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砕ける月

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  第 48 章  

 外は眩暈がしそうな炎天下だった。
 アタシは日陰を捜しながら大通りまで出て、自動販売機でペットボトルのアクエリアスを買った。キャップを外して五〇〇ミリを一息に飲み干した。
 ヴァンパイアなら三秒と持たない陽射しを呪いながら、アタシはバンディットを停めていた近くのコンビニまで戻った。
 ケイタイを開くと<ウメノです>という件名の、いつもと同じ漢字の少ないメールが入っていた。
 
<今から家をでます。うちあわせどおり、さきにいきますね>


 河村靖子と別れたくらいに、それを見計らったように梅野から連絡が入っていた。
 用事が予定よりも早く終わりそうので合流しましょうという内容だった。しかし、そのときにはアタシはすでに徳永麻子を訪ねることにしていた。それがどれくらいかかるのか分からないと言ったら、梅野は先に久山町の久住の勤め先へ行っていると言ったのだ。
 一通目のメールが届いたのは十三時五十二分。アタシが徳永邸へ向かって移動していた途中くらいだろうか。徳永邸に入る前には緊張していたのもあって着信のチェックをしていなかったのだ。
 二通目は三十分ほど前に届いていた。


<クスミがうごきました。早退したみたいです。あとをつけます PS しばらく連絡とれません>

 結果的にだけれど、梅野に先に行ってもらっておいて助かったということだった。
 アタシは梅野のケイタイを鳴らした。呼び出し音が延々となって十回目のところで留守電に切り替わった。しょうがないので「すぐに連絡してください」とメッセージを残して電話を切った。
 バイクに乗っているとなかなかバイブレータには気づかないし、電話が取れないような(例えば物音を立てられないとか)理由があるのかもしれない。
 いずれにしても尾行にある程度の成果が出るか、あるいは尾行に失敗すれば連絡があるはずだった。
 アタシは後を追って久山に行くべきかどうか考えた。しかし、久住がどこに向かっているのか分からないのでは無駄足に終わる可能性もあった。
 とりあえず一度、家に戻ることにした。

 梅野からの連絡は、陽が傾きかけても入ってこなかった。
 祖母は出かけていて家には誰もいなかった。アタシは離れの自分の部屋で気を紛らわすように音楽をかけていた。
 何かを待つ時間というのは実際よりも何倍も長く感じられた。
 こういうとき本を読んだりパソコンを触ったりして時間を潰せる趣味がないのは辛いものだ。電話を取り損ないたくないのでシャワーを浴びることもできなかった。
 その間、ただまんじりと電話を待っていたわけではなかった。
 こっちからも何度もメールを送ったり電話をかけてみたりもしたのだ。しかし、相変わらず呼び出し音が鳴り続けるばかりで、しかもメッセージを録音できる容量を越えてしまったのか、留守電にすら切り替わらなくなってしまっていた。
「……まったく、何やってるんだろ」
 思わず独りごちて、アタシはまるで家に寄り付かない子供を持った母親のような気分になっていた。そして、自分も祖父母に同じような思いをさせていたのだということに気がついて、ちょっとバツが悪くなった。
 ベッドの上にひっくり返ってケイタイの液晶画面を見詰めていると、着信音が鳴った。
 河村靖子からだった。
 ガッカリしたのが声に出ないように気をつけて、アタシは通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「……あ、真奈ちゃん?」
 苗字では気詰まりするという彼女の申し出で、アタシと彼女は名前で呼び合うことにしてあった。
「どうしたんですか」
「あなたから預かったディスクの件なんだけど……」
 アタシは嫌な予感に捕らわれた。靖子の声に隠しようのない陰気さが貼り付いていたからだ。
「何か分かったんですね」
「――ええ。とんでもないことがね。電話じゃなんだから、何処かで会わない?」
 迷ったけれど梅野から連絡が入るまでは動きようがない。連絡はケイタイに入るのだし出かけても問題はないだろう。
 アタシはすぐに行くと答えた。

 本日、二回目の逢瀬に彼女が指定したのはキャナルシティにあるスターバックスだった。
 幾つかの建物からなっているキャナルシティの中でもちょっと人の流れから離れたブロックにあるせいか、店内は静かでそれほど混んではいなかった。
 奥まったテーブル席に陣取った靖子はアタシを見つけると控えめに手招きした。彼女の前にはノートパソコンが置いてあった。
 表情には声と同じように暗い翳が貼り付いていた。
 アタシはスターバックス・ラテを買って彼女の向かいに腰を下ろした。
「ごめんなさいね、呼びつけちゃったりして」
「いいえ、アタシがお願いしたんですから。――それで、何が分かったんですか?」
「例のディスクなんだけど、あれから調べてみたのよ。それこそ徹底的に。最初は不可視ファイルか何かがあるんじゃないかって思ってたんだけど」
「あったんですか、それが?」
 彼女は小さく首を振った。
「そんな単純なものじゃなかったけど。ディレクトリをいじってたら、変なのが出てきてね。――これ見て」
 彼女はノートパソコンの画面をアタシのほうに向けた。
 画面の中の小さなウィンドウには、梅野のデスクトップで見たときと同じようにアイコンがずらりと並んで表示されていた。ファイルの名前も同じように数字とアルファベットの羅列だった。
 そんな中に一つだけアルファベットの単語の名前のついたものがあった。
「えーっと。orig……オリジナル!?」
「シーッ! 声が大きいって」
 靖子は慌てて言った。
 アタシは思わず自分の口に手を当てた。吸い寄せられるように集まった他のテーブルの客の視線は、何事もなかったようにすぐに散らばっていった。
「ゴメンなさい、つい……」
「ううん、注意しておかなかったあたしが悪かったわ」
 靖子は手を伸ばしてキーボードの下のタッチパッドを操作した。オリジナルという名前のファイルの上で矢印が砂時計に変わった。
 次のウィンドウが開くと、そこには”PDF”という帯のついたアイコンが幾つかと、デッキの再生ボタンのような右向き三角を模ったアイコン、筆の絵をあしらったアイコンなどがずらりと並んでいた。
 そのうちの一番最初のアイコンをクリックすると別のプログラムが起動して、画面上にちょっと読みづらい縦書きの文書が表示された。
「何ですか、これ」
「もともと、手書きで書かれたものをスキャナで取り込んだのね。ちょっと見づらいけど拡大すればちゃんと読めるわ」
 靖子が逆側から器用に画面の上のほうを操作すると文書自体が大きくなった。女性らしい柔らかい筆跡で一番右に表題があった。
 そこには”供述書”と書かれていた。
 
 私、徳永麻子は一九九一年六月五日の深夜、敬聖会宗像療養所の特別病棟において、妹である徳永佳織を病室にあった果物ナイフで刺殺しました。
 佳織とは以前から諍いが絶えず、それは彼女が東京から帰ってきて、一層酷いものになりました。彼女は精神を病んでいて、やがて私をひどく罵るようになりました。
 私が彼女を殺した当日も、そういう言い争いがあって私は逆上してしまい、気がついたときには彼女の胸をナイフで刺していました。
 事件を知った夫、徳永圭一郎の協力で、佳織は自殺したことにされ、それも外聞を理由に病死扱いにして隠蔽しました。
 以上のこと、事実と相違なく、ここに供述いたします。
 
 一九九一年六月六日 敬聖会福岡病院、副院長 徳永麻子


 署名の下には赤い楕円のような模様が入っていた。おそらく拇印をついた跡だろう。
 ちょっと目を上げると、靖子はやりきれないように虚ろな視線を彷徨わせていた。
 無理もないことだった。何事もなければ、この供述書を書いた女性は彼女の義理の母になるはずだったのだ。もちろん靖子の祐輔に対する気持ちに変わりがなければ今後もそうなのだけれど。
 でも、それを彼女に強要することは誰にも出来ないし、彼女がそれを貫こうとしても周囲が許さない可能性は充分すぎるほどあった。
 ただそれはアタシが心配しても何の役にも立たないことでもあるけど。
 アタシはこのMOディスクの解析を彼女に頼んだことを後悔していた。
 供述書のファイルを閉じて、他のファイルの上にマウスの矢印を載せた。しかし、続けて見るには心に圧し掛かるものが重すぎた。
 
「どこにこんなものがあったんですか?」
 アタシは訊いた。心配されるのを嫌ったように靖子の声は痛々しいほど明るかった。
「ディスクに残ってたのよ」
「残ってた?」
「そう。簡単に言うとね、こういう記憶媒体っていうのは、一度記録されたものは普通の方法でデリートしても、単に読み出しが出来なくなるだけで、ディスク自体からデータが抹消されるわけじゃないの。百科事典に例えるなら、目次からその項目が消されちゃってて、知りたいことが何ページに書いてあるのか分からなくなって引けなくなってる状態なの。そこまでは分かる?」
「……何とか」
 何処かで聞いたような話だったけど、それが何なのかは思い出せなかった。眉根を寄せるアタシを見て靖子はちょっと可笑しそうに微笑んだ。
 アタシは放課後に居残りさせられた劣等生のような気分になった。
「それで、そういうデータって言うのはちゃんとした手順を踏めば、また読み出せるようになるのよ。百パーセントってわけじゃないけど」
「それじゃ、これは高橋が一度このディスクに入れて、そして消したってことなんですか」
「そういうことになるわね」
「何のためにそんなことを――」
「それは分からないわ。あなたに見せるつもりで入れたけど気が変わったのか、それとも最初から、あなたがデータの復元に思い至ることを期待してそうしたのか」
 唐突に記憶が繋がった。香椎のコンピュータ・ショップでアルバイト中の猫背の地学教師から同じことを似たような喩えで聞いていたのだ。
 高橋がアタシのことを由真から聞いていたなら、後者である可能性は少ないようにも思えた。
 ただ、あのとき高橋は見れるものなら見ればいいという感じのことを言っていた。それがディスクを調べてみろよという意味での挑発だったのなら、何らかの期待をしていたとも考えられる。
 アタシは高橋がMOディスクにこのデータを残した意味を考えた。
 そもそも、彼がこのディスクをアタシに預けた真意もわからないのだけれど、おそらくそれを手元に置いておいた場合に、熊谷たちとのやり取り次第では彼らに奪回されてしまうことを恐れたのだろう。
 アタシが続きを見ようとしないのに気づくと靖子はノートパソコンを自分のほうに向けた。外付けの機器からMOディスクを抜くと緩衝材付きのケースに収めて、アタシのほうにそれを滑らせた。
「あとで見てみなさいよ。――結構、グロいけどね」
「そうなんですか?」
「ええ。だって殺人事件の現場の映像と、その死体の写真だもの。あと、よく分かんないのがいろいろ。まあ、写真のほうは一緒に入ってた村松先生のものよりはマシだけどね」
「どっちも徳永佳織さんのものなんですよね」
「でしょうね。動画のほうは監視カメラのものだろうからちょっと鮮明さには欠けるけど。でも、顔立ちが何となく由真ちゃんに似てるような気がするわ。まあ、叔母さんに当たるわけだから、似ててもおかしくはないわね」
 アタシは由真が本当は殺された徳永佳織の娘で、養女として今の籍に入っていることを話した。靖子はそれが自分に降りかかった運命のように自分の身体をギュッと抱いた。
「そうなの……。あんなに幸せそうに見える家族なのに」
「由真は決して自分が不幸せだとは思ってないでしょうけどね」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「幸せじゃないのなら、少なくとも幸せだと思っていないなら、それを守るためにすべてを投げ出したりは出来ないんじゃないですか。まあ、由真にそんな強さがあったのは正直、驚きですけどね」
「……あなたって本当に十七歳? あたしなんかよりよっぽど大人びてるわ」
「いろいろありましたからね」
 アタシは父親の事件のことも話した。
 彼女は驚いたが、何も言わずに耳を傾けていた。思えば自分からこうやって事件のことを話したのはほとんど初めてと言ってよかった。由真は校内の噂話であらましを知っていたからだ。
「ウチの母親がよく言うんだけど、平凡に生きるのが一番難しいのよね」
 靖子はわざとらしく分別くさい口調で言った。アタシは笑って「そうですね」と答えた。

 スターバックスを出て靖子と別れた。彼女は無印良品をブラブラしてから帰ると言った。アタシはその逆方向になるようにコムサストアの上のスポーツ・オーソリティに足を向けた。
 相変わらず梅野からの連絡はなかった。
 夏物のクリアランス・バーゲンの商品を眺めながらも、それは何の興味も掻き立てることはなかった。
 どこまであとをつけていったのだろう。それとも何かあったのだろうか。
 不意に胸騒ぎを嗅ぎつけたようにケイタイが鳴った。アタシは慌ててケイタイを開いた。
 梅野からのメールだった。昼間と同じ<ウメノです>という件名。

<連絡遅れてすいません。クスミはタカハシと一緒にいます。須崎埠頭まで来てもらえませんか?>







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