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砕ける月

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  第 50 章  

 藤田がクラウンの覆面パトカーを停めたのは西鉄グランドホテルの車寄せだった。
「どういうことなんですか?」
「何が?」
「だって、アタシの事情聴取なんでしょ? どうして県警本部へ行かないんですか?」
「腹が減ってるだろ。メシでも食いながらのほうが、場も和むしね。それに取調室じゃカツ丼しか食えない」
 呆れるアタシを促して藤田はクルマを降りた。若いドアマンを押し留めて、ピシッとした黒いスーツの男性が近づいてきた。藤田は小声で言葉を交わしてクルマのキーを渡した。
 自分が住んでいる街のホテルに泊まる機会というのは滅多にないので、アタシがこのホテルに足を踏み入れたのは中学生のときに通っていた道場の師範代の結婚式に出たとき以来だった。
 格式や重厚感を押し付けない、どちらかと言えば素っ気ない造りのロビーを抜けて藤田はフロントに近寄った。そこでも年嵩のフロントの男性と短い話をしてアタシのところに戻ってきた。
「どこ、行くんですか?」
「スイート・ルームでルーム・サーヴィスと言いたいところだが、刑事の給料じゃ無理なんでね。地下のレストランにしよう」
 地階へ向かうエレベータを待っている間、アタシはふと気づいたことを口にした。
「どうして、アタシがお腹を空かせてるって知ってるんですか? だいたい、何であんなところに都合よく現れたんです?」
 言いながらアタシはその答えを導き出していた。
 尾行されていたのだ。

「その辺りは食いながら説明するよ。どうでもいいけど、よくコーヒーを飲むらしいね」
「好きなんです」
「今度、いい店を紹介するよ」
 地階の中華料理の店に入った。受付の女性は何も訊かずに藤田とアタシを奥の個室へと案内した。
「中華料理でいいよな?」
 入ってから訊くなよと思ったけど、アタシは頷いた。
「別に構いませんけど……ホントにこんなところで話をするんですか?」
「実は今からこの件の関係者が集まって、会議みたいなことをするんだ。君にはそれに出席してもらう」
「……本気ですか?」
 アタシは自分が置かれた状況が見えないことでひどく緊張していることに気づいた。口の中がやけに乾いている。
 それは藤田にも伝わったようだった。
「そんなに緊張するなよ。別に君を円卓に載せて、みんなで取って喰おうってわけじゃないんだ」
「アタシ、多分、あんまり美味しくないと思いますよ」
「それだけ冗談が言えれば大丈夫だな」
 柔らかい照明に照らされた室内には大きな円卓があって、五人の男がそれを囲んでいた。
 上座と分かる正面にいかにもロマンスグレイという感じの男性が座っていた。柔和そうな顔立ちと仕立ての良さそうなグレンチェックのスーツに臙脂色のネクタイという組み合わせがどこかの会社の社長のような雰囲気を醸し出していたけど、右隣に座る酷薄そうな表情のダークスーツの男がそれを台無しにしていた。
 明らかに警察にしかいない目をした男だった。
 この男には見覚えがあった。父親の事件のときにテレビのニュースで放送された警察の記者会見で見たのだ。
 顔を知っているのはもう一人いて、それは薬物対策課の課長――父親の元上司だった。
 他には目が垂れているせいで眠たそうに見える初老の男ともっとも下座にあたる入口のそばに若い男が座っていた。アタシは頑なにそいつを見ないようにしていた。
 その若い男の隣に藤田が腰を下ろした。アタシは藤田と父の元上司の間に挟まれる形になった。元上司はアタシを一瞥するとほんの少しだけ目許をゆるませた。小さい頃に遊んでもらったことがあるし、アタシが補導されたときにわざわざ所轄署まで会いに来てくれたこともあった。
「これで全員、揃ったようだな」
 ロマンスグレイが言った。全員の前にあるのは白磁のポットと湯呑みだけだった。
「いや、まだ一人来ていませんね。何と言ったかな、今回の件を通報してくれたのは」
 ダークスーツが藤田に訊いた。
「小野寺知巳氏は所用で出席出来ないそうです」
 藤田が答えた。アタシは事態が飲み込めずに一人を除いた全員の顔を見やった。
 そして不意に思い出した。
 小野寺知巳。トモミさんの本名だ。
「――どういうことなの?」
 アタシは藤田に小声で訊いた。もはや敬語を使う気はなくなっていた。藤田は手でアタシを制しただけだった。
「何故、彼は来ない? 通報者として、事情を説明してもらわなくてはならないはずだぞ」
「それは担当である我々からご説明出来ると思いますが。それとも、任意同行で引っ張ってきますか?」
 ダークスーツは藤田を睨んだ。藤田は意にも介していないようだった。
「まあ、君、いいだろう」
 ロマンスグレイは場をとりなすように大げさなほど優しい口調で言った。
「私は県警副本部長の柳澤だ。佐伯真奈さん、だね?」
「榊原真奈です。祖父の籍に入ったので」
「そうか。佐伯刑事の件では、我々の力が及ばずにあんな形になってしまった。ちょっとした行き過ぎだったんだろうが……」
「行き過ぎでも何でも、父が――佐伯真司が犯人を死なせた、いえ、殺したことに変わりはありません。――ですよね、村上刑事?」
 アタシは藤田の一つ向こうの席を見やった。村上は沈黙したままだった。
 柳澤は大きく咳払いをした。
「とりあえずメシにしよう。お嬢さんのお口に合うといいんだが。それまでの間に、ここにいる人間の紹介をしておこうか。片岡君、頼むよ」
 片岡と呼ばれたダークスーツが立ち上がった。
「その前に、本件は今の段階をおいても、非公開だということを忘れないように。県警内でもここにいるメンバーしか知らんのだ。佐伯――いや、榊原さんもそこのところを充分、理解しておいてもらいたい」
 苗字は断じて言い間違いではなかった。
「私は県警監察官室の片岡警視だ。こちらは――」
 隣の眠そうな男を示した。
「組織犯罪対策課の毛利課長。薬物対策課の権藤課長はご存知かな」
 アタシは頷いた。
「君の隣にいるのは組織犯罪対策課の藤田巡査部長。この件では、特例として捜査責任者をやってもらっている。本来なら、警部以上にしか捜査の指揮権はないのだがね」
 藤田はテーブルの下で親指を立てて得意げだった。どこまで本気でどこからふざけているのか、よく分からない男だった。
「村上巡査部長はご存知だね。博多署刑事一課。本件の発端となった高橋拓哉に対する傷害事件の担当でもある。我々に本件の情報をもたらしたという理由で、この捜査に加わってもらっている」
 村上はちょっとだけ頭を下げた。いつもと同じ無表情で何を考えているのかは分からなかった。
「とりあえずメンバーの紹介は以上だ。ところで藤田巡査部長、さっきの報告では被疑者の一味と接触したあと、逃したと聞いたが、どういうことなんだ?」
 藤田はいかにもやれやれという感じで立ち上がった。
「先程、FBR――福岡ビジネスリサーチの古瀬龍二、大沢隆之、永浦伸吾の三名と接触しました。こちらにいる――」
 アタシを手で示した。
「榊原さんを拉致しようとした現場に出くわしたんです」
「何故、三人の身柄を確保しなかった?」
「一人で三人を? 相手は腐っても元警官ですよ。その場では、彼女を救出するのが最優先と判断しました」
「正しい判断ですな」
 話が長引くのを嫌ったように毛利課長が口を挟んだ。部下を庇う目的もあるのかも知れない。
「それに、我々が介入していることを熊谷幹夫に知らしめたことで、向こうは証拠隠滅のために乱暴な手段を取りにくくなるでしょう。まあ、自棄になれば分からんですがね」
「しかし、それは同時に向こうに手を打たせる時間とチャンスを与えてしまった、ということでもある」
「それはそうですが……」
「何のことを言ってるの?」
 アタシは藤田に訊いた。声を潜めようかと思ったけれどこの部屋の広さでは無駄なので堂々と訊くことにした。それにアタシはこの回りくどい物言いに苛立っていた。
「何が?」
「警察が何を追っていて、それとアタシがどう関わってるのかって訊いているの。トモミさんの名前も出てたけど、何の関わりがあるの?」
 アタシは立ち上がってお偉方に向き直った。
「助けてくれたことにはお礼を言うわ。でも、こんなところで思わせぶりな話を聞いているほどアタシはヒマじゃないの。訊きたいことがあるなら単刀直入に訊いてくれない? 答えられることには答えるわ。もし無理やりにでも聞き出したいんなら、逮捕状でもなんでも取って取調室に連れて行けばいいわ。そっちで食べるカツ丼のほうが中華料理なんかよりよっぽど美味しいかもね」
 一息にまくし立ててどっかりと腰を下ろした。
 村上と藤田以外の全員が鼻白んだような表情を浮かべていた。
 副本部長と監察官、二人の課長は素早く視線を交わした。目の前の小娘に知っていることを喋らせるためにこの場をセッティングしたのに、自分たちが啖呵を切られるとはもちろん思ってもいなかったのだろう。
 立ち直る順番は階級と同じだった。柳澤は鷹揚な笑顔を浮かべた。
「確かに君の言う通りかも知れないな。事態は急を要する。ここは率直に我々の質問に答えてもらいたいのだが、事情が呑み込めなくては話しづらいだろう。――村上巡査部長、君のほうから事情を説明してくれないか?」
「了解しました」
 村上はそう言って立ち上がった。相変わらずアタシのことを見ようとはしなかった。

「まず、簡単に時系列に沿って説明します」
 村上が言った。研究発表の前置きのような口調で、警察の会議という感じはまるでしなかった。
「八月十日の早朝、博多区寿町、通称雑餉隈の路上で、高橋拓哉という福津市在住の十九歳の少年が倒れているのが発見されました。少年は全身の暴行を受けていて、病院に収容された時点では意識がありませんでした。博多警察署は傷害事件として捜査に着手。担当は私、博多署刑事課、村上恭吾巡査部長。――そこまではよろしいですか?」
 代表して柳澤が大きく頷いた。
「少年の所持品からは、加害者の手掛かりになりそうなものは見つかりませんでした。前日から当日の足取りも不明。本人所有の自動車は自宅に置かれたままでした。家人や友人への聞き込みによれば、少年が普段、雑餉隈近辺を訪れていた形跡はありませんでした。他の場所で暴行を受けて運ばれ後、現地に放置されたか、たまたま、そのときに限って雑餉隈を訪れたのかは分かっていません」
「現場周辺の聞き込みの結果は?」
 片岡が訊いた。
「聞き込みは行われていません」
「どうして?」
「一つには現場がJR南福岡駅、及び西鉄雑餉隈駅への通勤路から外れていて、目撃情報に乏しいと思われたことが挙げられます。もう一つは少年の容態が当初思われたほど重篤なものではなく、近いうちに回復が見込めるという診断が下りたことから、本人への事情聴取を行うほうが効果的だ、と判断されたからです」
「しかし、だからと言って、そんな手抜きを……」
 片岡はさらに言い募ったけれど、柳澤以外の三人は当然のことと捉えているようだった。
「まあ、いい。それで? 少年はどうなった」
「八月十一日の午後八時過ぎに意識を回復しました。それを受けて深夜に家族と医師の了解の上、本人の事情聴取を行いました。しかし本人は事件性を否定し一切の供述を拒否しました。事件後のショック、あるいは何らかの事情があることが考えられましたので、その日は一旦、聴取を中断しました」
「ところが翌朝、高橋少年は病院を脱走していたというわけだな?」
 片岡はそれ見たことかと言わんばかりに吐き捨てた。
「病院の監視カメラに高橋少年の映像が残っていました。抜け出したのは午前六時十二分のことです」
「そういうところだけ正確でも意味はない。これは明らかに君たちの失態だぞ」
「……ウチの課長にそう伝えたほうがよろしいですか?」
 片岡は苛立たしげに唇の端を歪めた。
「それで、その後、君たちはどういう対応をしたのかね?」
 柳澤が口を挟んだ。
「本人が事件性を否定している以上、傷害事件として捜査を継続するのは困難として、家族からの保護願いを受けての捜査という形に切り替わりました。それが事実上、捜査の終了を意味することは説明するまでもないと思いますが。いずれも博多署刑事課長、柳澤警部の判断です。それで本件は終了になるはずでした」
 村上はことさら課長の名前をはっきりと発音した。アタシは藤田のほうを見た。藤田は曖昧な微笑を浮かべていた。親戚か兄弟か、そんなところだろう。片岡が責任を追及しづらいわけだ。
「しかし、そうはならなかったんだな。巡査部長」
 村上は頷いた。
「その日の昼、小野寺知巳氏から私に電話が入りました。福岡の暴力団員、あるいは荒事を生業にしている男のことで、自分の言う特徴に合致しそうな人物がいたら教えて欲しいというものでした。捜査情報というほどのものでもないので、私に分かることであれば、という条件で彼の話を聞くことにしました」
 片岡の眉がスゥっと上がった。しかし何も言わなかった。話の流れを邪魔しない程度の節度はあるようだった。
 どうでもいいけどトモミさんを”彼”と呼ばれることにはかなりの違和感があった。父のパートナーとして旧知の中とは言っても、あのときトモミさんが電話した相手が村上だったことはそれなりにショックだった。
「小野寺氏が捜していたオオサワなる人物を特定するのは、それほど難しいことではありませんでした。その身体的及び外見的な特徴と、空手の使い手であるという条件に当てはまる大沢某は、そう大勢はいないからです」
 ここで初めて権藤課長が口を開いた。
「しかも、その人物はつい最近まで我々の仲間だったんだからな。村上、小野寺氏は何故、大沢を捜していたんだ?」
「正確には、捜していたのは、ここにいる榊原さんらしいですね」
 一同の視線がアタシに注がれた。
「――襲われたのよ。夜道でいきなり二人組に。そのうちの一人が大沢って名前の空手使いだったの」
 アタシは思いっきり端折って言った。片岡の目が底光りした。
「襲われる理由に心当たりは?」
「さあ。心当たりが多すぎて分かんないわ」
「真面目に訊いてるんだがね」
「真面目に答えてるわ。仮説や推測はいくらでも言えるけど、証拠は何もないもの。本人に訊いたわけじゃないし」
 まあまあ、という感じで毛利課長が割り込んできた。
「しかし、村上君。大沢隆之と高橋拓哉を繋ぐものがなければ、そこまで確信を持って大沢が該当者だと言い切れはしなかっただろう」
「もちろんです。それが徳永由真という少女の存在でした」
 アタシは村上をジロリと見やった。確かに村上は高橋の脱走直後、ウチを訪ねてきたときに由真のことを口にしている。
「徳永由真、十七歳。早良区大濠在住。医療法人敬聖会を経営する徳永家の令嬢です。高橋少年と交際していたと複数の人間が証言しています。榊原さんのクラスメイトでもありますね」
「親友よ」
 アタシは口を挟んだ。村上は特に反応を示さなかった。
「大沢隆之は警察を退職後、有限会社FBRという会社に勤めていますが、この会社の実質的なオーナーは敬聖会の経営コンサルタントでもある熊谷幹夫です。いささか根拠薄弱の誹りは免れませんが、何の関係もないと捨て置くことも出来ない繋がりでした」
「なるほどね」
 権藤課長が言った。
 部屋の入口では給仕の男性が料理を運び込んでいいものか、中の様子を窺っていた。
「どうするかね?」
「さっさと腹ごしらえをしてしまいましょうか」
 柳澤に片岡が答えた。
 合図をすると料理が次々に運び込まれてきた。麻婆豆腐や海鮮と野菜の炒め物、唐揚、スープ、あんかけ炒飯といった定番のものばかりだった。コースではなく適当に一皿料理を注文したようだった。仕事中ということで飲み物はノンアルコールだった。
 藤田と村上が料理を適当に取り分けた。アタシはあえて何もしなかった。
 崩壊してしまった家庭の食卓のように誰も何もしゃべろうとしない中、全員がそれを黙々とかき込んでいった。そもそも会食のために集まったわけでもないし、楽しい宴の雰囲気など最初から誰も求めていないのだから特に問題はないのだろう。
 食後の中国茶が全員のところに配られると、ようやく少し和んだ雰囲気になった。しかしそれも事件の話が再開するまでのわずかな間に過ぎなかった。
 ふと気づいたのだけれど誰もタバコを吸おうとしていなかった。柳澤はいつの間にか手元にあったはずの灰皿をどこかへやっていた。権藤、毛利の両課長は明らかに吸いたそうな顔をしていたけれど、上司が吸わないのに部下が吸うわけにはいかないのだろう。組織人の悲哀というと大袈裟だろうか。
「――さて、村上巡査部長。君が小野寺氏に大沢のことを教えてから、どうなったんだ?」
 柳澤はそんな部下の挙動には気づいていないようだった。
「小野寺氏から呼び出されました。大沢の所属するFBRについての情報が欲しいということで」
「君はいつもそうやって、民間人の依頼で警察の集めた情報を流しているのかね」
 片岡が口を挟んだ。
「情報を得るのにバーター取引が必要な場合には、流しても差し支えない範囲でやることはあります」
「バーター?」
「今回は、高橋拓哉への暴行事件、その背景になった別の事件の情報を得ることでした」
 アタシはようやく思い至った。トモミさんが見せてくれた資料の出所は村上だったのだ。その内容に対して調査の所要時間が異様に短かったのも、資料を渡してくれなかったのも無理はない。
「じゃあ、アタシが大沢のことを訊きに行ったときにはアンタ、全部知ってたの!?」
「全部じゃないが、お前がトモミさんに話したことはな」
 道理でこの無愛想な男がペラペラとしゃべったわけだ。
「……久しぶりにアンタとゆっくり話せて、ちょっと嬉しかったのに」
「彼女を恨むのは筋違いだ。お前の身の安全を心配していた上での決断だったんだから」
「誰もトモミさんのことを恨んだりしてないわよ」
「なら、いい」
 アタシと村上の間の軋轢が理解できない他の面々は、意味の通らない会話を聞き流すことにしたようだった。
「警察はその後、どういう対応をしたのかね」
 柳澤がその場を取り成すように言った。村上は何事もなかったかのようにそちらに向き直った。
「熊谷の目的が分からない部分もありましたので、そちらの捜査に着手しました。それと榊原さんに身辺警護をつけることにしました。捜査は私が、警護は藤田巡査部長が担当しました」
「ずっとつけてたの?」

 アタシは藤田に訊いた。
「トイレとIMSの女性専用スパ以外はね。エリミネーターの彼、いい雰囲気だったみたいだけど、どうなの?」
「……関係ないでしょ」
 藤田は得意げにウィンクしてみせた。アタシは顔が赤くなるのを感じていた。どこまでこの男に見られたんだろう?
 村上は興味なさそうに手元の資料に目を落としていた。気にしてくれると期待していたわけではなかったけれど、完全無視はさすがにムカついた。
 アタシはわざとらしい皮肉っぽいため息をついた。
「つまり、アタシのここ数日の行動はほとんど筒抜けだったし、そもそも、由真が行方不明なことも、それが徳永祐輔の医療事故隠蔽に関わってるってこともアンタたちは知ってたってことよね?」
「そういうことになるな」
「だったら一つ、教えて欲しいことがあるんだけど?」
「何だ?」
「そこまで分かってて、何でアンタたちは自分で捜査しようとしなかったの? アタシが言うのも変だけど、いくらでもアタシが持ってるものを横からかっさらうことは出来たはずよ」
「そう出来ない理由があったんだ」
「さっき、藤田さんも同じことを言ったわ。いろいろと思惑があってのことだって。でしょうね。警察のお偉方が雁首揃えてホテルの中華料理屋で打ち合わせなんて、どう考えてもおかしいもの。こういうのって普通は県警本部の会議室とかでやるもんじゃないの?」
「確かに普通はそうだな。いや、佐伯刑事の娘さんとは聞いていたが、なかなか利発なお嬢さんだ」
 柳澤が言った。
 意外なことに本当に感心しているようだった。アタシの悪行は耳に入っていないのだろう。
「そうなんだ。実は福岡県警はある事情を抱えている。熊谷幹夫に関する、ね」
「そんなことだと思ったわ。それって教えてもらえるのかしら」
「いいだろう。それについては、藤田巡査部長に説明を頼もうか」
「副本部長、それはいくら何でも……」
 さすがに片岡の顔色が変わった。当然の反応だった。もし徳永麻子が言っていたことが本当なら、それは県警にとって致命傷になりかねない爆弾だからだ。
「事がここに至っては仕方なかろう。それよりも一刻も早くこのお嬢さんに事態を理解して戴いて、協力して貰ったほうがいい。違うかね?」
「ハア……」
 片岡は尚も食い下がる理由を探しているようだったけれど、それが見つかる前に、説明役が村上から藤田へバトンタッチした。








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