたしだけ仲間はずれもいい加減にしてほしいものだわ」
 アタシはそこでこの場に警官の姿が見あたらないことに気がついた。
「ところで警察の人は? 表にはパトカー停まってましたけど」
 彼女はお巡りさんが二人いたと答えた。一人は診察室に、もう一人はどこかへ行ったらしかった。パトカーの助手席で無線を使っているのがいたので、多分その警官のことだろう。
「その二人だけ? 刑事とかいませんでした?」
 アタシは訊いた。
「ええ、いたけど。どうして?」
「あ、いや、深い意味はないんですけど」
 アタシが警戒しているのは村上の存在だった。同じ雑餉隈で起こった事件で事件に関わる人物も重なっている。村上が担当になる可能性は高かった。

 そうなればヤツのことだ、匿名の通報がアタシによるものだと看破するに違いなかった。
 もちろん、それだけで取調室まで引っ張っていくような無茶なことはしないだろうけど、身動きが取れなくなることは避けたかった。

 もし担当の刑事が村上なら、アタシは直ちにこの場を去るつもりだった。
「その刑事、どんな感じでした?」
「どんなって、えーっと、すっごく背が高くって、いかにも鍛えてるって感じの体つきで、そうねぇ、顔はイ・ビョンホンみたいな感じかな」

 アタシは思わず彼女の顔を見た。
「イ・ビョンホン?」
「そう。カッコいい刑事なんてドラマの中だけかと思ってたけど、実際にいるのね」

「……へぇ」
 それは別人と考えてよさそうだった。
 村上は背は高いけれど”すっごく”というほどじゃないし、イ・ビョンホンとペ・ヨンジュンでは、およそ顔の系統が違いすぎる。

 河村靖子のケイタイが鳴った。徳永圭一郎からで、夜間通用口の場所が分からないらしかった。彼女は迎えに行ってくるといって席を立った。
 アタシはポツンとその場に取り残された。
 処置室から白衣を着た若い医師が出てきた。ガミさんの息子で、福岡競艇場に入り浸りの父親に代わってこの病院の院長を務めている。専門外のケガで担ぎ込まれてくる患者を文句も言わずに診てくれる人格者だ。アタシも何度か診てもらったことがある。
 その隣には、真夏の夜だというのにダーク・スーツに身を包んだ長身の男が立っていた。
 アタシより少し低い程度のガミさんジュニアと頭一つ違って見える。頬骨の高い大陸系の顔立ちは確かにハンサムの部類に入れていいと思うけれど、件の韓流スターにはあまり似ていなかった。村上の”ヨン様”もそうだけれど人が”誰それに似ている”というのはほとんどの場合、思い込みに過ぎない。
 刑事はアタシを一瞥するとほんの少し驚いたような表情を浮かべた。
 その表情はすぐに消えて彼の目がすっと細くなった。決して威圧しているわけではないのだろうけど、相手を射すくめるような眼差しは間違いなく警官のそれだった。
 アタシはその視線を正面から受け止めて礼儀正しく頭を下げた。つられるように刑事もペコリと頭を下げた。
「あれぇっ!? 真奈ちゃん、どうしたんだい?」
 ジュニアはアタシたちの沈黙のやりとりには気づかずに、その場にそぐわない素っ頓狂な声をあげた。
「うん、ちょっとね。――運ばれてきた人、アタシの友だちのお兄さんなの」
「そうだったのか。だったら安心していいよ。まだボンヤリしてるけど意識も戻ってるし、心配してた硬膜外出血も認められないから。強い脳震盪といったところだね。しばらくは頭痛に悩まされるだろうけど、後遺症の心配もないよ」
「ほんと!? 良かったぁ……」
 アタシは本心から言った。
 ジュニアはまだ会わせることはできないよと言った。そこまでは望んでいなかった。アタシはお大事にと伝えて欲しいと頼んだ。
 廊下の奥に二つの人影が現れた。河村靖子の隣には徳永圭一郎が立っていた。傍に奥さんがいないせいといっては悪いのかもしれないけど、福浜の邸で見たときよりも自信と威厳に満ちているように見えた。
 二人はアタシには気づかずに看護師(ガミさんの奥さんだ)に呼ばれて処置室に入っていった。ジュニアも刑事に断ってから説明のために戻っていった。
 その場にはアタシと長身の刑事だけが残された。
 アタシは踵を返そうとした。ここでいろいろと訊かれるのはアタシの望むところじゃなかった。
「――じゃ、アタシはこれで。お疲れ様です」
「ちょっと待ってくれ」
 刑事が言った。精悍な外見には似合わない朗らかな声だった。
「なんですか?」

「話を訊かせてくれないか。あ、俺はこういう者だ」
 刑事は手馴れた感じで名刺をよこした。

 アタシは表書きを読んだ。トラディショナルとしか褒めようのない縦書きの明朝体で、所属は福岡県警刑事部組織犯罪対策局捜査第四課、階級は巡査部長、名前は藤田知哉と記してあった。
「県警の刑事さんなんですね。まあ、名刺には何とでも書けますけど」
「手帳も見るかい?」
 藤田刑事は内ポケットに手を入れた。
 警官がこれ見よがしに警察手帳をチラつかせるのはドラマの中だけの話だ。
 求められれば提示する義務があるにもかかわらず、実際にはよほど強硬に見せてくれと言わない限り、警官はなかなかそれを出そうとはせずに名刺で済まそうとする。今まで何度も補導されているアタシでも父親と村上のもの以外は見たことがない。
 アタシは結構ですと言った。別に見たくもなかった。

「で、なんですか、訊きたいことって」
「いや、大したことじゃないんだが、とりあえず名前と連絡先を訊いておいてもいいかな?」
「刑事さんでもナンパとかするんですね」
「冗談にしては面白くないな」
 言葉と裏腹に藤田刑事は目を細めて笑った。そういう表情をするとなかなか愛嬌のある男だった。意外に歳はとっていないように見えた。村上とあんまり違わないくらいだろう。
 一瞬、偽名を名乗ろうかと思ったけれど意味のないことはやめておいた。それにさっきジュニアが目の前でアタシの名前を呼んでいる。
「――榊原。榊原真奈です」
 もう一つの佐伯姓は名乗らなかった。アタシはケイタイの番号を教えた。
「変な電話、しないでくださいね」
「食事に誘うくらいでもダメかい?」
「場所によりますね。どこに誘ってくれるんです?」
「そうだな、取調室でカツ丼なんてどうだ」
 何か裏のある質問かと思って一瞬、ドキリとした。しかし藤田の悪戯っぽい微笑でそれが趣味の悪い冗談だと分かった。
 被害妄想気味なのは後ろ暗いことが多いせいだった。
 県警捜査四課、いわゆる”マル暴”の刑事が何のために深夜の(おそらくは管轄外の)傷害事件に首を突っ込んでいるのだろうか。
 熊谷たちにマル暴からマークされるような何かがあるというのはあり得る話だ。現場が彼らの拠点だったことで周辺を嗅ぎ回っているのかもしれない。
 気にはなったけどアタシの立場で訊けるような話ではなかった。
「もうちょっとムードのあるとこなら、お食事に付き合ってもいいですよ」
「ムードのあるところ、ね。刑事にそれを求めるのは、肉屋にダイコンを買いに行くようなもんだが。次に会うときまでに良さそうな店を捜しておくよ」

 次があるかどうかは分からないけど、アタシは小さく笑ってみせた。
「じゃあ、アタシはそろそろ帰ります」
「気をつけてな。あ、俺ももう県警本部に戻るけど、何なら家まで送っていこうか。もう夜も遅いし」
「それってナンパの常套句ですよね」
 アタシが横目で軽く睨むと、藤田は舌先を覗かせた。
「監察官室に告発書を送るのは勘弁してくれよ。それじゃなくても上層部の覚えが悪いんだ」
「どうしてですか?」
「命令違反の常習犯だからさ。まあ、上には上がいるんだがね」
「上?」
「そう。俺とは同期で薬対の腕利きだったヤツがいるんだけど、上司の意向に逆らって所轄署に飛ばされちゃってさ。いずれは一緒にやれるかなって思ってたんだがね。馬鹿なことをしたもんさ。奥さんには逃げられるし、もう出世は望めないだろうし。そこまでして何を押し通したかったのやら」
「……へぇ」
 アタシは自分の声が急速に冷えていくのを感じた。この刑事の顔をマジマジと眺めた。
 村上と同期で県警の刑事なら父親の事件の後、あてつけのように面倒ごとを起こした馬鹿娘のことを耳にしていてもおかしくはなかった。ひょっとしてアタシが何者でその元”薬対の腕利き”とどういう関係にあるのか、気づいているのだろうか。
 この男の表情からはそれは分からなかった。
 アタシはおやすみと言って出ていく藤田刑事の背中を、呆然としたまま見送った。








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