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砕ける月

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  第 3 章  

 工藤さんの仕事が終わるまで三十分ほどかかるらしかった。
 アタシはその間、西通りをブラブラすることにした。
「終わったら、真奈ちゃんのケイタイにメール入れるからねぇ」
 工藤さんがニッコリ笑いながら言った。
 この中年の空手家はオカマさんと間違われそうな優しい物言いとは裏腹に、試合では実戦的な(反則と同義語)技を駆使しては失格を繰り返した挙句、元の流派を破門されてしまったという問題児だったりする。
 経歴を聞いて最初はアタシも眉をひそめたり(他人のことは言えないけど……)したけれど、道場で対峙してみてアタシは考えを変えた。
 この人は反則技など使わなくても本当に強いのだ。もちろん向こうは手加減してくれるのだけど、それでもアタシはほとんど有効打を入れることができない。
 何故、反則と分かっていてやるのかという質問はうまくはぐらかされて、ちゃんとした答えを聞いたことはない。反則だからその技は仕掛けてこないという戦い方が実戦的ではないというのがその理由だ、と道場に来る他のオジサンたちが言っていた。
 一つだけ分かっていることは、この人に師事するようになってからアタシはそれまでよりも格段に強くなったということだ。
「ここまで戻ってくる?」
「うーん、どっかで待ち合わせしましょうか」
「オッケー。俺のクルマ、警固公園の地下に停めてあるから、その辺りで」
「りょーかい」

 アタシは可愛らしく手を振って事務所を出た。
 昼間の蒸し暑さに比べればマシだけれど、夜になっても外は暑かった。深夜だというのに(深夜だからと言うべきか)西通りにはたくさんの人がいた。
 岩田屋本館のウラの広場では大学生(に見える)一団が、次は何処に行こうかと思案していた。幹事らしきちょっとぽっちゃりした女の子がケイタイで電話をかけてお目当ての店の空きを確認している。すっかりデキ上がった男性陣は辺り構わず大きな笑い声を上げ、自分達にしか分からない世界で盛り上がっている。ここで引き上げるべきかを思案しているふうの女の子もいて、それを察知した男が引き止めにかかっている。
 少し前までアタシはこういった楽しそうに街を行く連中が大嫌いだった。「何故、コイツらはこんなに楽しそうに笑えるのだろう」と思ったものだ。
 今にして思えば、ただアタシが世間に対して斜に構えていただけなのだけれど。
 アタシは自動販売機でコーヒーを買って警固公園まで歩いた。
 昼間はローカルのテレビ局がロケをやったり、夜は地元のストリートミュージシャンのメッカでもある公園も、この時間になると街灯の白く無機質な明かりに照らされてすっかり静まり返っていた。
 時折、南側の噴水の周りのガキどもが立てるスケートボートの耳障りなローラー音が聞こえてくるだけで、隣の警固神社の向こう側、国体道路沿いに出ている屋台の並びの喧騒もここまでは伝わってこない。
 アタシはソラリアプラザのラジオ局のサテライト・スタジオ前の壁にもたれ掛かった。
 夜の天神周辺では建物の大きなガラスを鏡に見立ててダンスの練習をしている連中をよく見かけるのだけれど、ソラリアでは夜は見物人がいないせいかあまり見かけない。
 アタシはコーヒーのプルタブを開けてゆっくり啜った。率直に言って缶コーヒーのブラックにロクなものはないのだけれど「他にはお茶しか飲むものがない」という消極的な理由で、アタシはブラックの缶コーヒーを買う。
 公園内には肩を並べて座るカップルの姿もチラホラ見えた。
 中にはいい雰囲気になっている二人もいて、アタシは呆れ半分、羨ましさ半分でそれらを眺めていた。人目を憚るようなことをするにはこの公園は視界を遮るものがないので、頑張ってもせいぜいキスくらいまでなのだけれど。
 植え込みの向こうのカップルの微妙な距離感を眺めながら、アタシは肩に手を回すタイミングを計っている男に心の中でエールを送った。
 我ながら悪趣味だなとは思う。
 カップル観察に飽きたアタシは、他に何か面白いものがないかと辺りを見回した。
 西鉄の駅へと続く舗道の街灯の下に立っている、いかにもオタクという雰囲気の男の姿がアタシの目に留まった。
 肥満児がそのまま大きくなったような感じの、生まれてこのかた体を鍛えるという試みをしたことがなさそうな締まりのない体型だった。リュックサックのベルトを左の肩にかけて、ずり下がる大きなメガネをしきりに直している。黒っぽいポロシャツとタックが開ききったチノパン、黒いキャップという組み合わせは彼に出来る最高のオシャレの様に見えた。
 オタク男は人待ちなのか、腕時計に何度も視線を落としていた。
 自分がこの時刻にこんな場所にいることが信じられないといった感じで、彼は不安そうに通り掛かる人々を眺めていた。怯える相手もいないのにオドオドした様子が何となくユーモラスだった。

 アタシはiPodのイヤホンを耳に突っ込んで、エルヴィス・コステロを聴きながらしばらく彼を観察して暇をつぶすことにした。
 オープニング・トラックが終わって四曲目に差し掛かった頃、駅のほうから待ち人が控えめに手を振りながら歩み寄ってきた。
 どんなご同輩が現れるのかと楽しみにしていたのだけれど、やってきたのは何と女の子だった。
 肩口の大きく開いた半袖のカットソー、デニムのミニスカート、スエードのハーフ・ブーツというギャル系のファッションで、つばの大きなキャスケットを目深に被っている。ほっそりとした体躯で、丈の短いトップスからは滑らかな脇腹が、ミニスカートからは形のいい脚が覗いている。大振りなバッグを抱えていて、片手にはジャラジャラとストラップの付いたケイタイを握り締めている。
 一瞬、彼の後ろにもう一人誰か立っていて、彼女はその相手なのではないだろうかと思ったけれど、二人は歩み寄って何やら話し始めた。彼女のほうがバッグから何かを取り出して、それをオタク男に見せている。
 古くは美女と野獣、最近では電車男の例を出すまでもなく、外見や趣味などは所詮は表面的なもので恋愛の本質的な部分とは関係ないのだろうけど、だからと言ってこの組み合わせは一〇人中九人までは異議を唱えるに違いなかった。――まあ、余計なお世話なのだろうけど。

 その場を離れるか、もう少し二人の様子を観察するかで迷っていると工藤さんからメールが入った。
 <終わったから屋台でラーメンでもどう?>という内容で、アタシは一瞬迷った。帰ったら祖母の作ってくれた晩御飯があるからだ。
 食べないと祖母の機嫌が悪くなる。でも両方食べると今度は由真の”ダイエット警報”をくらうことになる。実はアタシは結構太りやすい。そして何故か由真はアタシの体重の増減を見逃さない。
 祖母の御飯は明日の朝に食べることにした。深夜の豚骨ラーメンの誘惑に勝てるほどアタシの精神は堅牢には出来ていなかった。
 <行きます>という短い返事を送ってアタシはその場を離れようとした。カップルの方を振り返るとギャルはキャスケットを脱いで、髪を直していた。
 アタシはそれを見て凍りついた。
 そのギャルは由真だったのだ。


 本当に予想外の事態に直面したときの人間の反応はドラマのようにはならない、という意見にはアタシも賛成だ。
 目の前で起こった出来事(あの由真が、口を極めて批判するギャル系のファッションで、しかもどうにもそぐわない男子と深夜に逢っている、という事実だ)に対してアタシがとった反応は、しばらくの沈黙のあと、自分でも驚くほど素っ頓狂な声で「……あら?」というマヌケな言葉を発することだった。
 幸い、その声は向こうには聞こえなかったようだった。
 見間違いではなかろうかとよく目を凝らして見ても、やはりそこにいるのはアタシの親友である徳永由真と、太ったオタク男のツー・ショットだった。由真のギャル姿は本人が言うほど似合っていないわけでもなかったけど、普段のフェミニンな装いを見慣れている目には違和感でいっぱいだった。
 何よ、カレシがいるんならいるって言ってくれてもいいじゃない。
 アタシは心の中でそう呟いた。
 そりゃちょっとばかり公開するのに勇気の必要な相手かもしれないけど、アタシは由真が選んだ相手なら、それはそれでいいじゃないかと思っただろう。彼女が人を外見や噂で判断しないことは、アタシ自身で証明されていることなのだから。
 ギャル・ファッションも(ひょっとしたら)カレの趣味に合わせているのかも知れないけど、それだって別にいいじゃないか――とは言わなかったかも知れないけど。
 二人は由真がバッグから取り出した何かを眺めながら話をしていた。アタシは二人に気付かれないように接近して、その会話を聞きたい衝動に駆られた。
 けど、その気持ちはすぐにしぼんだ。
 チラリと見えた由真の横顔に、アタシには見せたことのない深刻さのようなものが漂っていたからだ。
 興味がなかったと言えば嘘になる。でもアタシが由真ならば、こんなところを知人に見られたくはないだろう。アタシは好奇心を押し殺してコッソリその場を去ろうとした。
 けれど、アタシは自分で思っているよりも遥かに動揺していたらしかった。
 飲み終わって地面に置いていたコーヒーの缶を、思いっきり蹴飛ばしてしまったのだ。
 空っぽの缶が地面を転がる乾いた音が深夜の公園に響きわたった。その意外なほど大きな音に、誰よりもアタシ自身が金縛りにあったように動けなくなった。
 驚いて振り向いた由真と目があった。彼女がそこにバカみたいに突っ立っているのがアタシだと理解するのに数秒を要した。
 アタシは目を逸らすことすら出来なかった。はずみで耳から落ちたイヤホンからは、コステロの切ないピアノの旋律がこぼれていた。

 
「……真奈なの!?」
 由真の声からは、とりあえず怒りの兆候は感じられなかった。
 アタシは別に何か悪いことをしたわけでもないのに、死ぬほど慌てていた。
「あー、うん。今さっき、バイトが終わったとこ」
「そう……」
 由真は手に持っていたもの――手のひら大のプラスティックっぽい板のようなもの――をバッグにしまい込んだ。
「いやー、バイクのエンジンがまたかからなくなっちゃってさ。オーナーに送ってもらうんだけど、クルマがここの地下に停まってるんだよね。あ、ウチのオーナーって会ったことあったっけ? ウチの道場の師範代なんだけどさ」
 アタシは裏返りそうになる声を必死でコントロールしようとした。
 由真の隣りでオタク男が当惑の表情を浮かべていた。アタシはペラペラと意味のないことを口走りながら、内心では歯噛みしていた。
 ちくしょう、コイツがアタシの興味をひかなければ、こんなことにはならなかったのに。
 根拠のない(彼にとっては迷惑極まりない)逆恨みだと分かっていても、アタシの怒りの矛先はこの男に向けられた。
「えー、あのー、別に覗こうとしてたとかそういうんじゃないんだけどさぁ。ていうか、アンタがここに来ること知らなかったし、えーと――」
「うん、そうだね。……行こうか」
 アタシの言葉を遮って、由真はオタク男に言った。
 彼女は優雅な動作で彼の太い腕を取り、それに身を寄せるように自分の腕を絡ませた。オタク男はまだ事態が飲み込めていないようだったけれど、美少女に最接近されるという僥倖に思考停止しているようだった。
「じゃあね、真奈」
 由真が言った。アタシは呆然と「……じゃあね」と答えて、深夜の街へ歩き去る二人を見送った。
 

 工藤さんと落ち合っても、とてもラーメンを食べるような心境にはなれなかった。理由を説明する訳にはいかなかったけど、アタシは謝って彼のクルマで自宅まで送ってもらった。
「……何があったか知らないけどさ、俺で良かったら相談に乗るよ」
 こういうときに男が女にかける定番の台詞で、工藤さんはアタシを慰めてくれた。その顔に似合わないわざとらしいほどキザな物言いに、アタシは思わず吹き出しそうになった。
「それだけ笑えれば大丈夫かな?」
「ええ。ありがとうございます」
 アタシは少しだけ元気を取り戻し、お礼を言ってクルマを降りた。


 週末の二日間、由真からは何の連絡もなかった。こっちからの電話を何度かしようとしたのだけれど、何度やっても最後の通話ボタンが押せなかった。
 月曜日、アタシは久々に本格的な登校拒否を起こしそうになったのだけれど、成績表の数字がそれを許してはくれなかった。
 夏期講習は今日と明日、月・火の二日間で終わりだった。我慢して行くしかなかった。
 アタシは由真が学校に来ていないことを祈った。彼女は本来、夏期講習を受ける必要などない。アタシに会いたくなければ来ているはずはないのだ。
 そう思ってアタシは学校に行った。ところが由真はいつもと同じように窓際の自分の席にいた。
 さて、何と話しかけたものだろうか。
 たっぷり五分は悩んで、自分には小芝居を打つような器用なマネは出来ないという結論に達した。
 アタシは何事もなかったように教室に入って、由真の前の席の自分の椅子にカバンを置いた。
「……おはよ」
 アタシは言った。
 由真はじっとアタシの目を見つめた。
 それだけだった。彼女は一言も口をきかずに席を立った。
 由真はこれ以上ないほど鮮やかにアタシを無視した。







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