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Left Alone

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  第 77 章  

「――それではお預かりします」
 窓口係の女性はアタシが差し出した封筒に伝票を貼り付けて、その他の郵便物が入ったプラスチックのかごの中に入れた。思わずその行方を目で追ったが、女性はアタシの様子には気づかずに次の仕事に取り掛かった。
 今、自分に打てる手を打ってアタシは福岡中央郵便局を後にした。すぐ裏手の路地で留美さんのランクルが待っている。交通量の多い天神のど真ん中で長い間、路上駐車させる訳にはいかない。
「すみません、お待たせしました」
「次は何処に行くんだっけ?」
「長浜に」
「オッケー」
 留美さんが小さくうなずくと、咥えっ放しのタバコの火口も同じようにお辞儀する。路地の狭さなどお構いなしの勢いでランクルが走り出した。
 アタシは途中のコンビニで作ったミニアルバムの小さな冊子を開いた。
 ポケットには和津実が残した写真のコピーが収めてある。最近のコンビニのコピー機は単なるカラーコピーだけではなく高画質の印画紙で写真のプリントもできる。デジカメのメモリや画像を収めたCDがあれば家にカラープリンタがなくても簡単にプリントできるのだそうだ。便利な世の中になったもんだ。
「そんなもん作ってどうするの?」
 留美さんが横目でアタシを見た。
「予備ですよ。本物は返しとかなきゃ拙いでしょ?」
「そりゃそうだけど」
 実は彼女には二冊あったアルバムのうち、複数の男と撮った方の一冊しか見せていない。新庄と和津実のアルバムは存在すら教えなかった。このアルバムについて説明しようとすればそれこそ何もかも話さなくてはならなくなるが、そうすれば留美さんは黙っていないからだ。無論、和津実の母親には一冊が持ち出されたことはすぐにバレるだろうが、証拠隠滅のために家一軒燃やしてしまうやつらの乱暴さを考えると、彼女の手元に置いておく気にはなれなかった。盗人のそしりは甘んじて受けることにしよう。
 掠め取った方のアルバムは写りのいい何枚かのコピーだけ取って、さっき、ゆうパックで東京に送った。宛先は奴らが把握していない男だし、差出人も偽名にしてある。いくら新庄がキャリアでも郵便局にまで影響力を行使できるはずはなかったが念のためだ。これで理屈の上ではあのアルバムは誰も手が出せなくなった。
「でも、ちょっとショックだなぁ」
 留美さんは薄いため息をついた。
「何がですか?」
「和津実のこと。薄々知ってはいたけどさ、こうやって援交の証拠を見せられるとね。しかも、それをネタに相手の男の人を揺すってたってんだから呆れちゃうわ。そりゃ、殺されたって文句言えないよ。おかげで叔母さんがどんな思いしてたか考えろっての」
「……それはちょっと言い過ぎじゃ?」
「ううん、言い足りないよ。自業自得とまでは言わないけど」
 憤然とした横顔をアタシはジッと見ているしかなかった。和津実の所業に怒りをぶつける権利があるのはせいぜい従姉である留美さんくらいまでだ。
 ランクルは渡辺通りを北へ向かい、KBC前の交差点を左折した。納富医師の話によれば由真のBMWを那の津通り沿いの外車ディーラーの整備工場に置いてある。
「ところで由真ちゃん、クルマ放り出してどうしちゃったの?」
 留美さんは至極当然の疑問を口にした。無論、ちゃんと言い訳は考えてある。
「さあ?」
「……さあ?」
「アタシも詳しいことは分かんないんですよ。昨日、元彼と香椎浜のイオンで待ち合わせてから帰ってきてないんで。仲良くしてる叔父さんにメールで「置きっ放しにしてるから回収しといて」って頼んだらしいんですけど」
「それ、どういうこと? ひょっとして由真ちゃん、昨日から元彼と一緒なの?」
「どうなんでしょ?」
 わざと曖昧な答えを返すと、留美さんはいつものように邪推丸出しの笑みを浮かべた。
「ひゅう、やるねぇ。〈待つわ〉みたいじゃない」
「何ですか、それ?」
「可愛いふりしてあの子、割とやるもんだねと、って歌。知らない?」
「聴いたことがあるような気はします――っていうか、結構古い歌ですよね。どうしてそんな歌知ってるんですか?」
「昔ね、親戚の寄り合いで和津実と二人で歌ったことあるの。どう考えたって子供が歌うもんじゃないと思うけど、和津実が岡村孝子のファンだったのよ」
「そうなんですか?」
 あの和津実と岡村孝子ではギャップがあり過ぎた。驚くアタシを見て留美さんは少し影のある忍び笑いを浮かべた。
「で、どこだっけ?」
「あそこ、あのディーラーです」
 アタシは対向車線にある輸入車のディーラーの建物を指差した。留美さんは転回して敷地まで乗り入れてくれようとしたが、それだとこの後、和津実の母親の病院に向かうのにもう一度Uターンをしなくてはならない。アタシは道向かいで降ろしてもらうことにした。
「ありがとうございました」
「気にしないで。それより、あっちの方はうまくいってるの?」
「あっち?」
「とぼけないで」
 留美さんは少し険のある眼差しをアタシに向けた。
「例の事件のことよ。疲れてるみたいだから訊かなかったけど、無茶してるんじゃないでしょうね?」
 思わず息を呑みそうになった。けれど、アタシは何とか笑顔を浮かべることに成功した。
「大丈夫ですよ」
「……だったらいいけど」
 アタシはランクルを降りてドアを閉めた。朝方で那の津通りの交通量はそれほどでもないが、それでも長くは停まっていられない。アタシの胸に釘を刺すような短いクラクションを残してランクルは走り去った。
 自分の周囲で起きていることだけでも十分な心労だろうに、と思う。そして、それでもアタシを心配してくれる留美さんに嘘をつくのは心苦しかった。けれど、まさか由真が拉致されたなんて言えない。今もこうして一緒にいただけで留美さんを巻き添えの危険に晒しているのだ。余計なことを話して首を突っ込んでこさせるわけにはいかなかった。
「……さて、と」
 頼んでおいた通り、納富医師がちゃんと話をしてくれていたおかげでBMWの引き取りに手間はかからなかった。
「納富先生のお孫さんってあんたかい?」
 整備工のつなぎを着た気の良さそうなおじさんが声をかけてきた。そういうことになっているのだろう。アタシは素直にそうだと答えた。
「これ運んだの俺だけどさ、トランスミッションの調子があんまり良くないよ。ちゃんとオイルとか換えてるかい?」
 大事な兄から貰ったクルマなので洗車や掃除は念入りにやってるようだが、整備に関しては近所の修理工場に任せっきりのはずだ。アタシの記憶にある限りではここ数カ月は修理に出してない。ということは何もしてないということになる。
「すみません、クルマのことってよく分からないんです……」
「だろうねぇ。タイヤもずいぶんすり減ってるし。いいクルマなんだから手入れしてあげないとダメだよ」
「ですよね」
 半分くらいは営業トークなのだろうが言われているのは事実だった。
「あのぉ……」
「なんだい?」
「こちらで徹底的に整備ってお願いできます?」
「あ、ああ、できるけど」
 あまりにもあっさり乗ってきたせいか、おじさんはちょっとドギマギしているようだった。アタシは愛想笑いを浮かべて「だったらお願いします」と言った。どうせ何処かに置いておかなくてはならないのなら、ここに預けておいてもいいだろう。代車はいるか、という問いには必要ないと答えた。
 アタシは載せっ放しの荷物を降ろすという口実でBMWに近づいた。
「……やっぱり」
 アタシは思わず一人ごちた。
 目当ての由真のトートバッグは見当たらなかった。だが、代わりに彼女が愛用するアップル社のノートパソコンが後部座席の足元のスペースに隠すように置いてあった。真夏の炎天下にクルマを停めれば車内はすぐにサウナと化すが、どうしても車内に物を置いていかなくてはならない場合、由真は少しでも直射日光を避けるために影になるこのスペースに物を隠す。昨日は夜で見えなかったのだ。
 パソコンだけが残されていたのは、あのとき、由真は村上の赤いノートパソコンを受け取るために高橋と逢おうとしていたからだ。いくら大振りなバーバリーのトートバッグと言ってもノートパソコンを二台は収められない。
 起動してもパソコンオンチのアタシには何が何だか分からないが、壊れていないことを確かめるために電源を入れた。カリカリッという音がしてすぐに画面に光が点った。
 壁紙が由真とアタシのツーショットだったのにちょっと驚いた。それはアタシがけやき通りのファッションビルでモデルの仕事をした時の打ち上げの写真だった。
 ……何でまたこんな写真を。
 それはプロダクションのみんなと行ったカラオケボックスで撮ったものだった。何を歌っているのかは定かじゃないがアタシは気持ちよさそうにマイクを手にしていて、隣の由真は何が嬉しいのかよく分からないが屈託のない笑みで楽しんでいるのを表している。遠い昔の出来事のようなそれがたった一週間前だという事実にも小さな驚きを禁じえなかったが、それ以上に由真がこれを壁紙にした心境に違和感にも似た何かを感じた。最後に由真のパソコンの画面を覗き込んだのはそんなに前のことじゃないが、その時の壁紙はB’zのライブのワンショットだった。それが何故、こんなものに変わっているのか。
 考えても答えは出なかった。アタシはパソコンの電源を落とした。由真がやってるのを何度も見てるのでその程度のことはできた。
 とりあえず、あってくれと願う物の一つは手に入った。アタシはもう一つを捜すために家に戻ることにした。

 ロードスターを回収して家に戻ると、すぐに由真の部屋に駆け込んだ。祖母は入院中の祖父に付き添っているらしくて留守だった。
 いつ誰に入られても困らないと本人が言うのでこの部屋には鍵がかからないが、だからと言って何でもオープンという訳ではない。祖父母は当然のこととしてアタシにも見られてはならないものはちゃんと鍵がかかる金庫に保管してある。しかもピッキングができるアタシ対策でやたら精巧な鍵が備わった代物だ。
 しかしまあ、肝心のキーの置き場所がぞんざいなので開けようと思えばいつでも開けられる。これを彼女の大らかさと見るか、意外なずぼらさと見るかは意見の分かれるところだろう。
 アタシは金庫ごと自分の部屋に運んで鍵を開けた。中には預金通帳やさまざまな権利書、詳しいことは分からないが裁判の判決証書など、彼女の財産に関わる書類がゴムで束ねられて入っていた。それらには何の興味もないので傍らに避けた。次に出てきたのは高橋拓哉と付き合っていたときにやり取りした手紙の束だった。これにはちょっとばかり興味が湧いたが、他人のプライバシー侵害をしている暇はないのでこれも避けた。別れて二年たった今でも由真が未練タラタラという事実が分かっただけでいずれ冷やかすときのネタにできる。
 それらを取り出すと金庫の奥にプラスチックの薄いケースが入っているのが見えた。アタシはそれを取り出して蓋を開けた。ジッポのケースくらいのプラスチックの箱に短いペンがくっついたような器械が出てきた。
「……やっぱり、まだ持ってたか」
 思わず呟いた。由真のお手製のGPS発信機だ。元々はGPS機能付きの携帯電話を改造したもので、設定によって一〇分から一時間程度ごとに現在地を由真のパソコンのアドレス宛てにメールで知らせることができる。
 キャベツの千切りをさせると短冊どころか乱切りになるほど不器用なくせに由真はこの手の工作が非常に得意で、アタシが知ってるだけでもこの発信機は四代目だ。ちなみに三代目の発信機はアタシがある男とデートしたときに由真から借りたバッグの底に仕込まれていて、由真とその仲間たちはアタシとその男の行方を肴にして盛り上がっていたらしい。幸いにして悪魔どもの目論見を見破ることができたので、アタシとその男が夜の天神界隈でデートした挙げ句に今泉のラブホテルに入ったことはバレていない。まあ、そんなことはどうだっていいが。
 他に何か使えそうなものはないかと物色してみたが、悪戯には使えても今後の役に立ちそうなものは見当たらなかった。由真が一時期バッグの底に忍ばせていたボブ・ラブレスのブーツナイフが革鞘ごと紐でぐるぐる巻きにされて入っていたが、さすがにそれは持ち出せない。一つにはそれが由真の父親の形見だからで、もう一つはラブレス・ナイフは希少品で買えば二〇〇万円近くするからだ。
 結局、発信機以外を金庫に戻した。由真の部屋に戻すのは後からでも構うまい。発信機の充電は移動中にシガーライターから電源を取ればいいので、携帯電話の充電器を一緒に持っていくことにした。
 アタシは時計を見た。午前一〇時二十八分。
 そろそろ、公安課に残した足跡にリアクションがあってもいい頃だ。あるいはこちらから再度電話した方がいいのかもしれない。直通の電話番号は加藤巡査部長がかけていたのを横から見ていたので覚えている。自分の携帯電話を手にとって番号を思い浮かべた。
 と同時にまるでタイミングを計っていたかのように着信音が鳴った。番号は非通知。アタシは普段、番号通知のない着信は拒否に設定しているが今だけはすべて着信に変更してあった。
「もしもし、榊原ですけど?」
「……いったい何の真似だ?」
 聞き覚えのある押し殺した平板な声。脳裏に村上の部屋で見た傲岸不遜な眼差しが甦った。
「馬渡さん?」
「そうだ。電話をくれたそうだな」
「携帯の番号、訊き忘れてたからね。連絡をとろうと思ったらあんたの職場しか思いつかなかったの。なにかマズかったかしら?」
「連絡? 何の?」
「しらばっくれないで。由真を返してちょうだい」
「……それこそ、何の事だか分からんな。用件がそれだけなら切るぞ」
「いいの、そんなこと言って? 留美さんちの納屋を燃やしたからって証拠がすべて燃え尽きたわけじゃないのよ。渡利純也が録画した事故映像のオリジナルはアタシの手にあるんだから」
 通話が切れたんじゃないかと思えるほど長い沈黙があった。
「だから?」
「これ、マスコミに持ち込んでもいいの? 何処かのクソガキが盗んだクルマで起こした事故なんて嘘っぱちなのは、調べればすぐに分かることなのよ?」
「マスコミが相手にすれば、だな」
「どういう意味よ?」
「事故の映像とやらが渡利純也が映したものだという証拠が何処にある? 真正面から突っ込んできたセルシオが盗難届が出されていたセルシオだという証拠は?」
「ナンバーが映ってるでしょ?」
「いいや、映ってない。そんなに明るくはなかったし、カメラに入ってきた段階で運転してた女がハンドルを切ってるんで映像自体が流れてる。どれだけスロー再生にしても読み取ることはできなかった。ついでに断っとくが、映像の下のほうに入ってる日付も決定的な証拠にはならない。あれは自分で入力しなくてはならないが、どうやら持ち主は日付を勘違いしていたらしい。おまえさんが言う”何処かのクソガキが盗んだ新庄警視監のセルシオで起こした事故”は二〇〇三年の七月七日だ」
 その場ではっきり日付は思い出せなかったが、事故の日付が七夕でなかったのは間違いない。そうであれば印象に残っているはずだ。
「だから? 映像にはその後、事故現場に現れた立花正志と新庄圭祐のやり取りも残ってるわ。あれが世に出たら新庄にとって大スキャンダルよ」
「あれに警視監と立花の顔でも映ってるのか?」
「声が残ってるわ。声紋鑑定すれば本人だって分かるはずよ」
「――ふっ」
 小さな嘲笑が聴こえた。
「何処の誰にそんな入れ知恵をされたんだかな。明確な容疑もなしに身体捜索令状なんか下りないのに、どうやって声紋鑑定できるっていうんだ?」
「なるほど、放置しても大丈夫かどうかはしっかり検討済みなのね」
 馬渡は答えなかった。
「まあ、いいわ。あれが証拠として弱いってことは知ってるから。でもね、あんたたち一つだけ見落とししてるわよ」
「……何のことだ?」
「衝突事故とその隠蔽工作は立証できないかもしれない。けれど、あんたのボスが女子高生大好きのドスケベだってことは立証可能だってことよ。新庄圭祐と若松郁美のツーショットはどうするつもりなの?」
「助手席に女を乗せてた件か。あれが疾しいものだったとどうやって証明する気だ? キャリアと言えども警察官だ。夜道をフラフラ歩いていた女子高生を保護することだってあるさ」
「それ、かなり無理がない?」
「どう考えようとおまえさんの勝手だ。要は捜査陣に「その可能性もあるな」と思わせられればそれでいい。それ以上、キャリアを相手に追及しようなんて考える警官はいないさ」
「ふうん――ってことは、郁美がまともに証言できない状態だってことも把握してるわけね」
「何のことだか分からんな」
 ここまでの展開は予想の範囲内だ。事故の日付が違っていたのは困りものだが、最初からあのミニDVDだけで取引ができるとは思っていない。
 最初は郁美相手の援助交際について別件の証拠があるとブラフをかますつもりだった。しかし、ジョーカーは思わぬ形でアタシの手札に回ってきていた。アタシの運はまだ尽きていない。
「用はそれだけか。忙しいから切るぞ」
「そうね。ところで新庄圭祐って吉塚和津実の客でもあったってホント?」
 返事の前に電話を切った。すぐに非通知拒否に設定を戻す。着信を示すフラッシュが一度だけ光って、すぐに非通知着信の履歴が表示された。
 アタシはGPS発信機と携帯電話の充電器をひっつかんで部屋を後にした。

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