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砕ける月

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  第 2 章  

 次の日、由真は学校に来なかった。
 もっとも、普段でも由真が「アタマが痛い」だの「気分が悪い」だのと言って何の前触れもなく学校を休むのは珍しいことじゃなかった。アタシだって昨日の“らしくない”メールがなければ、いつものことと気にもかけなかったに違いない。
 周囲からは”物事に動じない性格”だと思われがちなアタシだけれど、実は何か気になることがあると他のことはそっちのけになってしまう、という至って繊細な一面を持っている(由真は決して信じてくれないけど)
 その日一日、補講の内容はまったく頭に入らなかった。
 昼休みに由真のケイタイを鳴らしてみても<……電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため云々>という、お決まりのメッセージを聞かされただけだった。
 ――何、やってんだろ。
 でも、こういうときに心配だからといって、迂闊に彼女の家に電話をかけるのは非常に危険だったりする。
 アタシが学校に戻ってすぐの頃、何の前触れもなく休んだ彼女の家に、普通にお見舞いの意味で電話をかけたことがあった。
 ところが実はそのとき由真は学校に行っていることになっていて(ま、要するにサボリだ)アタシは彼女の母親に怪訝な応対をされたことがあるのだ。
 学校をサボることにかけては札付きの専門家であるアタシは、とっさにその辺りのことを察してうまく誤魔化して事なきを得たのだけれど、あとで由真から膝を突き合わせてこってり説教される羽目になった。
 考えてみればアタシのような劣等生はともかく、成績優秀な由真には夏休みに補講を受けなきゃならない理由はない。
 彼女が夏期講習に参加している理由は、アタシに付き合ってくれているからに他ならないのだ。
 そう思えば、彼女が来なかったからといって心配することはないような気はした。
 でも、気になって仕方がなかった。――アタシは何かの依存症なのだろうか?


 学校が終わるとアタシは一目散に家に帰った。アルバイトに行かなくてはならないからだ。
 アタシの家は平尾浄水町の高級マンションや邸宅の立ち並ぶ閑静な一角にある。
 もともと平尾からこの一帯にかけては古くからの高級住宅街で、浄水通りのなだらかな並木道を進むと西方沖地震のときは避難所にもなった九電記念体育館、そして薬院の六つ角へと続いている。
 通りにはオシャレなショップも多くて、由真からはこんなところに住んでるのに何故センスが磨かれないのかと不思議がられる。
 答えは簡単――興味がないからだ。
 レンガ造りの背の高い門には「榊原」という御影石を彫った威圧感のある表札が出ている。榊原というのはアタシの“戸籍上の”苗字だ。
 大抵の人はそうだと思うのだけれど、アタシは生まれてこの方ずっと、両親と同じ”佐伯”という姓で暮らしてきた。
 ところがその父親が刑務所に入ることになって親権者がいなくなったことから(これがいないと施設に引き取られることになるらしいけど、アタシはそうならなかったので実際どうなのかは分からない)祖父はこれを機に可愛い孫娘を苦境に追い込んだバカ婿から引き離そうと思って、アタシを養女にすると言い出したのだ。
 血縁上は祖父母と孫娘、法律上は父母と娘という関係はどうにも不自然に思えるけど法律上は問題ないらしく、アタシは佐伯真奈から榊原真奈になったというわけだ。
 ちなみに誰かと養子縁組をしたからといって実親との縁が切れるわけじゃないそうで、祖父の目論見はあっさりと失敗してしまっている。弁護士の先生もアタシにはきちんと説明してくれたのに、祖父にはどうも通じていなかったらしい。おそらく祖父のほうが理解できなかっただけだろうけど。
 いくつかの会社を経営していて、市議会議員も勤めたことのある祖父だけれど、アタシに言わせればただの頑迷な爺ィだ。

 格子状の電動シャッターの下りたガレージを覗くと、祖母の買ったばかりのアウディA3が停まっていた。
 外車の割にコンパクトなボディのせいか、今のところ大きなキズやヘコミの類は見当たらない。もっとも「どうせ時間の問題だ」というのが祖父とアタシの統一見解だったりする。
 祖父のメルセデス・ベンツはまだ帰ってきていなかった。

 チャンスだ。アタシは猛然とダッシュして玄関に駆け込んだ。
「ただいまーっ!」
「あら、お帰り、真奈」
 祖母はいつものおっとりした調子で玄関に現れた。
 ローズ・ピンク(本当はちゃんとした呼び名があるのだけどアタシには分からない)の京友禅の小紋、銀髪と言ってもいいくらいキレイな髪をアップにまとめて薄く化粧をした上品な感じは、自分と血が繋がっているとは思えないときがある。アタシは母親似で、母親は祖父似なのだ。
 アタシはこの人が声を荒げたところを一度しか見たことがない。父の事件のとき、アタシにマイクを向けたマスコミを一喝したときだ。鬼のような形相で。
「まだ晩御飯には少しあるけど、おやつは?」
「いらない。これからバイト」
「あら。じゃあ、晩御飯は?」
「帰ってから食べるから、冷蔵庫に入れといて」
 そう言い残して、アタシはバスルームに駆け込んだ。脱いだ制服や下着を脱衣所のカゴに放り込んで、大急ぎでシャワーを浴びた。祖母に見つからないように下着姿のまま、母屋の勝手口から自分の部屋のある離れ(ガレージの二階)へ移動した。
 クローゼットから自分で加工したお気に入りのダメージ・ジーンズとTシャツ、薄手のパーカーを取り出して身に着けた。ヘルメットとバイクのキーをつかんでガレージに降りた。
 ガレージにはアタシの愛機、メタリック・レッドのスズキ・バンディット二五〇Vが停めてある。
 ボディカウルがなくてエンジンがむき出しのいわゆるネイキッド・バイクで、テールエンドの流麗なデザインが何処となくセクシーな印象を与えるところが気に入っている。
 このバイクは高校入学のお祝いに父親が中古屋で買ってくれたもので、こいつの維持費とガソリン代を稼ぐためにアタシはバイトしているようなものだ。
 ガレージの扉を開けて、アタシはバンディットを押して外に出た。
 近所迷惑にならないように表通りまでゆっくり押していき、イグニッション・キーを廻した。クラッチレバーを握りこんでスターター・ボタンを押すと、弾けるような甲高い音と共にエンジン・ユニットが目を覚ます。最終生産型とはいっても生まれて六年めのご老体なので、電気系統が気まぐれだったりエグゾーストがちょっと本来の音量よりうるさかったりする。
 ケイタイの時計を見るとバイトの入り時間まで一時間を切っていた。着替えやら準備を考えるとギリギリだった。
 アタシはバンディットのシートにまたがって、夕方のラッシュを縫うように市内中心へ走り出した。


 アタシがバイトしている居酒屋は天神西通りのビルの二階にある。
 無垢材をふんだんに使った和風の造りと、地物の魚を中心にしたメニューを出すちょっと洒落た店だ。
 本来、バイトの女の子は藤色の作務衣のような着物を着てフロア係をやるのだけど、アタシは男性スタッフと同じ紺色の作務衣を着て厨房で働いている。
 理由は三つあって、一つはアタシに合うサイズの女子用の作務衣がなかったこと、一つは他の子は大学生やフリーターだけどアタシは(一応)高校生であること、一つはフロアよりも厨房のほうが向いていると言うオーナーの判断だ。
 良妻賢母という言葉を未だに信じているに違いない祖母とその娘である母の教育のおかげで、アタシは小・中学校で家庭科だけは常に“5”をキープし続けた。
 その腕は今でも進化を続けていて、バイトの身の上にもかかわらずアタシはこの店でオーナー、板長につぐナンバー3の地位を確保している。厨房にはオーナー直々に発注してもらったアタシ専用の包丁のセットがあって、由真には「そのまま就職しちゃえば?」と言われる始末だ。
 今日は七月末で、世間では給料日明けの金曜日だった。
 そのせいか店は予約で一杯だった。アタシは手際よくマダイやイサキ、カワハギをおろして刺身の盛り合わせの注文をこなした。筑前大島のアワビの海女漁が解禁されたばかりで新物が入っていたので、これもアタシがさばいた。
 嵐のような営業時間が終わったのは午前零時だった。
 アタシは厨房の後片付けを手伝ってから、事務所の奥を仕切った更衣室で着替えをすませた。
 アタシ以外のバイトの子はすでに帰っていて、事務所では頭髪の寂しくなった下膨れのオーナーが一人で現金を数えていた。

 この工藤という名前のオジサンはとてもそうは見えないけど、実はアタシが新たに通い始めた道場の師範代だったりする。バイト先を探していると言ったら自分のところに来るように言ってくれたのだ。
 計算のジャマにならないように小声で挨拶してアタシは店を出た。
 ビルの裏手に停めてあったバンディットを出してスターター・ボタンを押した。
 エンジンはかからなかった。
「マジかい……」
 アタシは大きくため息をついた。
 最近、セルモーターの調子が悪くなっていて(バンディットは電装系が弱い)そろそろ徹底的にメンテナンスをしなくてはならなかったのだけれど、一学期の成績表を見た祖父の視線が気になって家のガレージでバイクをいじるのを控えていたのだ。
 重い車体を引きずり出して押しがけにもチャレンジしたけれど、エンジンが甦る気配はしなかった。アタシは諦めてバンディットを元の場所に戻した。

 財布にはタクシーで帰る程度の現金は入っていた。アタシはがっくりうな垂れながら店に上がった。
 工藤さんにバイクを置きっぱなしにして帰ることを告げると、もう少し待っているなら車で送ってやる、ということになった。アタシは待つことにした。







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