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Left Alone

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  第 70 章 

 病院までの道中、上社は何が起こったのかをポツリポツリと語った。傷の具合を考えると喋らせるべきではないのかもしれないが、黙り込んでると思ってたら事切れていたというのも戴けない。
「誰にやられたの?」
「分からん……。顔も見たことない連中だった」
「連中?」
「おい、俺が一対一でこんな目に遭わされると思ってるのか?」
「あんた、何かやってたの?」
「俺は虎の穴の出身だよ。虎のマスクも持ってる」
「……誰かの恨みを買った覚えは?」
「あり過ぎて分からん」
「自信たっぷりに言われても困るんだけど。中洲のお姐ちゃんとか?」
「それはない。一番あり得るのは、別れた嫁さんが誰かを雇った可能性だな」
「別れたって……高坂警部補が?」
「彼女以外にあと二人いるがね。そうそう、四人目の席は君のために空けてある」
「アホか」
 この期に及んで減らず口が叩けるとは大したものだが、まともに付き合ってはいられない。ついでに言えば、上社の体格でタイガーマスクの空中殺法は一〇〇パーセント無理だ。
「冗談はさておき――痛ッ!」
 ウィングロードの狭いリアシートで上社が身体を捩った。商業用の白いヴァンは上社のイメージとはかけ離れていたが、探偵仕事で使うのだそうだ。メルセデスでもいいぞと上社は言ったが、アタシはともかくシュンが左ハンドルを運転した経験がないので断った。
「大丈夫?」
「ああ……さすがにちょっとな」
 見れば額にはびっしょりと脂汗が浮いている。ハンカチで拭ってやりながらフロントウィンドウを見やった。
「あとどれくらい?」
「もうすぐだ」
 大名から薬院までは裏道を抜ければ大した距離ではない。クルマは警固の交差点を曲がったところで、ここから南へ向かえばすぐ薬院六つ角だ。時間がかかっているのは上社の負担にならないようにゆっくり走っているからだ。この前の追跡劇で見せた乱暴さからすれば、今夜のシュンは別人のような丁寧さでウィングロードを走らせていた。
「横になっていいか?」
 上社の声はほとんど囁きのように弱々しくなっていた。
「いいけど……。だったらアタシ、前に乗ったほうが良かった?」
「それじゃ、膝枕して貰えんだろう」
「それが目当て?」
「こんなときくらい労わってくれよ」
 そう言うと返事を待たずに上社が倒れてきた。膝枕というより身体ごとアタシに圧し掛かってくるような感じだった。どさくさに紛れて手がアタシの腰周りに伸びてきたのは、仕方がないので我慢してやることにした。
「どうして襲われたの?」
「それも分からん。目的があってのことじゃなさそうだった。何か寄越せとか、知ってることを吐かせようということも奴らは言わなかった。そもそも、あいつらは俺が上社だって確認した以外はほとんど喋ってないからな。強いて言うなら、俺を亡き者にすること自体が目的だった感じだ」
「やっぱり」
「……やっぱり?」
 今朝から自分の身の周りの人たちがどういう状況にあるかをざっと説明した。彼らがアタシの周りから遠ざけられているのだとしたら、上社にも同じように手が伸びた可能性が十分にある。ただ、警察関係者ではないのでより荒っぽい方法が取られたのだろう。
「ひどい話だな。差別もいいところだ」
「しょうがないんじゃない。でっち上げの罪で逮捕ってわけにもいかなかったんだろうし」
 上社は何か言い返そうとした。けれど、実際には薄く息を吐いただけだった。最初に見間違えたせいか、窓から差し込む蒼い光で一層青白く見える顔に、瀕死の重傷を負った熊谷幹夫の横顔が重なって見えた。アタシは思わず身震いした。
「相手は何人だったの?」
「二人だ。一人は身長一八〇センチくらい、横幅も結構ある筋肉質なタイプだった。はっきり何とは分からんが、身のこなしからして格闘技経験者だろう。もう一人は一七〇から一七五、痩せ型、年齢は二〇代後半から三〇歳くらい。ホストみたいな感じ。こいつはボクサーだ。何ていうんだ、あの腕を曲げて身体の前でブラブラさせる構えは?」
「ヒットマン・スタイルのこと?」
「ほう、よく知ってるな。知り合いか?」
「……っていうほどでもないけどね」
 立花正志が和津実のアパート前で待ち伏せていたときに連れていた二人のうちの一人。名前はケンとか言ったか。もう一人には心当たりがないが、立花の手下がケンとあのクチビルデブだけとは限らない。
 むしろ、奴らの手回しの良さや、如何に新庄警視監と言えども警察の人間を大っぴらに動かせるわけではないことからすると、ナカス・ハッピー・クレジットに実働部隊の役割があってもおかしくない。立花の転身を井芹が後押しした背景もその辺だろう。
「着いたぜ、真奈っち」
 シュンが言った。声にはかすかに怒ったような響きがあった。
 
 陣内聡子が勤める病院は、薬院の六つ角から高宮通りを一キロほど南に下ったところにあった。大きな病院ではないが救急外来があって、上社を運び込んだときも救急車から患者が降ろされている最中だった。
 陣内医師は他の患者の処置中で出てこなかった。しかし、話は通っていたようで代わりに出てきた年配の男性看護師は腹から生えたナイフの柄にも臆することなく、上社の巨体をストレッチャーに移して運んでいった。
 警察には通報しないが事情が聞きたいと言われて、処置が終わるまで待たされることになった。小さなロビーは空調が効いていて涼しかったが、二人とも病院の雰囲気が嫌いなので外に出た。
 駐車場に突っ込んだウィングロードに乗り込んでエンジンをかける。
「こんなとこに病院があったんだ」
 アタシのつぶやきにシュンが振り向いた。
「真奈っちの家ってこの辺?」
「平尾浄水。歩いて帰れないこともないかな」
 直線距離で一キロちょっと。家は丘の上にあるのでずっと上り坂なのが少し嫌だけど、気分転換にはいいかもしれない。アタシのロードスターは天神の地下駐車場に取り残されたままだ。
「んなことしなくても送るよ」
「ありがと。それと、お店サボらせちゃってごめんね。ノブさん怒ってるでしょ?」
「どうだろ。声の感じはそうでもなかったけど。他の子ならともかく、相手が真奈っちだからな」
「……どういうこと?」
「変な意味じゃねえよ。真奈っちならノブさんも知ってるから、俺がテキトーなこと言ってサボってるんじゃないって分かるだろ?」
「そういうことね」
 まあ、岸川はまだシュンがアタシを狙っていると思っているだろうし、そうでなくても履歴書の趣味の欄に”邪推”と書いてあってもおかしくない男だ。今頃、ありもしないストーリーを作ってほくそ笑んでいるに違いない。
 ヴァンにはカーコンポがなくて、仕方がないのでラジオをつけた。FM福岡はトークばかりなのでCROSS−FMにチューニングする。流れ出したのはアークティック・モンキーズの〈フロレセント・アドレセント〉だった。ガレージロックらしい捻くれたギターが大暴れするスタイルは、同じロックの範疇でもアタシの趣味ではない。
 何か話すべきな気はしたが二人とも口を開かなかった。何を話せばいいのか、よく分からなかったからかもしれない。
「……何だかよく分かんねえけど、間に合ってよかったな」
 シュンはポツリと呟いた。
 さっきと同じ響きがあった。怒りはアタシに向いているわけではなさそうだ。間に合って、とは上社の命の灯火が消える前に、という意味だろう。しばらく押し黙ったままだったが、やがて、アタシは小声で「……うん」とだけ答えた。他に言葉は出てこなかった。
 アタシがもし事務所へ行かなければ、そして、上社のSOSに気づかなかったら彼は死んでいたかもしれない。その事実が今頃になってアタシの心臓を鷲づかみにしていた。

 一時間後、アタシは診察室に呼ばれた。
 さすが上社の飲み友達だけあって、陣内聡子は電話で受けた印象をまったく裏切らなかった。トロンとした目許に青みがかったラメが輝いていて、栗色の巻き髪はこんな時間だというのに美容院から出てきたばかりのようにきれいにアップに纏められている。格好も医者のそれとは思えない。淡い紫のブラウスの胸元からは深い谷間が覗いているし、短いタイトスカートからはグレイのストッキングに包まれた形の良い脚がすらりと伸びている。病院嫌いを標榜しつつアタシもそれなりに医者を見知っているが、白衣がまるっきりコスプレにしか見えない医者は初めてだ。
 自己紹介を済ませると、彼女はにんまりと目を細めた。
「リュウちゃんったら、今度はずいぶん若い娘に手を出したのねぇ」
「出されてません」
「あら、そう。つまんないの」
「つまらなくていいです。そんなことより上社さんの容態は?」
 彼女は自分の椅子に腰を下ろすとアタシにも座るように手で勧めた。脚を高々と組んでカルテが表示してあるモニタに目を向ける。レントゲンの画像や検査結果らしき数字が並んでいるが、アタシに何のことか分かるはずもない。
「ひとまず命に別条はないと言って良いかしらね。傷は見た目以上に深かったけど。長さ、これくらいだったかな――」
 彼女は両手の人差し指でナイフの刃渡りを示した。多少、オーバーだったとしても十五センチ近くある。
「でも、運が良いことに腸と腸の間に上手〜くナイフの刃先が滑り込んだ感じだったの。刃がなまくらだったせいかどうか分かんないけど、腸壁にも大きな損傷はなかったから何箇所か縫っちゃうだけで済んだわ。んー、あと五センチズレてたら肝臓をやられてたかもしれないけどねぇ」
「はぁ……」
 いまいち緊張感に欠ける口調のせいで大したことないように聞こえてしまうが、やはり、一歩間違えば上社は死んでいたのだ。
「でも、リュウちゃんもホントに無茶するわよねぇ」
「何がですか?」
「いくら刃を捻られて腹腔に空気が入っちゃマズイからって、腹筋締めてナイフを抜かれないようにしながら殴り合ったんだって。凄いだろって威張ってたわよ」
「何考えてんのよ、あの男……」
 そんなバカな自慢話があるものか。実際、上社が止めを刺されなかったのは、そんな状態であっても二人の暴漢を追い払えるだけの実力があるからだろう。しかし、それは普通は助けを呼ぶとかして脱するべき窮地だ。
 上社が助かってホッとしたのは紛れもなく本心だが、同時にその破天荒ぶりに怒りが込み上げてくる。人生における”大胆”と”無謀”は結果次第なところがあるが、あの男の前では空しい比較でしかない。
「それよりこれからですけど、上社さんは――」
「傷が塞がるまでは絶対安静よ。とりあえず強制入院してもらうわ」
「ここにですか?」
「当然。刺傷の患者を通報しないわけだから、院長は良い顔しないと思うけど。でもまぁ、それはわたしが何とかするわ」
「お願いします」
 アタシが頼むのは筋違いな気もするが、上社が襲われた原因の一端は確実にアタシが背負っている。彼女は返事の代わりにチャーミングなウィンクを返した。
「上社さんと話はできますか?」
「さすがにそれはムリかなぁ。さっき病棟に運ばれてったから、今ごろ麻酔が効いてグゥグゥ寝てるはずよ」
「そうですか……」
「とりあえず、わたしから言えるのはそんなとこかしら。じゃあ、今度はあなたの番。何があったのか、説明してくれる?」
 何をどこまで話せばいいのか、すぐには判断がつかなかった。事のあらましを最初から説明すると時間がかかりすぎるし、そうしてもまったくの部外者の彼女に全体像が理解できるとも思えない。
 しかし、あからさまな嘘をつくのも憚られた。仕方がないので事件そのものの詳細は話せないと前置きしてから、彼が事件の関係者と思しき暴漢に襲われたのだと説明した。アタシが上社を発見した経緯だけは”忘れ物を取りに来てたまたま”ということにさせてもらった。納得はしていないようだが、彼女は理解を示してくれた。
「そんなタイミングで助けが来るなんて、リュウちゃんって相変わらず悪運が強いのね」
「……相変わらず?」
「そうよ。あの人ってわたしが知ってるだけでも三回は死んでないとおかしいのよ。一度なんかわたしの目の前でヤクザが差し向けたダンプカーに撥ねられて、二〇メートルくらい吹き飛ばされたんだから。それなのに、飛んでいった先にたまたま近くの家に運び込まれる直前のウォーターベッドがあって命拾い。俺は不死身だってうそぶいてたっけ。あれはホントに死神がスポンサーについてるとしか思えないわ」
「へぇ……」
 確かにそれは凄い。けれど、そんな男でもナイフで刺されればやはり死ぬ。現にそうなりかけたのだ。アタシがその場に現れたのもスポンサーの神通力だと言い張るならそれでもいいが。
 彼女は上社の病室はスタッフの目が届くところにしてあるし、出入りする人間に注意するように伝えておくと約束してくれた。有り難い話だ。上社の訃報が新聞に載らなければ、押し入った暴漢どもも自分たちの仕事が終わってないことに気づくだろう。念を押しに来る可能性は否定できない。
 起きてなくても様子を見ていきたいと言うと、彼女は病室の場所を教えてくれた。もう一度、礼を言って診察室を出た。床の案内テープに沿って病棟まで歩いた。
 とっくに消灯時間を過ぎていて、病棟は静まり返っている。上社の病室はナースステーションの真横だった。その奥は行き止まりなのでナースステーションが無人でない限り、誰にも気づかれずに出入りすることはできない。
 夜勤の看護師に事情を説明して病室に入った。
 手狭な一人部屋の真ん中をベッドが占領していて、しかも周囲をモニターや様々な機械が取り巻いている。ベッドは決して小さくないが、上社の大柄な身体にはやや役不足の感があった。空調がしっかりしていて寝苦しさはないようで、安らかそうな寝息が聞こえてくる。
 ベッドの傍らに立って、上社の顔を覗き込んだ。
 余程殴られたのだろう。顔中の皮膚で傷んでいないところはない。腫れたところが熱を持っているのが触らなくても伝わってくるようだ。
「……ゆっくり休んでね」
 アタシに言えるのはそれくらいだった。
 ふざけている――或いは、小娘のアタシをからかっているとしか思えない言動を繰り返すこのチョイ不良親父に、アタシはそれほど期待していたわけではない。今朝、和津実の家で見せられたDVDのことやその後に判明した事実などについても、この男に相談してどうこうという考えは浮かばなかった。由真がいなくなったことについてもそうだ。
 しかし、この男はアタシの与り知らないところで村上の調査に関わっていた。彼なりのやり方で真実を焙り出そうとしていた。上社がいなければアタシが知り得なかったことがたくさんある。
 そういう意味でこの男は紛れもなくアタシにとって大切な人間の一人だ。無論、だからこそ彼も村上や藤田や桑原と同じようにアタシから遠ざけられたのだろうが。そして、実際に会って窮状を目にしたわけではない彼らより、傷ついて倒れた上社の姿はアタシの心に重く圧し掛かった。
「……よう、こんな時間にお見舞いか?」
 びっくりして声をあげそうになった。顔の割に小さな目が薄く開いている。
「あんた、麻酔が効いてるんじゃなかったの?」
「とびっきりの美女と二人っきりなのに? そんな勿体ないことできるもんか。――どうした、そんなシケた顔して」
「シケてなんかいないわ」
「だったらいいが」
 時間を訊かれたので教えてやった。日付が変わるまでそんなに時間はない。
「頼みがある」
「なに?」
「俺の携帯電話に”掃除屋”ってのがあるから、連絡して俺の事務所を片付けさせてくれ」
「そんなことならアタシがやったげるわよ」
「いや、部屋の中には俺の血痕が残ってる。そいつはそういう方面のプロなんだ」
「ふうん、いろんな知り合いがいるのね」
「まぁな。しかし、真奈ちゃんにもやって欲しいことはあるんだ」
「なによ?」
「俺が倒れてたところの近くに、奴らを追っ払うのに使った玩具が転がってるはずだ。そいつを回収しといてくれ」
「玩具?」
「そう、玩具だ。何なら君が預かっといてくれていい」
 それが何なのかを言うつもりはなさそうだった。想像はついたがアタシも問い質さなかった。
「話は変わるが――」
「ん?」
「クルマを運転してくれてた彼は誰なんだ?」
 質問の形はとっているが、明らかに答えを知っている問いだった。その証拠に口元に意地悪な笑みが浮かんでいる。
「……前にそば屋でご飯食べたときに話したでしょ。っていうか、知ってるくせに訊くなんて趣味悪いのね」
「一度ふった男にアッシーくんさせる君のほうがよっぽど悪女だろ」
「何とでも言いなさいよ、このエロ親父」
「誰が?」
「しらばっくれないでよ。ずーっとアタシのお尻触ってたくせに」
「意外と安産型なんだな」
「……なんですって?」
「冗談だ。それより彼に礼を言っておいてくれ。おかげで命拾いした」
「それはアタシに言うことだと思うけど?」
「そうだな。ありがとう」
 気障なこの男が口にした謝意はかえってストレートに伝わってきた。何となく恥ずかしくなってアタシは顔を背けた。上社は大きな欠伸をした。
「そろそろ寝たら?」
「そうする。――真奈ちゃん」
「なに?」
「本当に危険なのはこれからだ。気をつけるんだぞ」
「……そうするわ。それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、お休み」

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