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Left Alone

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  第 10 章  

 バイト先の居酒屋に奇妙な訪問者が現れた翌日。久しぶりにモデルの仕事が入っていて、アタシはけやき通りにある真新しいファッション・ビルに来ていた。
 そのビルはレンガ色のタイルで覆われた広々とした吹き抜けの真ん中に黒檀のような色合いの階段があって、一階と二階の両翼にそれぞれブティックやセレクトショップが入っている形になっている。その階段と前庭をランウェイにして、秋口に向けてそれぞれのショップが売り出す商品のショーが行われるのだ。
 六軒あるショップに一人ずつモデルが配されていて、午後一時と三時半の二回、それぞれ七着から八着の服を着ることになっている。それぞれのショップのプレゼンテーションなのでオープニングを除けば一度に二人がステージに出ることはない。
 なので、それほどタイトなタイムテーブルにはなっていないのだが、だからと言ってのんびり構えてはいられないのがバック・ステージの実情だ。事前にサイズの打ち合わせをしておいたにもかかわらず当日になってそれが揃っていなかったり、逆に準備してあるものが入らなかったり(太ったというわけじゃない。同じサイズ表記でも微妙に違っていたり、シルエットが合わないのはよくあることなのだ)、さらにその場の思いつきでコーディネートが変わったりするからだ。
 アタシはいわゆる”お姉系”と言われるジャンルのセレクト・ショップで一回めのショーの準備をしていた。
 それほど歳の違わなそうな店員から最初の衣装を渡されて、控え室代わりの更衣室に入る。付き人状態の由真はカーテンから首を突っ込んで、その様子をジッと眺めている。最初はいくら女同士でも恥ずかしかったけど、今では平気で着替えるようになってしまっている。慣れというのは恐ろしいものだ。
「……ふ〜ん。それで真奈ってば、自分だけちゃっかり美味しいものご馳走になったんだ?」
 由真はジト目でアタシを睨んだ。昨日は学部の飲み会とやらで、上社を見送る少し前に店を後にしている。彼女はそのまま午前様だったし、アタシもバイトが終わるのが遅かったので今ごろ昨日の話をしているのだ。
「自分だけって……あんた、あれだけ牡蠣とかお刺身とか食べてたじゃない」
「あれは自腹だもん」
「そういう問題?」
「そうだよ。それにね、あたしには真奈の食べすぎの監視って役目があるの。――ちょっと、キツイんじゃない、それ?」
 タグの数値上は入るはずのローライズのスキニーデニムは、アタシの太腿あたりで微妙に引っかかっている。
「これ、ワンサイズ上ってないのかな?」
「あるかも知れないけど、それ、お店の人に言いにくいよね。まだ時間あるからその辺を走ってきたほうがいいんじゃない? 何ならサウナに行ってさ」
「計量前のボクサーじゃあるまいし。――由真、お店の人が来ないか見張ってて」
 狭い更衣室の床に脚を折り畳んで横になって、スキニーデニムに下半身を捻じ込む。立ったままでは無理なものでも横になれば履けるというのは知ってたけど、実践するようになったのはやはりこの仕事をするようになってからだ。
「……よいしょっと」
「おー、すごいすごい」
「棒読みで言わないでよ。ゴメン、それ取って」
 ――まさか、破れないだろうな……。
 拘束具で固められた下半身を気遣うように立ち上がり、由真が手渡してくれたキャミソ−ルを頭から被った。胸元が大きく開いていて中に着ているベアトップが丸見えだ。鏡で改めて見ると肩や腰周りなどかなり肌が露出していて、これとリブニットの薄手のカーディガンの組み合わせのどの辺りが秋口のコーディネートなのか、アタシには理解できない。
 更衣室を出ると、さっきの店員がウッドビーズのバングルやちょっとオリエンタルなネックレスなどを持って近づいてきた。それを身につけながらハンガーにセットされている二着目以降の衣装に視線を飛ばした。
 アタシの思惑を察したのか、由真はパンツスタイルのコーディネートに使われているものをチェックして、同じもののワンサイズ上を捜しに行ってくれた。ショーが始まってしまえば、こんなに悠長に着替えてはいられない。


 夏休み中とは言え平日の、しかもショップ主催のファッション・ショーにしてはギャラリーは盛況だった。黒山の人だかりというとちょっと(いや、かなり)オーバーだけれど、店の前の歩道にまで見物人が溢れていて、見るからに安全な道路の往来を邪魔している。表面上は和やかに準備が進んでいるようだが、スタッフが険しい表情で打ち合わせをしているところからして、警察が注意しに来ることを警戒しているのかもしれない。
 高校時代の友人たちから一様に「……あり得ないよね」と言われるほど業界人の知識に欠けるアタシでも、このビルのショップがいずれも頻繁に雑誌やテレビ局の取材を受ける人気店であることは知っていた。しかし、ここまでとはちょっと予想していなかった。
 おそらくこの話をすると、口さがない友人たちはまた「信じられない!!」を連発するのだろう。アタシのファッションへの無頓着さと、そんなアタシがこの場でステージに立っているという両方の事実に。後者に関してはまったく同感だ。

 スタッフの一人、プロダクションの常務でもある社長の妹が近寄ってきた。丸々とした社長とは正反対のスレンダーな体型で、顔立ちもどちらかと言えばキツイにもかかわらず甘ったるい声で話す優しい人だ。この姉妹は二人とも外見と中身の印象が丸っきり反対なのが何となく笑える。
 進行表を片手にアタシともう一人のモデルに最終の確認をさせてから、彼女は慌しく他のモデルのところへ駆けていった。オープニングは三人ずつ出るようになっていて、アタシは後の組になっている。しばらくの間、ギャラリーからは見えない二階の廊下からステージの形状などを確認しながら打ち合わせで聞いたことを頭に叩き込むのに専念した。
「あ、真奈ってばここにいたんだ」
 いつの間にか由真がアタシの背後にいた。
「もう時間?」
「ううん、あと十五分ぐらいあるよ。すっごいね、お客さん」
「そうだね。緊張してきた」
「うそ。そうは見えないよ」
「本当だって」

 由真は何か言いたげだった。彼女がそんな素振りをすることは珍しい。
「どうしたの?」
「ううん、ちょっとね。ねえ、昨日の人ってさ、ウチの事務所のお隣さんだって言ったよね」
「……上社さん、だったかな。それがどうかした?」
「どうして昨日、姪浜で会ったことを話してくれなかったのか、ちょっと分かった」

 思わずまじまじと由真の顔を見た。咎めている様子はなかった。
「そんなに似てないよね?」
「うん。……まあ、ね」
「話したの?」

「ちょっとだけ。真奈を訪ねてきたんだけど、打ち合わせ中だって言ったらこれをって」
 由真が差し出したのは畳んだ今朝の朝刊だった。
「何、これ」
「読めば分かるって。社会面の一番下」
 言われるままに新聞を開いた。そこには<姪浜のひき逃げ、犯人逮捕>とあった。
 昨夜、西署に出頭して逮捕されたのは東区馬出の十九歳の少年で、わき見運転をしていて自転車で横断中の葉子に気づくのが遅れて撥ねてしまい、先輩から借りたクルマだったこともあって怖くなって逃げてしまったというのが動機だ、と記事は伝えていた。
 よくある、と言っては被害者は救われないけれど、世間ではよく目にする交通事故の幕切れだった。事故当時の飲酒や薬物の使用については記事は触れていなかった。充分に疑いうることでも、後からそれを立証するのは困難だろう。だから、彼らは事故現場から逃げるのだが。
 警察の中にいる数人の知り合い――例えば藤田警部補――に訊けば、もうちょっと細かいことが分かるかもしれない。しかし、それをする意味はあまりないような気がした。
 アタシは由真と並んでもう一度、ギャラリーのほうに目をやった。ふと、居並ぶ若い女性の中に白石葉子がいるような奇妙な感覚に捉われた。もちろん、そんなはずはなかったが。
 もしあの夜、交通事故に遭っていなかったら、彼女は今日のショーも見に来てくれていたのだろうか。

 ショーは大きなトラブルもなく無事に幕を下ろした。
 ウチのプロダクションはいくつかの事業を手がけている。大きく分けると、モデルの派遣を主とする本業と言っていい部門と、イベントを請け負ったり自分たちで企画する事業部門になる。後者のほうは東京帰りの常務が入社した二年前に新設された部門で、まだそれほど経験や実績があるわけではない。
 露出が多い今回のショーはそんなウチにとっては大きな仕事で、二回めのショーが終わると常務はその場にヘナヘナと崩れ落ちていた。スタッフもどっかりと壁にもたれて胸を撫で下ろしたり、魂が抜け出るように大きく嘆息したりしていた。つまるところ実績だけがモノを言う業界なので、そのプレッシャーたるや尋常なものではなかったはずだ。
 警固の焼き肉屋で行われた打ち上げの席では、その反動のようにスタッフ一同はヒート・アップしてしまっていた。まともだったのは最初の十五分くらいで、それ以降は会話は何の脈絡もないものに変わっていった。それにつられるようにビールのジョッキがぶつかり合う音や、誰かが何かをこぼして騒ぎ立てる声が伝染していく。
 アタシは驚き半分、微笑ましさ半分でその様子を見守った。もう一つのアルバイトもそうだし、父が自宅に人を招いて飲むのが好きだったせいでこういう騒がしさには慣れている。それでもちょっとお目にかかれない乱れっぷりだ。まあ、酒は取り澄まして飲むものではないと思うが。
 アタシよりは長いとはいえ、入って一年に満たない由真にとってもそれは驚きだったらしい。およそ二時間をノンストップでしゃべり倒した挙句、ビールと焼酎でヘロヘロになって店から運び出される常務を苦笑いしながら見送っていた。
「あー、面白かった。常務、ぜったい明日は二日酔いだよね」
「そうだね」
「ところで、これからみんなでカラオケ行くけど、真奈も来るよね?」
 由真は当然のように言った。満面の笑みの中に隠しようのない邪悪な企みが見え隠れしている。どうせいつものように適当な曲を選んでは、アタシに無茶振りしてくるのだ。
 普段だったらそれもいい。しかし、今はそんな気になれなかった。

「えーっと……」
「どうかしたの?」
「ちょっとね。あのさ、由真――」
「ねぇ、真奈ちゃんって歌が上手いってホントっ!?」

 横から留美さんが口を挟んできた。アタシと由真がお気に入りで、普段からよくお茶に連れて行ってくれる先輩モデルだ。アタシのステージデビューのきっかけになった人でもある。常務のお気に入りなのでずっと隣にいたせいか、この人もずいぶんとアルコールが入っているようだ。
「いや、そんなこと――」
「そうなんですよ。真奈ってばバンドのヴォーカルだったんです」
「ホント!? だったら、ぜひ自慢の喉を披露してもらわないとね〜」

 手で口を塞いでやりたかったけれど、間に合わなかった。代わりに由真を横目で睨んだ。由真は気にする様子もなく涼しい顔をしている。
 留美さんはそう言って、タクシーを手配しに店のレジのほうに駆けていった。

「……由真」
「なぁに?」
「悪いけどアタシ、帰るから」
「えーっ、どうして!?」
 いかにも意外そうに由真が大声をあげる。
「何となく。ここんとこ暑かったからエアコンの風に当たりすぎて、風邪気味なんだよね。喉の調子も良くないし」
 嘘だ。そんなにエアコン漬けの生活ではないし、それに上社風に言うなら「バカは風邪ひかない」という言葉の用例に名前が載っていそうなくらい、アタシは風邪とは無縁だ。
 カラオケが嫌いなわけじゃない。というか、歌うのは大好きだ。そうでなければバンドのヴォーカルなんて引き受けたりしない。由真のリクエスト攻撃にはちょっと閉口するけど。
「……ふうん、真奈ってば気にしてるんだ?」
「何を?」
「ファンレターの主のこと」
 由真は笑みを消して真顔に戻っていた。表情豊かな彼女がこういう顔をすると余計に厳しく見える。わがままで突拍子もないことを言い出してはアタシに”人の気も知らないで”と思わせてくれるけど、本質的に彼女は鋭い。ごまかせそうにはなかった。
「……まあね」
「ホント、サバサバしてるようで、真奈ってば思い悩むほうだよね」
「だって……」
「ほら、そういうとこ。こう言っちゃなんだけどさ、真奈が気にしたって仕方ないことじゃないの?」
「分かってるよ。でも……」
 確かに由真の言うとおりで、手紙をもらっても連絡を取らなかったのはアタシの落ち度ではない。彼女が何者なのか知らなかったのは当然のことだ。白石葉子が事故に遭ったことはアタシには何の関係もない。
 葉子がアタシを捜した理由、そして手紙を寄越した理由は上社から聞いていた。それが本当かどうかは分からないけれど、確かめる術がない以上、気にしても仕方ないことだ。それも分かっている

 
 何が気になっているのか、自分が何を知りたいのかは分かっていた。
 三年前、アタシの父は葉子から助けを求められてドラッグの密売グループを追い、そして葉子を守るためにその手を汚した。
 その是非を今さら問うつもりはない。正しかったかどうかはともかく、父は自分の信じるところに従ったはずだからだ。だから、村上に自分を告発することを求めた。
 しかし、それは娘のアタシが知らない佐伯真司だった。
 改めて振り返ると、アタシは自分の人生を大きく変えたあの事件のことをほとんど何も知らなかった。知っているのは報道や裁判で表沙汰になったことのような表面的な事柄と、父の真意を教えてくれた村上の話だけだ。父が守ろうとした少女のことも、そして父が殺したドラッグの売人のことも知らなかった。


「あー、もう、じれったいなぁ」
 由真は口を尖らせてアタシの腕を掴んだ。そのまま強引にカラオケに行くメンバーの輪のほうに引っ張っていこうとする。
「ちょ、ちょっと由真、どうしたのよ?」
「お父さんの事件のことが知りたいんでしょ。いいじゃない。調べようよ、真奈とあたしの二人で」
「えっ!?」
「だって、真奈がそんなにウジウジ考え込んでたら、あたしもつまんないもん」

「由真……」
 彼女は屈託のない、いつもの微笑を見せていた。
「だからさ、とりあえず今日のところは、カラオケで思いっきりストレス吐き出したほうがいいって。――ほら、この頃、真奈がロードスターの中でよく聴いてるやつ。あれ、歌ってよ。なんていったっけ、エブリデイ・イズ、なんとかって」
「〈エブリデイ・イズ・ア・ワインディング・ロード〉?」
「そう、それそれ。あのサビの前が早口のやつ。――あ、真奈ってばいつかのライブで、口が回らなくてごまかしたことあるよね」
「何でそんなつまんないこと、覚えてんのよ」
 自分の顔が綻ぶのを感じた。照れ隠しに少しだけ頬を膨らませて見せた。
「そんなこと言ってさ、あんた、アタシに付き合うよりもカラオケで歌わせるほうが本題なんじゃないの!?」
「えへっ、バレた?」
 由真は悪戯っぽく目を細めて舌先を覗かせた。
 先のほうでタクシーを待たせている留美さんが大声でアタシたちを呼んだ。二人で顔を見合わせてから、そっちに向かって駆け出した。

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