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Left Alone

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  第 64 章 

 猪俣が教えてくれた近藤遼一のアパートは国道三号線から少し裏に入った辺り、県庁の馬出庁舎の近くにあった。この周辺はすぐそこに箱崎宮の参道があって、そこそこに趣きが感じられる一帯だ。
 しかし、肝心のお目当ては軽量鉄骨二階建ての古びた建物で、県庁や県警本部、九大の学生向けワンルームが建ち並ぶ周辺からは取り残されたような感じがした。真ん中にある階段の両翼に一部屋ずつあるだけの小さなアパート。入居者募集の貼り紙に書かれた家賃は暴利な気がするが、道路に面した駐車スペースの分を差し引けば妥当な価格なのかもしれない。
「ランエボってあれ?」
 留美さんがブルーのボディにステッカーを貼りまくったセダンを指差した。アタシはそうだと答えた。
「下品なクルマだね。なに、あのリアウィング」
「飾りですもんね。ホントに上手い人が走らせるんなら話は別でしょうけど」
「そっか、運転ヘタだって言ってたもんね」
 猪俣は近藤がそんなに運転が上手くなかったことを教えてくれた。ランエボ\も前に乗っていたスカイラインGT−Rを自爆事故で全損させてしまって乗り換えたものらしい。
 近藤の部屋は道路からすると右の二階だった。郵便受けは集合式ではなく、各部屋のドア横のボックス式になっている。階段を上がって蓋に手をかけた。鍵は掛かっていなくてあっさり開いた。
 ドサドサとこぼれ落ちてきたのは督促状の山だった。
「和津実の部屋みたい」
「ですね。あれっ?」
 アタシは郵便受けに刺し込んである住人の名前を記した紙を見た。綺麗な字で”安藤美野里”とあって、その下に”コンドウリョウイチ”と書き足してある。
「――ちょっとォ、あんたたち。人んちで何してんの?」
 階下からかけられた甲高い声に思わず振り返った。
 色白のちょっと険のある目つきをした女がこっちを見上げていた。脱色した金髪を頭のてっぺんでダンゴにまとめて、耳には大振りなリングのピアスをぶら下げている。その割に化粧っ気がないのが不思議だが、服装もタンクトップとショートパンツ、ビーチサンダルというラフなものなのでそれほど違和感はない。ちょっとそこまで買い物に行ってきたという感じだった。事実、左手には中身がぎっしり詰まったコンビニのビニール袋を提げている。和津実ほど豊満な体型ではないが、系統としては同じ部類に入るだろう。着ているものやアクセサリのセンスも近そうだ。声がもうちょっと低かったら、目の前の女に彼女を重ねていたかもしれない。葉子のアパートで上社と熊谷幹夫を重ねたのと同じように。
 まずいと思ったけど、この造りでは隣と間違えたフリもできない。第一、アタシは郵便受けの中身を手に持っている。
「あなたは?」
 女の目が薄く細まる。
「人に名前を訊くときには、先に自分が名乗るのが礼儀じゃない?」
「――なんだって?」
 留美さんの声に剣呑な響きが混じった。
 アタシは無言で留美さんを制した。この手の文句をつける輩が自分も礼儀正しいことはほとんどないが、それを指摘して喧嘩する場面ではない。
「すみません、アタシ、榊原っていいます。ここ、近藤遼一さんのお宅ですよね?」
「表札にそう書いてあるでしょ」
「一人暮らしだと聞いてましたが――」
「何が言いたいの?」
「いえ、同棲されてるとは知りませんでしたから」
「……ふん、あんたも騙されたクチ?」
「どういう意味ですか?」
「とぼけなくてもいいよ。あいつ、ホントに誰にでも声かけるんだよねぇ。何回バレたって懲りないんだから」
 表情が柔らかくなり、声にも奇妙な親近感と同情に似た響きが混じった。女は階段を昇ってきてアタシの目の前で鍵を開けた。床に落ちてる封筒には目もくれようともしない。
 どうやら、かなりの誤解をされてるようだ。アタシは近藤遼一に会ったことすらない。見せてもらった旧車會の集合写真は小さすぎて顔まで判別できなかった。猪俣の話によれば小栗旬似のイケメンらしいが、だとすれば、この女が言うように無節操でも不思議はないかもしれない。
「あの……そうじゃなくて」
「なに?」
「実はこっちのほうなんです」
 親指と人差し指で円を作ってみせた。女は薄い眉をひそめた。
「どういうこと?」
「アタシたち、中洲のガールズ・バーで働いてるんです。で、近藤さんがちょっと、その……ツケを溜めてて」
「……それで?」
「店長に怒られて近藤さんに電話したら、「家まで取りに来い!」ってキレられちゃったんです」
 連れが由真だったら信憑性に欠けるかもしれないが、アタシと留美さんなら疑われはしないだろう。店の場所を訊かれたので二年前の事件で由真の義母と対面した中洲の川沿いのビルの名前を答えた。我ながらよくこんな作り話がスラスラと出てくるものだ。
「それ、いつの話?」
「先月の終わり頃だったかな。それで、何回かここに来たんですけど、いつもお留守なんですよ。――ね?」
 留美さんに目配せをした。留美さんは目を丸くしている。
「あ、うん、そうなのよ」
「ふうん……。じゃあ、知らないんだ」
「何をです?」
「リョウが人身事故を起こして逮捕されたこと」
「そうなんですか!?」
 白々しいにも程がある。心の中で苦笑いしながら、アタシは殊更驚いて見せた。
「姪浜であんたたちのご同業が轢き逃げされた話、知らない?」
「ありましたね、そんなこと」
「あれ、リョウの仕業なの」
 芝居を続けるのであれば”ご同業云々”に反応しておくべきなのだろう。しかし、アタシは違うところに反応してみせた。
「仕業って、わざとってことですか?」
 怒り出すかと思ったが、女はあからさまに狼狽の表情を浮かべた。
「あ、いや、そういうつもりじゃなかったんだけど……。リョウがあのホステスを撥ねたって言ってるだけよ。そんなことより、リョウのツケだけど。まさか、あたしに払えなんて言わないわよね?」
「いえ、そんなつもりはありません」
「だったらいいけど。……ふん、だからそんなものに興味があったのね」
 女は忌々しそうな視線を地面に散らばる督促状に投げた。
 アタシが念の為に他の督促状を見せて欲しいと頼むと、女はジッとアタシの顔を覗き込んできた。懸命に考えを巡らせているのは明らかだった。
 断る口実が思いつかなかったのか、女は「あたし、ミノリっていうの」と言いながら部屋のドアを開けた。自分が入った後もドアを押さえてくれていたのでその後に続いた。留美さんは部屋の汚さに躊躇していたので、目顔で外で待っててくれと伝えた。
 間取りは1Kというやつだ。玄関はそのままキッチンに上がりこむ形になる。ユニットバスがキッチンの奥のほうにある、キッチンはそれなりに片付いているが、奥の部屋はゴミと家財道具の境界線を引くのは不可能だった。エアコンと扇風機がつけっぱなしで涼しいのはいいけど、ホコリっぽさと黴臭さが部屋の中に充満している。
 思い浮かんだのは白石葉子の部屋だった。率直に言って長居したいとは思わない点も共通している。掃除魔の血が疼くのを抑えながら靴を脱いで部屋に上がった。
 ミノリはアタシなどいないかのような様子で床にペタンと座ると、買ってきたものを冷蔵庫に押し込み始めた。その間、アタシは奥の部屋の入口に雑然とまとめてある郵便物に手を掛けた。
 それらの大半は家主――安藤美野里宛てのものだったが、意外なことに督促状は一通もない。それどころかクレジットカードなどの明細らしき封筒もない。携帯電話の請求書すらない。ほとんどが通信販売系のダイレクトメールだ。
 一方、近藤遼一宛てのものはすべて督促状か、それに類するものばかりだった。銀行や有名な会社のものは少なくて、どう見ても街金融のものとしか思えない安っぽい封筒が大半を占めている。和津実のときにも思ったけど、ああいうところでも貸金業として一応やらなきゃならないことはやってているのだ。一番の発見は実はそこだったりする。
 それともう一つ。近藤遼一の住所表記は馬出ではなく和白東になっていて、郵便物はそこから転送されている。おそらく実家がそっちにあるのだろう。郵便受けで見たとおり、この部屋はミノリが借りていて近藤はそこに転がり込んでいるのだ。
「ひどい部屋でしょ?」
 背後からミノリが声をかけてきた。こちらを見ている様子はない。
「住みやすそうな部屋じゃありませんね」
「ハッキリ言うのね、あんた」
「ごめんなさい」
「いいよ。リョウに掃除くらいしろよって言われたけど、片付けるの得意じゃないんだよね」
「近藤さんとは長いお付き合いなんですか?」
「二年くらい」
 ミノリはしばらくの間、訊かれてもいない自分のことを話した。自分のほうが五歳年上なこと。中洲のランジェリー・パブで働いていること。近藤は最初は客だったが、外で逢うようになってそのまま同棲し始めたこと。浮気性はなかなか直らないが、それでも近頃は二人の将来のことについて考えているようなことを口にしていたこと。業務上過失致死なら数年で刑務所から出てこられるから、それまで待つつもりなこと。
 話を適当に聞き流しながら奥の荒れた六畳間を眺めた。
 感じたのは奇妙な違和感だった。散らかったゴミ箱のような部屋でも、そこに人が住んでいる以上は最低限の生活空間があるものだ。まして、ここで近藤とミノリが同棲していたのなら、少なくとも二人が横になれるだけのスペースが必要なはずだ。
 ここにはそれがない。窓際に置かれたベッド――だろう、多分――の上は服や出しっ放しの布団やらが山積みで、どんなに寄り添っても二人は寝られない。もちろん床は問題外だ。ベッドまでの細長い通路がかろうじて確保してあるだけだ。しかも、その通路には窓から差し込む光を反射する何かが散らばっている。手に取るまでもなくガラスの破片だった。
 不意にそこにあるべきものがないことに気づいた。キッチンと奥の部屋を仕切る格子のガラス戸が一枚しかないのだ。
 ガラスを踏まないように気をつけながら部屋に入った。案の定、ガラス戸の残骸はベランダに投げ出されていた。しかも、木で出来た外枠がボッキリと折れて扉の形をなしていない。どうすればあんな壊れ方をするというのか。考えられる理由は一つしかない。誰かがここで暴れた。そして、哀れな犠牲者が思いっきり叩きつけられたのだ。
 キッチンに戻るとミノリはようやく片付け終えた食料を満足げに眺めていた。早く閉めないと冷蔵庫が余計な電気を喰うけど、アタシが心配してやることではないだろう。
「ミノリさん」
「なに?」
 振り返ったミノリの表情が曇った。立ったままで見下ろすアタシが欠片ほどの笑みも浮かべていないからだ。
「一つ伺いますけど、近藤さんはナカス・ハッピー・クレジットという会社からお金を借りてませんでしたか?」
「……どうだろ。知らないな。リョウはいろんなところからお金借りてたから」
「そうですか。じゃあ、質問を変えます。あなたは近藤遼一から、借金の連帯保証人になってくれと頼まれていませんでしたか?」
 訊くまでもないことだ。督促状の額をざっと計算しただけでも近藤の借金は利息を含めて一千万円近くある。いくら街金融の審査が緩くても、無職の十九歳のガキに何の保証もなくそんな大金を貸すわけがない。立花は近藤に生贄を差し出すように求めたはずだ。吉塚正弘に和津実を差し出させたのと同じように。
 そして、近藤にとってミノリほど犠牲者に適任な女はいない。
「知らないってば。それに、あたしはその……一昨年、自己破産したばっかりだし。だから、今みたいな仕事してるんだもん。携帯電話も契約できなくてプリベイド使ってるのに、保証人になんてなれないよ。そんなこと、あんたに何の関係があんの?」
「関係はありませんけど、そうであれば説明がつくことがあるんで」
「……何よ?」
「近藤が人殺しに成り下がった理由です」
「なんだってッ!!」
 怒鳴り声と共にミノリが立ち上がろうとした。しかし、ペタンと尻を落としていてはそんなに急には立てない。バランスを崩して後ろに転がりかけたのを何とかこらえたミノリは、そのままアタシを見上げて刺すような視線を向けた。
「ナカス・ハッピー・クレジットはいわゆる街金です。取り立ては苛酷だったでしょう。しかも、求められていた保証人は用意できない。その気もない女に結婚までチラつかせたのにね」
「ちょっと、変なこと言わないでよッ!!」
「変なことだとは思いませんけどね。それはあなたが一番分かっていることじゃありませんか?」
 近藤がミノリのことを本気で考えていたか。残念ながらその可能性はゼロだ。ミノリがそのことにまったく気づいていなかったか。これも残念ながら可能性はゼロだ。ただ、気づいていないふりをしていたにすぎない。
 ミノリは押し黙ったまま、殺意の篭もった目でアタシを睨み続けていた。火の出るような視線というやつに本当に熱があったら、アタシはその場で焼き殺されていたに違いない。
 しかし、その熱も長くは続かなかった。
「後はマグロ漁船に乗るか、東南アジアに内臓を売りに行くか。もう、どうにもならないところまで追い込まれてたんじゃないですか。連中はこの部屋にも上がり込んで、近藤を締め上げたんでしょう。そこのガラス戸もそのときに壊されたんじゃありませんか?」
 返事はない。アタシは言葉を続けた。
「ところが、そこに悪魔の囁きがあった。――おい、女を一人、交通事故に見せかけて殺してくれないか。そうすれば借金を棒引きにしてやるよって。近藤は取引に乗った。でも、自分の大事なランエボを使う気にはならなかったから、知り合いのプリウスを借りた。クルマは何でもいいと思ったかもしれないけど、アタシはそうは思わない。近藤がやろうとしたことにプリウスは打ってつけだからです」
「……どういうこと?」
「プリウスはハイブリッド車ですから低速時はモーターで走ります。あれは目が不自由で耳を頼りにしてる人でも音が聞き取れなくて、事故に繋がるほど静かだって話ですね。夜の裏路地でターゲットに気づかれずに近づくのは簡単だったでしょうね」
「嘘よ、そんなのッ!!」
「残念ですけど嘘じゃありません。プリウスを貸した人に会って話を聞いてきました。近藤がプリウスのボンネットやバンパーを手配したのはプリウスを借りたその日、つまり犯行の前です。しかもパーツショップの人の話じゃ、それより前にプリウスの中古パーツの当たりをつけていたフシもあります。それはつまり、近藤が最初からフロント周りを大破させるのを前提にしていたことを意味しています。自転車に乗った女を脅かすだけならコツンとぶつければ事足りるのに」
「そんな……殺すつもりなんか、なかった。ちょっと、脅かすだけのつもりだった。リョウは、そう言ってた――」
「お気の毒ですけど、その意見には賛成できませんね」
 ミノリは俯いたまま動かなくなった。やがて洩れだした嗚咽といっしょに肩だけが小さく上下するようになった。
「一つだけ訊かせてください。近藤を自首させたのはミノリさん、あなたですね?」
「……どうして、そう、思うの?」
「殺人よりは業務上過失致死のほうが刑が軽いからです。それにシャバにいれば口封じ目的でどんな目に遭わされるか分からない。だったら、ほとぼりが冷めるまで何年か刑務所で過ごしたほうが安全でしょう」
「そんなの、あんたが勝手に言ってるだけじゃない。誰が進んで刑務所になんか、いくのよ?」
「もちろん、すぐには納得しなかったでしょう。でも、近藤にそう決心させるだけの何かが起こった。それが何なのかは想像の域を出ませんけどね」
 白石葉子を殺害させた連中にしてみれば、実行犯である近藤はいつでも好きなように小突き回せるガキではなくなっている。そうでなくてもいつ自責の念に駆られて事実を口走るか分からない存在を自由にしておくほど甘い連中ではあるまい。
 ミノリの嗚咽が収まるまでアタシはその場に突っ立っていた。やがて、ミノリは呪詛のような低い声で「……このこと、警察に言うの?」と問うた。アタシは首を振った。
「そうするべきだと思いますけど、今のところ、証拠がありません」
「じゃあ――」
 ミノリはハッと顔を上げた。その目には一縷の希望を見出したような嫌な光が宿っていた。
「でも、いずれはバレると思いますよ。警察はそんなに馬鹿じゃない。それに、近藤さんに轢き逃げを――いや、殺人を命じた連中が捕まるかもしれませんしね。それとも、そうなる前にあのランエボを使って関係者を全員轢き殺しますか?」
 こんなことを言う必要はなかった。目の前にいるのは放蕩と借金を繰り返す年下の恋人を止められず、そして、そんな男への想いを断ち切れない憐れな女にすぎなかった。

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