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Left Alone

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  第 54 章 

 BMWは昭和通りを留美さんが搬送された病院へ向かっていた。運転中の由真に声をかける気にはならないので、アタシは助手席で外の景色を眺めてすごした。
 冷泉町――正確な住所は店屋町だが――にある倉田兄弟のマンションから一番近い救急病院は都市高速の千鳥橋ジャンクションの近くにある総合病院で、そこは都合のいいことにトモミさんの入院先でもあった。今朝早く、ニュースを見た彼女から<どういうことか、話を聞かせて>という短いメールが届いていたのだ。
 メールが届いたことを示す電子音が鳴った。菜穂子からで、知り合いの司法書士に話を通しておいてくれと頼んだ件の了解が取れたことを知らせるものだった。
 権藤から渡された名刺を取り出して、八尋多香子司法書士事務所の代表番号を押した。
 今朝になって会ったり連絡をとったりしなくてはならない人物は結構いた。中には頼んでいた調査の結果を聞く人物もいる。興味という点ではトモミさんや藤田警部補が先に立つ。それでも、優先順位では故人の遺志のほうが上だ。
 今朝、電話したときは素っ気ない対応だった年配の女性事務員は、今回は愛想よく事務所の主に繋いでくれた。
「――話は菜穂子から聞いてるわ。朝は失礼したみたいでごめんなさいね」
 法曹よりもジャズ・シンガーの方が似合いそうな滑らかな声だった。
 実際、コメンテーターとして時々出ているローカルの情報番組の企画で自慢の喉を披露したこともあったはずだ。テレビの出演者などまず覚えないアタシが彼女のことを思い出したのは、黒髪のストレートが似合う容貌でも歯に衣着せないコメントでもなく、歌声のインパクトが残っていたからだった。
 多賀子と菜穂子が知り合いだろうと思ったのは何となく年齢が近そうだったのと、同じ法曹関係者だから接点があるんじゃないかといういささか安直なものだったが、まさか二人が小中高とずっと同じ学校に通った腐れ縁だとは思わなかった。
「気にしないでください。そちらもいろいろ大変なんだって菜穂子さんが言ってました」
「まあね。守秘義務ってヤツがあるから、迂闊に誰とでも話すってわけにもいかないのよ」
「権藤さんの依頼を受けてたからですか?」
「本当はその質問には答えられないんだけどね。テレビなんかに出てるといろいろしがらみがあるのよ。職業上のことは話せないってことはディレクターだって知ってるはずだけど、出演者の一人がいま福岡を騒がせてる事件の関係者――って言うか、犯人と知己だっていったら、ちょっとくらい話を訊かせてくれてもいいじゃないかって空気になるわけ」
「それが気まずいんで、居留守を使ってるんですか?」
「我ながら安直だとは思ってるけどね」
 彼女は少し陰のある笑い声をたてた。脳裏に浮かんだ容姿のイメージを裏切らない笑いだった。
「用件を伺おうかしら」
「用件と言うほどのことでもないです。権藤さんの遺言をお伝えするだけですから」
 アタシはちゃんと”いごん”と発音した。”ゆいごん”は正式な法律用語ではないと村上から聞いたことがあったからだ。
「何ですって、あの叔父さま?」
「自分が死んだら郁美をよろしく頼む、だそうです。それと、自分の財産の処分と生命保険の手続きをして欲しいそうです」
 彼女は了解と呟いた。
「まさか、あの人がお嬢さんを残してあんなことをするなんてね」
「権藤さんは”残していかなくちゃならないからだ”って言ってましたけど」
「どういう意味?」
「アタシにも分かりません。分かりたくもないです」
「……そうでしょうね。用件はそれだけ?」
「頼まれたのはそれだけです。それと、アタシから一つお願いしたいことが」
「なに?」
「郁美さんに会わせて欲しいんです」
 緊張をはらんだ短い沈黙があった。
「何のために?」
「理由はありません。ただ、会いたいんです」
「郁美さんの病状は知ってるのよね?」
「聞いてます。――それでも」
 彼女はしばらく唸り声をあげた後、沈黙してしまった。アタシは彼女の返事を待った。
「――悪いけど約束はできないわ。担当の先生にも訊かなきゃなんないから、わたしの一存じゃ決められないし。そういうことで良ければ」
 アタシは構わないと答えた。彼女は夕方にでも病院に顔を出すつもりだと言った。その時間に病院のロビーで待ち合わせることを約束して電話を切った。
「終わった?」
 アタシがケイタイを畳むのとほぼ同時に、由真はCDのボリュームを戻した。
 鳴っているのは珍しくB’zではなかった。アタシもよく知らない海外のヒップホップで、間違っても由真の趣味ではない。再会した元彼が忘れていったものだろう。そう思うと跳ねるようなリズムとは裏腹に何だか切なくなるから不思議だ。
 由真は灰皿でタバコを消した。ファミレスでのカミングアウト以降、アタシの前で遠慮する気はないようだった。
「ホントのとこ、郁美に会ってどうするの?」
「言ったでしょ、ただ会いたいだけだって。今の話、聞いてなかったの?」
 由真が言いたいことは分かっていた。郁美と会ったところで新しい話が聞けるようなことはないだろう。だとすれば、飯塚の山中まで出かけるのは時間の無駄でしかない。それに父親の顔すら分からない郁美にアタシが分かるはずはなかった。
 それでもアタシは郁美――微かな記憶の中で顔も定かではない”郁美お姉ちゃん”に会いたかったのだ。
 
「ホント、お互いに大変だったよね」
 留美さんは思ったよりは明るく振舞っていた。
「すいません、危険な目に遭わせるはずじゃなかったのに」
「あたしが自分で首を突っ込んだんだから、真奈ちゃんが謝ることじゃないよ。それより、真奈ちゃんのほうはどうなの? まだ取調べとかあるの?」
「午後に博多署のほうで調書に署名しなきゃいけないみたいですけど、一応、それで終わりです」
「良かった。あたしはそんなに時間かからなかったけど、やっぱりいい気持ちはしないもんね」
 留美さんは場を和ませるように悪戯っぽい笑みを浮かべた。アタシと由真も同じように笑ってみせた。
 それからしばらく、昨夜の出来事とは関係ない他愛もない話をした。午後には退院できるとのことで、家族に来なくていいと言ったと留美さんは笑った。そのために今は入院患者のお仕着せのパジャマ姿だった。どんな服でも着こなせる彼女でも、さすがにそれは似合っていなかった。
 ケガをしているわけではないので、留美さんはベッドで大人しくしていることに飽き始めているようだった。それは逆に言えば、昨夜のショックから立ち直りつつあるということでもあった。少しだけホッとした。借りたワンピースを台無しにしたことを謝ると、留美さんは気にする必要はないと言ってくれた。
 もうしばらく付き添うと言う由真をその場に残して、アタシは違う階にあるトモミさんの病室に向かった。
 足取りはどうしても重くなる。村上と同様に権藤康臣もトモミさんとは知己の関係にある。それがあんな事件を起こしてしまったのだ。彼女がやりきれなさと苛立ちに苛まれているのは予想に難くなかった。
 待ち受けていたのは想像と寸分違わない、怒気をはらんだ沈痛な面持ちだった。
「……いったい、何がどうなってんのよ?」
 上半分を起こしたベッドの上で、トモミさんは前置きもなく言った。
 アタシは昨夜の出来事を順を追って話した。朝刊にはまだ詳しい経緯は出ていなかったが、桑原警部からは特に口止めもされてなかったので、権藤が双子のホストだけではなくかつての彼らの共犯者だったホスト崩れとバーテンダー崩れも殺していたことも話した。話を黙って聞いていたトモミさんは、アタシが権藤から銃を向けられたところで一瞬だけ、ほとんど力が入らないはずの手でシーツをギュッとつかんでいた。
 権藤が凶行に及んだ動機が娘をボロボロにした男たちへの復讐だったことを知ると、トモミさんは切なそうなため息を洩らした。
「どうしてそんなことに……」
 何と答えていいか分からなくて黙っているしかなかった。トモミさんも答えを求めているようではなかった。
 気まずさとも違う、重苦しい沈黙を破ったのはトモミさんだった。
「そう言えば、昨日の頼まれ事だけど」
「何か分かった?」
「ええ。――あんたに教えていいかは迷うとこだけど」
 トモミさんの目が底光りしたような気がした。しかし、それはすぐに消えて、代わりに力なく首を横に振った。
「……教えなくてもあんたのことだもの、どうせムチャするに決まってるものね。だったら、少しでも知っといたほうがいいわ」
 ゆっくりと持ち上がった手にペットボトルを握らせてやった。トモミさんは口を湿らせると背もたれに埋もれるように身体を預けた。
「立花正志の経歴は意外なものだったわ。三年前まで西署の警察官だったのよ。西署っていっても前のだけど」
「今は早良署ね」
 福岡市内の所轄署のうち、西警察署はかつては西区、早良区、城南区を抱える県下最大級の警察署だった。父から聞いた話では一一〇番の出動件数は全国でも一位だったらしい。それがあまりにも忙しいということで西区に新しい警察署が建てられて、旧西署は所在地の区名をとって早良署になったというわけだ。
 まったくの余談だが、西署時代の早良署は石原プロ製作のやたらクルマやらビルが爆発する刑事ドラマで登場する”西部署”の外観として撮影に使われていて、正面玄関にある階段はオープニングで渡哲也を始めとする大門軍団が駆け下りてくるシーンの舞台なのだそうだ。アタシも父親が何処からか借りてきたDVDで見たことがある。
「そこの刑事だったの?」
「それが、そういうわけでもないのよ。ずっと交通課のお巡りさん。若い頃には白バイ隊員だったらしいんだけど、暴走族を追いかけて大クラッシュを起こしてからは、三年前に退職するまで所轄の交通課勤務だったそうよ」
 脳裏に市営住宅前で見た酷薄そうな顔立ちのオールバックが浮かんだ。あれが警察の制服を着て事故処理をしているところなどそう簡単に想像できるものではない。
 いや、それ以前の問題がある。
「……なんで、そんな男が中洲で街金融なんかやってんの?」
「そこが不思議なとこなんだけどね。いくつか、関係ありそうな話は聞けたわ。一つは立花が警察官としてはかなり素行不良だったこと。遅刻、欠勤も少なからずあったみたいだし、ギャンブルにもずいぶん入れ込んでたようね」
「借金は?」
「それは分からないけど、金回りは良かったみたいよ。何しろ、要領がいい男だったみたいね。話を聞かせてくれた人は、あれは間違いなく金ヅルをつかんでたはずだって言ってた」
「交通課のお巡りさんが?」
「あんたはお父さんがずっと刑事だからそう思うでしょうけど、そういうのに部署はあんまり関係ないのよ」
「ふうん……。で、他には?」
「立花がナカス・ハッピー・クレジットの社長に納まった経緯ね。元々、前のオーナーとは遠縁にあたるらしくて、周囲には警察を辞めたのは逮捕された前オーナーの跡を継ぐためだって説明してたみたいね」
「不自然な乗っ取りとかじゃないわけだ」
「まあね。でも、だからって元警察官がヤクザの関連企業のトップになるなんて話がすんなり通るわけないことくらい、あんたにだって分かるでしょ?」
「でしょうね」
「そこで立花はあの店のケツ持ちをしてた組に挨拶に行ったんだけど、そこで橋渡し役をしたのがどうやら県警の幹部らしいのよ」
「はあ?」
 トモミさんの話を額面通りに受け取ると、素行不良の警察官の退職後の身の振り方にまつわるトラブルに、県警幹部が直々に乗り出して調停役を勤めたということになる。そんな馬鹿げた話があるものだろうか。
「その橋渡しをした幹部って誰だか分かってんの?」
「警備部の何処かの課の課長だって話よ。名前はイセリだったかしら」
 井芹幸広――村上のリストに名前があって、連絡先などがすべて空白だった三人の一人だ。警備部の人間にヤクザ相手に横車を押す力があるのかどうかは分からないが、トモミさんの言葉を借りるなら”そういうのに部署はあんまり関係ない”のだろう。それ以前にアタシは警備部が何をする部署かもよく知らない。
 リストの話をすると、トモミさんは少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「なるほど、恭吾も井芹を怪しいと睨んでたわけだ」
「それでもそのことと、渡利純也のドラッグ売買との間にどういう関係があるのかはわかんないんだけどね」
 トモミさんは一転して不満そうに顔をしかめた。
「まあ、そうだけど。あんたってどうしてそんなにクールなのよ。少しくらい可愛らしく喜んでくれてっていいじゃない」
「感謝はしてるわよ、もちろん」
「そうじゃなくて、十九歳の女の子らしく”すっごーい!!”とか”うれしーい!!”とか言ってみたらどうなの」
「……アタシにそんなの似合うと思う?」
「似合うかどうかじゃないの。今からそんなにクールぶってると、歳をとってから可愛げのない女になっちゃうわよ」
 可愛げのない女だという自覚は今でも充分あるが、それをトモミさんと議論しても始まらない。他には判明したことはなかったので、話がおかしな方向に向かう前に退散することにした。
「じゃあ、お大事にね。ホント、ありがと」
「どういたしまして。ところで一つだけ訊いてもいい?」
 トモミさんは真顔に戻っていた。
「なに?」
「権藤さんはあんたを追い払ってから、何処へ行くつもりだったの?」
「そんなこと――」
 知らないわよと言い掛けて、一つの事実に気づいた。
 権藤康臣は昨夜、倉田兄弟を射殺した。その後、警察の調べで守屋卓と篠原勇人も同じように射殺されていたことが判明した。それは時系列に沿って言えば逆になる。守屋と篠原、和成、康之の順で権藤の復讐は実行された。
 だとしたら、渡利純也のグループが全員この世を去ったあの後、権藤康臣は何処へ行くつもりだったのだろう。いや、何をするつもりだったのだろう。わざわざクルマを乗り換えてまで。
 逃げるつもりだったのか。
 あり得ない話ではない。残りの命がどれほどであれ、留置場と拘置所――実際には病院に収容されるだろうが――で過ごすよりは逃亡生活であっても外の世界のほうがマシなのは事実だ。
 どこかで自殺するつもりだったのだろうか。
 それもあり得ない話ではない。娘を辱めた連中への復讐を遂げた今、彼が死を選んだとしても不思議はない。悲しんでくれるはずの家族は郁美しかいないし、彼女は父親の死を認識することもできないのだ。
 しかし、それはいずれもアタシが知っている権藤康臣という男のイメージとは掛け離れていた。

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