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砕ける月

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  第 49 章  

 須崎埠頭は渡辺通りを海まで突き当たった突端にある。
 博多湾岸には東は和白のアイランド・シティから西は荒津埠頭まで、博多港の港湾施設がずらりと並んでいる。中でも須崎埠頭はちょうどその真ん中にあって、長浜の魚市場から続く、いかにも埠頭といった感じの倉庫街になっている。
 もっともこの埠頭にはもう一つの顔があって、色とりどりのネオンに飾られたラブホテルが立ち並んでもいるのだけれど。
 不良少年は広くて長いストレートがある香椎の箱崎埠頭に集まる傾向がある(梅野の元ホームグラウンドも箱崎だ)ので、夜の須崎埠頭にいるのは港湾施設で働いている人々を除けばホテルを目指すカップルのクルマか、いかがわしい目的で女の子を運ぶワンボックスか、またはどう見ても尋常ではない雰囲気を漂わせたスモークガラスの高級セダンかというところになる。
 要するに陽が落ちたあとは普通の人々が近寄るところではないということだ。当然、アタシもそんな時刻になってから足を踏み入れたことはなかった。
 アタシが電話をかけると、梅野はすぐに<二人に見つからないように隠れていて声を出せないんで、メールで連絡をお願いします>とメールを送ってきていた。
 アタシは福岡競艇場のスタンドを横目にバンディットを走らせた。
 北天神ランプの辺りを過ぎた辺りから周囲から急速に人の気配と灯りというものがなくなっていく。都市高速のターコイズブルーの橋脚をくぐって突堤のほうに進路を取った。
 梅野のメールによると高橋と久住は埠頭の奥のほう、倒産した会社のものらしい無人の倉庫の一つを無断で隠れ家にしているということだった。そんなものが都合よくあるのもおかしなな話だけれど、高橋の両親がやっている仕事が輸入関係であることを考えると、そういう事情に詳しくても不思議はないような気はした。
 アタシは埠頭のでっぱりの付け根のほうにあるローソンの傍にバンディットを停めた。目印はないかとメールで訊ねると大まかな場所の説明と、久住のハチロクが門の前に停まっているという返事が帰ってきた。
 ちょっと迷って、アタシはそこから歩いていくことにした。怖くないわけではないけれど、せっかく梅野が息を潜めて隠れているのにアタシがエグゾーストを響かせて乗りつけるわけにはいかないと思ったからだ。
 むっとするような夜気と潮風の匂いが鼻をついた。街灯が辺りをオレンジ色に照らし出している。意外と長く伸びる影を追いかけるように、アタシは埠頭の奥へと進んだ。
 
 久住のハチロクは突端の手前、冷凍食品会社の大きな倉庫の斜向かいの門扉の前に停まっていた。
 アタシは一応、周囲を見渡してからそれに近寄った。
 ボンネットはまだ熱を持っていて、慌てて乗り付けたように斜めに突っ込まれていた。
 カギはかかっていなかった。内装の大半は外されてしまっていて車体の鉄板の部分が剥き出しになっていた。バケットシートは助手席側だけがずいぶんと後ろに下げられていた。窮屈な姿勢が厳しい高橋のためだろうか。
 鋼鉄製の門扉はとても動かせそうになかったので、アタシはどこか中に入れそうなところを捜した。敷地の周囲をグルリと囲っている塀の角を曲がった暗がりに裏門のような窪みがあった。
 アタシがそこへ近づこうと歩き出したとき、ポケットの中でケイタイが鳴った。
 梅野からの電話を取り損ないたくなかったのでマナーモードにはしていなかった。慌てて引っ張り出すと静まり返った通りに無機質な電子音がビックリするような大音量で響き渡った。
「……もしもし?」
 相手は無言だった。
 アタシは液晶画面を見た。梅野のプリベイド式の電話からだった。
「もしもし、梅野さん。どうしたんですか?」
 アタシは声を潜めて言った。ひょっとしたら何かの間違いで通話ボタンを押してしまったのかもしれない。
 しかし、それにしては何の音も聞こえなかった。ポケットの中であればゴソゴソと布ずれの音くらい聞こえてもよさそうなものだった。
 アタシはもう一度、小声で「もしもし?」と言った。
 すると、微かな息遣いのあとに声が聞こえてきた。
「――やあ、こんばんわ」
 甲高い梅野の声とは似ても似つかなかった。聞き覚えのある錆を含んだバリトン・ヴォイス。
「熊谷さん!?」
「この期に及んでもさん付けとは、君のご両親はよほど躾にうるさかったとみえるな」
 唇の端を皮肉っぽく歪める、おそらく本人はニヒルだと思っている憎らしい顔が脳裏に浮かんだ。
「ちょっと、どういうことよ!!」
 アタシはケイタイに向かって怒鳴った。
 そして、その自分の声が一昔前に腹話術師がやっていた衛星中継のモノマネのように、僅かにずれてケイタイのスピーカーから聞こえてくることに気がついた。
 それは相手がすぐ近くにいて、向こうのケイタイのマイクがアタシの怒鳴り声を拾っていることを示していた。
 振り返ると道を挟んだ反対側の歩道に熊谷が立っていた。
 最初に福浜の徳永邸で会ったときと同じように真夏だというのにダークスーツを着込んでいる。目が合うと熊谷は想像していたとおりの表情でゆっくりと片手を挙げた。
 事情はまだよく分からなかったけれど、少なくとも梅野のケイタイを熊谷が持っているということは彼の身に何かが起こったということだった。
 アタシは拳を硬く握り締めた。
 自分の目つきが剣呑なものに変わっていくのが分かった。これまで街で遊び歩いてケンカをしていたころにも、空手の試合に臨むときでも、ここまで頭に血がのぼったことはなかった。
「――てめぇッ!!」
 アタシはそのあとは声にならない怒声を上げて、熊谷めがけて駆け出そうとした。
 そのとき、アタシの目の前に白い壁が滑り込むように立ち塞がった。
 それが白いワンボックスのボディだと気づいたときには、アタシは側面のスライド・ドアの開口部とそこから身を乗り出している大沢と正対していた。
 大沢の腕が伸びてきて、とっさに立ち止まったアタシの右腕を万力のような力で掴んだ。

 ――引っ張りこまれる!!

 アタシはとっさに大沢の手を振り払おうとした。
 でも、力ではまるで敵わなかった。反対の手でその握られた部分を叩いても力の入らない体勢では大した威力はなくて、大沢はちょっと顔をしかめただけだった。
「おとなしくしろ。手荒な真似はしたくない」
「ふざけるなッ!!」
 アタシは開口部の下のステップを蹴って、その反動で大沢の手を引き剥がそうとした。しかし、大沢の反対の手が伸びてきてさらに右肩まで掴まれた。
 今度は左の裏拳で大沢の顔を狙った。
 避けられないと踏んだ大沢は身を乗り出して当たる場所をずらした。ごつい顔に当たったのは手首の下の部分で、痛かったのはむしろアタシのほうだった。
「おい、何やってるんだ!!」
 車内から別の声が聞こえた。
 少しくもぐった不明瞭な声。おたふく風邪をひいたように顎の下に包帯を回した男だった。直に顔を見るのは初めてだったけど、トモミさんから見せてもらった資料の男、古瀬に間違いなかった。
「さっさとしろ。こんなところで誰かに見られたらどうする」
 ――だったら、こんなとこで拉致なんかするな!!
 そう思いながらも大声を出したり、悲鳴をあげたりすることは出来なかった。そういうことに慣れていないのもあるけれど、そうしたところで誰にも助けてはもらえないという恐怖がアタシの喉を締め付けていた。
 大沢は短い唸り声とともに自分の身体ごとアタシを車内に引きずり込んだ。腕が引きちぎられるんじゃないかというような激痛がアタシの肩を襲った。
「おい、出せ!!」
 古瀬が運転席に向かって怒鳴った。

 アタシは倒れたことでゆるんだ大沢の腕を何とか振り払った。まだドアは閉まっていない。走り出す前なら飛び降りられる。
 そう思って開口部の枠に手を掛けたのとほぼ同時に、背中に何かを押し付けられた。
 次の瞬間、指先にまで電流が走ったような衝撃と痛みがアタシの全身の力を奪い去った。
 振り返らなくても押し当てられたのがスタンガンなのは間違いなかった。それも護身用の可愛いヤツじゃない、鎮圧目的の高電圧のモノだ。オモチャ(それでも威力はあるけれど)のスタンガンなら工藤師範代に見せてもらって、実際に体験してみたこともある。
 それとは比べ物にならない威力だった。
 外に向かって前のめりに倒れていくアタシの身体を大きな手が抱き止めた。
「だから、大人しくしろと言っただろうが!!」
 大沢が耳もとで怒鳴った。
 アンタが言うのはお門違いだと言ってやりたかったけど、ショックで声は出なかった。
 背中の一点が火傷したようにヒリヒリと痛んだ。膝が笑って身体を支えることが出来ない。
 大沢はアタシの身体をワンボックスの車内に引っ張りこんだ。
 運転席と助手席以外のシートはすべて取り外してあった。車体も大きくて、スモークフィルムが貼られた車内はちょっとした小部屋だった。
 アタシはその床に力なくへたり込んで、詰まった息を吐きだすように何度も浅い呼吸を繰り返した。
 大沢はアタシの傍らに中腰で立っていた。手を振れば金的に裏拳を叩き込むことも可能な位置だったけど、その気力さえアタシには残っていなかった。
 スタンガンでは(よほど的確に急所に当たらない限り)人は死なないと分かっていても、その痛みは身体の記憶に残って、抵抗しようとする気力を奪い去ってしまうのだ。
「――手間かけさせやがって。あとでしっかり、この前の礼をさせてもらうぞ」
 古瀬の絡みつくような声が頭上から降ってきた。
 背後から執拗に爪先で尻を蹴られた。古瀬はアタシに聞こえるように、スタンガンの放電の音を何度も鳴り響かせた。
 脅しのつもりだったのだろう。
 それには確かに効果があった。アタシはそのバチバチッという音で思わず身を竦ませた。
 しかし、それは同時にこの男が犯したミスでもあった。その幼稚な脅しがアタシに立ち直る時間を与えていたからだ。


「よし、じゃあ行くか」
 古瀬はアタシをいたぶることに満足したのか、浮付いた声で言った。運転席の男が振り返った。
「どっちに行くんですか?」
「ケヤのほうだ。都市高を使え」
「了解。――あれ、ボスは?」
 運転席の男の質問に、古瀬はフンと鼻を鳴らした。
「先に行ったんだろ」
「そうですよね。ボスがこんなクルマに乗るわけないですもんね。――出しますよ」
 最後の一言は大沢に向けられたものだった。大沢がしゃがみ込んだアタシの上に身を乗り出した。スライド・ドアを閉めようとしているのだ。
 それが閉まればもはや逃げ場はない。
 アタシは目を閉じて、残された僅かな闘争心をかき集めた。
 指先をピクリと動かした。感覚はちゃんとある。身体は動くのだ。
 身体を支えていられないふりをして、わざとうずくまったような姿勢になった。
 足の位置から古瀬の姿勢を把握した。後部座席がないので片膝をついて、運転席のヘッドレストを掴んでいる。
 アタシは必死で記憶を探った。熊谷の事務所の前でアタシに殴りかかったときコイツはどっちの手を出した?
 ――右だ。
 運転席の後ろで窓を背にしているということは身体を支えているのは右手だ。まだスタンガンを持っているとしても利き手ではない左。
 そう判断した瞬間、アタシは後ろ蹴りの要領で足を突き出した。
 踵が当たったのは硬い骨の部分だった。しゃがんだ膝か脛だろう。
「痛えっ!!」
 古瀬はバランスを崩して床に転がった。
 アタシはその反動で一気に立ち上がった。事態を把握できない大沢の身体を押しのけて、アタシはドアの隙間をすり抜けるように外に飛び出した。
 その体勢が悪かったせいで、アタシはろくに受け身も取れない状態でアスファルトに転がった。小学校に上がる直前、父親はアタシを空手道場に通わせるか、福岡では盛んな女子柔道にするかで悩んだらしいのだけれど、今だけは後者を選んでくれなかった父親を呪った。
 全身がアスファルトのヤスリで砥がれたように痛かった。
 しかし、そんなことを言える状況ではなかった。アタシはバネ仕掛けの人形のように飛び起きた。
 ワンボックスが急ブレーキを踏む耳障りな音が辺りに響いた。大沢がアタシを追って車を降りようとしていた。
 今、この男とやり合うのは自殺行為以外の何者でもない。
 しかし、逃げ足に抜群の自信を持つアタシでも、この状況下で走って逃げ切れるかどうかははなはだ心許なかった。
 やるしかない。
 アタシは足元に転がる石を拾って握り込んで拳を作った。
 これからやるのは空手の試合ではない。ケンカですらない。やるかやられるかの実力行使だ。
 しかしその瞬間、アタシの視界を強烈な光が奪った。アタシは思わず両腕で目を庇った。
 それは大型の4WDのヘッドライトが放つハイ・ビームだった。
 何が起こったか分からないのは大沢も同じようだった。開口部から身体半分乗り出したところでアタシと同じように固まっていた。
 獲物に襲い掛かる野獣の咆哮のようにディーゼル・エンジンが野太い唸り声をあげた。短いホイール・スピンのあと、4WDは猛スピードでワンボックスに突っ込んできた。
「――オイ、嘘だろ!!」
 叫んだのは運転席の男だった。
 大沢は開口部をしっかり掴んで身体を支えようとした。アタシは後ずさって目を閉じた。
 鋼鉄の重たい物体同士が激突する、何とも形容しがたい破壊音が静まり返った倉庫街に響きわたった。

 目を開けると潰れたニキビのようにブツブツの錆が浮いた4WD――日産サファリのドアがあった。
 エンジンは停止してなくてボディが小刻みに振動している。マッチョなオーバーフェンダーから張り出したオフロード用のタイヤが、獲物に飛び掛かるタイミングを窺って力を込める猛獣の四肢のように見えた。
 アタシは恐る恐るワンボックスのほうを見た。
 ワンボックス(久住の言うとおり、日産のキャラバンだった)は道路の真ん中に十メートルほど弾き飛ばされていて、中央線を跨ぐように停まっていた。車体の後部はとんでもない大きさの拳で一撃されたように無残にへこんでいた。バンパーは原形を止めないほどペチャンコになってリアハッチの下にぶら下がっていた。辛うじてタイヤは無事のようだったけれど、まっすぐ走れるかどうかは怪しかった。
 いくらキャラバンが日産のラインナップの中で一番大きなワンボックスだとしても、突っ込んだのが同じ日産の一番大きな4WDではひとたまりもなかった。
 激突の衝撃で投げ出された大沢は脇腹を押さえて歩道に膝をついていた。派手に地面を転がったようで体中に砂糖をまぶしたように砂埃にまみれている。事態が飲み込めずに呆然としているのはアタシと同じだったけど、その目はしっかりとアタシの姿を捉えていた。
「いやあー、申し訳ないねぇ。このクルマ、ブレーキの調子が悪くってさ」
 場の雰囲気をぶち壊すような能天気な声がアタシの頭上から降ってきた。サファリの助手席の窓から顔を出しているのだった。
 聞き覚えのある声だった。夜だというのに濃い色のサングラスをかけた韓流スターのような精悍な顔だち。
「大丈夫? ケガはないかい?」
 ギシギシと軋むドアを開けて藤田刑事はクルマを降りてきた。サングラスを外して鏡に向かって練習を重ねたようなよどみのない動作でスーツの胸ポケットに差し込んだ。
 アタシは安堵で膝が崩れそうになるのを何とか堪えた。
「ハ、ハイ、とりあえず……」
「そりゃ良かった。――そっちは?」
 藤田は大沢に向かって言った。
 大沢は答えずゆっくりと立ち上がった。握り締めていた拳を何度も開いたり閉じたりしながら緊張をほぐしていた。
 お互いに相手が誰だか知ってて話しているようだった。FBRの面々は元警官ばかりだ。顔見知りでも不思議はない。
 キャラバンの車内から這い出すように古瀬が四つんばいで顔を出した。ムチ打ちにでもなったのか、うなじの辺りに手を当てている。
「オイ、大沢!! テメェ、何やってるんだっ!!」
 ヒステリックな声がいかにも小悪党という感じだった。アタシは繰り返し蹴られた尻の痛みを思い出した。
 大沢は古瀬を無視して藤田と対峙していた。古瀬は首を伸ばして苛立ちの混じった視線を藤田の顔に向けた。しばらくじっと眺めて、その男の名前と所属する部署に思い至ったように大きく息を呑んだ。
 大沢はキャラバンの車内に向かって「クルマは動くか!?」と怒鳴った。キャラバンのエンジンが始動して、滑るように一メートルほど動いた。衝撃で半ば外れたバンパーを引きずる音が耳障りだった。
 しばらく藤田と顔を見合わせていた大沢はキャラバンの後ろに近づいた。バンパーが辛うじてクルマと繋がっている部分を何度か動かして、おもむろに手を掛けた。バキッという音とともにバンパーはアスファルトの上に落ちた。
「大丈夫のようだ。ケガも大したことはない」
「どうする? 一応、事故だし、警察呼んだほうがいいと思うけどな」
「それには及ばん。お巡りなら間に合ってるだろう。交通課経験者はいないようだが」
「違いない。……それじゃあ?」
「行ってくれ。そこのお嬢ちゃんは置いていってもらえると助かるが」
「悪いね。彼女、俺とデートの先約があるんだ。――だよね?」
 藤田はアタシにウィンクした。
「と、いうわけだ。ちゃんと俺が優しくエスコートするよ」
 大沢はフンと鼻を鳴らした。リアハッチはどう見ても開きそうにない(というか、開けたら二度と閉まらない)ので、大沢は引っ剥がしたバンパーをスライド・ドアから強引に車内に押し込んだ。
「古瀬が連絡していると思うが、熊谷によろしく言っておいてくれ。証拠はほぼ掴んだってな」
「誰だ、熊谷ってのは?」
 大沢は心外だと言わんばかりにオーバーに肩を竦めた。
「やったのは自分たちで、親分は無関係か。あんた、いい部下だな」
「だから、知らんと言ってるだろう」
 大沢は開口部からはみ出したバンパーを腹立たしげに蹴り入れてクルマに乗り込んだ。わざとのように大きな音を立ててドアが閉まると、キャラバンは夜の闇の中へ滑り込むように走り去った。

「――さて、俺たちも行こうか」
 藤田は立ち尽くすアタシの肩に馴れ馴れしく手を回した。
 あまりに唐突な出来事にそれまで半ば放心状態だったのだけれど、それでアタシは我に返った。思わずその手を振り払った。
「ちょっと――どうしてアイツら、行かせちゃったんですか!?」
「どうしてって?」
「だって、アタシを無理やり連れて行こうとしたんですよ!? これって立派な誘拐じゃないですか!」
「まあ、そうだね」
「だったら何で――?」

 藤田はアタシの言葉を遮った。
「仕方ないだろ。君を助けるためとは言え、こっちだってかなりムチャなことをやってるんだ。逆に訴えられかねないし、俺も年内はもう始末書を書きたくない。警部補の昇進試験にも関わるからね」
「そういう問題じゃないでしょ?」
「まあ、いろいろと思惑があってのことさ。腹立たしいのは分かるが、助かっただけでありがたいと思ってくれ。それとも奴らに連れて行かれたほうが良かったかい? 奴らのドライバーの永浦って男は県警自ら隊で一番、腕のいいPC乗りだったが、女子中学生を買春してクビになったロリコンなんだぜ?」
 アタシは黙り込んだ。自分がロリコンの趣味の範疇に入るとは思えないけれど、助けてもらった立場だということは充分すぎるほど分かっていた。
「……その、えーっと……ありがとうございました」
「どういたしまして」
 藤田は人の良さそうな朗らかな微笑を浮かべた。
「お礼といってはなんだけど、ちょっと付き合ってもらえるかな」
「えっ?」
「デートの約束があるって言ったじゃないか。君も頷いただろ」
「あれは――方便じゃないですか」
「便利な言葉を知ってるな。まあ、それは冗談だけどさ。話を訊きたい。イヤだとは言わないよな?」
 アタシは嘆息した。事態がここに至ってはアタシに選択の余地はなかった。

「……分かりました。ここで話すんですか?」
「いや、捜査本部で訊くよ。俺のクルマを停めてるとこまで行こう。ちょっと歩くけどいいかな?」
 構わないと答えてから、アタシはバイクをコンビニに停めっぱなしにしていることを思い出した。
 藤田はそれはこっちで回収しておくと言った。釈然としなかったけれどバンディットのキーを渡した。
 ジョン・トラボルタによく似たサファリのドライバーと少し話して、藤田はキーを助手席のシートに放った。
 アタシは改めてサファリを眺めた。激突の衝撃を物語るようにフロント周りは大きく破損していた。グリル・ガードは原型を留めていないし、右側のヘッドライトはコナゴナになっていた。
 普通の1ナンバーということは警察車両じゃないようだった。借り物なのだろうか。藤田の涼しい顔を見る限り、彼のクルマではないようだった。始末書を書きたくないと言ったけれど、何のお咎めのなしに修理代を出すほど警察の経理課が甘いとは思えなかった。
「……これ、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「修理代ですよ。結構、かかりそうじゃないですか」
「心配しなくてもいいよ。ちゃんと君のご両親に請求書を送っておくから」
 アタシは思わず藤田の顔を見た。
 真剣な表情でアタシを見返していた藤田は、やがて弾けるように笑い出した。
「そんなマジな顔するなよ。冗談に決まってるだろ」
「……人が心配してるのに」
 藤田は目尻を拭いながら「いや、悪かった」と言った。アタシはまだむくれていた。
「いや、こいつは知り合いの宗像の中古車屋から借りたんだけどね。壊しても大丈夫だってちゃんと了解は取ってあるんだよ」
「でも、一応は借り物なんでしょ」
「意外と真面目なんだな。まあ、俺が壊さなくても来月には廃車予定だったし、ミカジメ料を払わないところの店先に突っ込まされるよりは、人助けに役立ったほうがこのクルマも浮かばれるってものだろ?」
 端々に出てくるの単語からサファリの出所がどんなところかは想像がついた。さすがに声には出すのは憚られたけれど。
 短いクラクションを鳴らしてサファリは走り出した。それを見送ってから、アタシは藤田のあとに続いた。







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