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Left Alone

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  第 8 章  

「うわあ、すっご〜い!!」
 由真は満面の笑みを浮かべて、目の前の刺身の盛り合わせのどれに手をつけようかと箸先を彷徨わせていた。
「迷い箸しないの。行儀悪いなあ」
「ふーんだ。だってどれも美味しそうなんだもん」
 由真は鼻歌混じりに皿を見渡して、大振りな牡蠣に狙いを定めた。小皿にポン酢をなみなみと注ぐと、その中にもみじおろしとネギをこれでもかとばかりに放り込む。それじゃ肝心の牡蠣の味が分からないだろうと思うのだが、由真は何を食べるときもこの調子だ。
 店は開けたばかりで、席はまだまばらだった。
 アタシたちがいるのは店の一番奥まったボックス席だ。ここは板場と小窓で繋がっていて、フロア係の女の子たちの声も聞こえてくる。本来はオーナーが大事なお客と話しながら店内の様子を把握するためにそうなっている席だが、由真が訪ねてきたときだけ副店長の権限を悪用して利用させてもらっている。
 由真はプリプリの牡蠣を口に運ぶと、少しオーバーなくらいに「美味し〜いっ!!」と感嘆の声を上げた。
「でもさ、牡蠣って冬が旬なんじゃなかったっけ?」
「マガキはね。それはイワガキ」
「イワガキ?」
「そう。別名、夏ガキ。特にそれは糸島であがった天然物だからね」
「へえ、やっぱり詳しいね。さすが若女将」
「誰が若女将よ」
 隠れてバイトしていた時はフロアに出られなかったので、アタシは板場で紺色の作務衣を着て包丁を振るっていた。しかし、堂々とやれるようになってからは藤色の二部式の着物でフロアに立つようになっている。これとうぐいす色のエプロンの組み合わせは何だかレトロな感じで、実はアタシのお気に入りだったりする。
 由真はしばらくの間、玄界灘でとれた海の幸に舌鼓を打っていた。内心、ちょっと――いや、かなり――羨ましかったが、いくら何でも席に座ってご相伴に預かるわけにはいかない。
「――ところで、彼女に男の影はなかったわけ?」
「ん?」
「白石さんの部屋、見せてもらったって言ったじゃない」
「ああ、それね。アタシが見た限りじゃ、それらしいものはなかったけど」
「ホント? 洗面台に二人分の歯ブラシとか、男物の下着とかなかったの?」
「だから、なかったってば」
「へえ。でも一人暮らしなんでしょ? ドレッサーの中に隠してたりしないのかな。――ほら、アレとか」
「アレ?」
 わざとらそしく聞き返してみせたが、彼女が何を言いたいのかは分かっていた。避妊具の類だ。
「だって、恵の部屋にはあったよ。あとで聞いたら、千明も慶子も部屋に隠し持ってるって言ってたし」
「……あんた、耳年増すぎ。それと人の部屋を家捜しするクセ、どうにかしなさいよ」
 やたらと人の部屋を家捜ししたがるのは、数ある彼女の悪癖の中でもとりわけ迷惑なものの一つだ。この調子ではアタシの部屋も探されているかもしれなかった。まあ、アタシはそんなところには隠してないし、それ以前に今は使う相手もいないけど。
「だったら、彼女は何であのブライダルのショーを見に来てたんだろうね」
 由真は手元のグラスを口に運んだ。中身はウーロン茶だった。アタシ以上の酒豪の彼女も未成年であることには変わりなく、ここで飲んで何かあればアタシに累が及ぶことくらいは弁えている。
「アタシにあの手紙を渡しにきてたとか?」
「それはあり得ないよ。だって、ショーの感想が書いてあったじゃない」
「あ、そうか。だとしたらやっぱり偶然?」
「それもどうだろ。相手もいないのにブライダル・ショーを見に行く人っているかな?」
「よっぽど結婚願望が強ければあるかもしれないけどね。だとしたら――?」
「答えは一つしかないよね。今の真奈を知ってて、その上で見に行ったんだよ。だって、例のドライブ特集の雑誌はなかったんだし、その人が持ってた真奈の写真って今とはずいぶん違うんでしょ?」
「まあ、そうなんだけど」
「だったら他の仕事の写真を見たって、それが真奈だって分かるはずないじゃない」
 由真は執拗にその写真を見せろと迫っていた。当然、断固として拒否。あれを見られたら一生ネタにされかねない。
「でもさ、アタシがショーに出ることになったのって二日前の話だよ。どうやってアタシが出るって知ったの?」
「そこなんだよねえ……」
 行き詰った由真は天井を見やって、口をへの字に曲げていた。
「……ところでさ」
「何?」
「白石葉子と真奈のお父さんのことなんだけど」
「ああ、そっちの話ね」
 アタシと彼女の間には一つ取り決めがある。お互いの親の起こした事件に話が及んだときに妙な気遣いをしないというものだ。普通ならできるだけ触れないようにするものなのだろうが、今さら隠し立てするような事柄があるわけでもないし、それで話が滞るのも本意ではないからだ。実際に由真は自分の親のことを聞いているこっちが気まずくなるほどあけすけに話すし、アタシもそうするようにしている。
 もっとも、取り決めを厳密に守れているかと問われれば、アタシは顔を伏せざるを得ない。ついさっき、白石葉子のアパートの階段ですれ違った男のことを話せないでいたからだ。正真正銘の別人だというのに。
「その事件のときの女子高生って本当に彼女なのかな?」
 由真はアタシの葛藤に気づく様子もなく話を続けた。
「えっと、そう言われると……確証はないかな。でも、そうでなきゃあのスクラップ・ブックの説明がつかないよ」
「村上さんに確かめてみた?」
「えっ?」
「だって、その事件の担当って真奈のお父さんと村上さんなんでしょ。密告してきた女子高生のこと、写真でしか見たことなくたって名前くらい知ってるでしょ」
「あー、確かにそうだよね……」
 思わぬ指摘に言葉を濁すしかなかった。
 
 あの夜、村上は戻ってこなかった。
 アタシは朝まで彼の部屋にいて、灯りを消した部屋の中で一晩中すすり泣いていた。どれだけ飲んでも酔いが回るどころか頭は醒めていく一方で、身体だけがアルコールの許容量を越えてしまい、慌ててトイレに駆け込む始末だった。
 何をどうすれば村上との溝を埋められるのか、まるで見当がつかなかった。
 村上の言うようにそれは彼自身の問題ということにして、アタシは何事もなかったように振舞い続ければいいのだろうか。事情を話してくれなかった彼が悪いのであって、彼を恨んだアタシが悪いわけじゃないと。
 そんなことができるはずはなかった。
 時間が解決してくれるのだろうか。
 だとしたら、アタシはいつまで待てばいいのだろう。 
 
「おーい、真奈ちゃん」
 板場からアタシを呼ぶ声がした。
 我に返り、反射的に由真のほうを見た。彼女の関心は刺身盛り合わせに戻っていて、アタシが村上とのことに想いを馳せていたのは気づかれていないようだ。
 さっきオーダーしたガラカブの唐揚げがそろそろできあがる頃だった。何事もなかったような顔で小窓を覗き込んだ。
「あ、できました?」
「できたんだけどさ、ちょっといいかい?」
「何です? あ、そろそろお客さん、増えてきました?」
 いくら由真が時価のものを躊躇いもなくオーダーする豪胆な上客でも、忙しくなってからまで付きっ切りというわけにはいかない。チラリと視線を送ると、由真は分かってるというふうにウィンクで合図した。
「いや、そうじゃない。二階の座敷のお客でね、ちょっと変なのがいてさ」
「変なの?」
「ああ。何て言うか、ちょっとヤクザっぽい男なんだけど……」
 店長はそこで言いよどんだ。場所柄、中洲が近いのでそういう客が来ることも想定の範囲内ではある。そのために腕に覚えのあるアタシが雇われているわけではないだろうけど。
「因縁でもつけてきてるんですか?」
「いや、そうじゃないんだ。ただ……佐伯さんを呼んでくれって。佐伯って真奈ちゃんの芸名だろ?」
「そうですけど……」
 仕事が重なったときに休みをもらわなくてはならないので、この店の人間はアタシのもう一つのアルバイトのことを知っている。
「何だったら警察を呼ぼうか?」
 少し考えて首を振った。まだ何も起こってないのにそこまですることもない。
「一応、お客さんですしね。いいですよ、行ってみます」
「大丈夫かい?」
「多分。念のために外に男の子を待機させといてください。これじゃ脚を上げられないんで」
 着物をつまんで見せた。二部式の着物の下はほぼロングのタイトスカートと同じ作りだ。アタシの得意技である蹴りを放つには向いていない。
 男を案内したバイトの大学生がアタシを迎えに回ってきた。彼を従えて二階の奥にある座敷に向かう。一階にもまだ空いている席があるのに何故、そのヤクザまがいの男が二階に通されているのだろうか。
「だって、誰も来ない席に通せって言うんですもん」
 バイト生は怒ったように口先を尖らせて答えた。男に理不尽な要求を呑まされたことにか、年下のアタシに責められたことにかは分からない。多分、両方だろう。
 彼に外で待っているように手で合図して、座敷の引き戸を開けた。アタシは思わず息を呑んだ。
「よう、また会ったな」
 座敷の上座には、葉子のアパートの階段ですれ違った中年男が朗らかな笑みを浮かべて座っていた。

「……あなたは?」
 マイクのスイッチが切れたような沈黙のあと、ようやくその一言を吐き出した。
「立ち話もなんだ。いいから入れよ」
 中年男は座椅子の背に凭れながら、自分の部屋のような鷹揚な身振りでアタシを手招きした。ブラックスーツから一転して涼しげなアイボリーホワイトのサマースーツに着替えている。涼しげな感じは確かに増しているけれど、同じ分だけ胡散臭さも増している。
 男の向かいに座るのは憚られたが、だからと言って立ったままで見下ろすのも、少なくとも相手がお客である以上は憚られる。
 仕方ないので入ってすぐのところに座った。もちろん和服なので静々と。誰も信じてくれないが、祖母と茶席のお付き合いをする関係で正座はほとんど苦にならない。
「すいません、アタシに何の御用ですか?」
「おいおい、そんなに怖い顔するなよ」
 中年男は取り成すような口調で言った。がっしりした四角い輪郭と大振りな目鼻立ち、特に太い眉と垂れ気味の小さな眼の組み合わせは再ブレイク後のジョン・トラボルタを思わせた。額に一房だけ落ちるソフトな感じのオールバックや芝居がかった笑みの浮かべ方からして、それは自分でも意識しているようだ。
「外にいる兄ちゃんにビールを持ってきてくれるように言ってくれないか。キリンのラガーをビンで。あ、グラスは君の分もな」
「結構です。それにウチはそういうサービスはしてません」
「おやおや、堅いねえ。何もお酌してくれと言ってるわけじゃないだろ。少しくらい隣人の話し相手をしてくれてもいいじゃないか」
「隣人!?」
「そうだよ、佐伯真奈さん。本名は榊原さんだったっけ。――三年前から」
 苗字のことは特に秘密ではないが、だからと言って喧伝して回っているわけでもない。見ず知らずの人間に指摘される覚えはなかった。
「あんた、一体何者なの?」
「君の所属してるモデル事務所、社長は笠原美代子っていう小太りのおばさんだろ。昔はモデルだったらしいが。――ところでビールは?」
 このまま何も飲み食いさせずに店から叩き出したくなる衝動を必死で抑えた。座敷の外のバイト生にキリンのラガーとグラスを一つ持ってきてくれと伝えた。
「それがどうかしたの?」
「分からないかな。君の事務所、大名の雑居ビルの三階にあるだろ。ウチは同じフロアにあるんだ」
 男はヴェルサーチの名刺入れから一枚引き抜いてアタシに寄越した。小物の趣味まで熊谷幹夫と似ている。横書きの洒落たデザインの名刺には<上社調査事務所 上社龍二>という名前と”Ryuji Kamiyashiro”の英語表記、電話やファックスの番号などが記してある。

 住所は確かに大名一丁目、モデルプロダクションと同じだった。そういえば同じフロアの奥に、何をしているのかよく分からない会社があったような気がする。
「調査事務所って……探偵ってこと?」
「いんちき臭く聞こえることはわかってるが、そうだ。調査依頼を受けていたんだ。君のことをね」
「アタシの? 誰から!?」
 上社は質問には答えなかった。代わりに手元のシステム手帳を開いて、そこに書いてあることを読み上げ始めた。
「えーっと、榊原真奈。旧姓、佐伯。一九八八年七月二十三日、福岡県福岡市生まれ。先月、十九歳になったばかりか。父親は警察官、母親はピアノの先生。もっとも、その母親は二〇〇〇年の一月に死去。以後、父親と二人暮らし。二〇〇四年の五月に父親が傷害致死事件を起こして逮捕されて、祖父母のもとに引き取られた。その際に祖父母と養子縁組したんで苗字が変わっているんだな」
 上社は一息ついてアタシをチラリと見やった。自分の顔が怒りに紅潮していくのが分かった。
「で、現在は福岡大学人文学部日本語日本文学科に通いながら、居酒屋の副店長とモデルのアルバイトの二足、いや、三足の草鞋を履いている。居酒屋のほうは高校生のときから隠れてやっていたようだが。モデルはまだ半年足らずだが、その割には結構仕事をしているな。プロフィールによると身長は百七十三センチ、靴のサイズは二十六、服は九号か十一号。スリーサイズはバストが――」
「いい加減にしてくれない!?」
 上社は大げさに肩をすくめた。
「まだ、全部読み上げてないが?」
「自分のサイズをあんたに教えてもらう必要はないわ」
「ま、そうだな。どうでもいいが、何でモデルとかタレントは揃いも揃ってウェストが五十九センチなんだ?」
「あたしが知るわけないでしょ」
 六十センチ以上あると印象が良くないからだ。かく言うアタシもサバを読んでいる一人だが。
 バイト生がビールを運んできた。アタシの顔を見てギョッとしたように口ごもった彼からお盆ごとビールを受け取った。
「店長に言っといて。何も問題はないからって。そう言えば、他のオーダーは受けたの?」
「いえ、まだですけど……」
「あ、何か副店長のお奨めを出してくれ。ここは海鮮料理の店なんだよな?」
 上社が口を挟んだ。アタシは部屋の中を一瞥してバイト生に向き直った。
「時価って書いてあるもの、一通り持ってきて」
「ヘッ!?」
「いいから。板長に腕によりをかけてって言っといて」
 何か言い返そうとして、彼はアタシの表情に怖れをなしたように引き下がった。彼が階下の厨房へ向かうのを見送ってから、わざとピシャリと音を立てて襖を閉めた。
「構わないわよね? それともメニューを一通りのほうが良かった?」
 上社は小さな目をさらに細めて苦笑していた。
「やるねえ。本当に若女将みたいだ」
「アタシの仇名まで調べがついてるってわけ?」

「いや。さっき、下で友だちに言われてただろ」
「……何処で聞き耳を立ててたのよ」
「そうじゃない。あの席は外から見えるからな。俺は唇が読めるんだ」
 アタシは上社の前にグラスを置いて、ビールのビンを手に取った。
「どうぞ」
「おや? そういうサービスはしてないんじゃなかったか?」
「サービスじゃないわ。早いとこ、これを空にしてあんたの頭をぶん殴りたいだけ」

「好きにしてくれ。でも、だいたい俺は女性にお酌をさせるのには反対なんだぜ。これでもフェミニストで通っていてね」
「フェミニストぉ?」

「そうさ。家に帰ったら広辞苑で引いてみてくれ。用例のところに俺の名前が載ってる」
 それから料理ができるまでの間、目の前の自称フェミニストは美味そうにビールを喉に流し込んでいた。
 話の続きを始めても良かったが、途中で料理が運ばれてきて話の腰を折られるのは嫌だった。ウチがいくら少々値段が高めの店でも時価物はそう多くはない。それほど時間はかからないはずだ。
 殴ってやりたいのは半ば本気だったけれど、ちょっとだけ腹いせをしたおかげで気持ちが落ち着いてきた。
 上社が誰の依頼でアタシの身上調査をしていたのかは知らないが、常識的に考えて探偵が自分の立場を明らかにして調査対象に接触することがあるとは思えない。しかもこの男は”受けていた”と過去形で言った。
 つまり、上社の目的は依頼されていた調査とは別のところにあるのだ。だから、思わせぶりな物言いでアタシの神経を逆撫でして、自分のペースに丸め込もうとしている。
 心の中で盛大に舌打ちした。
 
 ――くそっ、やり口まで熊谷そっくりじゃないか。

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