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Left Alone

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  第 66 章 

 毛利課長が待ち合わせ場所に指定したのは、よかトピア通りにあるボンラパスのベーカリーだった。福岡市内に何軒かあるちょっとお高めのスーパーマーケットで、百道店のベーカリーは通りに面した窓側がイートイン・コーナーになっている。以前、由真がすぐ近くに住んでいたので二人で駄弁るのに利用していた店だ。ただ、当時はロイヤル系列だったのが去年くらいに違う店に入れ替わっているので、アタシのお気に入りだったチーズベーグルはここにはない。
 屋上のパーキングにロードスターを突っ込んで降りてきたら、毛利はすでにベーカリーの店内でトレイを手にパンを物色していた。早良署はボンラパスの真裏なので歩いてきてもアタシより早く着けるわけだ。
「こんにちは」
 声をかけると、振り返った毛利は驚いたように垂れ目の瞼を持ち上げた。やがて、それが親しみを込めて優しそうに細まる。顔のしわの中に埋もれてしまいそうだ。
「……キミか。誰だか分からなかったよ。いやぁ、久しぶりだね」
「ご無沙汰してます。二年ぶりですけど、アタシ、そんなに変わりましたか?」
「ずいぶん綺麗になった。髪を伸ばしてるせいかもしれないが、少しお淑やかになったようにも見えるな」
「見えるだけです。中身はあんまり変わってないかも」
「そうかね。言われてみれば、鼻っ柱の強そうなところは変わってないようだ」
「あ、それってひどいです」
「いや、すまんすまん」
 毛利は喉の奥で笑った。凡庸な中間管理職のような見た目のせいで二年前もあまり切れ者には見えなかったが、白髪が増えた今はさらにその印象が増していた。しかし、この男は警官人生の大半を刑事一筋でやってきたヴェテランで、過去に何度も難事件を解決して本部長表彰を受けている名刑事なのだと村上から聞いたことがあった。
 二人で並んでパンを選んで――アタシはシュリンプ・サンド、毛利はさんざん悩んだ挙句に砂糖をまぶしたあんドーナツ――二人分のコーヒーを買って席に着いた。
「忙しいのにお呼び立てしてすいません」
「構わんよ。私だってむさ苦しい男の部下と話すよりは、キミのようなお嬢さんと話していたほうが楽しいからね」
 毛利は笑いながらあんドーナツにかぶりついた。紙ナプキンに包んでいるので砂糖は飛び散らないが、口の周りにつくのであまり食べやすそうには見えない。というより、よくこんな甘いモノが食べられるものだ。そう言えば、この男は二年前の会議の席での食事のときも誰も手をつけない杏仁豆腐を一人で平らげていた。そのうち、病気になるぞ。
「権藤の件は災難だったね」
 静かな労りを含んだ声音だった。アタシの周りにこんなしゃべり方をする人間はいない。強いて言えば、説教モードが終わった後の権藤康臣くらいだった。
「……はい」
「まさか、あの男があんなことを考えていたとはな」
「あんなことって?」
「復讐だよ。奴が殺した四人は権藤の娘を、その……弄んでいたそうじゃないか」
「ええ、まあ」
「奴とはそれほど頻繁に顔を合わせていたわけじゃなかったが、様子が変だなと思ったことはあったんだ。そのときに訊いておけば今度のことは防げたかもしれん。――いや、実際にはそんなことはないんだろうが、奴とは長い付き合いだからね。どうしてもそう考えてしまうよ」
「そうですか……」
 他に何と答えようもなかった。しかし、アタシはあることに気づいた。
「今、四人とおっしゃいましたよね?」
「言ったが、それが?」
「警察は五人と考えているんじゃないんですか?」
 守屋卓、篠原勇人、倉田和成、倉田康明、そして、吉塚和津実。
「南福岡駅の件か。あれは確証を持って権藤の犯行とは言い切れん。ホームのカメラの映像が権藤と断定されたわけじゃないし、目撃証言があるわけでもないんだ。もちろん、物的証拠も」
「ですけど、そういう結論で捜査本部は解散したんでしょう?」
「まあ、そうなんだが……。とにかく、私はあれを権藤の犯行だとは思っていない」
「その根拠は?」
「県警に奉職してから今年で三十五年になる。そのうち、三〇年を捜査畑で過ごしてきた。その経験と勘がそう言ってる。ホンボシは他にいるよ」
 他の誰かが、例えば藤田警部補が言えばただのハッタリか誇大妄想にしか聞こえない台詞だ。けれど、目の前の老刑事の口から出ると不思議な説得力があった。
「ところで、キミの用件は?」
 毛利はコーヒーを飲み干して、イートインのレジにいた子に身振りでお替りを注文した。早くもあんドーナツを片付けてしまっている。アタシはまだサンドイッチに手もつけていないのに。
「幾つか、教えていただきたいことがあるんです。いきなりこんなお願いするのは厚かましいことは分かってますけど、他に話を聞かせてもらえそうな人がいなくて。それに――」
「それに?」
「アタシの方からは、あまり詳しいことは話せないんです。その……毛利さんを信用してないとかじゃないんですけど」
「なるほどね。いいとも、私に答えられることなら」
「いいんですか?」
「余計なことは訊くなと言われているのでね」
「……誰に?」
 毛利は口許に小さな笑みを浮かべた。
「それは内緒だ。さて、何を話せばいい?」
 桑原警部といいこの男といい、いったい誰にアタシへの手助けを請われて――あるいは命じられているのか。前の県警副本部長が介入している場合を除いて、アタシが福岡県警の中で頼り得る人物はもうこの男しかいないはずなのだ。強いて挙げるとすれば高坂姉妹の父親くらいだが、一面識もないアタシに手を差し伸べるとは考えにくい。
 まあ、いい。どうせ訊いたところで教えてくれそうにない。
「藤田警部補のことです。あの人が今どういう状況か、ご存知ですか?」
「あのお調子者か。まったく、私の部下だった頃からおまえは脇が甘いと口を酸っぱくして言い続けてきたのにな」
 藤田は今は県警捜査四課(通称、マル暴)にいるが、二年前の事件のときには組織犯罪対策課の所属で毛利とは上司と部下の間柄だった。両者の違いは部外者のアタシには今ひとつよく分からないが、いつぞや、藤田が得意げに教えてくれたことによれば従来の暴力団やその周辺組織を相手にするのが捜査四課、マネー・ロンダリングや密輸などの国際犯罪を始めとして外国人による組織犯罪に対応するのが組織犯罪対策課ということらしい。両者が密接に繋がっている以上、実際はその棲み分けはあまり明確なものでもないようだが、とにかくそういうことだ。
「藤田さんの容疑って、暴力団から賄賂をもらったってことなんですか?」
「分かりやすく言うとそうだね。四課の課長には金品の饗応としか説明されてないんで、具体的に何をもらったのかは分からん」
「もらったことは事実なんですか?」
「監察はそう言ってる。が、課内でそれを信じる者は一人もおらんよ」
「へえ、藤田さんってずいぶん信用されてるんですね」
「そうじゃない。藤田は少々の端金では買収できんからね。知っとるかね、あの男の実家は佐賀の素封家でね。あいつが乗り回しとる青いクルマは五〇〇万以上するらしいが、あいつの祖母さんがキャッシュで買ってくれたらしいぞ」
「そうなんですか?」
 何度か見ただけで乗せてもらったことはないが、藤田警部補はスバル・インプレッサの六〇〇か七〇〇台くらいしか発売されなかった特別モデルに乗っている。滅多に人を羨ましがったりしない村上が珍しくため息をついていて、アタシは”自分で買えないなら親におねだりすればいいのに”とからかったことがあるが、買ってもらっていたのが藤田のほうだったとは。
 というか、あの二人はお互いにいいとこのボンボン同士なわけだ。どうでもいいけど。
「じゃあ、何だったら藤田さんを買収できるってみんな思ってるんですか?」
「決まっとるだろう、女の一人もあてがわなきゃな。まあ、あいつはモテナイくんのくせにとんでもない面食いだから、そこらのお姐ちゃんじゃ駄目だろうが」
「……なるほど」
「まァ、それは冗談だが、実際のところ、藤田くらいの若手にカネを使ってもそれほどのメリットはないんだ。捜査の指揮権があるわけじゃないから手心も加えられないし。将来に向かっての投資と言えなくもないが、あいつがずっと四課にいるってわけでもないからね」
「捜査情報の漏洩は?」
「あり得るとしたらそれくらいだろう。監察もおそらくその線で立件を考えているはずだ」
「証拠はあるんですか?」
「どうだろうね。その辺はこっちの耳にも入ってこない。身柄を拘束して取り調べてる間に証拠固めをしてしまおうってハラじゃないのかな」
「それってムチャクチャじゃないですか。普通、証拠固めをしてから逮捕でしょう?」
「一般人ならね。しかし、相手は手の内を知り尽くした身内なんだ。正攻法ではなかなか検挙には結びつかない。あまり褒められた話じゃないが、監察が誰かについて嗅ぎ回ってるって噂はあっという間に広がってしまうからね。すると、当の本人は首をすくめてやり過ごそうとする。結果、摘発できないってことになる」
 毛利は届いたお替りのコーヒーを一口すすって顔をしかめた。そのままゴクゴクと飲み干す。ぬるかったらしい。
「――だから、監察官室の連中はだまし討ち同然の手を平気で使うし、使わざるを得ない。同じ釜の飯を食う仲間を相手にね。因果な商売だと思うよ」
「藤田警部補の件を担当しているのは、村上さんの担当の片岡警視ではないそうですね」
 白髪の眉がピクリと動いた。アタシの質問がどこで何と繋がっているのかを訝っているようにも見える。
 村上と藤田の拘束が共に新庄の命令で行われたことであれば、本来は片岡が両方の件を手がけていないと筋が通らない。例外は県警監察官室全部が新庄圭祐の言いなりになっている場合だが、だとしたら、アタシはいよいよ警察を頼れないことになる。
「よく知ってるね。担当は私の同期の内藤警視だ」
「どんな人か、ご存知なんですか?」
「ご存知というほど深い知り合いじゃない。私は捜査畑、あいつは警備畑だったから。ライバルの多いあの世代にしては出世したほうだろう。残念ながら、準キャリアの片岡に追い越されてしまったがね」
「じゃあ、二人は仲が悪いんですか?」
「二人に限らず、出世指向の強い警官同士は大抵仲が悪いよ。片岡はそういうのを表に出さないほうだが。逆に内藤は同期会で片岡の悪口を言ってるのを聞いたことがある。――それが何か、藤田の件に関係あるのかな?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
 自分でもそれを訊いてどうするという考えがあるわけじゃなかった。片岡警視にしても内藤警視にしても、新庄圭祐の圧力に負けて村上や藤田を窮地に追いやったヘタレという点で違いはない。少なくともアタシにとっては。
「藤田警部補はどうなるんですか?」
 毛利は薄く目を閉じて長いため息をついた。
「何とかしてやりたいが、我々が監察事案に表立って首を突っ込むわけにはいかない。とりあえず、容疑がでっち上げだというなら無実を立証するしかない。が、そのためには藤田にかけられている容疑の具体的なことが分からんと……」
「打つ手なし、ですか」
「今のところは。まあ、立件するだけの材料もないのにいつまでも拘束もできんだろうから、藤田がそれまで持ち堪えるのを期待するしかなかろう」
 いつもの軽薄な様子からするとやってもいないことをあっさり自白しそうな気がしないではないが、それはアタシが藤田を悪く見過ぎているだけだろう。あの偏屈な村上が友人づきあいをする男なのだ。それなりに骨のあるところを見せてくれると期待するしかない。
「他に訊きたいことは?」
 毛利が言った。さすがに三杯目を飲む気はしないようでカップは遠ざけたままだ。イートイン・コーナーは禁煙ではないが毛利がタバコに手を伸ばす様子はなかった。確か、二年前は柳澤副本部長がタバコを吸わないために食後の一服ができなくて恨めしそうな顔をしていたのが。
「毛利さん、馬渡敬三っていう刑事をご存知ですか?」
「公安の?」
 アタシはうなづいた。
 藤田には悪いが本題はこっちだ。一〇数年前は馬渡はまだ捜査四課の刑事で、そのときに起こった暴力団の立てこもり事件の最中に奴はシュンの父親の右手を拳銃で打ち抜いている。毛利なら当時のことも知っているだろうと思ったのだ。
「それは権藤を射殺したのがあの男だから訊いているのかね?」
「それも……あります。でも、そのこととは別の件でも、ちょっと知りたいことがあるんです」
「……ほう?」
 立てこもり事件のことを話すと、毛利は懐かしそうな顔をした。
「ああ、そんなことがあったね。あれは大牟田署の管轄で起きた事件で、当時、私は久留米署の刑事課長だった。管轄違いで関わってはいないが、いろいろと話は耳に入ってきたよ」
「どんな話ですか?」
「そりゃあもちろん、突入した刑事が立てこもり犯の一人に発砲した話さ」
 シニカルな光が眠たそうな目を光らせた。
「アタシの知る限りの話ですけど、警察官の発砲にはいろいろと条件がついてるはずです。それに、それがたとえ正当な理由があっての発砲であっても、拳銃を撃った警察官は将来を閉ざされると聞いたことがあります」
「昔は確かにそうだった。最近は犯罪そのものが凶悪化しているせいもあるだろうが、そこまで厳しくはなくなっている。村上のときもそうだったろう?」
 二年前の事件で由真の義母、徳永麻子が拳銃自殺しようとしたとき、飛びかかろうとしたアタシを援護するために村上が威嚇射撃を行っている。あれはてっきり村上が独断でやったことだと思っていたけど、後で聞いた話では万が一にも麻子がアタシに銃を向けた場合には、彼女に向かって発砲する許可が出ていたのだそうだ。いきなり射殺ではなく、ちゃんと警告から威嚇射撃という手順を踏む必要はあったようだが。
「でも、村上さんは誰も怪我させてません。馬渡刑事の場合とは違うと思います」
「確かにそうだね」
「馬渡刑事の発砲は問題にはならなかったんですか?」
「もちろんなったよ。査問会も開かれたはずだ。ただし、結論は手順に多少の瑕疵はあるものの人命に関わる緊急事態でありやむを得ない措置――そんな内容だったと記憶している」
「そんな馬鹿な」
 アタシがシュンから聞いた話では、馬渡はすぐ近くからシュンの父親の右手と握られた拳銃に向かって発砲している。立てこもった部屋がどのくらいの広さだったかは分からないけど、間に障害物などがあれば飛び掛かれなかったのは事実かもしれない。
 しかし、頭の横にある人の手をとっさに撃ち抜く技術があるのなら、他の場所を撃って動きを止めることもできたはずだ。
「馬渡か……確かにやりすぎる男ではあったよ」
「どういう意味ですか?」
「何と言うかな――逮捕時にやたら被疑者の怪我が多いとか、聞き込みで立ち寄った組事務所でひと悶着起こしてきたりとか。いつだったか、チンピラの取り調べ中に肋骨にヒビ入れて弁護士に騒がれて以来、取り調べをやらせてもらえなくなったとも聞いてる」
「サディストってことなんですか?」
「と言うより、暴力的な傾向が強いんだろうな。見た目はそんな感じには見えないんだが」
 そうだろうか。脳裏に村上の部屋で見た傲岸な眼差しが浮かぶ。あれは人を人と思っていない人間の目だ。アタシには馬渡が意図的に過剰な暴力を振るっていたように思えてならない。
 一〇数年前の発砲についてはそれ以上のことは訊けそうになかった。それに今のアタシにはそれほど意味のある話ではない。一呼吸置いて質問を変えることにした。
「詳しいことが分からないんで教えていただきたいんですけど、公安課とその他の部署って仲が悪いんですか?」
「ほう、それは面白い質問だね。そう、確かに仲は良くない。というより、もともと公安警察と刑事警察は別のものだからね。それを詳しく説明しようとすると、戦後の警察組織の成り立ちを一から説明することになるよ。聞きたいかね?」
「あ、いえ……。できれば要点をかいつまんで」
「そうかね。そりゃあ残念だ」
 毛利は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。
「まあ、キミが何を訊きたいのか、だいたい想像はついているがね。権藤が射殺された後の件だろう」
「そうです」
 権藤康臣がアタシに銃を向けていたのは事実だ。だから、民間人であるアタシの人命を守るために馬渡が権藤に発砲したのは、手順を別にすれば問題はないのだろう。アタシも今さらそれを蒸し返すつもりはない。
 問題は事件後の処理だ。
 よく耳にする話だが、警官は正当な発砲であったとしてもその瑕疵を徹底的に追求される。対外的には「発砲は手順通りに適切に行われた」と発表されるが、内部では少しでも過程や結果に問題があればその警官は責任を取らされるのだ。ましてや、結果が被疑者射殺となれば追求は穏やかなものにはなり得ない。
 しかし、馬渡が現場から忽然と姿を消していることや桑原警部が馬渡が現場に居合わせた理由を把握していないこと、昨夜も何事もなかったように出歩いて村上の部屋に侵入していたことから考えると、権藤康臣の射殺について追求が行われているとは到底考えられないのだ。
 もし、誰かが馬渡をかばったのだとすれば、それは奴が所属する公安部の誰か――あるいはもっと上位の誰かしかいない。
「詳しいことは私にも分からん。ただ、一つだけ言えることはある。キミがさっき持ち出した立てこもり事件での発砲でも、誰かが査問会に横槍を入れたという噂がまことしやかに囁かれた」
「それは馬渡がマル暴から公安に移ったことと何か関係が?」
「いい勘をしているね。本来、公安課と他の部署の間での異動は極端に少ない。公安に配属されるとだいたいはそのまま公安畑を歩くことになるし、他所の部署からはそいつがよほど優秀な人材で公安がどうしてもと欲しがった場合くらいなんだ。馬渡のようなトラブル・メーカーを欲しがる理由はどこにもないよ」
「なのに、異動は行われたんですね」
「馬渡は公安のお偉方の誰かとコネがあって、それを後ろ盾にやりたい放題だった。しかし、あの発砲事件でさすがに刑事部には置いておけなくなった。だから、例外的な人事で公安に移った――あくまでも噂だがそういう説もある」
 頭の中で次々にパズルのピースが埋まっていく。もはや、馬渡があのホテルに居合わせた理由すら最初から権藤を殺害する意図だったしか思えない。
 黙りこんだアタシをジッと見つめていた毛利が時計に視線を落として、申し訳なさそうに「悪いがそろそろ行かなくちゃならない」と言った。
 イートイン・コーナーを出て、お茶を買っていくという毛利に付き合って店内を歩いた。お茶だけでなく甘ったるそうなお菓子もカゴに放り込んでいたのでしばらく睨んでやると、毛利はバツが悪そうにそれらを棚に戻した。
「お役に立てたかね?」
 店外に向かって歩きながら毛利が言った。
「ええ、とっても。でも、アタシからは何も話せなくて申し訳ないです」
「それは構わないよ。他に何か、訊き忘れたことはないかい?」
「そうですね……」
 ふと、思い浮かんだ質問があった。
「馬渡っていつも白手袋してるみたいですけど、左手に義指をつけてるって本当なんですか?」
「本当だ。昔、事故で指の上に何か落ちてきて潰れたと聞いている。しかし、手袋の理由はそれじゃない」
「そうなんですか?」
「右手の甲に大きな十字傷があるんだ。ナイフでえぐられたような派手な奴が」
「なるほど」
 吉塚正弘や椛島博巳の前に「渡利純也に手を出すな」と警告するために現れたサラリーマン風の男の手の甲には大きな刃物の傷があったはずだ。これまでもそうだと思ってはいたが、これでようやく新庄たちと馬渡に明確な接点ができた。同時に南福岡駅で和津実の背後に立った、権藤康臣に似た背格好の男の正体にも。
 沸々と怒りが湧き起こってくるかと思っていたら、逆に背筋が冷たくなるほど凍り付いていた。何をどうすればここまで他人を冒涜した生き方ができるのだろう。
「どうやってできた傷か、ご存知ですか?」
「違法カジノで大負けしたときに見せしめにつけられたものだそうだ。さすがにそれじゃ格好がつかないと思ったのか、本人はドスを持ったヤクザと格闘したときの傷だと説明していたようだがね」
「何で毛利さんは本当のことをご存知なんです?」
「傷をつけた張本人を逮捕したのが私だからさ。――じゃあ、私はこれで」
 アタシは時間を割いてくれた礼を言って、毛利を見送った。

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