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Left Alone

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  第 29 章 

 駅ビルの構内は思ったよりも平静さを保っているように見えた。
 事故も起こってからある程度時間が経っているせいか、人の流れは滞っていない。二階にある改札を抜けた通勤客は整然とホームへと降りていっている。
 事故現場が何番ホームか訊く必要はなかった。誰の視線も一、二番ホームの階段に吸い寄せられているからだ。そこに停まる下りの列車は上りの特急追い越しの待避線である三番に振り替えられているので降りることはできない。陰鬱な表情の制服警官の姿が物々しい雰囲気を漂わせ、地に足が着いていない駅員たちがそれに輪をかけている。
 藤田は駅で待っていろと言った。駅の何処で、とは言わなかったが、改札の前で待っていれば問題はないだろう。まっすぐ車両基地に行きたかったが、何処から入ればいいか――というより、どんな口実で入れてもらえばいいのか分からない。
「人身事故って言ってたよね?」
 由真は心細いときにいつもそうするように無意識にアタシの腕に手をかけている。
 普段ならまったく気にならないその仕草が妙にわずらわしく感じられるのは、正々堂々がどうだといったところで、アタシがわだかまりを抱えたままだという証拠だ。とはいえ、それを振り払うほど大人げないこともできない。仕方がないのでそのままにさせておいた。
「――あれっ、真奈に由真じゃない。どうしたの、こんなとこで?」
 背後から声をかけられた。
 立っていたのは高校の同級生、三村美幸だった。目鼻立ちの整った涼やかな美人で、それを強調するようにサラサラの黒髪を肩口まで伸ばしている。Tシャツの胸元は相変わらず大きく盛り上がっていて、スキニーデニムが似合うほっそりした体躯とは不釣合いだった。
 由真はアタシの腕を離してニッコリと笑った。アタシとは所属していた空手部の部長・副部長の仲なのだが、アタシは由真のように友人への親愛の情を表に出すのが苦手なので軽く手を上げただけだ。美幸は切れ長の目で軽くウィンクしてみせた。
「ひさしぶり。美幸こそどうしたの?」
「今から学校。いいよね、大学生は夏休みがあって」
 成績は由真に負けないほど良かったが将来の夢があるとかで、美幸は大名にある公務員の専門学校に通っている。家は百地浜だが、この近くに付き合っている彼氏のアパートがあると聞いたことがあった。
「なに、朝っぱらから二人でデート?」
「そんなんじゃないよ。――ところで、何があったか知ってる?」
 アタシは改札の奥のほうへ顎をしゃくった。
「列車に誰か飛び込んだんだって」
「自殺?」
「じゃないの? よく分かんないけど」
 美幸は形のいい柳眉を顰めた。
「ホームには行かないほうがいいよ。まだ片付けてる最中だから」
「あんた、わざわざ見に行ったの?」
「近くに行ったわけじゃないよ。つーか、とても下りられないし。向かいのホームから見えたの」
「ああ、そう」
「ブルーシートがかけてあるから、そのものを見たわけじゃないんだけどね。駅員のオジサンが一生懸命ホームの……デッキブラシでこすってたわ」
 言いよどんだ部分が”血の痕を”であることは間違いない。美幸の苦々しげな表情が現場の惨状の何十分の一かを伝えている。幸いにも轢死体を見た経験はないが、あれはかなり惨たらしいと聞いたことがある
 ごついGショックに視線を落とすと、美幸は「じゃあね」と言って小走りでその場を去った。
 藤田はまだ来る様子がない。
 不意に辺りがざわめいた。制服姿の警官がホームの駆け上がってきたからだ。警官は大振りのバッグを小脇に抱えて改札の隣になる小部屋に駆け込んでいく。アタシがいる場所からは駅の窓口を挟む形で警官と駅長と思しき格好の人が沈痛な表情で何か話しているのが見える。二人はバッグの中身を確認しようとしていた。
「――あれっ?」
「どうかしたの?」
 由真の問いかけには答えなかった。アタシの目は二人の間に置かれた砂埃まみれのバッグに釘付けだった。アタシは自分の目を疑った。
 LとVを意匠化したルイ・ヴィトンのボストンバッグ。それ自体はこれだけブランド物が氾濫しているこの国でなら、どこにでも見られるかもしれない。
 しかし、周りに引っ張り出された着替えのシャツやジーンズ、スカートにはどれもハッキリと見覚えがあった。警官が手にとって広げているTシャツもそうだ。色彩感覚を疑いたくなるピンクのラメ入りで、胸のところにラインストーンで動物の絵が描かれている。PUMAのマークに似たそれはおそらく豹なのだろうけど、実際には持ち主の豊満な胸で引き伸ばされてダックスフントにしか見えないはずだ。
 いずれもアタシが吉塚和津実のアパートでヴィトンのバッグに詰め込んだものだった。
 手足から急速に力が抜けていくのを感じた。不意にあたりが静かになったような気がして、耳鳴りのような音だけが聞こえる。
「うそだ……」
「ど、どうしたの、真奈?」
「嘘だ……どうして和津実が?」
「ねぇ、真奈、和津実がどうしたの?」
 由真の手を振り払ってバッグがある小部屋の奥へ突進しようとした。その瞬間、誰かがアタシの腕を掴んだ。
「――おい、真奈ちゃん、いったいどうしたんだ!?」
 藤田知哉だった。大陸系の精悍な顔がノッポのアタシでも見上げなければならないほど上にある。
 アタシは反射的に藤田の腕を掴んだ。止めようとしてもその手に力がこもっていくのを止められなかった。自分の脚が震えていることに今さらながら気がついた。
「……そんな、そんなはずない。和津実が自殺するなんて……」
 あり得ない。和津実が自殺するなんてあり得なかった。
 アタシが見た吉塚和津実は確かに無節操でいけ好かない女だった。けれど、根拠のない自信とふてぶてしさ、呆れるほどのヴァイタリティを持ち合わせていた。よほど追い詰められない限り――いや、追い詰められたとしても自ら死を選ぶような女ではなかった。ましてや、和津実は当座の逃走資金を手に何処かへ逃れる算段だったのだ。早朝の駅で列車に飛び込まなくてはならない理由はどこにもない。
 藤田はゆっくりと優しい手つきでアタシの手を解くと、両肩に手のひらを乗せた。少しだけ身体を屈めてアタシの目を覗き込んできた。
「落ち着いて。分かるように説明してくれないか?」
 何から説明すれば話が通るのか、混乱した頭ではよく分からなかった。アタシは「列車に飛び込んだのが知り合いの女性かもしれない」とだけ何とか答えた。
「その知り合いの名前がアヅミさんなんだな?」
 アタシはうなずいた。
 藤田はアタシを隅に連れて行くと、そこで待っているように言った。普段とはまるで違う有無を言わせない口調にアタシは半分呆けたように「……分かった」と答えた。
 心配そうな表情の由真が近寄ってきた。説明をするべきなのは分かっていたけどそんな気にはなれなかった。由真もそれを察してくれて何も訊こうとはしなかった。
 思い浮かんだのは市営住宅の路地で見た、タチバナのニヒルぶった酷薄な表情だった。和津実が誰かに突き飛ばされた可能性は充分にある。タチバナには自分が手を下さなくても、それを実行する部下はいるだろう。自分たちを出し抜いて逃げようとした女を彼らが許すはずはない。
 しかし、街金融の男がそれだけの理由で借り手を殺すだろうか。死んでしまえば貸した金を回収することはできない。
 アタシは人目も憚らずに髪の毛を掻きむしった。ここへ来たのは村上が死にかけている、という謎の電話がかかってきたからだった。なのに、まったく違うことで心を乱されていた。
 由真は手にしていた缶コーヒーをアタシに差し出した。まったく飲む気はしなかったが心を落ち着かせるために受け取った。
「――あいつは?」
「村上さんのこと?」
 無言でうなずく。
「今、警察がJRの人の案内で車両区の構内を捜してるって」
「……そう」
 すべてを放り出して自分もそこへ行きたい気持ちはあった。アタシが一人加わったからといって何の足しにもならないことは分かっているが、藤田と合流してからそうするつもりだったのだ。
 しかし、つい数時間前に会った人物が死んだかもしれない――いや、ほぼ間違いなく死んだのだという事実に、アタシは激しく打ちのめされていた。気に喰わない女のままであればそうまで揺さぶられはしなかっただろう。しかし、最後に会ったときの話の中で、アタシは他人には窺い知れない和津実と葉子の関係の一端に触れていた。
 そのうちの一人には直接会ったこともないというのに、彼女たちはすでにアタシの人生の一部になっていた。
 藤田が小部屋から出てきた。その苦々しそうな表情が、人違いであって欲しいというアタシの微かな望みを完全に否定していた。
「あとで構わないから、話を聞かせてほしいそうだ。被害者の足取りを知りたいらしい」
「被害者?」
「ああ。吉塚和津実――まだ完全に身元が特定されたわけじゃないが、彼女は自殺じゃない。ホームの監視カメラに誰かに突き飛ばされるところが映ってたそうだ」
「……殺されたってことなの?」
「そういうことだな。今、鑑識がそのビデオを分析してる。――おっと、失礼」
 藤田はマナーモードのケイタイを引っ張り出した。
「ああ、俺だ。――村上が見つかった!?」
 藤田の声のトーンが跳ね上がった。アタシと由真も思わず身を乗り出した。藤田はしばらく口を挟まずに相手の報告に耳を傾けていた。
「オッケー、後で搬送先の病院を知らせてくれ」
 藤田はアタシと由真を見て、大丈夫だというふうに軽く手を挙げた。何が大丈夫なのかは分からないが表情はさっきのような沈痛なものではなかった。
「容態は?」
 由真が訊いた。
「右肩と左脚を銃で撃たれているらしい。それと、見つかるのに時間がかかったせいでかなり出血している。致命傷ってことはなさそうだが、まだ安心はできないな」
「そんな――」
「なぁに、大丈夫だよ。村上がこの程度でくたばるはずがない」
 自分で不安を煽っておきながら藤田は軽口を叩いた。気休めを言うなと怒鳴ってやりたかったが、睨みつけた先にある無駄に朗らかな笑顔がアタシを安心させようと浮かべたものだと分からないほどアタシも馬鹿ではない。

 脳裏には二年前に熊谷幹夫が言った言葉が甦っていた。
<ヤクザが何故、人を撃つときに腹を狙うか。腹を撃たれても即死はしない。しかし、内臓を傷つけられたら絶対に助からないからだ――>
 熊谷はそのとき腹に四発の銃弾を受けていた。そして、自身が言った通りに収容先の病院での手術中に命を落とした。
 村上は肩と脚を撃たれたのだという。
 それが実際にどの程度のダメージを与えるかなどアタシに分かるはずもないが、なす術もなくケイタイを奪われたことを考えれば、犯人は村上を殺すことができたはずだ。そうするでもなく、肩や脚といった致命傷にならないところを撃ったということは殺意まではなかったのかもしれない。
 しかし、もしアタシが電話を真に受けずに発見が遅れていれば、村上は出血多量で死んでいたかもしれないのだ。
 謎の電話の主への怒りとも憤りとも違う、冷たい感情が湧きあがってくるのをアタシは感じていた。

「ところで真奈ちゃん、吉塚和津実の近親者の連絡先を知らないか?」
 藤田は構内禁煙の表示を無視してタバコに火をつけた。
「連絡先?」
「預金通帳とか保険証はあったんだが、そういったものはないんだ。携帯電話はたぶん本人と一緒にコナゴナだろうしな」
 こういうデリカシーのなさはやはり警官だ。アタシは従姉の連絡先なら分かると言った。藤田はそれで構わないと答えた。
 留美さんの番号を控えて、藤田は再び小部屋に入っていった。
 中にいる年嵩の警官はアタシを無遠慮に見ていた。疑われているわけではないだろうが、呼ばれてもいないのに事件現場に現れたアタシは相当に怪しく見えているはずだった。
「関係、あるんだろうね」
 由真がポツリとつぶやいた。
「関係って?」
「村上さん、三年前の事件の関係者に聞き込みしてたんでしょ。葉子とか、留美さんの友だちの旦那さんとか」
「……そうだね」
 事件の関係者の一人である和津実が殺されて、事件に関わる何かを追っていた村上が重傷を負わされている。ほぼ同じ敷地の中と言ってもいい場所で。
 何の関係もないはずはなかった。

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