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Left Alone

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  第 6 章  

 予想以上に大変だった前期試験も終わり、大学は夏休みに入っていた。目的を失ったにもかかわらず、由真の予言どおりにモデルの仕事は続けている。ただ、露出の多い仕事を頑なに断り続けたアタシは仕事も多くなくて、大学で入っている空手同好会の練習も午前中にあるので午後は暇なのだ。
 由真も夕方からしか用事がないらしく、二人で家でごろごろしていた。風通しのいい数寄屋造りの母屋の和室は冷房嫌いの由真のお気に入りの場所だ。
「ちょっと、真奈、起きてっっ!!」
 由真の叫び声で、そんな昼下がりの転寝から引き戻された。
「んあ? どうしたのよ、そんなに大声出して」
「うわ」
「……なによ?」
「ほっぺたに畳の跡がついてる。もう、真奈ってば、女の子なんだから気をつけようよ」
 そんなことを言われても。
「で、何なのよ、いったい」

「そうそう。これってさ、真奈にファンレターくれた人じゃない?」
「へっ!?」
 由真は卓袱台に広げたノートパソコンの画面を指した。
 それは西日本新聞のホームページの社会記事だった。先頭には太字で<西区姪浜でひき逃げ 中洲のホステス死亡>とある。
 
 三十一日午前一時二〇分ごろ、福岡市西区姪浜駅前の路上で、近くに住む接客業白石葉子さん(二一)が頭から血を流して倒れているのを通行人が見つけ一一〇番通報した。白石さんは病院に運ばれたが頭を強く打つなどして約一時間後に死亡した。
 福岡西署の調べによると、倒れていた白石さんの近くでハンドルが壊れた自転車と、壊れた車の部品が落ちているのが見つかった。近所の人が衝撃音を聞いており、同署交通課はひき逃げ事件とみて捜査している。
 白石さんは自宅から姪浜駅までを自転車で通勤しており、帰宅の途中だったと見られる。


「これ、いつの記事?」
「えっと……二〇〇七年八月二日十二時一〇分更新。昨日だね」
 白石葉子という名前はそれほど珍しいものではない。同姓同名の人間はいくらでもいるはずだ。しかし、アタシとそれほど年齢が違わず水商売をしている福岡在住の女性となれば、大名のプロダクションを訪ねてきてくれた女性と考えて間違さそうだ。
「ひき逃げかぁ。……捕まんないんだよねぇ、なかなか」
 由真が言った。アタシは思わず彼女のほうを向き直った。
「どうして?」
「いろいろ理由はあるらしいんだけどね。ちょっと待って」
 由真はGoogleの検索窓に<ひき逃げ 検挙率>と入力した。表示されたサイトの中から一つを選ぶと<年次別 ひき逃げ・無申告事件 発生・検挙状況>という表が出てきた。
 書かれているのは驚くべき数字だった。表の先頭の一九八二年には九十パーセントあった検挙率が二〇〇二年には三十八パーセントまで低下しているのだ。五件に三件はまんまと逃げられていることになる。
「何、これ?」
「一概に警察が無能だっていうわけにもいかないんだけどね。分母、つまり発生件数が増えてるっていうのもあるし。まあ、危険運転致死傷罪に比べてひき逃げの刑が軽いっていうのが、逃げるドライバーを増やしてるって言う人もいるね」
「さすが法学部。よくそんなこと知ってるね」
「大学で習ったんじゃないよ。もともと興味があったから」
 由真は素っ気なく言った。このごろ、彼女はこういった社会悪に対して怒りを表明することが多くなった。弁護士になりたいというのは本当らしい。
「犯人、捕まるかな?」
「警察に期待するしかないよね。でも撥ねたほうの部品が落ちてたんだったら、そんなに難しくはないんじゃないかな」
「だといいけど……」
 やりきれない思いにため息が洩れる。
 結局、彼女が何者なのかは分からず終いだった。ブライダルのショーを見に来ていたということは結婚を控えていたのだろうか。それともたまたま覗いてみただけだったのだろうか。
 いずれにせよ、プログラムに名前が出ていたわけでもない代役のアタシを、佐伯姓を名乗っていた三年前と結びつけたということは、それなりにアタシを知っているということだ。なのに、アタシは彼女の名前に心当たりもない。

 そして、知り合って話をする機会は永久に失われてしまった。
「――ねえ、由真。この白石って人の住所、分かんないかな?」


 白石葉子の実家は、前原市との境に程近い西区周船寺の唐津街道沿いにあった。
 住所を割り出すのは予想以上に大変だった。固定電話を持っていないか、あるいは電話番号を非公開にしているらしくて、ハローページに彼女の名前はなかった。警察や新聞社に問い合わせたところで門前払いを喰らうのは目に見えている。家族と同居の可能性に賭けて姪浜近辺の白石姓を探してもらってもヒットはなかった。
 アタシが途方に暮れていると、由真は西区や早良区にある葬儀社に片っ端から電話し始めた。そのうちの一つがビンゴで、白石葉子の葬儀の日程を教えてくれた。ただ、事故が三十一日の深夜だったために通夜は一日の夜、葬儀は二日――つまり昨日に近くの葬祭場で執り行われてしまっていた。
 横で聞いていて「これで糸は切れた」と半ば諦めた。ところが由真が「せめてご焼香だけでも」と食い下がって、白石葉子の周船寺の実家を聞き出してくれたのだ。
 少し離れたユニクロの駐車場にロードスターを停めて、由真がプリントアウトしてくれた地図を頼りに白石家まで歩いた。
 アタシは手持ちの服の中から地味なダークブルーのワンピースを選んでいた。薄手の生地とはいっても、八月の強烈な陽射しの下で暗い色の服を着るのはちょっとした拷問だが、まさかタンクトップとジーンズというわけにもいかない。
 目当ての家はブロック塀と整えられた庭木に囲まれた二階建ての一軒家だった。喪中であることを示す貼り紙が玄関のドアに張られている。幹線道路沿いで決して静かなところではないけれど、遠くからジージーと蝉の声が聞こえる。
 胸くらいまでの高さの門扉の前に立って呼び鈴を鳴らそうとしたとき、庭先にランニングシャツとバミューダという格好の六十歳くらいの老人が現れた。
 老人は全身の力が抜け去ったように項垂れて、手に持ったプラスチックのお椀を走り寄ってきたジャーマン・シェパードの前に置いた。シェパードは主の落胆に気付く様子もなく、お椀に鼻先を突っ込んで中身を平らげにかかっていた。
「……あのー、すいません」
 老人はハッとした様子で顔を上げた。
「白石葉子さんのお宅ですよね?」
「――あんたは?」
 傷つけられたような上目遣いで老人はアタシを見ていた。浅黒いシワの多い顔立ちのせいで短く刈った白髪が余計に白く見える。
「榊原っていいます。葉子さんの知り合い――っていうとちょっと違うんですけど、事情があって葉子さんの事故のことを知ったんです。それで、ご焼香だけでもと思って」
 アタシが言っていることの意味が通らず老人は怪訝そうな顔をしていた。しかし、彼は足元で一心不乱にエサを食べている愛犬に一瞥をくれると、アタシのほうへやってきて門扉を開けてくれた。


 仏壇に飾られた遺影を見ても、白石葉子という女性のことは思い出せなかった。
 プロダクションの社長の「ホステス風の派手な化粧をした肌荒れした若い女性」という形容のうち、遺影の中の彼女と合致するのは若い女性という部分だけだった。化粧っ気のない面長な顔立ちの中でパッチリとした大きな目が優しく笑いかけている。いかにも姉御肌な感じが伝わってきた。眉をハッキリ書きすぎているせいで野暮ったい感じになっているけれど、全体的には美人の範疇に入れてよさそうだった。肌が不自然なほど綺麗なのは遺影にする段階で修正がかかっているのかもしれない。
 母親は突然の娘の不幸ですっかり参っているとのことで、父親(さっきの老人)が危なっかしい手つきで麦茶を注いだグラスを運んできてくれた。
「どうも、この暑いのにこんなあばら家まで来てくださるとは。葉子もいいお友だちを持ったものだ」
 葉子の父親は大儀そうな声を出して、アタシの向かいに腰を下ろした。
 何といって切り出そうかと迷った。しかし、嘘をついても始まらない。
「実はアタシ、葉子さんとは面識がないんです。いえ、ひょっとしたらお会いしたことがあるのかもしれないんですけど、アタシのほうはそれを覚えてなくて。――その、申し訳ないんですけど」
「ほう……。どういうことですかな?」
 父親の目に翳がよぎった。
「こんな手紙を頂いたんです。アタシ、モデルの仕事をしてるんですけど、そこのオフィスにわざわざ届けてくださったみたいで」
 彼女からもらった手紙をテーブルに置いた。父親は怪訝そうな眼差しでそれを見ていた。しかし、すぐに目許を弛ませた。
「確かにこの字は葉子のもののようです。失礼、中を拝見してもいいですかな?」
「どうぞ」
 父親は中の便箋を開いた。短い文章を慈しむように何度も読み返して、彼はそれをアタシのほうへ押し返した。
「一つ伺いたいんだが、あなたはさっき榊原さんと名乗られなかったかな?」
「ええ。佐伯は父の姓です。事務所に同じ榊原姓の人がいるんで、混乱するといけないのでそっちを芸名にしているんです」
「なるほど、そういうことですか。それでわざわざ。……で、思い出せましたかな?」
 父親の視線には期待の色が浮かんでいた。しかし、思い出せないアタシは首を振らざるを得ない。
「すいません、残念ながら。――失礼ですけど、彼女はずっと周船寺で育たれたんですか?」
「ええ。この家はあの子が生まれる三年前に建てたものです。だから葉子はずっと……高校を卒業して姪浜のアパートで一人暮らしを始めるまでは、ずっとこの家にいましたよ」
 だとすると、アタシとの接点はまず考えられなかった。アタシも父親の都合で何回か引越しをしているけど、早良区から西には住んだことがない。もし彼女が空手をやっていれば何処かの大会で顔を合わせたかもしれない。しかし、それも学年が三つ違えばまず試合で当たることはなかった。

 それからしばらく、むしろ父親のほうがアタシと彼女の接点を探そうと質問をぶつけてきた。しかし、アタシの生活圏にも趣味の範囲内にも、白石葉子と重なりそうな要素は見当たらなかった。
「葉子さんにはご兄弟は? ひょっとしたらその人が私をご存知だったのかもしれませんよね?」
「はあ……。ですが、そっちはさらに望み薄でしょうな。葉子は末っ子で歳の離れた兄が二人いるだけですから。……しかし、おかしなもんですな」
 父親の口許には笑みが浮かんでいた

「……何がですか?」
「いやね、こうやってあなたと話していると、そのうちに玄関からあの子が入ってきて、私を叱り飛ばしそうな気がしてならんのですよ。お父さん、ナニ、あたしの友だちとしゃべってるのよってね」
 父親が浮かべているのが悲痛な表情であれば、アタシも同情するだけでそれほど気に病まなくて済んだかもしれない。しかし、父親の穏やかな、それでいて寂しそうな笑顔はそれ以上にアタシの胸の奥を締め付けた。
「早くひき逃げ犯が捕まるといいですね」
 玄関まで見送りにきた父親にアタシは言った。父親は小さな声で「ありがとう」と答えた。
 しゃがみ込んでパンプスのストラップを留めていると、廊下の向こうに人影が現れた。小柄でふくやかな体つきだが顔立ちが葉子に似ていた。ふらつく足元を支えるように壁に手を添えている。
「どうしたんだ、お前?」
 父親は驚いたように彼女に近寄った。彼女はそれを手で制するとアタシのほうに歩み寄った。
「佐伯さんとおっしゃったわね?」
「……そうですけど?」
「ひょっとして、あなた、県警の佐伯刑事のお嬢さんじゃないの?」
 その場にピンと張り詰めた何かが漂った。
「確かにアタシの父親は元福岡県警薬物対策課の刑事でした。ですが、それが何か?」
「これを見てちょうだい。あの子のアパートにあったものなの。ほとんど本なんて読まないし、ましてや新聞なんてテレビ欄しか見ない葉子がこんなものを作っていたの」
 彼女はA4版のクリアファイルを差し出した。アタシはそれを受け取って恐る恐る表紙を開いた。
 そこには二〇〇四年五月三日の新聞の切抜きが差し込まれていた。アタシの父親、佐伯真司が渡利純也というドラッグ密売グループのリーダー格の少年を殴り殺した記事だった。
「あの子のアパートの部屋に入ったら、机の上に置いてあったの。三年も前の事件に何の興味があったのか分からないけど」
「そうですよね。……あの、うちの父と面識なんてありませんよね?」

 二人は顔を見合わせて、父親のほうが代表して首を振った。
 白石葉子とアタシの父の間には面識があったのだろうか。ないとは言えない。しかしそれを、娘を亡くしたばかりの両親に訊くわけにはいかなかった。警察の、しかも薬物対策課の刑事と面識があるということは、彼女の素行にかなり問題があったことを意味するからだ。

 再びクリアファイルに視線を落とした。切り抜き方が雑で端がいびつなものが多く、几帳面な性格の持ち主の仕事ではない。貼り付ける順番を示す数字が小さく記してあるのもあった。字はもらった手紙の差出人のものに似ているような気がした。
 記事は主に週刊誌の切り抜きで、どれもセンセーショナルに煽り立てる見出しとそれに違わぬセンセーショナルな内容だった。
 
<前代未聞、警察官が被疑者を撲殺>

 
<見込み捜査か? 容疑者の少年、ドラッグを所持しておらず。功を焦った警部補の暴走>

<佐伯容疑者、事実関係を大筋で認める。「少年に抵抗され、カッとなって手を上げた」>
 
 最初のほうは事の経緯や事実関係を明らかにしようとする内容だった。それが父が容疑を認めてからは佐伯真司の人物像を詳らかにしようとするものへシフトしていっていた。

 内容的には概ね(好意的とは言いがたいにしろ)本当のことだったけど、中には軽率の誹りを免れない事実誤認や意図的な誹謗中傷もあって、祖父が訴訟を起こすことを考えるほど憤慨していたのを思い出した。少年がドラッグ密売の濃い容疑をかけられていた人物であるという事実を伝えている記事もあるにはあった。しかし、週刊誌によってはそれすら<警察が批判を逸らそうとして行ったリーク>だと根拠もなく断罪していた。
 それらに比べると、起訴後の記事は内容的にもヴォリューム的にも大きくトーンダウンしていた。記事も新聞を切り抜いた小さなものになっていた。
 アタシも実際に目の当たりにして知ったのだけれど、裁判というのはドラマと違って延々と続く決まりきったやり取りの応酬だ。事実関係をめぐって検察と弁護士が火花を散らすような裁判ならともかく、被告が容疑を認めて争わない裁判では記事にすることも少ない。父の場合も新聞に載ったのは初公判と論告求刑公判、そして判決公判の三回だけだ。最後の記事は父に懲役五年の実刑判決が下ったというものだった。

 内心でため息をつきながらその最後の記事のページをめくると、クリアファイルの最後のポケットに写真が一枚入っているのが見えた。
 思わず声を出しそうになった。写っているのがアタシだったからだ。

 中学一年の夏休み、父の警部補昇進のお祝いを兼ねて連れて行ってもらった沖縄旅行のときのスナップだった。バックの守礼門の「守禮之邦」の扁額が入るようにあおり気味のアングルで撮られていて、そのせいでアタシはやけに居丈高に見える。
 正直に言って、あまりしげしげと見たくなるような写真ではなかった。容姿に自信がないのは昔からだけれど、この頃が一番ひどかったからだ。まるで男子のように真っ黒に日焼けした顔と短くてボサボサの髪。父に「……新弟子検査でも受けるつもりか?」とからかわれるほどパンパンに張った頬。タンクトップから剥き出しになった肉付きのいい腕。その大柄な容姿と喧嘩っ早さから、同級生の男子たちの間で当時テレビを席巻していたK−1ファイターをもじってつけられた”マナ・サップ”という仇名はアタシの人生の汚点の一つだ。
 何処が気に入ったのか、父はこの写真をパスケースに入れてずっと持ち歩いていた。「恥ずかしいから、せめてもうちょっとマシなのに替えてくれ」と何度も言ったのだが。
 それはまあ、いい。問題は何故、葉子がこの写真を持っているのか。理由は一つしかない。やはり、父と白石葉子の間には面識があったのだ。
 カチッと頭の中で音がしたような気がした。父はスクラップの記事にあるように、裁判を通じて「功を焦って少年を逮捕しようとしたが、抵抗されてカッとなり暴力を振るった。捜査手法自体にも問題があった」と供述している。
 しかし、実際はそうではなかった。その取引はグループの裏切り者を焙り出すために仕組まれた罠だったのだ。
 県警薬物対策課に取引を知らせてきた密告者だけが、その場で渡利純也が自分ではドラッグを持っていないことを(ドラッグは別の少女が持たされていた)知らなかった。そのことを渡利の口から聞かされた父は、密告者を守るために罪を犯した。アタシは二年前、その場に居合わせた村上の口からそう聞かされている。
 密告者は渡利に弱みを握られて弄ばれた女子高生だったと、そのときに村上は教えてくれた。葉子の享年が二十一歳なら三年前は高校生だ。父が何故、密告者の少女を守ろうとしたのか。脳裏に村上の言葉が浮かんだ。


 ――その子がお前にダブって見えたのかも知れないな。写真で見る限り、そんなに似てはいなかったけどね。


 葉子のアパートの中を見せてくれ、と頼むのにはかなりの勇気を必要とした。
 彼女が三年前に父が守ろうとした少女であることは確信に近いものがあった。ただ、両親の反応を見る限りでは、白石葉子は渡利のような男とかかわりがあったことを周囲には隠し通していたようだったからだ。スクラップ・ブックを作っていたのが自分の娘だとしても、直ちに事件と関わりがあったと結び付けられないのは当然のことだ。
 
ただ、葉子の母親の認識は少し事実と違っていた。これは”三年前の事件に興味があって”作られたスクラップ・ブックではない。三年前の事件当時に報道を追うように作られたものだ。複数の週刊誌の記事が入り混じって整理されていないのが、目についた記事を手当たり次第にスクラップしていったことを示している。それに、後になって作ろうと思っても三年前の雑誌などまず手に入るものではない。
「父の事件の何に、葉子さんが興味を持たれていたのか、知りたいんです」

 母親は渋い顔をしていた。スクラップ・ブックを見せたことを後悔しているのかもしれない。
「でも、こう言っちゃなんだけど、もう三年も前のことだし、お父様だって事件のことはお認めになっているんでしょう?」
「それはそうですけど……」
「葉子がそのことに何の興味があったのかは分からないけど、それを今さらほじくり返してもねぇ。勝手に部屋に人を入れたらあの子に悪いし……」

 口の中に苦いものが広がるのを感じた。父親があっさりと生前の葉子のことを話してくれたおかげで、アタシはすでに娘の死を受け入れた人たちを相手にしているような気分になっていた。
 そうではなかった。まだ二人は――少なくとも母親はそれを現実のものとして捉えることすらできていないのだ。

「そうですよね。すいません、気がつかなくて。――それじゃ、失礼します」
 深々とお辞儀して、その場を去ろうとした。
「……待ちなさい」
 葉子の父親は静かに口を開いた。

「葉子の部屋の鍵を持ってくる。ちょっと待っていなさい」
「――あなた!?」
「葉子が何をしていたのか、私も知りたい。いや、親である私たちには知る責任があるんじゃないのか?」
「そんな……」
 言い募る母親を制して、父親はアタシに向き直った。
「榊原さん、分かったことがあったら、私たちにも教えてくれないかね」
「ええ、それはもちろん。でも……」
 そこから出てくる事実が、両親にとって知ってよかったことになるという保証は何処にもない。むしろ、真実は嘘よりももっと深く人を傷つけることがある。アタシはこれまでに何度か、それを目の当たりにしている。 

 アタシの言いたいことは伝わったようだった。けれど、葉子の父親はシワの中に隠れてしまいそうな細い目に、込められるだけの父親の威厳を込めて言った。
「それでも、私たちは知らなきゃならない。――そうじゃないのか、母さん?」

 母親は精一杯の抵抗を示すようにアタシを睨んだ。でも、やがていかにも渋々という感じでうなづいた。
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