Left Alone

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  第 55 章 

 予想していた通り、博多署でやることは少なかった。昨日の供述を書き起こした調書に一通り目を通して、内容に大きな誤認はないことを確認して署名して終わりだ。そもそも、行き掛かり上ので現場に居合わせたに過ぎないアタシに供述できることはほとんどない。権藤を追跡したのもたまたま知人だったからになっていたし、村上が撃たれたこととの関わりにもまったく触れられていない。
 意外だったのは桑原警部に説明した権藤とのやりとりがほとんど端折られていたことくらいだ。”自首するように説得を続けている間に権藤から銃を向けられた”という筋書きで、間違いではないけど大雑把すぎる内容だった。
「――なんだ、そのシケたツラは?」
 この前と同じベンチで桑原警部がコーヒーを奢ってくれた。昼ご飯が済んだばっかりだそうで、爪楊枝がしゃべるのに合わせてピョコピョコと上下する。この男でなければそれなりにユーモラスに見えるのかもしれない。
「ちょっと、仕事が雑すぎるんじゃない?」
「いいんだよ、関係者の調書なんかそんなもんで。どのみち、今の段階ではっきり確証が持てることなんかほとんどねえんだからな」
「何のこと?」
「おまえにゃ関係ねえ」
 桑原警部は疲れたまなざしをぼんやりと廊下の奥に向けた。徹夜明けで帰ってきたときの父親の横顔に重なって見えて、少しだけドキッとした。
「大変みたいね」
「あぁ? なんだ、心配してくれてんのか」
「……悪い?」
 彼はうっすらと笑みを浮かべた。
「そうやってりゃ、それなりに可愛く見えるのな。ありがとよ」
「ふん、それなりには余計よ」
 桑原警部はほとんど寝ていないらしかった。捜査本部でどの辺のポジションなのかはよく分からないけど、マスコミ対応をやらされているかららしい。まぁ、マスコミはマスコミで大変なようで、捜査本部があるこの博多署の周辺でもテレビカメラに向かって懸命にしゃべっているレポーターの姿をずいぶん見た。事件が事件ということもあってか、あんまりラフな格好もできないようでみんな汗だくだった。ご苦労なことだ。
「一番バタバタなのは広報の連中だがな。ただ、俺も記者会見でお偉方が使う資料を作らなきゃならんのさ」
「マスコミ、すごいもんね」
「仕方ねえだろう。一昨日の朝、元部下に重傷を負わせて逃げてた男が、それからたった二日で四人も殺して、最後は知り合いの小娘に銃を向けたところを警官に射殺されたんだ。前代未聞ってのは、こういうときのための言葉だろうよ」
「しかも犯人が元警察官じゃ、騒ぐなって言うほうが無理よね」
「県警のお偉方は戦々恐々としてるよ。刑事部長あたりはとっくに進退伺いを出してるだろうし、その上の連中のキャリアにもでっかい疵がついた。実際の話、もし、おまえが撃ち殺されでもしてたら本部長のクビが飛ぶくらいじゃ済まなかったはずだ」
「それが、マスコミが権藤さんを撃った刑事の存在に触れない理由?」
 睡眠不足でぼんやりしながらも、今朝のテレビのニュースや新聞の記事にはざっと目を通してあった。被疑者である権藤に注目が集まるのは当然のことだ。しかし、その被疑者を確保する試みもなしにいきなり射殺したことについては、ほとんど触れられていない。触れてあっても”やむを得ない判断だった”という論調で統一されていた。
 由真が「警察が記者クラブに圧力をかけたんだよ」と言うように、マスコミが警察発表の通りに記事を書くのはアタシでも知ってるし、警察が自分たちの判断が間違ってたなんて言うはずがないのも分かる。
 それでも、ここまで誰も疑問を差し挟まないのは変だった。
「あの刑事、そもそもどうして現場にいたの?」
「別件で居合わせたと聞いてるが、それがどうした?」
「それが変だって言ってるの。そういうことがないとは言わない。でも、だったらあの刑事だって事情を説明させられてるはずだし、何事もなかったように現場から立ち去ったりできないはずよ。なのに、あんたを含めて誰もが”被疑者を撃った刑事なんか最初からいなかった”みたいな顔してる」
「そんなことはねえよ。まあ、被疑者死亡で幕引きになったことで、胸を撫で下ろしてるやつが大勢いるのは事実だが」
 桑原警部の声には面白がってるような響きがあったが、この男の偽悪的な物言いにはもう慣れていた。
「だからって、警察内部でそれが不問に付されるなんてこと、あるはずないわよね?」
「ねえよ。ある部署を除いてな。――それより、武松ってのはおまえの何だ?」
 唐突すぎる質問に答えに詰まった。それがシュンの苗字だというのを思い出すのに数秒必要だったせいだが、その名前にいくらかの後ろめたさを感じるからでもあった。
「別に……友だちだけど?」
「お友だち、ね。まあ、どうでもいいが」
「どうかしたの?」
「いや、そのお友だちにも署までお出で願ってるんだ。現場にいた一人だし、話は訊いとかなきゃならないからな。それにあいつ、馬渡に殴りかかってるし」
「マワタリって誰?」
 訊くまでもなかった。シュンが昨夜、殴りかかった相手は一人しかいない。
「……ふうん、そういう名前なんだ」
「俺が口を滑らせたことは内緒だぞ」
「何が滑らせた、よ。わざと洩らしてるくせに」
 桑原警部がペロリと舌を出した。
「どういうつもり?」
「何がだ?」
「夕べっていうか、今朝方は知る必要はないみたいなこと言ってたじゃない。なのに――」
「あの女弁護士がいたからな。いずれ、どこからか洩れる話だが、あまり早々とリークするわけにもいかねえだろ」
「それをアタシにしゃべる理由は?」
「今、おまえを通じてリークしてるのさ。どう使うかは女弁護士と相談するんだな。この話題は俺たちが突っつくわけにはいかないが、部外者が騒ぐのは止められない」
「つまり、何か裏があるってこと?」
「それを口にできるんならリークなんかしねえ。空気を読んでくれ」
 よく分からないけど、菜穂子に伝えてもいいと言われている以上、ここで食い下がることに意味はなかった。
 
 博多署を出てぶらぶら歩いて、この前、菜穂子と話したホテルの一階のカフェテリアに入った。クラッシュアイスでいっぱいのグラスからアイスコーヒーをすすると、炎天下を歩いて身体に溜まった熱がいくぶんやわらいだような気がした。とりあえず、シュンの携帯に<事情聴取が終わったら連絡して>とメールを打っておく。
 それから、藤田警部補のケイタイを鳴らした。
「そろそろ、かかってくる頃かと思ってたよ。夕べは大変だったな」
 普段は警官とは思えないほど朗らかな藤田の声もさすがに沈んでいた。直接の上司になったことはないとは言え、彼にとっても権藤は馴染みのある人物に変わりはないはずだ。
「とりあえず、その話は後で。頼んでおいた三人の件、どうだった?」
「あれな。調べはついたんだが――」
「どうかしたの?」
「正直、こいつらが村上のリストに載ってる意味が分からないんだ。ドラッグ密売グループと現職の警察官僚に何の関わりがあるのやら」
「はあっ!?」
 思わず大声を出してしまった。集中する訝しげな視線に対して形ばかりの申し訳なさそうな顔をしてみせる。興味を失った他の客の視線はあっという間に散り散りになっていった。
「……どういうこと?」
「順に説明しようか。メモは?」
 とれないと答えると、あとで同じ内容のメールをくれることになった。
「オーケイ。まず新庄健史だが、警視庁を始めとして全国の県警の警備・公安畑を歩いてきた生粋のキャリア・エリートだ。現在は退官して天下りしてるけどな。警察庁の外郭団体の非常勤顧問ってのが主な肩書きだが、他にも利権がらみで幾つかの会社の取締役にも名を連ねてる。そのうち政界に出るんじゃないかとも言われてるな」
「何処から?」
「出身地は山口だが、そこらへんは不明だ。中央政界とも限らんしな」
「福岡との関わりはないの?」
「二〇年くらい前に県警の副本部長だったことがある。そのずっと前に、捜二の課長だったこともあるんだけどな」
「捜査二課って、経済事件とか選挙違反を取り締まるとこよね?」
「よく覚えてたな」
 アタシがそれを知っているのは、二年前の事件で関わった熊谷幹夫の警官時代の部署が県警捜査二課だったからだ。もちろん、具体的な仕事の内容を知ってるわけではないが。
「でも、さっき現職の官僚って言わなかった?」
「真奈ちゃん、通信簿に”人の話は最後まで聞きましょう”って書かれたクチだろ?」
 藤田がからかうように笑う。そんなことはないが気が逸っているのは事実だ。
「それで?」
「えっと、次の新庄圭祐。想像はついてると思うが新庄健史の息子。現職なのはこいつだよ。五年前に九州管区警察局に赴任、現在はそのまま局次長に昇格。次の次のもう一つ次くらいの警察庁長官候補の一人だとさ。まだ四〇代半ばだそうだが、キャリアは出世が早いからな」
「よく分かんないけど、大物ってことなの?」
「去年、警視長に昇進してる。俺たちみたいなヒラの捜査員からすれば天上人だよ。あんまり畏れ多くて、顔を合わせたらタマが縮み上がるかもしれん」
「……ふーん」
 セクハラ発言はともかく、藤田の言うとおりだった。そんな連中が村上の調べていたことと何の関係があるんだろう。
「息子のほうは福岡県警には繋がりはないの?」
「今の役職で戻ってくる前に、県警の警備部長だったことがある。一〇年くらい前のことかな」
「警備部!?」
「何か知ってるのか?」
 アタシはトモミさんの話からリストの三人目――井芹幸広が警備部のどこかの課の課長だと分かったことと、井芹がまったく関わりのないはずの早良署の交通課の警官の転職のために、暴力団の関係者と接触していたらしいことを話した。
「井芹幸広の今の所属は?」
「福岡県警警備部外事課の課長補佐。転職の話ってのはいつ頃のことだ?」
「だいたい三年前くらい」
「だとすると、その前の公安三課長時代だな。右翼を相手にしてる部署だから暴力団とパイプがあってもおかしくはない」
 それが意味するところはともかく、新庄圭祐と井芹幸広には警備部の上司と部下という接点があったことになる。そしてそれは、村上のリストの他の面々とこの三人が――蜘蛛の糸のような細いものではあるが――まったく繋がっていないわけではないことも示している。しかも、新庄圭祐は県警が扱うべき監察事案に首を突っ込む管区警察局を動かせる立場にある。
 同じ結論に至ったのか、藤田は呻き声をあげた。
「村上のやつ、とんだ地雷を踏んじまったのかもしれないな」
「……かもね」
「とりあえず、こっちで分かったことはそれくらいだ。他に何か、調べとくことは?」
 馬渡刑事のことを調べてもらうかどうか、少しだけ迷った。藤田が問題にするとは思えないが、アタシがそれを頼むのは権藤が捜査情報を洩らしたことを告げ口するのと同じだからだ。
 菜穂子と相談してからでも遅くはないだろう。アタシはとりあえず「ない」と答えた。
「ところで真奈ちゃん、君に訊いていいことかどうか分からないが――」
「なに?」
「権藤の通夜や葬儀について何か知らないか?」
 藤田はいかにも言い難そうに言った。アタシはそれらの仕切りを含めて、権藤が死後のことを任せた司法書士の名前を教えて電話を切った。

「……あっちぃ」
 両脚をだらしなく投げ出して、シュンは椅子にふんぞり返るように座った。茶髪のロン毛とピアスが映える灼けた肌は夜だとやけに精悍に見えるのに、昼間はまるで死に損ないの焼死体のように見えた。
 シュンはお冷を受け取るのと同時に隣のテーブルを覗き込んで、メニューも見ずにペスカトーレを頼んだ。アタシはメニューを見て悩む男が嫌いだが、ここまで適当なのもどうかと思う。
「任意で呼び出されてたんですか?」
「いいや、デカがアパートまで来やがってさ。一応、コウボウの調書取るから署まで同行しろって」
「コウボウ?」
「公務執行妨害。あのデカに殴りかかったことを言ってるらしい」
「そうだったんですね」
 アタシはあらためて昨夜のお礼を言った。好意に甘えて殺人犯を追いかけるという危険に巻き込んだばかりか、その場では見張りをさせているし、彼が権藤を撃った刑事――馬渡に殴りかかったのだってアタシを守ろうとしてのことだった。シュンは照れ臭そうにパタパタと手を振った。
「そんな格好のいいもんじゃねえよ。気にすることないって」
 言葉はそこで途切れた。
 KOOLのパッケージを引っ張り出しながら目顔で「吸っていいか?」と訊いてきたので、アタシは構わないと答えた。一足先に食事を終えていたし、食前の喫煙が味を損なおうと知ったことではない。
「でもよ、実際のとこ――だいじょうぶなのか、真奈っち?」
「えっ?」
「だってよ、撃たれたオッサンって親父さんの上司、つーか、親友だったんだろ」
 やりとりはシュンにも聞こえていたようだった。詰まった言葉を取り戻そうと、残り少なくなったアイスコーヒーを飲み干した。
「あの人が目の前で死んだことがショックじゃないって言ったら嘘ですよね。……でも、それより現実感の方が沸かないんです」
 目を閉じれば横殴りの衝撃に揺らぐ権藤の姿が浮かんでくる。半狂乱になりながら揺すった権藤の骨ばった肩の感触とガンに蝕まれた身体の軽さだって、しっかり手に残っている。
 なのに、それを認めたくない。ギュッと目を閉じて「これは夢だ」と言い聞かせれば、次に目を開けた瞬間に何もかもが元に戻っているように思えてならない。
「仕方なかったんだとは思います。権藤さんはあのとき、すでに四人も殺してたし、アタシにも銃も向けたんだから。引き金を引かなかった保証なんてどこにもありませんしね。射殺って判断は間違ってなかったんだって、頭では理解できてるつもりなんですけど、それでも――」
「殺さなくてもよかったんだ。あいつになら、それができたはずなんだから」
 知己の人物を語るような言い方に思わずシュンを見やった。
「あの刑事を知ってるんですか!?」
「馬渡ならよく知ってるよ。あいつは俺の親父を撃った男だからな」
「どういうことですか?」
「親父が成功しなかったほうのヤクザだって話はしたよな」
「ええ……」
 シュンは咥えていたタバコを灰皿で押し潰して、何かを思い出すように上のほうを見上げた。
「一〇年くらい前の話だけど、親父が対立する組の事務所に乗り込んで篭城事件を起こしたことがあるんだ。自分とこの組長が撃たれたとかでさ。まあ、それが元で親父がいた組は解体しちまったんだけど。――で、そのときに説得に当たったのが馬渡なのさ」
「でも、お父さんを撃ったって――」
「親父といっしょに殴り込んだ連中は全員観念して投降したんだけど、バカ親父だけは自分の頭に拳銃を突きつけやがってさ。それであいつ、親父の手ごと拳銃を撃ち落としたんだ」
「うわ……。それで、お父さんは?」
「右手はオシャカ。親父が別の組に拾ってもらえなかったのは、そのせいでもあるんだ。結果としては良かったのかもしれないけどな」
「そんなことないと思いますけど。その刑事、ムチャしたもんですね」
「確かに近くからだったけど、的は人の頭の真横にあったんだぜ? なのに馬渡のやつ、自信たっぷりに「あの距離じゃ外さない。助けてやったんだから礼くらい言ったらどうだ?」ってぬかしやがったんだ」
 権藤を撃ったとき、馬渡との距離は一〇メートルくらいだった。今の話が本当ならアタシに向けられたCz75だけを――あるいはそれを持つ手を狙うことはできたかもしれない。もちろん、仮定の話でしかないが。
「ちょっと待ってください。ってことは、馬渡ってマル暴なんですか?」
「当時はな。今は公安にいるって親父が話してたことがある」
「また公安か……」
「またって何だよ?」
「あ、うん、ちょっと。――でも、公安の刑事があんなとこで何してたっていうんですか?」
「俺が知るわけないだろ。それ以前に公安が何する部署かも知らねえってのに」
「そりゃそうですけど」
 アタシも具体的なことは何も知らない。
「――公安課というのは、大雑把に言えば社会の治安維持を目的とした活動をする部署のことだ」
 突然、背後から低くて静かな声が割り込んできた。
 思わず振り返った先にいたのは、薄情そうな骨ばった顔とぴったり撫で付けたオールバックの男だった。ネイヴィのサマージャケットは隣の椅子の背に掛けてあって、白いワイシャツが汚れないように紙ナプキンを胸元に垂らしている。昼下がりのカフェテリアなんか似合いそうもないイメージだったが、アタシたちを含めたその場のどの客よりも店の雰囲気に馴染んでいた。
 フォークでペスカトーレを口に運んでいるのは監察官室の片岡警視だった。
 
「……何やってんのよ?」
 罵詈雑言も含めていろんな言葉が頭の中を渦巻いたが、出てきたのは短い質問だけだった。
「見れば分かると思うが昼飯だよ。博多署で用意してくれる弁当もあるんだが、私は仕出し弁当ってやつが苦手でね。昔、現場にいた頃に立て続けに三回も食中毒になったことがあるんだ」
「へえ、そりゃ大変だったわね」
「真奈っち、すっげぇ棒読み」
 シュンはアタシとこの男の間に横たわる軋轢を知らない。だからだろう、その口調には揶揄するような響きがあった。
「何のつもりよ、人の会話に口なんか挟んできて」
「警察官の一人として、県民に県警の仕事を正しく理解してもらおうと思っただけだが、お邪魔だったかな。――ああ、そういえば君は村上警部補と付き合ってるんじゃなかったのかね?」
「へっ?」
 何を言い出すんだ、こいつは。
 次の瞬間に思い出した。村上の病室に入ろうとしたとき、桑原警部は警備の警官に向かってアタシと彼の間柄をそう説明している。その場に現れたこの男もそれを聞いている。
「いや、その、付き合ってるってわけじゃ……」
「なんだ、違うのかね。結構お似合いだと思っていたんだが」
 こいつにどう思われていても構わない。でも、よりによって他の男の前で言わなくてもいいじゃないか。いくらちゃんと断わって事情も話した上で会っているといっても、当の本人の前で言われればやっぱり気まずさがぶり返す。
「――真奈っち。俺、ひょっとして邪魔?」
 シュンの声が露骨に暗くなった。
「そ、そんなことないですよ。――ちょっと、アタシが何処で誰と会っていようとあんたには関係ないでしょ!?」
「確かにそうだが。ああ、このことは警部補には黙っておいたほうがいいかね?」
 片岡警視は澄ました顔でほざいた。
「好きにすればいいじゃない。あいつだって、自分を陥れようとしてる人間の言うことなんか信じやしないでしょ」
「聞き捨てならないことを言うね。私がいつ警部補を陥れようと?」
「しらばっくれるのもいい加減にしたら? ありもしない容疑で身柄を拘束するなんて卑怯にもほどがあるわ」
「容疑はちゃんとある。そして、ある以上はきちんと調べて結論を出すのが私の仕事だ」
「そのために証拠をでっち上げてでも?」
「何のことを言われているのか、理解に苦しむな。まあ、私に敵意を持つのは君の自由だ」
 まだパスタは残っていたが、片岡はフォークを置いて胸のナプキンを取り払った。
「しかし、少々寂しいな。決して賛成していたわけじゃなかったが、結果的に君とは同じ事件に同じ立場から関わった――そうだな、親しさのようなものを感じていたんだが」
「バカ言わないで。あんたがアタシにそんな感情、持ってるわけないじゃない」
「どう思おうと君の自由だと言っただろう。私は仕事に私情は挟まない。村上警部補がクロなら厳正に対処するし、シロなら彼の権利を守る。それだけのことだ」
 片岡は勘定書きのプレートを無造作につかんで立ち上がった。ジャケットを小脇に抱えてレジのほうへ歩いていく。
「……ちょっと待って」
 躊躇いはあった。でも、アタシは片岡を呼び止めた。おそらく今、アタシがこの世で一番知りたいことを知ってるのはこの男しかいないからだ。
「何だね?」
「あいつ――村上さんの容態はどうなの?」
「悪くはないよ。だが、まだ誰にでも会わせられる状態でもない。意識が戻ったかと思えば失って、の繰り返しだ。傷そのものはそれほど酷いわけでもないんだが、失血性のショックを起こしかけてたからね」
「……そう」
「君がとても心配していたと伝えておこう。私が会ったときに彼の意識があったらの話だが」
 片岡はそう言うと勘定を済ませて、一度も振り返ることなくカフェテリアを出て行った。

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