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砕ける月

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  第 4 章  

「――セイヤァッ!!」
 アタシの裂帛の気合いが道場に響きわたった。
 西鉄大橋駅の裏、大学や専門学校が多い南区の中心地に程近い雑居ビルの二階にアタシが通っている空手道場はある。
 もともとは普通の道場だったのだけれど二年ほど前に亡くなった館長に跡継ぎがなかったので、今では当時の門下生が経営する会社の保養所扱い(よく分からないけど税金対策らしい)になっていて、アタシや工藤さんのように事情があって他の道場や学校の部活をドロップアウトした“訳アリ組”や、昔はバリバリやっていたけれど今後は趣味程度に続けたいと思っている“かつての猛者”が集う同好会のような場所になっている。

 どれくらい同好会かというと、空手道場の定番の挨拶である「押忍」という掛け声を聞かないくらい適当な道場なのだ。工藤さんだって師範代といいながら、やっていることは道場の隅で浜辺に打ち上げられたトドのように横になって、時折、思い出したように組手の相手をする程度なのだから。
 それでもそんな牧歌的な雰囲気が肌に合うのか、会員(という時点で道場ではない。普通は門下生だ)は結構多い。
 アタシとそれほど変わらない若手も多い。
 とは言ってもそこはまともな道場ではないので、アタシも含めてちょっと毛色の違っている連中が揃っている。会員の誰かの知り合いのドラ息子だとか、空手道場を何かと勘違いしている中学生女子だとか、保護司をやっている会員の紹介でやって来た保護観察中の元ヤンキーだとか、そんなところだ。
 アタシは八月に入ってからほぼ毎日、朝っぱらからこの道場で汗を流していた。
 バンディットを修理に出したせいで自転車で通わなくてはならないのがきついけれど、家でゴロゴロして過ごすのはアタシの趣味じゃなかった。
 折しも夏休みで、学生の会員や定職に就いていない連中が出てきているので組手の相手には事欠かなかった。さすがにいたいけな女の子を蹴り倒すわけにもいかないので、いきおいアタシの相手は男子ばかりになる。
 今も梅野という名の元ヤンキーを相手に、本日三本目の組手の最中だった。

 アタシの基本的な戦い方は下段蹴りと前蹴り、中段横蹴りのコンビネーションで距離をとりながら、相手がしびれを切らして飛び込んでくるのを捌いて、中段から上段の大技に持ち込むというものだ。
 攻撃がテコンドー並みに蹴りに偏りすぎているという指摘はよく受けるし自分でも自覚はある。
 ただ近い間合いでの突きの押収は女子同士ならともかく男子を相手にするのは、いくらアタシでも分が悪いと言わざるをえない。アタシは女子では間違いなく大型だけれど、男子に混じればむしろ中軽量級だからだ。
 空手をケンカの手段(百歩譲って護身術でもいいけど)と捉えるのなら、相手の性別や力に関係ない戦い方を持っていなくちゃならない、というのがアタシの持論だった。

 梅野は二本目で受けた中段蹴りを警戒してガードを下げ過ぎ、そこをアタシに狙われて上段蹴りを連続で打たれて、慌ててガードを上げたところに横腹に中段後ろ回し蹴りをくらって撃沈した。
「……あたたたた。真奈さん、強すぎっすよ」
 脇腹を押さえて呻いていた梅野が身体を起こしながら言った。

 梅野は年下のアタシにさん付けの上に敬語を使う。上下関係など皆無に等しく、歳が近ければ師範代にすらタメ口が飛び交うこの道場では異例なことだ。
 年長者に敬語を使われるのは何ともむず痒いものでアタシは何度もやめてくれと頼んだ。しかし彼の中ではアタシは自分より格上ということになっていて頑として聞き入れようとはしない。
 それはアタシと彼の剣呑極まりない出会いが原因だった。

 保護司に連れてこられた最初の日、梅野は三白眼で居並ぶ会員を睨みながら、いきなり「組手をやらせろ」と息巻いた。
 ため息混じりに工藤さんが相手に指名したのはアタシだった。
 腕に覚えのあった梅野はアタシが、というか女が相手をすることに怒り心頭だった。
 ところが実際にやってみると、彼の我流の(他人のことは言えないけど)戦い方は隙だらけで、アタシは彼を完膚なきまでに叩きのめした。正直に言ってアタシはヤンキーが嫌いで、つい力が入ってしまったのだ。
 別に九州男児に限った話じゃないと思うけど、女に敗れた彼のプライドはズタズタのはずだった。もう来ないだろうなと思いながら、アタシは押し黙って道場を去る梅野を見送ったのだけれど、翌日に顔を出すと梅野は何人かいる教え魔のオジサンから三戦立ちを教えてもらっていた。
 そして彼は”榊原真奈の一番弟子”を名乗っている。もちろんアタシは未公認だけど。

「ガードが甘すぎるんですよ。簡単に下げちゃうから、上を狙われるんでしょ」
「冗談。真奈さんのミドルくらって腕が上がんないんすよ」
 梅野は自分の腕をさすりながら反論した。確かに彼の腕は可哀そうなほど真っ赤に腫れ上がっていた。
 中学生の女の子がスポ−ツドリンク(そのままでは甘いのでアタシのは水で薄めてある)のペットボトルを持ってきてくれたので、アタシと梅野はそれを飲みながら道場の外、涼しい廊下に移動した。
 
「真奈さん、男にでもフラれたんですか?」
 梅野が言った。アタシは飲んでいたドリンクを吹き出しそうになるのをギリギリのところで堪えた。
「……はぁ?」
「いや、何か、あったのかな、って思ったんで」
「何かって、何がです?」
「何って……、今日の真奈さん、すっごい荒れてましたから」
 梅野は自分の意見に得心がいったように何度も頷いた。
 意外と鋭いな、この男。
「別に何でもないですよぉだ。自分がコテンパンにやられたからって、アタシのせいにしないでくださいよ」
「いや、まぁ、その……。何でもないなら、いいんすけどね」
 梅野はドリンクを飲み干すと、お先、と言って道場に戻った。
 確かにアタシの気分は最悪だった。そんな気分を消し去るように空手に打ち込んでいるのも間違いじゃなかった。
 由真からはもう一週間、何の音沙汰もなかった。
 彼女から手厳しく無視されたあの日、アタシはそのまま逃げ出すように学校を飛び出していた。
 アタシは心の底から自分が情けなかった。
 偶然あの場所に居合わせただけで、アタシは何も悪いことをしたわけじゃなかった。こんな仕打ちを受ける謂れなどないのだし、もっと毅然としていていいはずだった。
 でもその一方で”由真に嫌われたくない”という思いがアタシをがんじがらめに縛り上げていた。飼い主に捨てられた犬のようなというとあまりにも自分を卑下しているようだけれど、アタシの精神状態はそれと似たり寄ったりだったのだ。
 もちろん由真が悪いんじゃない。アタシが勝手に彼女を拠り所にして自分の弱いところから目を背けていたのだ。
 父の事件のとき、それまで父一人子一人の家庭を心配して何かと面倒を見てくれた近所の同級生の母親から「ウチの子に近づかないで」と言い放たれたあの日、アタシは”自分の力を信じる”と心に誓ったはずだった。
 それは暴力を信じるということではなくて、自分の鍛えた力、自分自身を信じるという意味で。他の誰かに頼るのではなく自分自身で選びとっていくという意味で。
 由真との楽しかった日々を否定するわけじゃない。
 いつもの他愛もない行き違いで、何かのきっかけでまた笑いあえるような気もする。彼女がアタシにとってオアシスだったことは間違いないのだし、彼女にとってのアタシが幾分かはそういう側面を持っていたという自負くらいアタシにだってあった。
 それでもアタシはもう一度、自分の原点を見つめ直したかったのだ。


 道場に戻って梅野と部活ドロップアウト組の中学生と一本ずつ組手をやり、中学生の女の子二人組に稽古をつけてからアタシは道場を出た。
 ちょうどお昼時だった。大橋駅の正面に回ってランチを食べられそうな店を物色した。この辺りには女子大生などを相手にした洒落た店が多いのだけれど、今のアタシには量的に物足りなかった。
 結局、塩原にある一風堂まで歩いてランチセットをオーダーした。
 はしたないと言われようと何と言われようともアタシはラーメンを豪快に啜るのが大好きだ。ラーメンなんてお上品に食べるものじゃない。
 ラーメンと餃子、ご飯のセットにご飯お替りと替え玉までして店をあとにした。
 家に帰ると祖母がバイク屋から修理が終わったという連絡があったと教えてくれた。
 口うるさい祖父とは違って祖母はアタシのやることにあまり口を差し挟まない。言っても無駄だという諦めもあるのだろうけど、アタシを信じてくれている部分もある。
 約半年の不良少女時代にも祖母は決してアタシを叱らなかった。ただ一言、亡くなった母親を悲しませるようなことだけはしないでと言われただけだ――まあ、それが一番堪えたのだけれど。
 アタシは汗まみれの道着と下着、Tシャツを洗濯機に突っ込んでスイッチを入れた。外は炎天下で家に戻るまでにじっとりと汗ばんでいた。アタシはシャワーを浴びた。
 例によって祖母に見咎められないように気をつけながら下着姿で自分の部屋に戻った。

 コンポのスイッチを入れてCDデッキのトレイを確認する。
 祖母が自分のCDを聴くためにこっそり入ってきて、そのまま入れっぱなしにして置いていくことがあるからだ。一度、エアロスミスが入っているはずだと思って再生ボタンを押したら「冬のソナタ」のテーマが流れてきて、持っていたコーヒーカップを危うくひっくり返しそうになったことがあるのだ。
 入っていたのは昨日と同じくジェイク・シマブクロの「ドラゴン」だった。ランダム演奏のスイッチを押した。ハワイ観光局のCMソングに使われている曲が流れ始めた。
 ハワイになど行ったことはないけれど、その気分だけを味わいながらアタシはインスタント・コーヒーを淹れた。
 ふと、自分の机の上に大判の封筒が置いてあるのに気がついた。アタシはカップを持ったまま机に近づいた。
 ケイタイの請求書以外でアタシ宛に郵便物が来るのは珍しい。ダイレクト・メールの類なら速攻でゴミ箱行きなのだけれどサイズは大きいし、そういう感じじゃなかった。
 アタシは見覚えのない丸っこい字で書かれた宛名を眺めた。

 平尾のここの住所と”榊原真奈様”とちゃんと書いてある。封筒は割と厚みがあって、社用のものなのか下のほうに「タカハシ・トレーディング」という社名と東区香椎の住所が印刷してあった。
 トレーディングというからには貿易関係だろうけど、アタシには聞き覚えのない会社だった。
 不審に思って裏返してみた。アタシは思わず眉根を寄せた。
 差出人の名前は「徳永由真」になっていた。

 しかし封筒の筆跡は由真のものじゃなかった。
 子供の頃から習い事の鬼(自称)だった由真は書道も四段だか五段だかの腕前で、アタシがじっくり丁寧に書いても彼女の走り書きに及ばないほどキレイな字を書く。
 ただしそれら習い事がすべて身についたわけじゃないようだ。同じ時期に習った絵画のほうはまったくモノにならなかったらしく、由真は深夜のテレビ番組で“画伯”の名を欲しいままにする某アイドル・グループのメンバー並みに絵心が無い。アタシは一度、彼女が描いたドラえもん(だと由真は主張した)を見て地獄のような笑いの渦に叩き込まれたことがある。
 封筒には厚くて硬い板のようなものが入っていて、開けてみると緩衝材代わりのボール紙に挟んだプラスティックの薄いカートリッジが入っていた。
「……なんじゃ、コレ」
 アタシは思わず呟いた。
 それは大きなMDといった感じの代物で、実際、サイズの違いを除けば見た目の印象も中のディスクの光沢も良く似ていた。
 ケースはCDよりもちょっと厚手で中身のディスクはほぼ同じ大きさだった。開いて中身を取り出せるようには出来ていない。スライドするカバーの部分に“640MB MO”というロゴっぽい文字と“OLYMPUS”というカメラでしか聞いたことのないメーカー名が入っている。シール式のラベルは貼ってあったけどそこには何も書かれていなかった。
 理数系全般に疎いアタシでも、これがコンピュータ関連のモノであることくらいは分かった。
 問題は分かったからと言って何も出来ないことだった。
 アタシの机には立派なデスクトップのコンピュータが鎮座しているのだけれど、最後に電源を入れたのがいつか思い出せないほど邪魔な置物と化している。ついでに言うとアタシのデスクトップにはこれをそのまま突っ込めそうなスリットは見当たらなかった。
 封筒には手紙の類は同封されていなかった。
 これを一体どうしろというのだろう。
 手っ取り早いのは由真に訊くことだった。名前を騙られているのだから知らせてあげる必要もあるだろうし、少なくともアタシよりはコンピュータに詳しい彼女ならこれが何なのか分かるだろう。
 アタシはケイタイを取り出してメモリから由真の番号を呼び出した。通話ボタンを押して呼び出し音が鳴るのを聴いた。
 心臓が急に鼓動を早めるのを感じた。
 最初のコールが終わる前にぎゅっと目を瞑り、通話終了のボタンを押した。
 アタシは大きくため息をついた。そんなに気軽に電話が出来ればこんな思いはしていないのだ。
 手に取ったディスクをぼんやり眺めながら、知り合いにコンピュータに詳しい人物がいないか思い浮かべようとした。
 無駄だった。”類は友を呼ぶ”という言葉の正しさを立証しただけでそれらしき人物は浮かんでこなかった。
 ふと、由真とオタク男と出くわしたあの夜のことが頭に浮かんできた。
 何でそんな思い出したくもないものが浮かんできたのか分からないけれど、何かが引っかかっているような気がして、アタシは部屋の中を動物園のクマのようにウロウロしながら記憶を探った。
 二、三曲が流れて、弁護士モノのドラマで使われたウクレレの早弾きの曲になったころ、それが何なのかに思い当たった。
 由真がアタシに気付いてバッグにしまったのはこんな感じのモノじゃなかったか?
 確信はなかった。コレと由真の手にあったものが同じかどうかは疑わしいし、仮にそうであったとすればアタシから隠そうとしたものを送りつけるのはあまりにも不自然だ。しかも由真の名を騙って。
 いずれにしても考える材料はあまりにも不足していた。アタシは座して考えていても仕方ないという結論に達した。
 とりあえず何をするにもアシの確保が必要だ。
 アタシは急いで出かける準備をして、バイクショップに「今からバイクを引き取りに行く」という連絡を入れた。折り畳んだ封筒とディスクを愛用のヒップバッグに押し込んで部屋を飛び出した。








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