Left Alone

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  第 31 章 

 どれくらい、そうやって呆けていたのだろう。まるで考えがまとまらないまま、アタシは待合の床にへたり込んでいた。

 ――いい加減にしてくれ。

 そう叫びたかった。いったい何がどうなっているというのか。村上恭吾も、権藤康臣も、吉塚和津実も、白石葉子も、みんないったい何をしていたのか。何故、アタシがこんな思いをしなければならないのか。アタシは父の事件に関わった人たちのことを知りたかっただけだ。どうして、みんなでよってたかってアタシの心を揺さぶろうとするのか。
 由真を見やった。彼女はフレアスカートの中で高々と脚を組んでベンチの背もたれに尊大に身体を預けていた。目を閉じて、考えを巡らせるように眉根を寄せている。
「……由真」
「ゴメン、ちょっと考え事してるの。後にしてくれない?」
 にべもない一言だった。村上のことがわだかまったままとは言え、せっかく関係修復のきっかけが見つかったと思ったのに、今やアタシと由真の間には氷のようなよそよそしさが漂っていた。
 今度ばかりはアタシは悪くないはずだ。
 いつから由真が村上に想いを寄せていたかは知らない。ひょっとしたらアタシが元彼と付き合っていた頃かもしれない。だとしたら、アタシがそれに口出しをする謂れはないのだろう。
 でも、たとえそれが捜査に協力するための芝居だったとしても、村上とデートしたのをアタシに隠していたのは許せなかった。
 アタシに何でも報告しろと言ってるわけじゃない。今になって初めて村上への恋心を告白するような素振りをしていたくせに、過去にちゃっかり行動に移していたのが気に喰わなかったのだ。何が”真奈にその気がないんだったら、あたしが村上さんに行ってもいいのかな”だ。白々しいにもほどがある。
 アタシは顔を上げた。何でもいいから怒鳴りつけてやろうと思った。胸のうちのモヤモヤを吐き出したかった。
 しかし、それは声になる前にため息に変わってしまっていた。怒りをぶつけるだけの気力は、すでにアタシの中から失われていた。
 ノロノロと立ち上がった。ここにいても仕方がない。中の様子を窺うことはできなくても集中治療室の前に行こうと思った。
 何の役にも立たないことは分かっている。おそらく会わせてもらうこともできないだろう。勤務中ではなかったとは言え、現職の警官が拳銃で撃たれたのだ。家族か捜査関係者でなければその場にいることすら許されないに違いない。
 それでも、少しでも村上の近くに行きたかった。
「――真奈」
 歩き出そうとしたアタシを由真が呼び止めた。複数の規則正しい足音が近づいてきていた。
 警官の一団だった。厳しい訓練の賜物か、彼らは集団で歩いていると無意識に歩調が揃うのだという。以前に藤田が同僚たちと一緒に飲みに行った帰りに気がつくとそうなっていて、周囲に奇異の目で見られたことがあると苦笑混じりに話してくれたことがある。
 来るべきものが来たというわけだ。神様は――そんなものがいるとしての話だけれど――どれだけアタシをいたぶれば気が済むのだろう。
 現れたのは私服が一人、あとの三人は制服警官だった。
「榊原真奈ってのはどっちだ?」
 先頭の四十絡みの私服の男が言った。初対面の一般人相手だというのに当然のような呼び捨てだった。
「アタシですけど……?」
「県警捜一、強行犯係の桑原だ」
 義務だから仕方なくという感じで警察手帳をかざした。名前は桑原孝市、階級は警部と書いてある。
「村上警部補への銃撃事件、及び、吉塚和津実殺害事件を担当してる。話を聞かせてもらうぞ」
 傲岸としか言いようのない口調。シニカルな眼差しが憐れな獲物を見るようにアタシに向けられている。肉が削げ落ちた酷薄な顔立ちは、むしろ交番前の指名手配犯のポスターのほうが似つかわしく思えた。天然パーマの髪はボサボサで、肌は警官が勤まるのが不思議なほど不健康そうな土気色。背丈はアタシと同じか少し低いくらいだ。サックスブルーのクレリック・シャツとサンドベージュのトラウザーズ、レジメンタルのネクタイという若々しく整った身なりなのに、それが返って無礼な感じに見える。
「そっちのお嬢ちゃんは?」
 桑原は由真を見やった。
「友人です。アタシが――クルマの運転ができないんで、彼女に乗せてきてもらったんです」
 酔っていることを口にしそうになって少し慌てた。免許を持っていないのかと問われたので、自分のクルマの中に置きっぱなしにしているのだと答えた。
 由真は戸惑ったような愛想笑いを浮かべていた。事情が飲み込めないんですけど、と言わんばかりに目を瞬かせている。さっきまでの冷淡さは微塵も感じられなかった。
 桑原は無表情に由真を一瞥して「そっちは帰っていいぞ」と言った。由真は横目でアタシの顔を見ながら「じゃ、後で連絡してね」と言って、まったく振り返ることなくその場を立ち去った。
「――さて、おまえはとりあえず署まで来てもらう。いいな?」
 いいな、と言っても役目済ましに訊いているだけで否はない。いかにも警官らしい物言いだ。
「いいけど、アタシの立場って何なの? 重要参考人? それとも容疑者?」
「何だと?」
 桑原はアタシの突然の反撃に鼻白んだ。この男の一挙手一投足が父親譲りのアタシの反骨心をひどく刺激した。鬱屈した感情がお誂え向きの捌け口に向かってほとばしるのを感じる。
「おまえはそんなに大物なのか?」
「まさか。アタシはただの大学生に過ぎないわ。たまたま村上恭吾とも、吉塚和津実とも知り合いだったってだけでね。――あ、権藤康臣も知り合いだったっけ」
 言ってから「……しまった」と思わなくもなかった。けれど、高坂朋子が容疑者の名前を洩らしたのは事実だし、秘密にしてやらなくてはならない理由はどこにもない。由真を庇うために自分が村上の元義姉だということを持ち出した彼女に少なからずムカついていたのもある。 
 桑原は鼻を鳴らして「まったく、あのお喋り女が……」とぼやいた。
「お前さんの立場は参考人だ。ただの、とは言い難えがな」
「だったら任意ってことよね。悪いけど帰って一眠りしてきていいかしら。警察の人にこんなこと言うのもなんだけど、昨日はオールで遊んでたんで眠いの」
「そりゃまた、学生の分際でいいご身分だな」
「学生だからよ。文句がないんだったら帰るわよ?」
 桑原は肩をすくめた。
「まあ、どうしてもって言うんなら仕方ねえな。おい、こちらのお嬢ちゃんもお帰りだそうだ」
 桑原は拍子抜けするほどあっさりと引き下がった。それでいいのかと思いつつ、しかし眠くてたまらないのは事実だった。後でもいいのならそうさせてもらおう。
 制服警官の一人に連絡先を問われたので、自宅とケイタイの番号を教えた。午後にでも捜査本部がある博多署に来てくれ、と彼は言った。迎えのパトカーを寄越そうかという親切は丁重に辞退した。
「じゃあ、また後で」
「ああ。ところで村上には会わずに帰るのか?」
 桑原は取ってつけたようにそう言った。思わず足が止まる。
「……会えるの?」
「俺が一緒ならICUに入れる。麻酔から醒めてないだろうから話はできねえがな」
 そうならそうと早く言え。
「えーっと、まあ、それだったら――」
「いやあ、そりゃ残念だな。夜遊び明けの眠い目こすって現場に駆けつけたってくらいだから、てっきり心配してるんだとばかり思っていたんだが」
 桑原はアタシを遮った。表情はいかにも不本意そうだったが、揚げ足を取れた満足感が声ににじみ出ている。
「……分かったわよ。話せばいいんでしょ」
「最初からそう言えばいいのさ。人間、素直なのが一番だぜ」
 素直という言葉とこの世で一番縁遠そうなこの男に言われたくない。

 その場に制服警官を残して、桑原の後についてエレベータに乗った。集中治療室には他の患者もいるので、村上は別の階の個室に移されているという話だった。
 桑原はケイタイで誰かと話していた。狭い箱の中なので聞こうと思わなくても内容が耳に入ってくる。村上の身体を貫通した銃弾と、その薬莢が見つかったという報告だった。一瞬、身体がカッと熱くなるのを感じた。
「実包は9パラ? そうか」
 最後の「そうか」には安堵の響きがあった。電話の向こうの男は「これから検査に回す、詳しいことはそれからだ」と答えた。他に報告事項はなかったらしく、桑原は電話を切った。
 エレベータが目的の七階に着いた。降りると桑原は近くの壁の案内板を見やった。
「第三特別室だっていってたが、何処だ?」
 目を細めて見取り図を睨んでいる。確かに小さな字だがそんなに見づらいわけでもない。ひょっとして老眼が始まっているのだろうか。
「これじゃないの。別棟の一番奥」
「ああ、それだな」
 桑原はトラウザーズのポケットに手を突っ込んだまま、先に歩き出した。イメージどおりのせかせかした歩き方だ。極端な猫背のせいでそれがよけいに忙しなく見える。
 医者要らずのアタシにとって、病院はおそらく何処よりも落ち着かない場所だった。どんなにやわらかいクリーム色で壁を塗りたてても、どれだけ観葉植物を並べ立てても、そこには薬と消毒のアルコール、そして死の匂いが染み付いている。
「ねえ、9パラって”9ミリ・パラベラム弾”のこと?」
 桑原は立ち止まって振り返った。
「なんでそんなこと知ってるやがるんだ、ただの学生が」
「それくらい、ガン・マニアだったら誰でも知ってるわよ」
「……おまえ、そういう趣味あるのか?」
「元彼がね。アタシはマニアじゃないわ」
 本当は元彼もガンマニアというほどではない。ただ、彼の部屋にはガン・アクションもののマンガが結構あって、それを読んだことがあるから知っているのだ。
 アタシは歩き出した桑原の横に並んだ。疎ましげに見上げる視線は無視。ノッポなのはアタシのせいじゃないし、桑原が実際以上に小さく見えるのは彼の姿勢が悪いからだ。
「警察の拳銃――シグ何とかも9ミリ・パラベラムじゃなかった?」
「それがどうした?」
「権藤さんはどこで拳銃を手に入れたのかなって思って」
 桑原はフンと鼻を鳴らした。
「シグ・ザウエルの警察仕様は32口径、7.65ミリってやつだな。権藤に支給されているのはスミス・アンド・ウェッソンのM37。38口径のリボルバーだ。どっちも9パラじゃねえ」
 桑原はよどみなく答えた。それでさっきの安堵の意味が分かった。犯行に使われた拳銃が警察の武器庫から持ち出されたものではなかったからだ。
 拳銃は然るべきツテがあれば買えるだとか、インターネットで意外と簡単に手に入れることができるといった話は噂として聞かないではない。しかし、物が物だけに今日注文して明日には届くというものでもないだろう。つまり、権藤はそれなりに以前から拳銃を用意していことになる。
「村上さんを撃ったのが権藤さんなのは間違いないの?」
「そんなことを聞いてどうする?」
「どうもしないわ。ただ、やっぱり信じられないから……」
 桑原は短く息をついた。
「俺も気に入らねえが、目撃者の証言と監視カメラの映像を総合すると、そう判断せざるを得ねえ」
「映ってたのが権藤さんなのは本当?」
「確認した全員が間違いないと言ってる。あのオッサン、室田日出男にそっくりだからな。ま、駅で映画のロケでもやってたんだったら話は別だが」
「そんなわけないじゃない」
 冗談にしてもつまらなかった。室田日出男は何年か前に亡くなっている。
 別棟の一番奥、第三特別室のドアの両脇には、いかつい顔といかつい体躯の制服警官が風神雷神のように立っていた。
 豪奢な造りのドア板を見ただけで、そこが何の目的で作られた部屋かが容易に想像できた。この廊下にちょっと強面のお兄さんを何人か置いておけば、たとえスクープ狙いのマスコミでも入院患者に近寄ることはできないだろう。場所としても他の用事で迷い込むようなことはないところにある。
 桑原の姿を認めると二人の警官は姿勢を正して敬礼した。桑原はおざなりに「お疲れさん」のようなことをむにゃむにゃと口にしただけだった。
「おい、加藤。村上の様子は?」
「先ほど片岡警視が来られたときには、まだ麻酔が切れていないようでしたよ」
 二人のうちの年上っぽいほうが答えた。
「片岡って、監察官の!?」
「……警部、ここは病院です。大声は控えてください」
 加藤と呼ばれた警官は顔をしかめた。桑原はフンと鼻を鳴らした。二人は顔馴染みのようで、敬語を使っていても仲間内のようなくだけた響きがあった。
 もう一人の若い警官は二人のやり取りを礼儀正しく無視しながら、アタシを不思議な生き物を見るような目で見ていた。由真のように愛想笑いでもしてやるべきかと思ったけどやめておいた。似合わないことはしないほうがいい。
 警官たちから目を逸らして窓の外を眺めた。眼下の病院の前庭にゴテゴテした機械やアンテナが付いた大型車が何台か停まっているのが見える。テレビの中継車だろう。時間から考えると朝のワイドショーで、撃たれた警官が収容された病院前からリポーターが訳知り顔で中継というのはありそうな話だ。
「監察官室の阿呆ども、いったい何の用で出張ってきてやがるんだ?」
「さあ、私は何も聞かされていませんので。ただ、医者と看護師以外は誰も中に入れるな、とは言われてます」
「誰も?」
「ええ、誰も」
 二人は顔を見合わせた。加藤はいつの間にかドアと桑原を遮る位置に立っている。桑原は苦虫を噛み潰したように口許を歪めて、ボサボサの髪を掻いた。
「――いいか、加藤。権藤の奴は拳銃を持ってる。かつての部下を撃ってまで逃走したってことは、まだ続きがあると考えざるを得ねえ。だが、何の目的で女を殺したのか、そいつが分からなけりゃ権藤の次の行動が読めん。次の犠牲者が出てからじゃ遅えんだぞ?」
 桑原は一息にまくし立てた。加藤はまだ桑原の前に立ちはだかったままだ。
「緊急配備はどうなってるんです?」
「運よく網に引っかかってくれりゃいいが、あまり期待はできねえな。事件が起こってから配備まで時間が経ち過ぎてる」
「村上警部補を尋問する意味は?」
「南福岡駅は村上の通勤路じゃない。それが何を意味するか分かるか? 今朝、村上はあの場所で事件が起こることを嗅ぎ付けてやがったんだ。だとすると、権藤の次の目標を奴は知ってる可能性が高え。俺は誰に話を訊くべきだと思う?」
「……おっしゃるとおりでしょうね」
「分かったらそこをどけ、加藤。何か言われたら、俺が力づくで押し入ったことにしていいからよ」
 加藤は小さな微笑を浮かべた。
「しかし、警部。警部補はまだ尋問に答えられる状態じゃありませんよ?」
「麻酔が効いてぐうすか寝てるんだろ。知ったことか。ぶん殴ってでも叩き起こす。9パラで撃たれるのに比べりゃそんなに痛かねえだろ」
「警部が担当とは、村上警部補も災難でしたね」
 そういう問題じゃないだろ。
 そう思いつつ、突っ込むことはできなかった。アタシは二人のやり取りに――正確には桑原という警官の物言いに圧倒されていた。アタシの父親も相当に型破りだったと聞いているがここまで無茶苦茶ではなかったはずだ。
「ところで、そっちのお嬢さんは?」
 桑原はアタシを村上の知り合いだと紹介した。加藤は口をへの字に曲げた。
「警部は仕方ありませんが、彼女を入れるのは無理ですよ」
「かてえこと言うなよ。せっかく恋人が見舞いにきてるんだぜ。ちょっと顔を見せてやるだけでいいんだ」
「恋人……って村上警部補の?」
 驚いた表情の加藤に曖昧な表情で「ええ、まあ」とごまかした。事実とは異なるが否定すれば話がややこしくなる。一方で彼女扱いされたことを喜ぶような呑気な状況でもない。
「――ほう、二人はそういう関係だったのかね。それは初耳だな」
 声は唐突に背後から聞こえた。思わず振り返った。
「片岡さん!!」
「久しぶりだね、榊原――真奈さん、だったか。あの事件のとき以来だから、二年ぶりだな」
 懐かしんではいるようだったが親しみの響きはまるでなかった。
「お疲れ様です、監察官」
 桑原が言った。べらんめえ調を抑えようとすると、その話し方は不自然に平板なものになる。
「警部、ここは病院だ。少しは静かに話したらどうだね」
「……はぁ、申し訳ありません」
 片岡警視は最後に会ったときと同じように、思わず身が竦む刃物のような目で桑原を見ていた。感情の起伏(主に不機嫌)はあるらしいのだが、無表情という意味では村上以上かもしれない。ピッチリと撫で付けたオールバックにダーク・スーツの組み合わせは、かけている角ばった眼鏡がサングラスだったらまるでエージェント・スミスだ。
 片岡の背後には人相の悪いパンダのような小太りの医師と、彼の態度を縮小コピーしたような男たちが付き従っている。二年前と違ってその場で一番上位の警察官であるせいか、片岡の仕草の端々には威厳とその裏返しの尊大さが見え隠れしていた。
 片岡は当然のような表情で桑原を下がらせると、加藤に向かい合った。
「加藤巡査部長。私は医師以外は誰も入れるなと言ったはずだが?」
「申し訳ありません、監察官」
 加藤はそれ以上、言い訳をしようとはしなかった。男たちは壁を作るようにアタシや桑原とドアの間に立った。医師が先に病室に入り、男たちもそれに続いた。
「――お言葉ですが、監察官」
 桑原は最後に病室に入ろうとした片岡を呼び止めた。
「何だね?」
「部外者を会わせられないってのはともかく、我々まで村上警部補から事情聴取できないというのは納得がいきません。権藤の行方を追うのに村上の――」
「君の演説はすべて聞かせてもらっている」
 片岡は冷徹に桑原を遮った。
「繰り返してもらう必要はない。”監察官室の阿呆ども”にも、君の言わんとすることの意味くらいは分かる」
 桑原はバツが悪そうにしていたが、取り繕っても無駄なことに気づいたようだった。
「監察官、それでは何故、我々の捜査に支障が出るような指示を?」
「手短に言おう。村上警部補には別件である容疑がかけられている。彼は現在、我々の拘束下にあり、外部の人間と接触させるわけにはいかんのだ」
 思いっきり後頭部をぶん殴られたような衝撃だった。
「……ちょ、ちょっと待って。それ、どういう意味よ!?」
 敬語を使うことも忘れていた。片岡は壁の染みでも見るような無感情な視線を投げた。
「ちゃんと日本語で話したはずだが、理解してもらえなかったかな。村上警部補は被疑者として拘束されているので、誰とも会わせることはできない。訊かれる前に答えておくが、何の容疑かも教えられない」
「そんなバカな話ないでしょ!?」
「質問には答えられない。――加藤巡査部長、二人にお引取りを願ってくれ」
 久々に頭に血が上った。アタシは片岡に掴みかかろうとした。しかし、絶妙なタイミングで間に入った加藤の大きな身体にブロックされた。
「テメェ、ふざけんなッ!!」
「言葉遣いが悪いのは相変わらずだな」
 あくまでも冷徹に言い放って、片岡はドアの中に身体を滑り込ませた。その隙間から部屋の真ん中に置かれたベッドとその上に横たわる人影が見えた。酸素テントに覆われていて顔を見ることはできない。見えたのは薄手のブランケットからはみ出した大きな足の裏だけだ。
 ドアは無情なほど重々しい音を立てて、目の前で閉じてしまった。どうして病室のドアにそんなものがあるのか知らないが、鍵がかかるカチャンという音が最後通牒のように鳴った。
「ちくしょう、テメェ、開けやがれッ!!」
 加藤に身体を押さえられながら、尚もドアに向かって怒鳴った。しかし、その声は白亜の廊下に虚しく響きわたっただけだった。

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