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Left Alone

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  第 76 章 

 ――真奈。

 由真のか細い声がする。
 辺りは真っ暗だ。その中に不自然なほど真っ白な由真の顔が浮かんでいる。
 いや、由真の顔が白いんじゃない。まるで白黒のフィルターをかけたようにアタシの視界から色彩が欠けてしまっているのだ。見覚えのある薄いブルーのワンピースも灰色にしか見えない。栗色のエアリーボブも同じように光が当たるところは白く、そうでないところは黒っぽく。
「あんた、何やってんの。早くこっちに来なさいよ」
 返事はない。由真はただうっすらと微笑むだけだ。
 ところがその笑みが急に底意地の悪いものに変わった。驚いて目をこらすと隣に別の人物の姿が浮かんできた。村上恭吾だった。
 村上は由真とは逆に気味が悪いほど満面の笑みを浮かべていた。
 アタシはこの男を”笑わない微笑みの貴公子”と揶揄する。それくらいいつも仏頂面で、穏やかな表情のときに口元がほんの少し緩むのがせいぜいなのだ。アタシはこの男のこんな笑みを見たことはなかった。
「ちょっと……何、どうしたのよあんたたち?」
 問いかけに由真が口を開く。しかし、声は聞こえてこない。サイレントの映画を見ているようだ。
「聞こえないよ。何言ってんのよ?」
 アタシは一歩踏み出した。
 しかし、二人との距離は詰まる気配がない。遠ざかっているわけじゃない。最初から切り離された空間にいるかのようだ。
「ねえ、待ってよ。どういうことなのよ!?」
 由真は答えずに口元をゆがませた。村上は最初からアタシを見ていない。慈愛に満ちた眼差しは隣に立つ少女に注がれている。
 由真はゆっくりと村上の腕に自分の手を絡ませた。まるでアタシの反応を確かめるようにジッとこっちを見つめながら。やがて顔を見合わせた由真と村上はアタシに背を向けて遠ざかり始めた。

 ――真奈が悪いんだよ。

 再び由真の声がした。
 アタシは何とか二人を呼びとめようとした。しかし、喉から声は出てこなかった。

「――真奈ちゃん、大丈夫!?」
 留美さんの声でアタシは目を覚ました。
 思わず辺りを見回した。一瞬、自分が何処にいるのか分からなかったが、すぐに和津実の実家の母屋のリビングだと思い出した。
「ん……アタシ、どれくらい寝てました?」
「一時間くらいかな。何だかすごくうなされてたよ?」
「ええ、まあ――」
 確かに背中に気持ち悪い汗をかいていた。手入れ不足のぼさぼさの髪の毛が額や襟足に絡みついているのが分かる。もともと念入りにやらないほうだがメイクは完全に落ちてしまっていることだろう。
 火災が鎮まるのを見届けたことまでは覚えている。アタシが着いたときにはすでに消防車が燃え盛る離れを取り囲んでいて、消火そのものには二時間くらいしかかからなかった。それからしばらくは警察が当時家にいた唯一の人物である留美さんに事情聴取をして、アタシは傍にいてくれと言われてそれに付き添った。それに一時間くらいかかっただろうか。
 警察が帰ったのは明け方近かった。アタシはそのままベッドにできそうな大きなソファに座り込み、眠ったというよりスイッチが切れたように意識を失っていたのだ。
「すみません……アタシが寝ちゃってどうすんだろ」
「いいのよ。来てくれただけで嬉しかったわ」
 気丈な笑み。しかし、そこに浮かぶ疲労の色は隠せない。おそらくアタシも同じだろう。
 しかし、アタシと留美さんの疲労は種類が違っていた。留美さんのそれは突然の火災や従妹を襲った悲劇といった被害者の家族の喪失感。アタシのは徒労と無力感、恐怖といったもっと性質の悪いものだ。
「そういえば和津実のご両親は?」
 アタシは周囲を見回した。さっきまで、といってもアタシが眠る前の話だが、このリビングは駆け付けてきた親類や友人、近所の人の寄り合い場所みたいな感じで人が行き来していた。今はアタシと留美さんしかいない。
「さっき、叔父さんが叔母さんを連れて病院に戻ったわ。まあ、最初から連れてこなきゃ良かったんだけど」
「そうですねぇ……」
 留美さんからの連絡を受けて、和津実の両親は母親の入院先から大急ぎで戻ってきていた。無論、何かできることがあるわけでもなく、自分の家の一部が焼け崩れていくのを茫然と見つめるしかなかったのだが。
 父親は惨状を目の当たりにしてもまだ理性を保っていた。しかし、母親はもはや半狂乱に近い状態だった。無理もないことだ。娘が非業の死を遂げて間もないというのに、今度はその遺品がすべて燃え尽きてしまったのだから。
「で、外の状況は?」
「警察と消防は帰っちゃった。でも、黄色いテープが張り巡らせてあるから近づけないよ。現場検証は九時半くらいからだって」
「そうですか」
 近づけたところで燃え残りから何か発見できるスキルがあるわけじゃない。そんなことが目的ではなかった。
 アタシは母屋の外に出た。外はすっかり白み始めていたが狂ったような真夏の暑さの気配はまだない。爽やかなはずの朝の空気は立ち込める焦げ臭さで台無しだ。
 幸いなことに離れと母屋の間には距離があったし、離れと外塀の間、プラス隣家の間にも距離があったので周辺に燃え広がったりはしなかった。
 その代わりといっては意味が違うのだろうが、鉄骨二階建ての建物は骨組みしか残らないほど焼けてしまっていた。壁材や屋根は完全に焼け落ちていて、屋内にあった家財道具や和津実の父親自慢のオーディオセットはその残骸すら判別できない状態だ。送ってくれた加藤巡査部長――所轄外なのでアタシを降ろすと早々に立ち去った――と現場の警備をしていた制服警官は「ガソリンか何かを撒いて火をつけたに違いない」と話していた。そうでもなければ説明のつかない凄まじい燃え方だったのだ。
「真奈ちゃん、怖い顔してどうかしたの?」
 振り返ると留美さんが立っていた。手には缶コーヒーが握られていた。
「……あ、いえ、何でもないです」
「だったらいいけど。はい」
 手渡されたコーヒーは気持ちいいほど冷えていた。思わず額や首筋に当ててその冷たさを堪能したい衝動に駆られたが、朝の散歩をしている近所のお爺ちゃんがこっちを見ていたのでやめた。
 これで和津実が残したはずのものはすべて灰になった。アタシはそう思った。新庄たちもそう思っていることだろう。
 先に気付いていたら放火を阻止できたか、と問われたら何とも答えようがない。桑原や藤田が自由の身であれば手が打てた可能性はある。しかし、昨日の昼前には桑原は職務を解かれ、藤田は監察官室に身柄を拘束されている。すぐに遺品を調べていれば新庄圭祐を追いつめることができる何かを見つけられたかもしれないが、今さら騒いだところで後の祭りでしかない。
「そう言えば留美さんと由真って、昨日、郁美の遺品を片付けたんですよね?」
「昨日っていうか一昨日ね」
「何か、変なもの見つけませんでしたか?」
「変なもの? あのちっちゃなDVD以外で?」
 留美さんは怪訝そうな顔をした。その表情だけで八センチDVDの他に事件にかかわるものが見つかっていないことが分かった。まあ、見つかっていればアタシに話していないはずもないが。
 大きく深呼吸して慎重に考えを巡らせた。手持ちのカードを失った今、見極めるべきは奴らがこのやり取りの落とし所をどこに求めているか、だった。
「さて、と。お風呂入りたいんで家に帰ります。タクシー呼んでもらえませんか?」
 アタシが言うと留美さんは少し不満そうな顔をした。
「あたしが送ってあげるよ。っていうか、お風呂ならここで入ればいいじゃん。着替えならあたしのがあるし」
「いえ、そんな……」
「いいから。すぐ準備してあげるから待ってて」
 留美さんはアタシの返事を待たずに母屋に駆け込んでいった。

 湯船にゆっくり浸かって新しい下着に着替えただけで、幾分かでも生気が戻ってきたような気分になった。アタシと留美さんはサイズが近いのでついでに服も借りることにした。お得意のウケ狙いシャツを回避すると選択肢はかなり狭まった。オリーブ色のラグランスリーブのTシャツと迷彩柄の七分丈のカーゴパンツ。今度は汚したり破ったりしないようにして返さなくてはなるまい。
 ダイニングに行くと留美さんが朝食の用意をしてくれていた。厚切りのトーストとハムエッグ、スライスしたトマトとレタスのサラダ、コーヒー。
「簡単なものでごめんね」
「いえ、すっごく美味しそう」
 人間というのは現金なものでこんな状況でも腹は減る。アタシはトーストを二枚とサラダをお替りした。
「真奈ちゃん、これからの予定は?」
 食事が終わって一服しながら留美さんが言った。
「とりあえず、電話待ちですね」
「誰から?」
「あ、いえ……」
 加藤の手助けを得て県警公安課に残したメッセージには馬渡を釣るエサの意味もあった。新庄の後ろ盾を持つ馬渡に面と向かって問い質せる人間がいるかどうかは分からないが、少なくとも無視はできないはずだ。必ず、何らかのアクションを起こしてくる。もとより証拠品をすべて消し去るという目的を果たした今、アタシは放置しておける人間ではなかった。いつ、何処で由真と同じように拉致されてもおかしくはないのだ。
 などと考えていると顎が外れるくらいの大欠伸が出た。疲れに加えて満腹になったせいだろう。
「電話かかってきたら起こしてあげるから、少し寝たら?」
「そうですね」
 二階の留美さんが使っている部屋だと呼びに行くのに時間がかかるので、一階の和津実の母親の寝室を借りることにした。畳に布団を敷いて寝るのはかなり久しぶりの経験だったが、横になってみると意外と心地よかった。
 寝る前にケイタイで時刻を確認した。六時二十八分。
 通話履歴によれば由真と最後に話したのが昨日の十三時二十五分。あれから早くも十七時間が経過している。無論、イオン香椎浜に着いてすぐに拉致されたわけではないだろうが、それでも半日近く経っている。
 断片的にでも奴らが由真の口を割らせているのは間違いない。アタシが自由に動けているのは奴らがアタシを泳がせているからに他ならないが、どんな監視体制を敷いているとしてもそれだけでここまで先回りできるはずはなかった。
 問題はその方法だった。考えるだけで怒りで眩暈がしそうになる。もし、由真の心や身体に一生モノの傷を残すようなことになったらアタシは地の果てまで追いかけても奴らを殺すだろう。たとえ由真がアタシの恋敵であろうとも。さっきの夢が正夢になろうとも。
 そう思うと権藤康臣が狂おしいまでの復讐心に駆られた心情が幾らかでも理解できるような気がした。
 アタシは深呼吸を繰り返して、湧き上がる不吉な想像を頭の隅に追いやろうとした。代わりに心の中の”ぶちのめすリスト”の面々の顔を思い出した。
 立花の能面のような薄気味悪い白い顔と遥か高みにある上司すら嘲笑して見せる不遜さが重なった。その部下のケンの出来損ないのホスト面、ハルの世の中の何もかもに向かって不満を訴えるような分厚い唇も。馬渡敬三の苦虫を噛み潰したような傲岸な表情も脳裏に浮かぶ。新庄圭祐と外事課の井芹だけは実物を見たことがないので今一つ想像にリアルさが伴わない。
 今や、奴らの所業を告発しても裁判を維持するには難しいだろう。二年前の事件で熊谷幹夫が嘯いたセリフが耳に甦った。

 ――証拠のない犯罪はもはや犯罪じゃない。それが現実だよ。

 歯ぎしりするほど悔しいが正しいのは熊谷だった。同じく彼が言ったように「仮にどれだけ疑わしくても公判を維持できるだけの証拠がなければ、検察が起訴しないのが目に見えているから」だ。ましてや容疑者は警察権力の中枢にいる。事件として取り扱われるかどうかすら疑わしい。
 ではこの後、奴らがやることは何か。
 簡単なことだ。事実関係を知る人間の始末に取り掛かるのだ。桑原警部や藤田警部補、高倉警部補のように警察内部での立場を失わせたり、上社のように命を狙われる者も出てくるだろう。しかし、奴らの最終的なターゲットが村上恭吾であることは疑う余地がなかった。
 そんなことは、させない。

 寝る前に、と思って菜穂子のケイタイを鳴らした。イオン香椎浜に置きっ放しの由真のBMWのことだ。危急のことではないがほったらかしにもしておけない。ロードスターは最悪の場合でも長時間駐車の料金を払えば済むが、BMWを放置車両扱いされるのは気が進まなかった。
 ひょっとして由真がBMWに何か手掛かりを残してくれていないだろうか――そんな思いがあったことは否定しない。だが、その可能性は薄かった。留美さんと同じく、何か不審な物を見つけていれば由真もアタシに話していないはずがないからだ。
「おはよ、真奈ちゃん。こんな時間にどうしたの?」
 欠伸どころか、菜穂子の声からは眠気の残滓すら感じられなかった。
「ちょっと訊きたいことがあって。由真のBMWなんですけど、あれからどうなったか知ってますか?」
「あのお爺ちゃんが知り合いの車屋さんに回収してもらうって言ってたわよ。それが?」
「いえ、もしまだなら取りに行かなきゃって思って」
 菜穂子に余計なことを訊かれる前に電話を切った。
 続いて納富医師に電話をかけた。中央区のど真ん中のクリニックは仕事帰りの人が寄れるように遅くまで開いていて、その分だけ診療開始の時刻も遅い。しかし、老齢の納富医師は朝が早いので七時前には出勤しているのだ。以前、学校に行く前に薬を取りに寄る由真に付き合ったときにそう言っていた。
「はい、敬聖会天神中央クリニック」
「朝早くにすみません、由真の友だちの榊原と言いますが」
「由真坊の? ……ああ、あの背の高いお嬢ちゃんか」
 この人は男の子には絶対見えない由真を”坊”呼ばわりする。ちなみに由真はその都度文句を言っている。
「由真から連絡はありましたか?」
「いや、こっちはさっぱりだな。そっちはどうだね?」
「こっちもです。ところでお伺いしたいことがあるんですけど――」
 納富医師は特に怪しむ様子もなくBMWの回収を頼んだ業者を教えてくれた。長浜の那の津通り沿いに馴染みにしている外車専門のディーラーがあって、そこにキャリアで運ぶように頼んで、夕べのうちに回収しましたと連絡もあったそうだ。アタシは礼を言って電話を切った。
 新庄たちは由真のBMWを狙うだろうか?
 可能性としてはなくはない。けれど、それ以前に奴らが由真の移動手段を把握していたとは思えない事実もある。
 由真をおびき出すのに使われたのは前日の夜に奪われた高橋拓哉の携帯電話だ。疾しいことは何もない――のだろう、多分――二人ではあっても、そこはそれ、高橋はれっきとした妻帯者だ。由真と高橋のやり取りはいきおい電話ではなくメールに頼らざるを得ない。拉致の実行犯はそれを利用して高橋の携帯電話からなりすましのメールを送った。長文ならともかくメール程度の短文で文体を真似ることはそんなに難しくなかったはずだ。
 だとすれば、拉致の現場は何処か。
 どちらかと言えば人目につくのが憚られる二人だ。広大なショッピングセンターの中でもあまり人が来ない場所を指定してもおかしくはない。由真も怪しんだりはしなかっただろう。由真は屋上駐車場にBMWを停めて、いそいそと階下へ向かったに違いない。
 最初は駐車場で狙われたんじゃないか、と思ったが、そうでないのは由真の身に起きた異変に気づいたアタシたちが向かった後も、さらに言えばディーラーの人たちが回収に向かった時もBMWがそこにあったことから明らかだった。由真は当然、自分のクルマのキーを持っているわけで、近くにそれが停まっていればBMWが無事だったはずがない。最低でも車内は荒捜しされていなくてはおかしい。しかし、昨日の時点でそんな形跡は見当たらなかった。

(まてよ?)

 だとすれば、できれば奴らの手に渡っていて欲しくないものが車内に残っている可能性があるんじゃないだろうか。事件とは直接関係がないが、アタシがやろうとしていることに役に立つかもしれない。
 とりあえず、今は寝よう。布団に横たわって目を閉じようとした。
「……ん?」
 小さな卓袱台の下に薄汚れた封筒が落ちているのが目に入った。
 由真はその道のオーソリティだが他人の部屋の物を漁る趣味はアタシにはない。しかし、その封筒はアタシの目を引いた。祖母、母と三代に渡って掃除魔を自負するこのアタシがまったく気にならないほど清潔なこの部屋にあまりにも似つかわしくなかった。
 手を伸ばして封筒を手に取った。
 埃だらけの封筒は上のところが紐を回して留められるようになっていた。紐も封筒の端々も擦り切れてずいぶんと形が崩れてしまっているし、封筒の下辺は破れたのをガムテープで何度も塞いだ痕があった。それとは別に社用箋などでは会社名などが印刷してある下の部分がガムテープで覆って隠してある。
 アタシは慎重にその部分を剥がした。出てきたのは和津実の母校、博多中央高校の名前だった。
 紐を回して封を解いた。
 中身はいわゆるミニアルバムだった。写真屋でプリントを頼むと一冊ついてくる紙製のあれだ。各ページはプリントを上下二枚ずつ収められるペラペラのポケットになっていて、すべてのページにプリントを挿し込むとかなりの厚さに膨らんでしまう。封筒にはそれが二冊入っていた。
 アタシは恐る恐るミニアルバムを開いた。
 初っ端に写っていたのは上半身裸の和津実とだらしない表情で横たわる中年男のアップだった。
 メイクの仕方が違うせいか、和津実の表情は三度見た顔のどれとも違って見えた。強いて言うなら遺影に使われたノーメイクが一番近い。険のある眼差しと脹れっ面はちっとも変わっていないが、不思議なことに写真の和津実には歳相応の可愛らしさのようなものがあった。隠す気配もない胸は実物と同じくちょっとしたエアバッグだ。それなのに乳首はとても小さい。いやまあ、そんなことはどうでもいいが。
 写真の日付は二〇〇三年五月三日。新庄圭祐が事故を起こしたのと同じ頃だ。ということは和津実はこの頃、郁美と同じく高校生だったことになる。
 一方、隣に写る男はどう見ても五〇代の白髪混じりのオッサンだった。よく見ると眠っているようだ。和津実はカメラを片手に持って男の隣に横たわり、自分で二人のツーショットを撮影したのだろう。だいたい一人当たりに五、六枚ずつ撮ってあって、数えてみると十二人の男が和津実と関係を持った上で写真を撮られている。中には放心状態の男だけが写ったものもあった。
 アタシはページをめくっていった。アングルは自画撮りのようなものもあれば、行為の最中を隠しカメラで撮ったんじゃないかと思うようなものもあった。セルフタイマーじゃないだろうからあらかじめアングルだけ決めておいて、手の中に隠し持ったリモコンで撮影したのだろう。そうとしか考えられない。
 和津実がこういう写真を残した理由は簡単に想像がついた。ポケットから適当に何枚か引き抜いてみた。プリントの裏には小さな字で”20000”とか”35000”などと走り書きがしてあった。その写真でいくら稼いだかだろう。
 次の一冊も内容は似たようなものだった。違っていたのは最初の一冊に複数の男の写真が収められているのに対して、二冊目に登場するのはどれも同じ男だったことだ。渡利純也が撮影した郁美のロング・インタビューの中でチラリとだが顔を見たことがある。新庄圭祐警視監。
 アタシの頭の中ですべてが繋がった。浮かんだのは二つのキーワード。一つは”女子高生”。もう一つは”援助交際”。
 新庄圭祐は若松郁美の客だった。
 同じように、やつは吉塚和津実――当時は旧姓の千原和津実――の客でもあったのではないだろうか。そして、相手の素性を知った和津実が持ち前の小賢しさでベッドの中の出来事を記録に残していたのではないだろうか。
 半田亮二とその家族を死傷させた事件は一〇〇歩譲って交通事故だ。状況も正面衝突だし責任が一〇〇対ゼロとも言い切れない。おまけにその後の隠蔽工作によって仮に露見したところで立証は困難な状態だ。
 しかし、現役の警察官僚が女子高生を買春していたことが発覚したらどうなるか。
 世論にマスコミ、警察内部、家族、その他から袋叩きに遭うのは目に見えている。本人の再起が困難なのは当然として、父親である新庄健史の政界転出の野望も塵と消えるに違いない。淫行条例の刑罰など新庄が犯した他の犯罪に比べれば微々たるものだろう。しかし、そのダメージは計り知れない。
 そう考えるとやつらが渡利のDVDに固執した理由も理解できた。新庄が恐れたのは事故について語っている部分ではない。郁美がホテルでの新庄との行為をあからさまに語っている部分だったのだ。
 そして、同じように和津実を恐れ、彼女を特急列車に向かって突き飛ばすという惨い方法で葬り去ることを命じた。あるいは方法は実行犯が勝手に決めたことかもしれないが。
 アタシはミニアルバムに視線を戻した。
 前に見たときは動画の途中のストップモーションだったが、こっちは静止画なのでより細かい特徴を捉えることができた。オールバックの坊ちゃん面から前髪を下ろした自然な感じの真ん中分けにしているのは変装のつもりなのだろう。左の目許に大きな泣きぼくろがある。太い眉とやや垂れ気味の奥二重、団子鼻というほど丸くはないがどことなく子供っぽさを感じさせる鼻筋、顔の造りに対してアンバランスに小さな口元。それをシニカルに歪めると頬に大きな笑窪ができる。四〇代にしては弛みのない均整のとれた体つきだが腹は若干出かかっている。一枚だけ下半身がハッキリ写っているものがあったが、郁美の話にあったようなタフネスぶりは感じられなかった。
 和津実の髪型や室内の光の具合が違っている写真が何枚もあって、これらが一度の逢瀬で撮られたものではないことが分かった。郁美のようなタイプをわざわざ指定して呼んでいた割にはタイプがぜんぜん違う和津実の常連でもあったことになる。
 最後のページにおそらく渡利がプリントアウトしたのと同じ新庄警視監の写真が収めてあった。着ている服も漂わせる雰囲気もまったく違っていたが、誰が見てもベッドで間抜け面を晒す中年男と同一人物だった。
 アルバムを封筒に戻して紐で封をした。どこに置こうもなかったのでとりあえず卓袱台の上に載せた。
 この封筒を見つけたのが和津実の母親なのは間違いない。しかし、彼女は何故この封筒だけを持ち出していたのだろうか。実の娘の売春の証拠など親として見たくもないだろうに。
 そこまで考えて、アタシは自分の思い違いに気付いた。和津実の母親は娘の所業を他人に知られたくなかったのだ。彼女の遺品を整理するには自分だけではない。姪の留美さんもそうだし、その絡みで由真も手伝いに来た。いずれはアタシも参加したかもしれない。
 しかし、誰よりも夫――和津実の継父に見せたくなかったんじゃないだろうか。何の根拠もないがそんな気がした。

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