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Left Alone

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  第 67 章 

「なんだか、セックス・アンド・ザ・シティみたいじゃない?」
 高坂菜穂子の能天気な台詞に、片肘をついていたアタシは小さくずっこけた。
 女が三人、雁首そろえてこじゃれたカフェのテーブルを囲んでいるという図式は、確かに大ヒットした(けどアタシは見てない)海外ドラマに通じるものがあるかもしれない。ただ、いくらドラマのタイトルだからって公衆の面前で口にしていい単語と悪い単語があるだろう。せめてアルファベットの略号で言え。それにあれは女四人のお話じゃなかったか。
「そんな呑気な話じゃないでしょう?」
「やぁねぇ、真奈ちゃんったらそんなに怖い顔しなくてもいいじゃない。ねぇ、多香子?」
「あんた、ふざけすぎ」
 八尋多香子がにべもなく言い放つ。丈の短いジャケットのパンツスーツではあるが黒ずくめなのは昨日といっしょだ。似合うとか似合わない以前に暑くないんだろうか。
「分かってるわよ。でも、こんなん見せられたら、そうでもしなきゃやってらんないじゃない」
「ま、それはそうだけど……」
 視線の先には菜穂子が持ってきたポータブルDVDプレーヤーがある。二人はついさっきまでその画面を食い入るように見つめていた。映像の悲惨さを考えたら、バカ話で気を紛らわせたくなる気持ちにも幾分かの理はあるかもしれない。
 毛利課長との逢瀬からおよそ一時間後、アタシはVIOROの五階にあるチョコレートショップにいた。和津実が遺したDVDを見せるために菜穂子に連絡を入れたら、オブザーバーとして多香子を呼びたいので別のところで会おうと言われた。それに異論はなかったが、菜穂子に場所を選ばせたらここになったというわけだ。天神で一番新しいファッション・ビルというロケーションと、白を基調にした豪奢なインテリアやショーケースにチョコレートが並んでいる宝石店のような店構えは確かに菜穂子好みだ。そう言えば由真が事務所の誰かといっしょに食べに来て、アントワープから直輸入しているというチョコレートに陶酔したようなことを言ってた記憶がある。まあ、こんな機会でもなければアタシが足を踏み入れることはないだろう。
「つまり、これが恭吾が追いかけてた真相ってわけね?」
 菜穂子が指先でプレーヤーをコツコツと叩いた。
「そういうことだと思います。正確にはその一部ってことになりますけど」
「どういうこと?」
 葉子が和津実に宛てた手紙の文面を説明した。上社の策謀で村上が葉子に接近した話はしていたが、葉子が本気で村上に恋心を抱いていて、しかも短期間とはいえ付き合っていたという話はしてなかったので、菜穂子はちょっと面食らったような顔をしていた。無理もあるまい。
「モテる旦那を持つと大変だよねぇ」
 多香子がちょっかいを出した。菜穂子はプッと頬を膨らませる。
「もう旦那じゃないし、関係ないけどさ。でも、恭吾のストライク・ゾーンがそんな広いとは知らなかったわ」
「男はね、何だかんだ言っても若い女がいいのよ」
「あんたさ、自分の彼氏が十九か二〇歳の小娘と浮気したからって、それが世の倣いってわけじゃないのよ? だいたい、あんたが仕事ばっかりで夜もろくに相手してあげないから、そういうことになるんじゃないの?」
「失礼ね、こっちはいつでもオーケーだったわよ。ちょっとタイミングが合わなかっただけで」
「それがもうダメだって言うのよ」
「……あー、すいません、本題に戻ってもいいですか?」
 前言撤回。こいつらはバカ話で脱線するのが好きなだけだ。
「とにかく、村上さんはこの映像と他にいろいろと収められたDVDを手に入れたところで身動きが取れない状態に追い込まれたわけです。撃たれたのは直接関係ない事情なんですけど」
「権藤課長ね」
 菜穂子が自然に役職名で呼んだのに少し驚いたが、考えてみればかつては夫の上司だったわけでおかしなことではない。
「――で、肝心のその”ホンモノのDVD”とやらは何処にあるわけ?」
 多香子が言った。
「それはまだ分かりません。村上さんの部屋にないことは間違いないと思うんですけど」
「そうなの?」
「夕べ、それらしきところは捜してみました。ああ、そうだ。白石葉子が村上さんに送ったメールの中で、DVDを隠した場所のことを”武器よさらば”って言ってるんですけど、何のことだか分かりますか?」
「武器よさらば?」
 菜穂子が素っ頓狂な声をあげる。
「ヘミングウェイの?」
「他にないでしょ」
 多香子のつっこみを菜穂子が横目でジットリと睨み返す。
「恭吾の部屋にそんなのあったっけ?」
「とりあえず、村上さんの手持ちのDVDにそれらしき映画は見当たりませんでした。念のために本棚のほうも見てみましたけど、文庫本ばっかりでハードカバーは法律専門書しかありませんでしたから、そっちでもないみたいですね」
「文庫にDVDは挟めないもんね」
「これと同じ、八センチディスクの可能性は?」
「一〇〇パーセントないとは言い切れませんけど、おそらく普通の十二センチサイズのはずです」
 DVDはコピーされたものが脅迫状として新庄警視正に送りつけられているはずだ。それなのに再生に機種を選ぶ八センチディスクを使うとは考えにくい。他の映像と合わせて焼いたのなら編集はパソコンで行われただろうし、普通の十二センチディスクを選ぶほうが自然だろう。
 菜穂子は大きく息を吐いた。
「まあ、隠し場所はともかく、恭吾の手に渡ったことは間違いないんでしょう?」
「おそらく。確かめたわけじゃありませんけど、そうじゃないと辻褄が合わないんで」
「でも、何処にあるかは分からないってわけね。それが手に入らないとどうにもならないのに」
「手に入れたからって、どうなるってもんでもなさそうだけど」
 多香子が言った。
「どういう意味よ?」
「そうねえ……。えーっと、真奈ちゃん。逆に訊くんだけど、あなたはそのDVDを手に入れてどうするつもりなの?」
「それは……」
 実はそこがアタシの悩みどころだった。例えば二年前の事件のときのように警察を頼りにすることができないとしても、一部にでも信用できる警官がいれば何とか道は開けるものだ。今度の場合だと普通はDVDを手に入れた時点で告発が可能になる。すぐには渡利純也との癒着にたどり着けないとしても、四年前の事故とその隠蔽工作だけでも充分に再捜査の対象になるからだ。
 しかし、今回は警察はまったくあてにできない。DVDを手に入れて警察に届けたとしても、どこで握り潰されるか分かったものではないからだ。それどころか、最悪の場合はアタシまでありもしない罪をでっち上げられるかもしれない。
 だとすれば、あとは頼りにできるのはマスコミだけということになる。しかし、アタシにはそのツテがまったくない。モデル仕事のおかげで雑誌編集者には数人の知り合いがいるが、同じマスコミでも彼らはまるで畑違いだ。
「誰か頼りにできそうなマスコミの人がいないか、捜そうかなって」
「……でしょうね」
 多香子の声音は明らかな否定のニュアンスが混じっていた。
「何か、問題がありますか?」
「残念だけど大あり――」
 不意にアタシのケイタイがなった。サブ・ディスプレイには見覚えのない番号が表示されている。菜穂子が出ろと手で示したので通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「……すいません、榊原真奈さん、ですよね?」
 聞いたことのないか細い女の声だった。
「そうですけど?」
「いきなり電話してすいません。私、高橋拓哉の家内です」
 一瞬、話が頭の中で繋がらなかった。高橋が蛯原友里似の美女とできちゃった婚したのは知ってるが、その奥さんから電話を貰う理由が分からない。浮気を疑うんならアタシより容疑が濃いのがいるだろうに。
「えーっと、どういった用件で?」
 言葉を選んでいるような重苦しい沈黙。
「……実は拓哉が昨日の夜、仕事場で誰かに襲われたんです」
「何ですってッ!?」
 思わず大声を出してしまった。ビックリした顔の二人に目顔で謝る。
「どういうことですか?」
「詳しいことは分からないんです。夕べ遅くに警察から電話があって、香椎の仕事場の近くの救急病院に運び込まれたって……」
「夕べ、ですか?」
 アタシは昨日の夜、高橋と電話で話をしている。上社との待ち合わせの間だったので七時半くらいだ。その後にメールのやり取りもしている。それが八時半にならないくらいか。高橋は村上のノートパソコンの分解に取り掛かるようなようなことを言っていた。だとすれば、その作業中に暴漢が彼の仕事場に押し入ったことになる。
「高橋さんの容態は?」
「ずっと意識不明だったんですけど、ついさっき気がついて……。それで、どうしてもあなたに連絡をとって欲しいって言うものですから」
 オドオドした彼女の声に不安と同時に苛立ちのような響きも含まれていた。それはそうだ。夫の頼みだからこそ仕方なく電話しているのだろうが、意識が戻った途端に別の女に電話してくれと言われれば心中穏やかではあり得ない。
 自分と高橋がそんな間柄ではないと力説したい衝動に駆られたが、この際、意味がないのでやめておいた。
「そうですか。それで、高橋さんは何と?」
「一度しか言いませんからメモをとってください。いいですか。――村上さんのノートパソコンを奪われた。犯人は誰だか分からないけど、男の二人組だった。頼まれてたメッセージは見つけた。そのパーツは隠してあるから大丈夫。以上です」
 とっさにケイタイの録音ボタンを押したのでメモを取る必要はなかった。そこまで長いメッセージでもないので覚えられない内容ではなかったが、彼女の声音に含まれるニュアンスは訊き返すことを明確に拒否している。それでも一つ、訊かなくてはならないが。
「パーツって?」
「それはさっき、仕事場から取ってきてあります。英語ですけどよろしいですか?」
 録音しているので問題はない。アタシはそう答えた。
「”The love letter to Miss Mana Saeki.From Kyogo Murakami ”――だそうです。これ、ノートパソコンのキーボードを外したところのパネルですね。それに筆記体のキレイな字で赤いサインペンで書いてあります」
「それだけ、ですか?」
「そうですけど。それが何か?」
「いえ……」
 村上がアタシにあのノートパソコンを渡すように上社に頼んだのは、やはり、アタシに伝えたいことがあったからだった。いずれパソコンをバラバラに分解するのもお見通しだったわけで、アタシの習性を知り抜いている点ではさすがと言わざるを得ない。
 問題はそうまでして送られたメッセージの意味が分からないことだ。
 直訳すれば”ラブレターを真奈へ。村上より”となる。思わず赤面しそうになるほどストレートな文面だが、残念ながらアタシは村上から年賀状すらもらったことがない。だいたい、あの筆不精な男が手紙など書くわけがない。
 だとすれば、これはホンモノのDVDをアタシに送ったという意味になるのだろうが――
「分かりました。大変なときにわざわざありがとうございました。それで、あの……」
「何でしょう?」
「お見舞いに伺いたいんですが、入院先はどちらですか?」
「せっかくですけど結構です。お気になさらないでください」
 最後だけ急に強い口調でそう言って、高橋の奥さんはプツリと電話を切った。

 高橋の奥さんの電話から十五分後。
 アタシたちはVIOROを後にして、多香子のジャガーXKRコンバーチブルで都市高速を香椎浜に向かっていた。アタシのロードスターは二人乗り、菜穂子のディアマンテは大手門の事務所に停めたままだったので、天神地下街の駐車場に入れてあった多香子のクルマに乗り合うことになったのだ。
 優美なボディラインを持つこのイギリスの高級車は多香子によく似合っているが、普通は三十歳そこそこの若い女が乗れるようなクルマではない。司法書士という仕事が儲かるというよりはテレビを始めとする副業の収入なのだろう。
 後部座席の狭い窓から見えるのは街路灯のオレンジと案内標識のグリーン以外は真っ暗な宵闇だけだ。リアスピーカーからはELLEGARDENの〈サラマンダー〉が流れている。日本のロックバンドにしては骨太な音と何故か英語詞なので邦楽を聞かないアタシも気になっていた曲だが、無闇に焦燥感を煽るメロディが今は煩わしく感じられる。
 窓に映る自分の顔を見つめながら、アタシは高橋の奥さんとの会話を何度も反芻していた。
 内容はすべてが驚きだった。そして、差し挟める疑問が山のようにあった。村上の真意と彼がアタシに送ったという”ラブレター”の行方。あるいは高橋が襲われた経緯とその理由。そもそも、襲撃者は高橋が村上のノートパソコンを持っていることをどうやって知り得たのか。
 しかし、一つの疑問がそれらを一蹴した。昨夜から高橋がICUに収容されていたのなら、由真は香椎浜のイオンで誰と待ち合わせていたのか。
 由真と高橋のケイタイはどちらも繋がらないままだった。アタシのケイタイにかかってきた番号はおそらく高橋の奥さん自身のものだ。しかし、夫のケイタイが手元にあれば普通はそれを使ってかけるはずで、それはつまり、高橋のケイタイが何者かに持ち去られた可能性が高いことを意味する。
 そして、由真はその何者かによって香椎浜のイオンに呼び出された。
 邪な意図はなくても相手には奥さんも子供もいる。従って、二人のやり取りは電話ではなくメールで行われていたはずだ。二年前、当時の彼氏に成りすました男にメールで誘い出された苦い経験からアタシはメールそのものをあまり信用してないが、日頃からたくさんのメールのやり取りをしている由真はどうしてもその辺りの警戒心が薄い。

 ――無事でいてくれ。

 もちろん、由真と高橋の待ち合わせは昨夜の襲撃の前のことで、由真は高橋の事情を知らずに香椎浜へ出向いた可能性もある。アタシは待ちぼうけを食わされた由真が返答がないので場所を移すことができず、ふくれっ面でショッピングセンターの中をウロウロしている姿を想像した。というか、そうであって欲しかった。
 しかし、脳裏に浮かぶのは”嫌な予感ほど良く当たる”などの皮肉めいた警句ばかりだった。
「そろそろ着くわよ」
 多香子が言った。口許にあるのは禁煙パイプ。匂いがつくと売るときに査定が下がるという理由で車内ではタバコは吸わないのだそうだ。やめればいいのに、と思うのはアタシが喫煙者じゃないからだろう。
 ジャガーは都市高速のランプウェイを猛スピードで滑り降りていった。その途中で一瞬だけ、闇の中に浮かび上がるイオン香椎浜ショッピングセンターの巨大な建物が見えた。香椎浜出口からはすぐそこだ。
「屋上駐車場でいいのね?」
「そうです。あの子、駐車場から建物まで延々と歩かされるのが嫌だって、こういうとこでは必ず屋上の入口の近くに止めるんです」
「若いのに不精なのね」
「あんたといっしょじゃない」
 菜穂子が混ぜっ返した。多香子は短く「うるさい」と吐き捨てると、建物の脇のスロープに向かってジャガーを走らせた。
 週末の夜だからか、屋上駐車場にもたくさんのクルマが停まっていた。ゆっくりと屋上駐車場を周回する車内から目をこらしてBMWを探す。
「ねぇ、あれじゃない?」
 菜穂子が指差したのは屋上に点在するエレベーターハウスの一つだった。ほとんどのハウスは何の変哲もない箱型の建物だが、そこは機械設備が真横にあって大きな屋根が張り出している。その下にステーションワゴンが一台突っ込んである。
 確かに由真の愛車、ダークブルーのBMW328iツーリングだ。
「間違いありません。あれです」
 多香子がエレベータハウスの前にジャガーを横付けした。アタシはBMWに駆け寄った。
 屋根の下とはいえ一日中炎天下にあってボディはまだ熱を持っていた。対照的にエンジンはすっかり冷え切っている。自分でも何の痕跡を探しているのかよく分かってなかったが、アタシはBMWの車体をつぶさに見て回った。
 元々は由真の兄が乗っていたのを譲り受けたものだ。当初はあのヘタクソがこんな大きなクルマでだいじょうぶかとヒヤヒヤさせられたものだが、意外なことに最初の頃に何度かコツンとぶつけた以外に目立つキズはない。
 コンソールにはB’zの〈The Ballads 〜Love & B’z〜〉の白いジャケットが立て掛けてあった。数あるアルバムの中でも由真の一番のお気に入りだ。理由は〈今夜月の見える丘に〉と〈いつかのメリークリスマス〉というB’zバラードの双璧が収録されているかららしい。洋楽マニアからするとB’zと言えば所詮ハードロックのパクリということになるが、知り合ってすぐの頃に知らずに貶したら本気で激昂されたことがあるので、それ以来、アタシはその話題を口にしたことがない。
「ここに来て、少なくとも自分のクルマで移動してないことは間違いないわね」
 多香子が言った。彼女は由真を知らない。そのせいか、口調にどこか他人事のような響きがある。一瞬、頭に血が上りかけたがおかしいのはどう考えてもアタシだ。
「警察に届けたほうがいいですか?」
 アタシは菜穂子に訊いた。
「一応、お店の中を捜してみたほうがいいわね。届けを出してから「見つかりました」じゃ間抜けだし。――やぁねぇ、真奈ちゃん。そんなに怖い顔しなくてもだいじょうぶよ。すぐに見つかるって」
 菜穂子は殊更明るい口調でそう言った。しかし、その表情にはさっきの笑みが嘘のような厳しさがにじんでいる。

 もどかしいことこの上ないけど、由真を捜すといってもできることは限られていた。
 アタシとしては、それこそ建物の中を走り回って捜したいくらいだった。しかし、実際の話としてひとりで――菜穂子と多香子が手伝ってくれても三人で――広大なショッピングセンターをくまなく見て回るのは現実的とは言えない。
 できたことと言えば館内放送で呼び出してもらうことくらいだった。しかも、呼んでもらったからにはある程度の時間はここにいなくてはならず、打つ手がないままで悶々とした時間を過ごす羽目になった。
 ウロウロせずに何処かで待っていたほうがいい、ということでアタシたちは一階のイベントスペース前にあるスターバックスに入った。そろそろコーヒーも飲み飽きていたが、ゆっくり夕食という気分になどなれるはずもない。
「真奈ちゃんに、というか、襲われた高橋くんに謝らなきゃなんないわね」
 菜穂子がポツリと言った。
「何が、ですか?」
「彼が関わってることを、襲撃した連中に教えたのはあたしだもの」
 何を言い出すんだ、この女は。
「……どういうことですか?」
「昨日、由真ちゃんからCD−ROMを預かったでしょ。高橋くんが隠し持ってたファイルが入ってるヤツ」
「熊谷幹夫のファイルですね」
「そう。実はあたし、あなたたちが帰った後、恭吾と面会させろって県警の監察官室に直談判に行ったの。例の片岡ってイヤミなオッサンににべもなく断わられたけど。で、あたしは「そもそも、恭吾の容疑そのものが事実無根なのに何を根拠にしてるんだ」って粘ったわけ」
 菜穂子は口を湿らすようにアイスラテを一口すすった。
「そしたらあのオッサン、逆に「村上警部補の容疑が事実無根ならその証拠を示したまえ」とか言い出しちゃってさ。だから、恭吾は警察のコンピュータになんかアクセスしなくても件のファイルを入手できたって言っちゃったのよ。高橋くんの名前は出してないけど」
「……で、それを誰かに聞かれてた、と」
 多香子が言った。菜穂子は小さくうなづいた。
「でも、名前を伏せたんなら、監察官はどこから恭吾さんと高橋くんの接点を見出したの?」
「消去法じゃないかな。実際の話、あのファイルに関わった民間人はそう多くないもん。その中で彼らが見落としていた人物こそ、恭吾の協力者である可能性が高い。そう考えたんじゃないかしら」
「そこまで分かってて口を滑らすなんて、あんたにしては下手打ったわね」
 菜穂子は多香子を睨んだ。けれど、何も言い返さなかった。
 高橋の存在を知られたことについて菜穂子に責任があるか、と問われれば「おそらくない」としか言いようがなかった。その時点では黒幕の正体は分かっていなかったのだから。ただ、襲撃者に奪い去られた高橋拓哉のケイタイから由真の存在を知られたのは確かなわけで、もし、それが元で――というか、十中八九そうなのだろうけど――由真の身に何かが起こったのだとしたら、軽率な発言の代償はとんでもなく重かったことになる。
 自分の落ち度を認めながらいつものように澄ました表情をしていることが、逆に菜穂子のやり場のない自責の念を感じさせた。
「――ところで、さっきの話ですけど」
 話題を変えようとアタシは多香子に言った。
「何だったっけ?」
「マスコミにDVDを持ち込むことに問題があるって言ったじゃないですか」
「ああ、あれね」
 多香子は甘そうなフラペチーノを口に運んだ。
「勘違いしないで欲しいんだけど、私はマスコミがあてにならないって言ってるわけじゃないの。むしろ、あなたが言うように警察があてにできないんだったら、マスコミを動かす以外に打開策はないと思ってるわ」
「だったらどうして?」
「そうねぇ……」
 少し遠い目をして多香子が考え込んだ。
「逆に訊いてみるんだけど、さっき見せてくれた事故の映像って、裁判でどれくらいの証拠能力があると思う?」
「えっ?」
 言われている意味がよく分からなかったが、あれはどう考えても、新庄圭祐が半田家の三人を死なせた上に事故を隠蔽した証拠だろう。なので、アタシはそう答えた。
 多香子は菜穂子を見た。
「高倉弁護士はあれをどう見る?」
「どっちの立場で?」
「もちろん、被告の弁護人として」
「穴だらけね」
 菜穂子は即答した。アタシは彼女に向き直った。
「どういうことですか?」
「弁護人から見ると付け入る隙があり過ぎってことよ。逆に検察の立場から言うなら、あれだけで新庄警視正を有罪に持っていくのは難しいわね」
「どうしてですか? あんなにハッキリ――」
 菜穂子は小さく手を挙げてアタシを制した。
「話は最後まで聞きなさいよ。確かにあの映像には事故を起こしたクルマと運転していた男性が映っているわ。隠蔽工作の指示らしき会話も録音されている。それは確かよ。でも、あれが新庄警視正であるかどうかには疑いが残る」
 何度も「どうして?」と訊く気にはならない。なので、アタシは菜穂子の目を見据えた。
「口頭弁論の具体的な内容は?」
 多香子が口を挟んだ。
「そうね。運転している男と被告はたまたま良く似ているに過ぎない。事故後の会話は本人たちのものではなく、セルシオの持ち主に罪を着せようとしてでっち上げられたもので、検察の主張は真実とは程遠い。――あたしが弁護人ならそう主張するわ」
「そんな馬鹿げた話、ないでしょう!?」
「そうでもないわ。被告にはアリバイがあるものね。セルシオには前の日に盗難届も出てるし」
「それは偽装でしょう?」
「おそらく」
「だったら――」
 気色ばんで言い募ろうとして、アタシは彼女たちが言おうとしていることの一端を理解した。新庄圭祐を追及するためには、奴のアリバイが偽装であることから立証する必要があるのだ。しかし、通常は犯罪を追及する側にある警察が、今回に限っては自分たちの幹部を守ろうとすることが目に見えている。アタシたちは新庄が改竄を指示したという公用車の使用記録に手を触れることすらできないだろう。
「デタラメもいいところじゃないですか!」
 菜穂子は聞き分けの悪い子供を見るような目でアタシを見ていた。
「確かにそうね。でも、それが裁判ってものなの」
「そんな……」
 菜穂子はアタシに断ってからタバコに火をつけた。
「真奈ちゃん、あなたが納得できないのは分かる。でも、裁判では立証できなければ何を言っても戯言に過ぎないの。逆に考えれば分かるでしょ。証拠もないのに有罪にされちゃ堪らないものね」
「それはそうですけど……」
「落ち着きなさいよ。あたしはただ、手元にある事故の映像だけじゃ証拠として足りないって話をしてるだけよ。そうじゃなきゃ、新庄警視正が血眼になって恭吾の彼女が残したDVDを捜してる説明がつかないわ」
 葉子を村上の彼女と呼ぶことには抵抗があるけど、それはアタシのわがままだ。
「それは分かりました。でも、それとマスコミをあてにすることができないのと、どんな関係があるんですか?」
「マスコミが警察と喧嘩するにはそれなりの根拠が必要なのよ。新聞やテレビの事件報道はそのほとんどが警察発表を元にしてるし、捜査関係者から話が聞けないとロクに記事を書くこともできない。だから、どこの新聞社にしてもテレビ局にしてもサツ回りってポジションの記者がいて、現場の刑事とかちょっとしたお偉方と持ちつ持たれつの関係を作ってるの。そこまでは分かる?」
「だいたい。父も似たようなことを言ってましたから」
 アタシの父親は県警薬物対策課の捜査主任だった。従って、多香子が言うような人物と話す機会も少なからずあった。普段はあけすけな父が家にかかってきた電話を聞かせたくなくてアタシを追い払ったことが何度かあるが、あれはおそらくそういう類の人間との密談だったはずだ。
 多香子はフラペチーノを一口すすって話を続けた。
「ところが、警察の不祥事を書き立てたり批判的な記事を書いたりしてると、その新聞社とかテレビ局、雑誌社は次第に冷遇されるようになるの。よっぽどのことがない限りは記者クラブから追い出されたりはしないけど、それまで捜査情報を教えてくれてた幹部の態度がコロッと変わったりしてね」
 まあ、そんなこともあるだろう。
「で、それが何に直結してるかって言うと、他所の新聞とか番組はつかんでる情報が自分たちにだけ入ってこなくなったりするわけよ。マスコミ関係者はそれを何よりも嫌がるわ。もし、そんなことになったら大変。事件の重大さによってはデスク級の首が飛ぶこともあるの。だから、彼らは警察と揉めることを非常に怖れる」
「そんな理由で――」
「もちろん、だからってマスコミが警察の言いなりなわけじゃないわよ。それにこれだけの事件だもの。黙殺されることはないと思う。なんだったら、私の知り合いのディレクターを紹介してあげてもいいわ。東京のキー局でワイドショーを作ってたって人だから、間違いなく食いついてくる。でも、今言った理由で、彼らが警察に喧嘩を売るためには絶対に負けないって確証が必要なの。喧嘩には負けるわ、扱いは悪くなるわじゃ目も当てられないから」
「……でしょうね」
「だから、彼らはそうならないように念入りにウラをとる。そのためにはそれなりの時間が必要。それが何を意味するか分かる?」
 認めたくないけど、答えは簡単だった。
「事件が表沙汰になるのが遅れれば遅れるほど、新庄が手を打つ時間を与えることになる。最悪、横やりが入ってマスコミが手を引くことも考えられる」
「ご名答。私がそんなに簡単にはいかないって言うのはそういうことよ」
 言われていることは理解できる。アタシがマスコミの人間でもDVDとそれを持ち込んできた人間が本当に信用に値するのか、まずはそこを確かめることから手をつけるはずだ。当然、時間はかかるだろう。それに彼らだって我が身が可愛い。圧力に屈したからといって一概に非難は出来ない。それは分かっている。でも――
「だったら、村上さんはどうするつもりだったんだろ?」
 訊くというより独り言のように呟いた。菜穂子が目を瞬かせた。
「恭吾が?」
「そうです。だって、警察組織をあてにできないのは、村上さんだって同じのはずですから。――そうじゃないですか?」
「そりゃ、そうだけど……」
 菜穂子はしばらく考え込んでいた。
「確かに真奈ちゃんの言う通りね。恭吾はこの事件の落としどころをどういう風に考えていたんだろ?」
 行き場のない疑問が三人の間を漂った。しかし、それは何処にも行き着く気配がなかった。

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