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砕ける月

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  第 5 章  

 行きつけのバイクショップ、大橋モーター・ファクトリーはその名の通り南区大橋に、早い話が道場のすぐ近くにある。
 アタシは家から平尾駅まで歩いて、西鉄電車で大橋へと舞い戻った。
 ショールームに入ると、オレンジとイエローのレプソル・カラーに仕上げられたホンダRC211Vのレプリカが目を引く。その周りには同じくホンダのバイクが所狭しとディスプレイされている。
 ここは系列としてはホンダのショップなのだけれど、中古車販売や修理などはメーカーを問わないという、個人経営にはよくあるタイプの店だった。
 キレる直前の長州力を思わせる(似ているのだ、これが)口うるさい店主は不在だった。
 アタシは思わずホッと胸を撫で下ろした。
 何しろそのオッサンがいるとやれ手入れに愛情がこもっていないだとか、乗り手のテクニックがないからバイクが壊れるだとか、とにかく延々と説教を聞かされることになるからだ。一度などは修理に持ち込んだのに店先で一から十まで整備をやらされたこともある。
 それでも解体屋とかパーツ屋にツテの多いここの店主は、年々パーツの確保が難しくなる旧車乗りのアタシにとっては命綱なのだ。
 店主の息子とは思えないのんびりした面持ちの整備士のお兄さんが、店の奥からアタシのバンディットを押して出てきた。
 トラブルの原因と整備の内容の説明を受けて工賃と部品代を支払った。「そろそろ買い替えの時期じゃないですか」といういつもの営業トークはいつものように聞き流した。
 店を出てエンジンをスタートさせようとしたところで、背後から声をかけられた。
「あれ、真奈さんじゃないですか」
 振り返るとシャツの胸元を大きくはだけたパンク・ロッカーのような格好の男が立っていた。縁のないスクエアのサングラスで顔の半分が隠れている。痛々しそうなボディ・ピアスなどは見当たらなかったけど、その分を補うように手首や腰周りにシルバーのチェーンやアクセサリをジャラジャラとうならせていた。
「……梅野さん?」
 アタシは面食らっていた。道場にはいつも地味なジャージ姿で現れるので、一瞬、誰だか分からなかったのだ。
「何だ、真奈さんってウチのお客さんだったんすか」
「ウチ?」
 アタシは訊き返した。
「ええ。知ってました? ココ、俺んちなんすよ」
「そうなんですか?」
「なーんだ。言ってくれれば俺が真奈さんのバイク、整備したのに。――バンディットっすか、いい趣味っすね」
 梅野は能天気にまくし立てた。
 悪い人では決してないのだけど、率直に言って道場の外でまでお友だちづきあいしたくなるタイプではない。由真の言葉を借りるなら”アタシだって遊び相手のルックスにはそれなりにうるさい”のだ。
「どっか、行くんすか? 試し乗りなら付き合いますよ」
 梅野は傍らのカワサキ・エリミネーター四〇〇のシートに置いた、黒地に白い星をあしらったハーフのヘルメットをポンポンと叩いた。さっきのお兄さんが梅野に「コウジ、出かけるんなら二階の鍵、かけとけよ」と言った。
 アタシは首を振った。
「いえ、行くとこあるんで。ツーリングはまた今度」
「そうっすか。じゃ、また今度」
 梅野はエリミネーターに跨ってキック・スターターを蹴り込んだ。轟音のようなエグゾーストとともに黒い排気ガスがマフラーから噴き出した。梅野はヘルメットを被って、サングラスの代わりにゴーグルを引き降ろした。
「あ、そうそう。真奈さん、今度、ウチの道場のホームページ作るって知ってます?」
「エッ?」
 轟音でハッキリ聞き取れず、アタシは大声で訊き返した。
「道場のホームページ。俺が作るんすよ。こう見えても俺、コンピュータとか得意なんすよ。見えないでしょ?」
 本当に見えない。まあ、誰しも得意なことはあるということだろう。
「へぇ、ホントですね。頑張ってくださいね」
 アタシはそう言ってバンディットに跨ろうとした。そして、思い直して梅野を振り返った。アタシの知りたいことの役に立つかどうか分からないけど、他に当てがあるわけでもなかった。
「ちょっと、付き合ってもらえません?」


「これ、MOディスクっすよ」
 梅野が言った。
 アタシと梅野は高宮通りのジョイフルで、カプチーノという名前の焦げくさいコーヒーを啜りながら料理を待っていた。お替り自由なのだから文句を言ってはいけないのかも知れないけど、アタシはいつもコレのどの辺りがカプチーノなのかと責任者を問い詰めたくなる。
「エム・オー・ディスク?」
「マグネット・オプティカル・ディスク。理屈の上ではMDとかと一緒のものっす。あんまり一般には出回ってはいないんすけどね」
 アタシはカプチーノを飲み干して、二杯目は普通のアメリカンにすることに決めた。
「ウチのパソコンじゃ読めないみたいでしたけど」
「俺のでもムリっす。専用のドライブがないと。大体、MO使ってるのはだいたい企業っすから。一般人で持ってる人のほうが珍しいっすよ。記録容量が大きいんで便利なんすけどね」
 何でそんなモノを“自称・徳永由真”は持っているのだろう。
 梅野はMOをテーブルを滑らせてアタシに返した。
「コレ、何が入ってるんすか? ――あ、言えないんなら別にいいっすけど」
 アタシはため息をついた。
「それがアタシにも判んないんです。ちょっと預かったものなんですけどね」
「見てもいいんすか?」
 迷うところではあるけれど見るなと書いてあるわけでもないし、アタシに送ってきたということは見られることは折り込み済みのはずだ。
 アタシは頷いて、そのドライブが何処からか借りられないか梅野に訊いた。梅野は心当たりを当たってみるといってケイタイでメールを打ち始めた。
 アタシはトイレに行く振りをして席を立った。
 店内の時計を見ると午後三時少し前だった。
 ヒップバッグからディスクの入っていた封筒を取り出した。会社名をもう一度確かめた。消印は福岡東郵便局、消印の日付は二日前の八月六日。封筒に一度使われたものの再利用らしき跡はない。
 レジの向かいにある公衆電話の受話器を持ち上げて、印刷してある番号に電話をかけた。呼び出し音の後、相手が出ると同時に通話開始を知らせるブザーが鳴った。
 電話に出たのはちょっと気忙しそうな感じの女性だった。
『――はい、タカハシ・トレーディングでございます』
「あ、スイマセン。間違いました」
 アタシは返事を待たずに受話器を置いた。休みではないということだ。
 タカハシ・トレーディングの大まかな所在地は地図で確認してあった。香椎の三号線沿いの雑居ビルが立ち並んでいる辺りだ。
 席に戻ると梅野がニンマリ笑いながらオーケーサインを出していた。
「知り合いんとこに使ってないドライブがあるんで、借りる手筈がつきましたよ。今夜、取りに行きますから、ドライバのインストールとかして、明日には使えるようになってます」
「じゃあ、道場の帰りに寄りますね。ホント、ありがとうございます」
「イヤ、そんな、気にしないでくださいよ」
 梅野は照れくさそうに笑った。
 それからしばらく梅野のコンピュータに関する御前講義が続いたのだけれど、アタシの理解できる範囲は超えていたので適当に相槌を打ちながら聞き流した。
 途中でウェイトレスのお姉さんが二人分の料理を運んできてくれた。それを機にアタシと梅野は話をやめて、料理を片付けることに集中することにした。
 食べるかしゃべるかどっちかにしろ、という父親の教えで、由真のようなおしゃべりが相手のときを除けばアタシは食事中はほとんどしゃべらない。そういう女と同席するのが珍しいのか、梅野はしばらく自分が話をするべきなのか迷っていたようだったけど、やがて自分も食べることに集中し始めた。

 食後のコーヒーを飲みながら、梅野のヤンキー時代のことやコンピュータに詳しい理由などについて少し話した。
 それまでも断片的には聞いたことはあったのだけれど、考えてみれば梅野とこうやって話すのは初めてといっていいくらいだった。
 もともとインドア派のいじめられっ子だった梅野は、ふとしたキッカケで逆にいじめっ子を殴り倒してしまった。特に格闘技をやったことはなかったというのだから、ひょっとしたら才能があったのかも知れない。
 最初はそれでいじめから開放されるかと思ったのだけれど――実際、いじめられなくはなりましたけどね、と梅野は笑った――今度は事あるごとにケンカをふっかけられるようになり、やがて梅野は暴力を振るう快感と自分を見る周囲の恐怖の眼差しの虜になって不良への一途を辿ることとなる。
 箱崎埠頭辺りをテリトリにする暴走族の特攻隊長を務め、盛り場では知らない者のないファイターだったこともあるらしい。
 このあたりは夜の街を遊び歩いていたとは言ってもアタシとはスケールの違う話で、アタシはその逸話を感嘆混じりに聞いていた。
 その後、ケンカや暴走行為に明け暮れる日々を経て、暴走族同士の小競り合いの際に相手に重傷を負わせたことを機に梅野は少年院に送られることになる。
 退院したのはおよそ一年前のことだ。一応、退院後も保護観察がついているので暴れられずにウズウズしたいたところを、野間のほうの小さなお寺の住職をしている保護司に「暴れたいんならいいところを紹介してやる」と言って連れて来られたのがウチの道場だったというわけだ。
 伝え聞くところによれば院内では独房の常連だったという梅野も、現在は真面目に職業訓練校に通いながら就職活動をしている。
 コンピュータもその学校で「これからはコレだ」と思って懸命に勉強して、今ではクラスメイトが教官より先に梅野に訊きにくるほどになっているのだとちょっと自慢げに梅野は言った。
 就職はやはりこのご時勢でなかなか決まらないようだった。保護司のオジサンも言っていたけれど保護観察の少年というのは仕事になじめずに定着できないというイメージが強くて、話は聞いてくれても土壇場で破談になることが多いのだそうだ。
「やり直したいと言っても、なかなか信じてはもらえないっすね」
 梅野は寂しそうに言った。

 湿っぽい話になってアタシも梅野も何となく気詰まりになった。何か話題を探していた梅野は思い出したように手を叩いた。
「そういえば真奈さん、夏季合宿、行くんすか?」
「あー、一応、師範代からは来いって言われてますけど」
 夏季合宿というのは毎年お盆のころに能古島で行われている道場主宰の強化合宿のことだ。
 アタシが道場に通い始めたのは去年の秋なので今年が初参加なのだけれど、姪浜の海岸で行われた今年の新年の寒稽古の体たらく(アタシを除いて誰も海に入らなかった)から察するに、合宿と銘打ってはいるけれど要するにサマー・キャンプと思ってよさそうだった。
 アタシが来るように言われているのは、十中八九、炊き出し要員としてだろう。
 ちなみにこれまでは工藤さんがやっていたのだけれど、そうすると自分は呑むことが出来ない。アタシがいれば料理は任せて自分は遊び呆けられるという目論見が成り立つ。
 まあ、別に構わないのだけれど。
「梅野さんは行かないんですか?」
「うーん、行かないつもりだったんすけどね。でも、真奈さんが行くんだったら俺も行こうかな。一緒にボディボードやりません?」
「……空手の合宿でしょ?」
「そんなカタイこと言わないでくださいよ。あ、水着忘れちゃダメっすよ。出来たらビキニ。パレオは禁止ってことで」
「だーかーらー」
「あ、ひょっとして水着もってないんですか? なんだったら、サイズ教えてくれたら俺が買っときますよ」
 冗談じゃない。誰が教えるものか。
「ケッコウですよ。自分で準備しますから」
 アタシは顔が赤くなるのを感じた。梅野は目を細めてこみ上げる笑いをこらえるように肩を震わせていた。日頃はどこか険の抜けない表情だけれど、こんな顔で笑えるんだなと思った。
 三時半になったのでアタシと梅野は席を立った。
 ここはアタシの奢りということで二人分の料金を払って店を出た。駐車場での別れ際、梅野が“就職が決まったらアタシにメシを奢る”という約束を申し出た。それもファミレスじゃなくてアタシの大好きな焼肉をだ。
 楽しみにしてますよとアタシは答えた。特に男性として意識しているわけでもないし、率直に言ってアタシはパンク・ロックは好きじゃないのだけれど、そんな些細な約束でも時に人の力になることはある


 梅野と別れてから、アタシはバンディットの試走を兼ねて市内を流してみることにした。
 高宮通りを北上して平尾に出て、アタシは家に立ち寄った。幸いメルセデスもアウディも不在だった。
 MOディスクを自分の部屋で唯一、鍵のかかる机の一番下の抽斗に放り込んだ。母屋のキッチンで作り置きしてあるアイスコーヒーを続けて二杯飲み干して、走りに行ってからバイトへは直接行く、と置き手紙を書いた。祖母はアタシが何処を遊び歩こうと基本的には何も言わないけれど、どういうわけかバイトにだけは断ってから行かないと機嫌が悪い。
 家を出て、城南線をエンジンをいたわるようにゆっくりと流した。
 今回はエンジンを降ろして徹底的に整備してもらったので、気になっていた高回転域まで息つく感じもなくスムーズに回っていた。パワーも心持ち戻ってきている感じだ。
 アタシは機嫌が良くなった。肝心のご老体の機嫌がいつまでもつかは分からないのだけれど。
 薬院大通から六本松の九大教養学部前へ、そこから北上して大濠公園の裏を道なりに走り、樋井川を渡ると西新のど真ん中に出る。このあたりをあまりウロウロしていると誰に見られるか分からないので素早く突っ切った。校則ではバイク通学はおろか、免許を取ることすら禁止されている。
 修猷館高校や西南学院大の前を通り過ぎると、前方に空に突き刺さったミシン針のような形をした福岡タワーの突端が見えてきた。よかトピア通りという変わった名前の大通りに出ると、西新一帯に広がる昔からの入り組んだ街並みが一転して人工的に整備された新興住宅地に変わる。
 この辺りが由真が住んでいるマンションのある百道浜だ。
 百道周辺は八十九年(アタシは生まれたばかりだ)のアジア太平洋博覧会の頃に造成された街で、広々とした道路沿いに高層マンションが立ち並んでいる。昔から住んでいる人が多いアタシの家の周りとはいろんな意味で対照的な街だ。
 福岡タワーとその前に二つ仲良く(?)並んで建っているテレビ局周辺はちょっと若者が多くて騒がしいけれど、全体には上品な雰囲気の漂う福岡でも成功した人たちが住む街だと言っていいだろう。

 由真の家は福岡市総合図書館の隣のブロックに建っているマンションの最上階だ。何度かバイクで送ったことがあるのでエントランスの前までは行ったことがある。
 でも部屋にまでは上がったことがなかった。
 付き合いを始めた最初の頃、由真はアタシを自分の家に呼びたがった。見せたいDVDだとか、自分には大きすぎるけどアタシにならサイズの合いそうな服だとか、色んなものでアタシを誘ってくれた。後で分かったことだけれどアタシがあまりにも一匹狼のような雰囲気を漂わせているのを見かねて、最初はアタシを家に呼んで、そのうち他の友達と会わせていくつもりだったらしい。
 アタシは由真に「悪いけど行きたくない」と断った。
 子供の頃から一人で留守番する生活に慣れていたせいか、アタシはよその家に行ったり、逆に人を自分に家に呼んだりするのが苦手だった。幸せな家庭を妬むほど性根の曲がったガキではなかったと思うけど、あまり違わなかったかも知れない。
 理由をうまく説明するのは一苦労だった。結局はアタシの勝手な言い分でしかないからだ。
 怒り出すかと思ったけれど、事情を察してくれた由真はそれからはムリにアタシを誘ったりせずに近所のカフェや公園、ときには人目も気にせずにマンションの駐輪場で何時間でも駄弁るのに付き合ってくれた。
 自分の友人とアタシを引き合わせるという彼女の計画はその後も続いた。アタシもそれには素直に従うことにした。
 由真の試みは半分は成功した。彼女のおかげでクラスの何人かとは話をする程度の仲にはなれた。少なくともアタシは以前のようなクラスで浮いた存在ではなくなった。
 そして彼女の試みは半分は失敗した。アタシが周囲に対してそれ以上心を開けなかったからだ。

 
 アタシは由真のマンションの前に差し掛かった。アクセルを緩めるとバンディットはエンジンブレーキの唸りを上げながらスローダウンした。ギアを落として路肩をゆっくり進んだ。
 アタシは何をやっているのだろう?
 自分から訪ねていけば済むことなのに。
 同年代の男子ですら倒せるほどに強くなっても、自分から周囲に心を開くことすら出来ない。相手の懐に飛び込んでいくことすら出来ない。孤高を気取っていても、本当は他人に嫌われることが怖くてたまらないのだ。

 自分の意気地のなさが、つくづくイヤになった。
 アクセルを開けて通り過ぎてしまえばよかったのだろうけど、アタシの右手は思いに反して、辛うじてエンストしない程度にアクセル開度を保っていた。
 見えもしない由真の家の窓を探しながらノロノロとバンディットを進めていると、ミニバイクのオバサンがクラクションをけたたましく鳴らして、アタシを追い越していった。







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