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砕ける月

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  第 51 章  

 アタシはこのなかなか先へ進まない会議に苛立ちを募らせていた。
 こうしている間にも梅野や高橋、久住たちがどうなっているのか心配で仕方なかったからだ。
 毛利課長の言ったとおり、警察の介入を知らしめたことで熊谷たちが彼らを(縁起でもないけど)殺したりしづらくなったのは事実だろう。
 ただし、それは同時に熊谷を追い詰めてもいるのだった。熊谷がそもそもこの騒動の落とし所をどう考えていたのかは分からないけど、警察の介入は彼の選択肢を著しく狭めてしまった。
 もし熊谷がもはや逃げられないと観念してくれればすべては丸く収まるのだけれど、残念ながらそんな殊勝な人間には見えないし、逆に自棄にでもなってすべてをご破算にしようとでも考えたら――。
 アタシは不吉極まりない想像を頭の中から必死に追い払った。
 話が進まないのは尚も熊谷と県警の関わりを民間人のアタシに話すことに難色を示す片岡に対して、柳澤が打ち合わせをしようと言って片岡と藤田を部屋の外へ連れて行ってしまったからだった。
 実際にはそれほど興味のある話でもなかったし、徳永麻子の言ったことが本当ならおおよそ県警の抱える問題は想像出来た。彼らの目的が由真の持ち出した”絶対に表沙汰に出来ない三つのファイル”を手に入れて捜査情報が洩れる穴を塞ぐことであることも。アタシが持っているMOディスクにその情報が残されていると目星をつけていることも。
 由真の失踪に関わる一連の事件について把握しているのなら、彼らが訊きたいことはその点しかなかった。
 ディスクはもはやアタシには必要なかった。警察に引き渡しても特に問題はないし、むしろそうするべきなのだった。由真の意思には反するけれど、今となってはその内容を秘密にし続けることなど出来ないし、姉が妹を殺す現場の映像など見たくもなかった。
 それでもアタシが敢えて警察の事情を訊いたのは、それを彼らの口から聞くことで由真や梅野たちを助け出して熊谷や徳永夫妻を逮捕することよりも、警察の目的を優先されないようにするためだった。
 五分ほどで三人は戻ってきた。
 片岡の怒りを必死に押し隠しているような能面と藤田のしてやったりと言わんばかりの得意顔で、打ち合わせの行方がどうなったかが分かった。
 柳澤は待たせたねと言って藤田に説明を促した。
「さっきの監察官のセリフの繰り返しになるが、この件はほぼ機密事項と言っていい。くれぐれも他言は無用だ。いいね?」
 藤田はアタシに念を押した。アタシはコクリと頷いた。
「話はおよそ六年前に遡る。県警捜査二課と外事課、福岡税関は共同である密輸事件を追っていた。詳細は割愛するが、北九州にある某精密機械メーカーが、外為法に触れる代物を東南アジア経由で某国に輸出しようとしていたんだ」
 アタシが何か言う前に藤田は先手を取った。
「某国ってのは多分、君が想像してる国で間違いないんだが、話がややこしくなるんでそれは置いておこう。同じような事件は以前から度々あったし、そのときもそれほど複雑な構図じゃなかった。ただ、この事件の犯人グループにはちょっとばかり微妙なところがあったんだ」
「微妙なところって?」
「密輸に関わった会社の一つに、与党県連の有力者の弟が社長を務める商社の名前があったんだ。ついでに言うとこの機械メーカーにもその有力者の息がかかっていて、一説には密輸で得られた利益の半分もその有力者の懐に入ることになっていたらしい」
「汚い大人の世界ね」
「まさしくそのとおりだな。そういう事情があって、捜査は慎重を極めた。もし警察が嗅ぎつけたことが相手に知れれば、相手は隠蔽の手を打ってくるだろうし、場合によってはその有力者が圧力をかけてくる可能性もあったからね。情報が漏れないよう、警察は用心に用心を重ねながら証拠固めを進めた」
 藤田はお茶を手に取って一息に飲み干した。アタシはお替りを注いでやった。
「約一年に及ぶ捜査の末、県警は何とか証拠らしきものをつかむことに成功した。あとはその裏をとるだけというところまでこぎつけたんだ。ところが、もうすぐで摘発というときになって、とんだ事態が起こってしまった。捜査本部が事件のキーマンとしてマークしていた機械メーカーの重役が自殺してしまったんだ」
「……それって殺されたんじゃないの?」
「おそらくはね」
 藤田はオーバーに肩を竦めた。その時のことを思い出したのか、他の面々は一様に険しい表情だった。例によって無表情の村上を除いて。
「事件を立証するために絶対に必要だった男を失ったことで、捜査は暗礁に乗り上げた。関係者の誰もが憤って、同じ疑問を口にしたよ。”誰が捜査情報を漏らしたんだ!?”ってね」
「犯人は見つからなかったの?」
 藤田は首を振った。
「残念ながら。ただし、密輸グループに捜査情報をもたらしたとされる人物の名前は浮かんできた。証拠がなくて逮捕は出来なかったがね。その男こそ県警捜査二課のエースだった、熊谷幹夫元警部補さ」
 アタシは捜査二課が何をするところか訊ねた。隣の権藤課長が汚職や背任、詐欺、選挙違反などの知能犯罪を担当する、ある意味では一課よりも切れ者の頭脳派集団だと教えてくれた。同じ刑事でも熊谷にはそっちのほうがピッタリな気がした。
「熊谷って、本当は何をしている男なの?」
「強いて言えば、情報屋だな」
「情報屋ぁ!?」
 アタシは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
 あまりにも胡散臭い単語だった。アタシが連想した”情報屋”と言えば、廃ビルの非常階段の下とかビルの間の路地なんかで主人公にとっておきの情報を売るアル中のホームレスみたいなオジサンというイメージだった。だいたいその翌日には悪い奴らに始末されてドブ川に浮いているのが彼らの常だけど。
 アタシが何を思い浮かべたのか、おおよそのことは伝わったようで、藤田は懸命に笑いを堪えていた。
「……まあ、言葉にすると確かに怪しいが、後ろ暗いことのある連中にとって、警察の動向を調べてくれる熊谷の存在は、かなり貴重だと言えるんだ」
「それはそうでしょうね。でも、それが分かってて、何で熊谷を逮捕できないの?」
「奴の情報源が誰か分からないからさ。一般人が情報を売買すること自体は、たとえそれが警察の内部情報だったとしても、直ちに違法行為とは言えないからね。情報を洩らしている奴を押さえることが出来ればその共犯で逮捕できるんだが。それに熊谷だって年中、警察情報を売ってるわけじゃない。大物政治家だとかヤクザの大親分だとか、そういう裏社会のステータスのある連中のためにしか仕事をしないんだ」
「だから、警察も迂闊には手出しが出来ないってことなの?」
「俺が知ってるだけで二度、圧力がかかったことがあるよ。公共工事絡みの汚職のときと、選挙違反事件で名前が出たときだったかな。特定のケツ持ちのヤクザなしであれだけ危ない橋を渡れるんだ。ある意味大したもんだよ」
 徳永祐輔は熊谷のことを「経営コンサルタントとしては一流だ」と言って尊敬していた。熊谷のコンサルタントとしての技量がどの程度まで裏の仕事の余禄で賄われていたのかは分からないけど、”本当の叔父さん以上の存在”と呼ばれるに値しないことは間違いなかった。
「オーケー、熊谷幹夫がどんな男かは分かったわ。で、それと今回の件は、どう繋がってるのかしら」
「――その先は私が話そう」
 毛利課長が藤田を制した。藤田は腰を下ろした。
「我々は今回の高橋拓哉暴行事件、敬聖会の医療事故隠蔽事件の二つを、熊谷幹夫が初めて見せた綻びだと考えている。何がこれまで周到に立ち回り、なかなか尻尾を掴ませなかったあの男の行動を乱したのかは分からんが、千載一遇のチャンスであることは間違いない」
「それって、本当の容疑じゃ無理だけど、別件でなら引っ張れるかも知れないってこと?」
「身も蓋もないが、そういうことだ」
 その程度のことかと若干の失望を覚えなくもなかったけど、これまで鉄壁のガードだと思っていたのに意外なところにポッカリ穴があいていれば、パンチを放り込んでみたくなる気持ちは理解出来なくもなかった。
「しかし、我々はこの件を捜査するのに一つだけ大きな問題を抱えている。それは藤田刑事の話の通り、我々の動きが何処から洩れるか、皆目検討がつかないということだ。これまで洩れた情報の質と量から考えると、警察の内部には相当数の熊谷のイヌがいると考えられる。その中の一人にでもご注進に及ばれたら、せっかくのチャンスも水の泡だ。これまでと同じで圧力がかかってパァだ。もちろん君の友人たちの身もどうなるか分からん」
「だから、この少人数体制ってわけなのね」
「そういうことだ。まあ、それもさっき藤田刑事の体当たりで無駄になったわけだが」
「……すいません、アタシのために」
「仕方ないさ。シンさんの一人娘である君を悪党の手に渡すわけにはいかんからな」
 権藤課長が言った。
「真奈ちゃん、君がやっていることや掴んでいることは、大体のことはトモミさんを通じて我々も把握しているつもりだが、もう一度、ざっとで構わんから説明してくれないか」
 ご要望どおりにざっと話した。それでもそこに二つの殺人事件が絡んでいることに、一同の表情に緊張が走るのが窺えた。
「――いやはや、何とも救われない話だな」
 柳澤は嘆息した。
「そのMOディスクというのはどこにあるんだね?」
「ここに」
 アタシはヒップバッグからディスクを取り出した。靖子がクッション付きのケースに入れてくれてたとは言え、あれだけの立ち回りにも関わらず破損していなかったのは幸いとしか言いようがなかった。
「毛利課長、直ちにそいつを調べてくれ」
「分かりました」
 柳澤は大きく息を吸って(おそらく普段もそうなのだろうけど)訓示を垂れるような落ち着いた口調で言った。でもその声には熱が篭っていた。それは昔、父親と話しているときに感じたことがある警官の熱だった。
「藤田、村上、両巡査部長は直ちに熊谷幹夫の行方を追ってくれ。言うまでもないが、榊原さんの友人の身の安全が最優先だ。権藤課長は二人のバックアップを。毛利課長はディスク内のデータの解析が終わり次第、捜査一課の立花課長と連絡を取って、村松俊二殺害事件の捜査に取り掛かってくれ。ただし、その三つのファイルとやらの内容が確認出来るまでは、表立っては動けないということを肝に銘じておいてくれ」
「了解しました」
 全員を代表して毛利課長が言った。
「片岡君、君は私と一緒に来てくれ。何処の誰を相手にするか分からんが相当な大喧嘩になるぞ」
「お供します」
「よし、解散!!」
 柳澤の号令とともに全員が勢いよく立ち上がった。アタシも乗り遅れないように立ち上がった。

「――で、アタシのバンディットは何処にあるの?」
 アタシは藤田に訊いた。もはや敬語を使うことも忘れていた。
 藤田、村上、そして権藤課長の三人はホテルの車寄せで、預けていた各自のクルマが出てくるのを待っていた。
「へっ?」
「なに、とぼけてんのよ。運んでおいてくれるって言ったじゃない」
「あ、そうだったな。ちょっと待って、訊いてみるから」
 藤田はケイタイを耳に当てて、その場を離れた。
 先に出てきたパールホワイトの日産フェアレディZのキーを村上が受け取っていた。
 ちょっと覗いたコンソールは普通のZ、つまり村上の自家用のようだった。警察の捜査車両にこんな洒落たクルマはないだろうし、あったとしても所轄署の刑事に回ってくるはずはないけれど。
 村上は筋金入りのエンスージアスト(要するにクルマ好きのことだ)で、燃費の悪さやメンテナンスの面倒さ、奥さんの冷たい視線にめげることなくイタリアのランチア・デルタHFとかいう真っ赤な角ばったクルマに乗っていた。アタシがクルマ、特に外車の種類に詳しいのは、この男がウチに来るたびに置いていくクルマ雑誌を暇つぶしに読んでいたからなのだ。
「クルマ、替えたの?」
 アタシは訊いた。村上は予想外の質問にというより、アタシに声をかけられてちょっと戸惑っているようだった。
「……ああ。独り者になってカネの余裕が出るかと思ったら、意外に物入りでね。あんまり贅沢もしてられないのさ」
「Zだって刑事の給料にしては充分、贅沢なクルマだと思うけど。――それで、これからどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「熊谷の行方を追うんでしょ。手掛かりはあるの?」
「署に戻ってNシステムのデータを洗う。奴のメルセデスと藤田がぶつけたキャラバンのナンバーは控えてあるからな。あとはこっちが把握してる奴の出入り先が、そのデータと一致するかどうか、だな」
「そう。――ところでさ、ケヤって何処だか分かる?」
「糸島の芥屋のことか? なんだ、ゴルフに興味なんかあったのか?」
 やはり、どこかで聞いた地名だと思ったのだ。
 アタシはゴルフには欠片ほどの興味もないけれど、八月下旬に地元テレビ局が主催するゴルフトーナメントが糸島のほうのゴルフ場で行われることはこの時期、何度もテレビのCMで目にしている。そのゴルフ場の名前が芥屋ゴルフ倶楽部だった。
 そのことを村上に言った。
「いや、そっちのほうには奴に関係のあるようなところはないはずだ。――聞き間違いじゃないのか?」
「……そう言われるとちょっと自信ないけど。ま、いいわ。そこに行ったって決まったわけじゃないし。その何とかシステムのデータのほうが、アタシの耳より正確かもね」
 村上はちょっとアタシのほうを見やって、とりあえず頭には入れておくと言った。
 フェアレディZが車寄せから離れるのと藤田が戻ってくるのはほぼ一緒だった。
「計ったようなタイミングね」
「計ってるからね。しかし羨ましいよな。何でアイツばっかり、可愛い娘と知り合いなんだろ」
「可愛いって、誰が?」
「しまった。鏡を用意しておくべきだったな」
「そうやって、いつも、女の子を口説いてるのね」
 藤田は肩を竦めた。
「可愛くない娘に可愛いとは言わないよ。これでも俺は正直者なんだ」
「正直者は女の子をストーカーみたいにこっそりつけ回しておいて、土壇場でヒーロー面して出てきたりしないわ。もしアタシがあのクルマから逃げ出せなかったら、どうするつもりだったの?」
「キャラバンの後をつけて行くしかなかっただろうな」
「もし振り切られたら?」
「そうならないようにするしかなかっただろうな。当初は君を助けずにアジトまで連れて行ってもらう、そういう予定だったんだ」
「それが一転して特攻作戦になったのはどういうわけ?」
「権藤課長が言ったろ。佐伯刑事のお嬢さんを悪人に渡すわけにはいかなかったのさ」
 藤田は当然だろ、と言いたげにニンマリ笑った。

 その言葉の裏側に何かあるのは間違いなかったけれど、それが何なのかはこの調子の良い男からは窺い知ることは出来なかった。
「――まあ、いいわ。ところでアタシのバイクは?」
「ああ、そうだ。申し訳ないんだが、君のバイクはサファリと一緒に宗像だ」
「宗像ぁ!?」
「いや、本当に申し訳ない。俺の説明の仕方が悪かったみたいで、どっちとも同じ修理工場に持って行っちゃったみたいなんだ。お詫びと言っちゃなんだが、しっかり整備させとくから勘弁してくれ」
「いや、そういう問題じゃないでしょ?!」
 大げさに頭を下げる藤田の口許が微妙にゆるんでいた。
 アタシはピンときた。
最初からアタシの移動手段を取り上げるつもりだったのだ。
 梅野がいない今、バンディットなしではアタシは身動きが取れない。この時間では代わりのバイクの調達も出来ない。
 藤田の黒いクラウンと白いセドリックが車寄せに近づいてきた。藤田は素早く自分のクルマに駆け寄った。
「じゃあ、そういうことで。あ、悪いけど、家には課長に送ってもらってくれ」
「ちょっと、何が正直者よ!! 最初からそのつもりだったんじゃない!!」
 アタシはほぞを噛んだ。しかしどうしようもなかった。
 藤田のクラウンは検問を突破する違反車両のような勢いで走り去った。権藤課長がアタシの肩をポンと叩いた。
「家まで送ろう。乗りなさい」
 一瞬、ここでいいですと言おうかと思った。でも、ここで一人になっても何処へも行くことは出来なかった。靖子を呼び出せばまだ何とかなるのかも知れないけど、ついさっき自分がどんな目にあったかを思うと彼女をその危険に巻き込むことは憚られる。
 アタシは諦めて権藤課長のセドリックの助手席に乗った。
 平尾浄水までの車内で、権藤課長は何となく話しにくそうにアタシの近況を尋ねた。
「――まだ、街で遊び歩いてるのか?」
「卒業しました。今は普通に女子高生してますよ」
「普通に、か」
 権藤課長は口許に笑みを浮かべた。
「それを聞けば、シンさんもさぞ安心することだろう」
「父が?」
「筆不精のシンさんのことだ、真奈ちゃんにも手紙一つ寄越さないんだろうな。実はあっちの刑務官に一人、知り合いがいてね。シンさんの近況なんかが耳に入ってくるのさ。こっちからの伝言も伝えてもらったりしてな」
「そうですか」
 アタシは父を心配させるなとか、そんな説教が始まるのかと思った。しかし権藤課長が話し始めたのは別のことだった。
「県警が、と言うか俺たち薬物対策課が熊谷の裏の仕事で最後に把握しているのは、一年半前に起こった脱法ドラッグ事件のときだ」

「……それって」
「そう。シンさんが追っていた事件だ」
 クルマはいつの間にか城南線に入っていた。
「筋者がタッチしてない新種のドラッグで、そいつをガキどもが捌いてた。二月の話だったかな。グループから抜けたいと言って女の子が一人、俺たちに接触してきたんだ。シンさんと村上が内偵を進めて、取引の現場を押さえられそうだということになった」
 それはアタシも聞いたり父の公判を傍聴して知っていることだった。
「だが、取引現場に踏み込んでみると、売人のガキどもはドラッグを持っていなかった。警察が内偵していることも、その晩、そこへ踏み込んでくることも洩れていたんだ」

 そして父は主犯格だった少年を殴り殺した。
「でも、それが熊谷の仕業だってどうして分かるんですか? 熊谷は大物のためにしか仕事をしないって言ってたじゃないですか」
「グループの中には県議を勤めたこともある西区の大地主のドラ息子がいた。この事件と敬聖会が早良区に開院予定のクリニックの用地を取得した時期が見事に重なっている。当初はひどく難航したのにそれが嘘のようにあっさりとね」
「そんな……」
 意外な話にアタシは呆然とした。
「どうして、アタシにそんな話を?」
「……今となっては、熊谷の関与を立証するのは難しいだろう。ただ、今回の件に関わっている六人の中で俺と村上の二人だけは、奴に対して並々ならぬ怒りを抱いているってことを知っておいて欲しくてね」
「村上――さんが?」
「あいつだってシンさんの件ではずいぶん悩んだんだ。まあ、結果的にシンさんを刑務所に送っちまう後押しをしたが、それもあいつなりに考えて出した結論だ。もちろん真奈ちゃんにそれを許せと言っても無理な話だろうがね」
「アタシは――その、許すとか、そういうことじゃ……」
「いいよ、無理に納得しようとしなくても」
 権藤課長は昔、村上と二人でウチへ呑みにやってきたときのような人の良い微笑を浮かべていた。
 クルマはアタシの家の前に停まった。
「じゃあ、俺はここで」
「上がっていかないんですか?」
「娘婿を救えなかった上司も、招かれざる客の一人には違いないさ」
 アタシはクルマを降りた。運転席のほうに回って送ってもらったお礼を言った。
「心配だろうが、これから先は俺たちに任せてくれ。くれぐれも早まった真似をするんじゃないぞ。今度は捕まりそうになっても、後ろから特攻して助けてくれる奴はいないんだ」
 アタシは少し迷って、ハイと答えた。
「権藤さんが決断してくれなかったら、今頃、アタシはどこに連れて行かれてたか、分かんないですもんね」
「真奈ちゃんを助けるって決めたのは、俺じゃないよ」
「えっ?」
「俺と村上はあの時、二人で藤田の無線での報告を聴いてた。俺の指示は”そのまま尾行を継続”だったんだ。もちろん細心の注意を払ってという条件付だったが。ところが村上がいきなり無線機を引っつかんで、ぶつけてでも停めろって怒鳴りやがったのさ」
「そう、なんですか……」
「あの冷静沈着が服を着て歩いてるような男が、見たことないくらい取り乱してね。いや、シンさんの事件のときに一度あったか。とにかく、無線を聴いているときの村上の様子を見せてやりたかったよ」
 権藤課長はそれだけ言うと、おやすみを言ってセドリックをスタートさせた。
 アタシはしばらくその場に立ち尽くしていた。







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