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Left Alone

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  第 13 章  

 親不孝通りは天神の北側、渡辺通りに沿うように南北に伸びる四百メートルほどの通りだ。
 辺りが”大人の中洲、若者の親不孝”と言われた福岡を二分する盛り場だったのはアタシが子供だった頃の話で、従ってアタシがこの通りの逸話について知っていることの大半は、親や周囲のある程度の年齢の人たちから聞いたことで占められている。
 当時の親不孝通りは浮かれきった若者たちがたむろする、けばけばしいネオン、嬌声と怒声、けたたましいクラクションに満ちた通りだったのだそうだ。片側一車線の狭い道を車高を落としたクレスタやマークUといった若者御用達のクルマが大名行列のように連なっていて、週末ともなれば歩道はまっすぐ歩くことができないほどごった返したのだと言う。
 当然、一歩間違えば警察沙汰の乱痴気騒ぎも日常茶飯で、一度、父が同期の人たちと近くで飲んでいて、クルマのサンルーフからロケット花火を乱射しながらバカ騒ぎしていた連中と大捕り物になったことがあるらしい。良くも悪くも狂騒に満ちた街だったわけだ。
 それに比べて今の親富孝通り――今は正式にはこう表記する――はランドマークだった北口の二つの予備校がなくなり、盛り場の中心も南寄りの大名や今泉、警固などの南天神に移ってしまったこともあって、最盛期の伝説が信じられないほど寂れてしまっている。
 あるのは居酒屋やスナック、風俗店、クラブ、ゲームセンター、カラオケボックス、インターネットカフェ、マンガ喫茶、メイドカフェなどで、気ばかり荒くてカネのない若い連中が集まるせいか、率直に言って他の盛り場と比べると治安は良くない。女性客の姿をあまり見ないのはそのせいだと言っていいだろう。アタシもよほど行くところがなくならない限り、進んで近寄ろうとはしなかった。
 まあ、アタシの場合は治安だけが問題だったわけではないが。

 不良少女だった三年ほど前、遊び歩いていたと言っても独りでただフラフラしていただけのアタシは、夜の街でも所詮はエトランジェでしかなかった。
 それでも、ずっと街にいればそれなりに知り合いはできるもので、顔を合わせれば挨拶をする程度の顔見知りはいた。そんな中に絡まれていたところを助けてやったことがある顔見知りの少女がいて、彼女の誘いで一度だけ親不孝通りのクラブに足を踏み入れたことがある。
 メロディすら定かでないトランス系の音楽をバックに、少女の彼氏やその友人たちとしばらく話をした。女だてらに男たちと大立ち回りをやらかすアタシは結構有名人だったようで、その場ではずいぶんと持ち上げられた。アタシが病院送りにした誰かが彼らと犬猿の仲だったというのも、その友好的な態度を後押ししているようだった。

 久しぶりにアタシは孤独が癒されるような思いをしていた。
 そのうち先に帰るメンバーがいたりして座が白けてきて、その場はお開きになった。少女とその彼氏、その他数人と違う店に行くことになり、アタシも成り行きで一緒に行くことになった。
 誰かのワンボックスが長浜の倉庫街に違法駐車してあって、そこまで連れ立って歩いていく途中、長浜公園の前に差し掛かった。
 そこは父が渡利純也を死なせた現場だった。思い出さないふりをしていても、そこはアタシにとって口の中に苦いものを感じずにはいられない場所だ。それは今でもそうで、わざわざ避けるまではしなくとも好き好んで通ったりはしない。
 誰かがふと、ゴールデンウィークにそこで起こった事件のことを話し始めた。
 アタシの本名すら知らない彼らが、アタシとその事件が繋がっていることを知るはずはなかった。彼らは単純に、それを他人事として話しているのだった。しかし、自分が糾弾されているような居心地の悪さを感じずにはいられない。当然のことだ。
 酔いは一気に醒めてしまっていた。アタシはあらぬ方向を見やって、懸命にその会話を耳から締め出そうとした。しかし、酔って大声になった彼らの言葉はアタシに容赦なく突き刺さった。
(でも、殺されたヤツってドラッグ捌いてたんだろ? 自業自得じゃねえの?)
(そうだけどさ。おかげでハッパ、手に入らなくなっちゃったし。まったく、いい迷惑だよ)
(まあな。ま、おかげでしばらくは警察もあんまりウルサイこと言わないけど)
(どうする、その刑事、ムショから出てきたら?)
(襲っちゃう?)
 少年たちが爆笑する。その屈託のなさがアタシからすべての感情を削ぎ落としていた。
(あ〜あ、信じらんないよな、刑事が人を殺すなんてさ)
(ホント、世も末だよね)
(ねえ、マナはどう思う?)
 顔見知りの少女の声に、アタシは薄笑いを浮かべるしかなかった。
「……そうだね」
 そこにもアタシがいる場所はなかった。アタシは用事を思い出したと言ってその場を去った。

 昼間はサラリーマン向けのランチを出す店くらいしか開いていないので、通りの寂れ具合はより一層のものだ。多少、雨足がおさまったといってもこの天気では尚のことだ。
 目指すビルは親不幸通りの中ほどにあった。かつて、そこに九州最大のディスコ”マリア・クラブ”があったことから、今でもマリア通りと呼ばれる横丁に程近いところだ。
 コンクリートの外壁にはうっすらとヒビが入っていて、正面入口の飾りタイルには雨垂れの染みが、まるで泣き崩れた顔に流れたマスカラのように醜い線を作っている。ビルディングの”BLD”という浮き彫りの”L”が剥がれ落ちていて、タイルに残った接着剤の跡が辛うじて文字の形を主張している。
 レンガ色のタイル貼りのロビー(と呼ぶのもおこがましいのだけれど)の奥の小さなエレベータに乗って、迷わず四階のボタンを押した。
 閉所恐怖症の人にとっては拷問のような箱から開放されると、目の前に薄汚れたスチール製のドアがあった。店で行われるイベントの告知をする張り紙がドアや周りの壁にこれでもかと貼ってある。汚れの大半は乱暴に剥がされたポスターや貼り紙のテープの痕で、中には誰かがタバコの吸殻を押し付けたような焦げの痕もあった。

 ドアの上の看板にはゴチック調の飾り文字で”BONNY AND CRYDE”と記されている。来たことはなかったけれどこの店があることは知っていたし、葉子のメモにあった”ボニー&クライド”であることには確信と言ってもいいものがあった。
 ここは事件の舞台になった、父と村上が渡利純也と対峙したクラブだった。

 閂が下りている手応えが重いドア越しに伝わってくる。待ち合わせの相手はまだ来ていないようだ。
 それまでの間、アタシは何のために置いてあるのかよく分からない樽の上に腰を下ろして、葉子が残していたメモを見ながら考えを巡らせた。

 メモには表書きとは別に、もう一つ手掛かりがあった。四つ折りにして切り取られた紙の端に、ファックスを受信したときのヘッダーの印字が残っていたのだ。発信元の番号は切り取られた部分で途切れて市外局番の”〇九二”しか読み取れなかったが、受信日時はしっかり残っていた。二〇〇七年五月三日。奇しくも父の事件と同じ日だ。
 葉子の部屋にはファックスどころか固定電話自体がなかった。彼女の生活の範囲から察するに勤め先のラウンジのものである可能性が一番高いように思える。おそらく葉子がケイタイで電話を受けたときに手近にあった紙にメモを残して、必要な部分だけを破り取ったのだろう。
 それは葉子が千原和津実と待ち合わせをしたのが今年の五月三日以降ということを示している。確かめたわけではないが、葉子が見に来たブライダル・ショーが五月末だったことを考えると、上社にアタシの調査を依頼した時期ともそう離れてはいないはずだ。
 やはり、その頃に葉子の周辺で三年前の事件と関わる何かがあったということなのだろうか。そして千原和津実は、それと何らかの関係があるのだろうか。
「……真奈っち?」
 気だるそうな声と共に、非常階段へ通じる狭い通路から痩せぎすの三十台半ばの男が顔を覗かせた。
 タバコを咥えているというよりも、唇の端に挟まっているという感じのだらしなさで吹かしている。肩口まで伸びる重い質感の髪。頬骨の高い面長の顔は不健康そうな土気色で、無精髭も相まって余命幾ばくもない病人のような印象を与えている。目だけが異様に大きくて、それだけが別の生き物のように存在を主張していた。
「ずいぶんと久しぶりだね」
 岸川宣夫はアタシを見ると相好を崩した。
「お久しぶりです。すいません、いきなり呼び出したりして」
「いや、構わないよ。そろそろ店に出なきゃいけない時間だしさ」
 岸川はジーンズのベルト通しにカラビナで引っ掛けた鍵束を取り外した。キーホルダー側を掴めばブラックジャックの代用になりそうな数の鍵の中から一本を選り分けると、ドアのロックを外した。
「まさか、ノブさんがこの店のオーナーだとは知りませんでしたよ。ビックリです」
「俺も驚いたよ。真奈っちから「ボニー・アンド・クライドって店の関係者に知り合いがいないか?」って訊かれたときはね」
「いつからなんですか?」
「そろそろ半年かな。前のオーナーがパクられて、まあ、どうするんだって話で、俺のところにお鉢が回ってきたんだ。おい、ヒマならやらないかってね。どうでもいいけど、これ、綴り間違ってるよね?」
 岸川はドアの上の看板を指した。確かにボニーの綴りは”BONNIE”だけれど、その程度の間違いなら目くじらを立てるほどのことじゃない。
 店内は思っていたよりも広かった。長いバー・カウンターの前にスツールが並んでいて、その先にはいくつかボックスシートがセッティングしてある。奥のDJブースに向かうように一段低くなったダンスフロアがある。壁際に丸くて小さなスタンドテーブルが置いてあるのは、踊っている途中で休憩できるようにだろう。天井は空調機やその配管がむき出しになっていて、そこも含めて店内は黒一色に統一してあった。
 ここで父と村上は渡利と対峙したのだ。しかし、渡利は自分ではドラッグを持っておらず、持たされていた少女はそれは自分のものだと主張した。その場で渡利を拘束できなかった父に、渡利はその取引によって裏切り者を洗い出せた礼を言い(ドラッグを他の誰かに持たせていたのを葉子だけが知らなかった)、父は葉子を守るために渡利を手にかけた。
 感慨のような、それでいてどうにもあやふやな感情がアタシを捉えていた。そこで起こったことを想像したことは何度もあるのに、いざ現場を目の当たりにするとまるで現実感が湧いてこなかった。
「何か飲む?」
 岸川はカウンターに入りながら言った。
「何があるんですか?」
「まあ、ノン・アルコールならペリエしかないけど」
「じゃあ、それで」
 彼の向かいのスツールに座った。岸川は鼻歌で「バッド・メディシン」を歌いながらペリエをグラスに注いで、アタシの前のコースターに載せた。
「梅っちは元気?」
 岸川には好感を持った相手の名前に”っち”をつける癖がある。言い換えれば、そこで彼の人物評を知ることができるということでもある。
「元気みたいですよ。この前のメールでは、職場の女の子たちとディズニーランドに遊びに行ったとか書いてありましたけど」
「そっか、別れたんだったよね。……悪いこと訊いちゃったかな」
「別にいいですよ。もう、半年も前のことですから」
「またぁ、どうしてそういうつれないことを言うんだろうな、オンナって」
 岸川は苦笑しながら、ピーナッツを入れた籐の小さなカゴをアタシの前に滑らせた。
 アタシがこの男と知り合ったのは、元彼繋がりで引っ張りこまれたコピー・バンドでのことだった。岸川はずいぶんと長く福岡の音楽業界に関わっていて、それと同じくらいこの手のクラブやディスコ、パブなどの水商売にも関わり続けている。知り合った当時は南区のライブハウスの店長で、アタシはそこで三回ほどステージに立った。元をたどれば元彼と同じ暴走族の数代前の特攻隊長らしいのだが、そのあたりのことは訊いてもはぐらかされるのでアタシも訊かないことにしている。
「で、俺に訊きたいことがあるって話だったけど?」
 アタシは卒業文集の葉子のページを開いた。
「この女性に見覚えはないですか?」
 そこに載っているのは今とはずいぶん違っているだろうが、他に葉子の顔写真がない以上は仕方がない。案の定、岸川は眉間にシワを寄せながら首を捻った。
「どうだかなぁ。だいたい俺は一度見た人の顔は忘れないほうなんだけど、これはちょっと……。彼女が電話で言ってた、例のひき逃げされたっていう中洲のホステス?」
「そうですけど。やっぱりダメですか」
「見たことあるような気もするんだけどね。化粧した写真なら思い出せるかもしれない。ほら、最近の娘ってアイラインをすっごくキッチリ入れるから、スッピンのときとずいぶん印象が違うんだよな」

 岸川は腕組みして、小声で「……でも、キレイな娘だよね」と付け加えた。
 それからしばらく、事の成り行きを岸川にできるだけ順を追って説明した。アタシの身の上は以前に話したことがあったけれど、父の事件の現場がこの店だったことにはひどく驚いているようだった。
「なるほどね、そういうことか……。じゃあ、白石葉子はこの店で、その――何て言ったっけ?」
「千原和津実」
「そう、その彼女と会ったんだね」
「実際に会ったかどうかは分かりませんけどね。ただ、どっちの名前にも聞き覚えはないですか?」
「うーん、葉子さんはともかく、その”あづみ”って名前は特徴的だからなあ。店に来た娘に必ず名前を訊くわけじゃないけど、もし名乗ってればまず忘れないと思うんだけど」
 そう言って、岸川ははたと思い出したように手を打った。
「そう言えばさ、葉子さんが勤めてたラウンジ、何て言ったっけ?」
「……中洲のアクエリアスですけど、それが何か?」
「いや、ホームページに写真とか出てないかと思ってさ。ちょっと待っててくれる?」
 岸川は奥の小部屋から持ってきたノートパソコンをカウンターの上に置いた。アタシのほうからは何をしているのか見えないが、アクエリアスのホームページを探しているのだろう。
「あった」
 岸川はノートパソコンをあたしに向けた。水のイメージにはそぐわないピンク色のホームページ。岸川が手を伸ばして”CAST”をクリックすると、縮小された画像によるホステスの一覧が表示される。
 画面を食い入るように眺めた。映っているのはどれもトサカのように髪をアップにまとめた、いかにもホステスという感じの女性たちだ。

 その中の面長で涼やかな目鼻立ちのホステスが目に止まった。アタシが頷くと、岸川はその画像の上でダブルクリックした。
 大きな画像で映し出されたのは、キッチリとメイクされて五割増ほど派手な顔つきになった白石葉子だった。栗色の縦巻き髪をフランス人形のように垂らして、革張りのソファに艶っぽい表情で横座りしている。部屋にあったドレスやスーツのサイズよりも豊満に見えるのは胸の谷間を強調する黒いドレスのせいだ。
 源氏名は”耀子”という、字だけを変えたものだった。同じ店のホステスでも苗字のある人とそうでない人がいて、葉子にはなかった。その違いの意味は分からない。
「――どうですか、ノブさん?」

「ビンゴだよ、真奈っち。間違いなく彼女、何度かウチに来たことあるね」
 カウンターの向こうから画面を覗き込んでいた岸川は、得心したように何度も頷いた。

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