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Left Alone

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  第 71 章 

「……とんだオモチャだな」
「だよね」
 シュンと二人、顔を見合わせてため息をつく。
 アタシたちはウィングロードを駐車場に戻して、頼まれたとおりに彼の事務所に転がっているはずの”玩具”とやらを回収に向かった。
 目当ての物はすぐに見つかった。鈍い色をしたコルト・ガバメント。銃そのものもそれなりの大きさだが、銃口の先に黒っぽい筒状の部品が取り付けてあるので全体としてはかなりのものだ。
 たまたまあった手袋をはめて重い鉄塊を手にとった。褒められた話ではないが、拳銃を見るのは初めてではない。しかし、手に持ったのはさすがに初めてだ。隣からシュンがアタシの手元を覗き込んでくる。
「スゲェな、サプレッサーなんか付いてるし」
「サプレッサーって?」
「銃口についてるソレだよ。撃ったときに銃口から吹き出すガスを分散させて、音を小さくする効果があるんだ。つっても、映画とかドラマみたいにプシュって感じにはならないけどな」
「シュンってこういうの詳しいんだ?」
「親父の商売柄な」
 父親がヤクザだから息子が銃器に詳しいというのは理屈が通らない気がするが、確かに実物を目にする可能性は一般家庭より高いだろう。
「ところで真奈っち、コレどうする?」
「どうしよ。家には持って帰りたくないんだけど……」
「でも、ここに隠しとくわけにもいかねえよな。あのオッサンに”持っててくれ”って言われたんだろ?」
「違うわ、持っててもいいって言われただけ。だいたいアタシ、こんなの触りたくないんだから」
「そう言えばさっきから直に触らないようにしてるな。ま、女の子は普通そうか」
「……まぁね」
 本当はアタシが直に触らないのには別の理由がある。指紋を残したくないからだ。アタシは非行少女時代に何度も警察のご厄介になっていて、指紋どころか掌紋までバッチリ取られている。この銃がいつか警察に押収される日が来たとき、データベースと照合されたら一発でアウトなのだ。
「しょうがねえや、店のロッカーに隠しとくか。このところヘンなのも出入りしてないし、警察の手入れもないだろ」
「ふうん……。でも、ノブさんの許可は?」
「構わねえよ。それに言ったらあの人のことだ、絶対に引っ張り出して弄るぜ。暴発事故なんか起こされたら目も当てらんねえよ」
 特にガンマニアというわけではないが、岸川は好奇心の権化のような男だ。自分の手元に拳銃があると知って黙っていられるはずはない。そんなことを従業員に見透かされてるというのもどうかと思うが。
 ガバメントはサプレッサーを外しても、DVDがギリギリの大きさのアタシのハンドバッグには収まらなかった。そのまま持ち歩けるような代物ではないので、やむを得ずモデルエージェンシーに再び侵入して大き目の紙バッグを持ち出さなくてはならなかった。
 ボニー・アンド・クライドに着くと、アタシたちはまっすぐ店の裏の事務所に潜り込んだ。岸川はサボリのシュンにちょっと小言を言っただけで、すぐにいつもの調子で二人分の飲み物を作ってくれた。当然、ノンアルコールだ。アタシはペリエ、シュンはコーラ。
 シュンが持ってきたリーガルの靴箱にタオルを敷いて、その上にガバメントを置いた。シュンはそれを自分のロッカーの足元の棚に押し込んだ。そこにはリーガル以外にもハッシュパピーやホーキンスのようなトラッドからリーボックやナイキのスポーツシューズまで、様々な箱が雑然と積み上げられていた。
 こんなときだというのに片付け魔の血が騒いだ。アタシの非難の眼差しに気づいたシュンが、バツが悪そうに肩を竦める。
「ゴミを隠すならゴミの中、靴を隠すなら靴箱の中ってね」
「……そうだろうけど、ちょっとは片付けなさいよ。仕事場のロッカーってのはあんたの私物じゃないのよ」
「ちぇっ、ノブさんと同じこと言ってるよ。それより真奈っち、本題は?」
「これね」
 ハンドバッグからDVDを取り出してシュンに手渡した。シュンはそれをデスクトップのパソコンのトレイに載せた。幾つかのアイコンをカチカチとダブルクリックすると、機体から焦らすようにブーンとファンが回る音がした。画面には小さな砂時計。
 これがラブレターとは悪い冗談にも程がある。言ってみれば、渡利純也が新庄圭祐に送り付けた脅迫状の写しなのだ。収められているのは例の胸糞悪くなる事故の映像と、おそらくは内容を補完する若松郁美のロング・インタビュー。
「始まるぜ」
 アタシはシュンの隣に椅子を引き寄せた。
 画面は真っ暗な夜を映し出している。和津実の家で見たものと同じだ。見返すような内容ではないし、じっくり見返したくもなかったのでシュンに断って再生速度を上げる。事故の場面だけを編集してあるのかと思ったら、渡利が撮影した映像は最初から最後までノーカットで収録されていた。
「ヘンに手を入れると証拠能力を疑われるからな」
 シュンが呟いた。
「そうなの?」
「多分。これを裁判に証拠として出すなら真正性検証ソフトで調べられるけど、編集とかトリミングの痕跡が見つかったらそれだけで心証が悪くなるだろ」
「ふうん、なるほど」
「……何だよ、その意外そうな目は?」
「そうな、じゃなくて心底意外」
 シュンは少しむくれて鼻を鳴らした。
 事故の映像はあっという間に最後の場面を迎えていた。映っているものを思い出すと胃が締め付けられるような思いがした。シュンにはここへ来る途中で内容を説明してあったが、見たいなら通常再生してもいいと言うと、シュンは鼻にしわを寄せて小さく首を振った。
 渡利がカメラのスイッチを切ったところからブラックアウトした画面がしばらく続いたが、唐突に光が戻った。画面下のチャプター表示も1から2に切り替わる。再生速度を通常に戻した。 映し出されたのは殺風景な薄暗い小部屋だった。
 誰かの住まいという感じではない。雑居ビルの一室か、倉庫の事務所っぽい造りだ。カメラの背後にどれだけのスペースがあるか分からないが、見えている部分だけで判断するならアタシの部屋とあまり変わらない広さだ。十五、六畳といったところか。
 調度の類は不自然なくらいに何もない。きれいに剥がせなかったポスターの残骸が、煤けたクリーム色の壁紙を彩っているのがそうだと言える程度だ。一方、壁の所々に紙や白いガムテープで何かを覆った形跡もある。撮影に際して場所を特定されないようにしたのかもしれない。窓が映らないアングルなので、ここが何処なのかは皆目見当がつかない。
 不意にドアが開く音がした。同時に蛍光灯の白々とした明かりが部屋に満ちる。
 画面にカットインしてきたのは、丸顔の利発そうな面立ちをした小柄な少女だった。寒い季節なのか、オフホワイトのダウンジャケットの衿を懸命に掻き寄せている。
「――座れよ」
 押し殺した男の声がした。耳の奥底にクラッシュした軽自動車の中で渡利純也が洩らした呪詛が甦る。
 見る限り部屋に椅子らしきものはなく、彼女は問い掛けるような目をカメラに向けた。だが、ほんの少し口許を歪めただけで擦り切れたタイルカーペットの床に横座りで腰を下ろした。
 アタシは留美さんが彼女を評して”池脇千鶴のよう”と言っていたのを思い出した。飯塚の薬物中毒の治療施設で見た若松郁美にその面影はなかったが、画面の中の少女からはさして似ていないにしても、言われている優等生然とした雰囲気が感じられた。
「名前は?」
 カメラの背後で男が言った。ギシッと椅子が軋んだような音が重なる。インタビュアーは画面に映る気はないらしい。静まり返った感じから渡利以外に人がいるようではなかったが、今のところ、確かなことは言えない。
 渡利は静かな声で「名前は?」と繰り返した。
「イクミ……若松郁美」
「歳は?」
「十七歳。先月、なったばっかだけど」
「高校生か?」
「そう」
「何処の高校だ?」
 郁美が食ってかかるような表情を浮かべた。不躾な質問に憤ったようにも見えるし、こんなところで尋問されることに憤っているようにも見える。
 郁美は表情を変えることなく、高校の名前を告げた。
「ちょっとォ、ジュンってばコレ何なの? あたしが何したっていうの?」
「……心当たりはないか?」
「あるわけないじゃん。あたし、ジュンに迷惑なんかかけてないもん。そうでしょ?」
 初めて耳にする郁美の声――はるか昔の海水浴なんか記憶の片隅にも残ってない――は、とろけて滴り落ちそうな砂糖菓子を連想させた。アタシがあまり得意としない響きだ。
「知りたいことがあるだけだ。おまえはただ、訊かれたことに正直に答えればいい。こいつを見ろ」
 画面にひょろりとした腕が入り込んできて、A4くらいの紙を郁美に向かって放りやった。郁美は上目遣いにカメラの背後を睨んでいたが、いかにも渋々という感じでそれを手に取った。
 次の瞬間、郁美の眼にあまり良くない類の光が走った。
「……何よ、コレ」
「助手席に乗ってる女は郁美、おまえだな?」
 郁美が否定しようと考えているのは見え見えだった。しかし、突きつけられているのが激突の瞬間にDVDカムが捉えたセルシオのフロントガラス越しの映像なら否定のしようはないはずだ。
「――答えは?」
 渡利の声の抑揚の無さが却って不気味だった。
「ねぇ、ジュン……。コレどうしたの?」
「後で説明してやるよ。どうだ、おまえなのか? それともそうじゃないのか?」
「……あたし、だけど」
「間違いないな。後から人違いだなんて言うなよ」
「言わないけどォ……でも、どうして?」
 どうして何なのか。尻切れトンボの質問がカメラ越しに宙ぶらりんになった。渡利に答えてやる気はないらしく、郁美は居心地悪そうに首を竦めるしかないようだった。
「郁美、おまえが過去に何をしていようが俺はまったく興味がない。本当だ。だが、俺がこの写真とどういう関係なのかは教えておいたほうがいいだろうな。――この直後、何が起こったか覚えてるよな?」
「……うん」
「言ってみろ」
 郁美がハッと顔を上げた。渡利がまったく感情を見せていないせいか、どう対処すべきか迷っているのが見て取れる。
 長い沈黙の後、郁美が見せたのは強張った表情だった。彼女のとって目の前の男は親しい相手ではないということだ。同時にカメラの手前で渡利が笑顔の欠片も見せていないことも意味していた。恐怖の最中にある人間は相手が笑うと反射的に笑ってしまうものだ。大概は引き攣った見るに絶えない笑顔だが。
「向こうから来たクルマにぶつかったの。はっきりは覚えてないんだけど、こっちがすっごいスピードでカーブに入ってって曲がりきれなかったんだと思う。それでドーンって感じで」
「運転をミスしたのか?」
「っていうか、あのオヤジ前見てなかったの。すんごくお酒飲んでたし、それに――」
「それに?」
「あたしの脚に触ろうと手ェ伸ばしてきてたから」
「なるほどな。それからどうなった?」
「相手のクルマ、すごくちっちゃくて。道路の向こう側まで吹っ飛んでっちゃった。怖くて眼つぶっちゃったから途中は見てないけど、目を開けたときには裏返しになってた。半分ぺちゃんこにもなってた」
「縁石に乗り上げた拍子に横転したんだ。二回転半な」
「……どうしてそんなこと、ジュンが知ってるの?」
「そのすごくちっちゃいクルマに乗ってたからさ。俺と俺の親友、その嫁さんと子供がな」
 郁美が目を見開いて小さな悲鳴を上げた。
「ちょっと待って。あたし新聞見たけど、死んだのは親子三人だって――」
「俺は警察が来る前にその場を離れたからな。助手席ってのは一番死亡率が高いらしいんだが、どういうわけか俺だけ死ななかったんだ。大した怪我もしなかったし。ところで新聞で確認するなんて、おまえもそれなりに気にしてたんだな」
「当たり前じゃない」
「違うな。ちゃんと警察に出頭して、ホントのことを話すのが当たり前だ」
 渡利の声音に皮肉めいた笑いが混じった。郁美は上目遣いにカメラの背後を睨んでいる。脳裏では懸命に渡利を刺激しない言い訳を探しているのだろう。だったら、まずは侘びの言葉が出てくるべきだとアタシは思うが、そんな殊勝さは感じられなかった。
「……警察には行けなかったんだもん」
「何故だ?」
「あのオヤジ、警察の偉い人だったの。だから、あたしが何言ったって握りつぶされるから無駄だって言われて。それに――」
「それに?」
「……なんでもない」
 郁美は顔を伏せた。渡利がその沈黙を許したのは少し意外だった。
「ジュン、怒ってる?」
 郁美がつぶやくように言った。
「何に?」
「あたしが事故の現場にいたのに、今まで何も言わないでいたこと」
「怒っちゃいない。おまえはたまたま助手席に乗ってただけなんだろ?」
「そうだけど……」
「リョウジたちを殺したのはセルシオを運転してたクソ野郎だ。俺が怒ってるのはそいつと、事故を隠蔽したその手下どもだよ。おまえにはまったく怒っちゃいない」
「ホント?」
「本当だ。だから、これから俺が訊くことに正直に答えてくれ」
「……分かった」
 渡利が郁美に悪感情を持っていなかったというのには容易に賛成できない。物事を是々非々で考えられる物分かりのいい男には見えないからだ。郁美の口を割らせる方便と考えるのが妥当だろう。実際の話、この後に密売グループ内で郁美が受けた仕打ちが渡利の本心を表していたはずだ。
「郁美、警察の偉い人とやらの名前を覚えているか?」
「シンジョウ。事故のあと呼びつけた別の人にそう呼ばれてた」
「それはこいつで間違いないか?」
 渡利の手が再びカットインする。手にした紙を画面に映すようにカメラに向けてから、さっきと同じように郁美に向かって放りやる。
 シュンが映像を一度止めて画面を戻した。紙はB5くらいの大きさでどこかのホームページをプリントアウトしたものだった。警察の正装をした男が写っている。見た目、四〇歳くらいで良く言えば若々しい、悪く言えば子供っぽく見える顔立ち。いかにも苦労知らずに見えるのは、アタシがこの男が同じ警察官僚を父に持つボンボンなのを知っているからだろう。
 新庄圭祐警視監。事故当時は警視正と立花に呼ばれていた。女子高生買春だけでなく飲酒運転で一家三人を殺しておきながら出世とは大したものだ。
 シュンに言って再び映像を進めた。
「おまえと新庄はどういう関係だ?」
「関係っていうほどのもんじゃないよ。会ったのはあのとき一回だけだし。あたしがナツさんとこにいたのは知ってるよね?」
「知ってる。女子高生の援交斡旋して荒稼ぎしてるオンナだな」
「ナツさんって昔は自分でウリやってたんだけど、今はその時につかんだ上客相手に女の子派遣してるの。女の子はナツさんが面接した子ばっかりだし、客のほうも信用ある人ばっかりでさ」
「ちょっとした会員制売春クラブってわけだな。それで?」
「あの日、急にナツさんから「今からお客と会えない?」って電話がかかってきたの。予定じゃなかったんだけど、あたしみたいな感じの子がいいって言われたらしいの。あたし、そのときヒマだったんでいいですよって言って、待ち合わせのシーホークに行ったんだよね」
「真っ直ぐホテル?」
「ナツさんとこの客って顔知られてる人が多いから、変なとこで待ち合わせできないの。だから、向こうがとってるホテルに直接行くことが多いの」
「で、とりあえず一発ってわけか」
 渡利の声に揶揄するような響きが混じった。郁美はほんの少し口許をゆがめた。
「……そんなとこ。一発じゃ済まなかったけど。あのオヤジ、とっちゃん坊やみたいな顔してるくせにすんごいエロくってさ。高校の制服持ってきてくれとか言われて、それを着たままで舐めさせられたりしたんだから。本物は持っていけないから、それ用に買ったヤツ持ってったんだけど」
「それで?」
「結局、三回やったのかな。おなか空いたからルームサービスとって二人で食べて。あいつはウイスキーもとってぐびぐび飲んでた。で、それからもう一回ってことになったんだけど、さすがに勃たなくてさ。気が済むまで三〇分くらい舐めさせられたからアゴががくがくになっちゃった」
「なるほどな。それがどうしてドライブなんてことになったんだ?」
「よく分かんない。でも、そう言われて「あたし帰る」って言いにくくて。結構なオカネ貰っちゃってたし」
 幾らなのかという質問に郁美は「十五万円」と答えた。
 郁美の話によれば、その後二人はセルシオで油山へ夜景を見に行き、そこから事故現場である那珂川町方面へ向かっていた。ドライブにしては一貫性のないコースだが、ひょっとしたら単に体力回復までの時間稼ぎだったのかもしれない。
 それは別にどうでもいいが、人目につかないようにホテルでの逢瀬を選んだのとその後の行動は矛盾しているような気がした。若い女とのデートでハイになって脇が甘くなったか、あるいはアルコールがその辺りの判断力を奪っていたのか。
 そして、運命の二〇〇三年七月六日の深夜を迎えることになる。
「――オッケー、新庄が俺たちのクルマに突っ込んでくるまでの経緯はだいたい分かった。事故の後のことを話してくれ」
 渡利が薄いため息をついたのをマイクが拾った。冷静な物言いからはあまり気乗りしていない印象さえ受けるが、三脚に固定したカメラがその吐息を拾うには相当近くでなくてはならない。前のめりになって郁美を見据える渡利の姿が脳裏に浮かんだ。
「ぶつかってからしばらくは、すっごいパニック起こしてた。あたしもそうだったけど、あのオヤジはハンドルに突っ伏して頭抱えてたな」
「相手の様子を見に行こうとは?」
「……しなかった。何て言ってたか分かんないけど、独り言みたいなことブツブツ言ってて。あんまり気持ち悪くてあたしのほうが先に落ち着いちゃったくらい。でも、あたしがクルマ降りて様子見に行こうとしたら、すんごい勢いで止められた」
「行くなって?」
「とにかく降りるなって。でも、そういうわけにいかないじゃん。なのに「いいからおまえはジッとしてろ!」ってすんごい三白眼で睨まれて。逆らったら何されるか分かんないって思ったら、怖くて身体がすくんで何も言えなかった」
「それで、新庄はどうしたんだ?」
「あたしに怒鳴って我に返ったんだろうね。急にどっかに電話し始めた。誰にかけるんだろって思ったら「県警の井芹課長を」って呼び出してたからすごいビックリしたけど」
「そいつに何と言ったんだ?」
「すごい横柄な感じで「南畑ダムから少し下ったところにいる、事故を起こしたんで来てくれ」って言ってたけど、途中から自分だけクルマから降りちゃったんでそこまでしか分かんない。事故の説明をあたしの前でしたくなかったみたい。そりゃそうだよね」
 何も責められないせいか、郁美の口調には軽々しさがにじみ始めていた。アタシが渡利ならそろそろ一喝するところだが、渡利はそんな素振りは見せなかった。
「それから?」
「あたしはずっとクルマに閉じ込められてて、オヤジはその間、ずっと誰かと電話で話してた。誰か来ないかなって思ったけど誰も来なくって」
「自分の携帯電話は?」
「バッグごと取り上げられてた。入れてた手帳とか生徒手帳とか見られて、あたしの身元なんか全部知られちゃってさ。頭にきたからこっちもあいつのこと調べてやろうって思ったけど、変なことして殴られたらやだし、仕方ないから大人しくしてた」
「本当か?」
 渡利の声がスッと低くなった。
「何が?」
「本当は何か、クルマの中からかっぱらってきたんじゃないかって聞いてるんだ。和津実に聞いたんだが、おまえ手癖悪いらしいな」
「何よ、それ。何も盗ったりしてないよ」
「……ならいい。それで?」
「三〇分くらいしてからかな、二人、別々の車で来たの。一人は制服着た警察官。真夏なのに真っ白い顔して気持ち悪かった。あたしのことジロジロ見やがってさ。もう一人は私服の刑事で、あたしを家まで送ってくれたんだけど――」
 郁美は言いよどんだ。渡利は口を開かなかったが、郁美の表情からすると無言で圧力をかけているようだった。郁美はやがて諦めたように小さく息を吐いた。
「そいつがどうかしたのか?」
「――パパに似てたの。テレビで室田日出男ってギョロ眼で半白髪の俳優、見たことない?」
「あるような気がするな。おまえの親父、似てるのか?」
「かなりね。で、そこに来たオヤジもその俳優にすっごく似てたの。パパと二人並べたらそんなに似てないと思うんだけど、暗かったしさ。まさかこんなとこにって思ったからすごくビックリした」
「ちょっと待てよ。何でおまえの親父が来るなんて思ったんだ? 新庄と知り合いなのか?」
「違うよ、あたしのパパも警察官だから。あれっ、言ったことなかったっけ?」
「……ねえよ。でも、おまえが警察に行けなかった理由が分かった。これが表沙汰になったら娘が何やってるか、親父の耳に入っちまうもんな」
 渡利の得心したような声。
 アタシは違うことに合点がいった。現場に現れたのは立花正志と馬渡敬三。立花は事故処理にあたり、馬渡は新庄を迎えに来たのだ。例の映像で新庄と立花が話をしている間、郁美を送り届けたのも馬渡だろう。郁美にしてみればさぞ気持ち悪かっただろうが、そんなことは自業自得ですらない。
「その後、そいつらから何か言ってきたか?」
 郁美は首を横に振った。
「何にも。送ってくれた刑事が別れ際に「もしつまんないこと喋ったら後悔するぞ」って脅してっただけ。でも、ナツさんとこには圧力かかったみたい。悪いけどもう来ないでくれって言われた。あたしももうコリゴリだったから逆に助かったかな」
「――なるほどな。オッケー、他に何か思い出したことはあるか?」
「急に言われても分かんないけど。でも、思い出したら話すよ」
「そうしてくれ。じゃあ、行っていいぞ」
 最後にひと悶着くらいあるかと思ったが、渡利は拍子抜けするほどあっさり郁美を解放した。しかし、考えてみれば郁美は渡利の籠の中の鳥であり、単に焦る必要がなかっただけかもしれない。あるいは別のところで薬をつかってじっくり白状させたか。
 郁美は立ち上がるとスカートの裾を丁寧に直した。何も知らなければ小柄で清楚な女子高生にしか見えない。彼女は取ってつけたような屈託のない微笑を浮かべながらカメラのフレームから出て行った。しばらく、何もない部屋の一角が移されたままだったが、それもやがてスイッチを切られて暗転した。
 予想はしていたが、あらためて聞かされると本当に気が滅入る内容だった。自分が郁美の不品行を責める立場にないことを差し引いても、アタシの父親が守った少女がこんな女だったかと思うと胸糞が悪くなるのを感じた。言っても仕方がないことなのだろうが。

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