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Left Alone

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  第 21 章  

 渡利の友人だったというから、てっきり夜の街でよく見かけるB系のなりをした男を想像していたのだが、現れたのはスーツ姿の小ざっぱりした男だった。銀行の窓口にいてもおかしくない人当たりのよさで、ハンサムというわけではないけれど人懐っこい笑顔が印象的なタイプだ。パウダーブルーのクレリック・シャツにピンストライプの入ったネイビーのスラックス。ネクタイは緩めてあって、ジャケットは手に持っている。
 それでもよく見ると小鼻と耳にピアス・ホールのような痕がある。男は宮下徹と名乗った。名刺には前原市の建設会社の営業職であることが記してあった。
「あんたが純也のことを知りたいっていう子?」
 アタシがそうだと答えると、男は珍獣でも見るような物珍しそうな視線を向けた。
 宮下が現れたのは予告どおりの閉店間際だった。そのまま、そこで話をするのは店じまいの邪魔になるということで、明け方までやっている今泉のショット・バーへ移動することになった。
 シュンも一緒に来たがったが、片付けの手が足りないということで岸川が許可しなかった。正直に言うと、シュンにいちいち事情を説明したり口を挟まれたりするのは面倒だったので、そのほうが都合はよかった。岸川もそのあたりのことに気をつかってくれたのかもしれない。むくれるシュンに向かって、アタシは精一杯の愛想笑いを残して店を出た。
 一方、由真は宮下が現れたことに満足したように、あっさりと「じゃ、あとで話を聞かせてね」と言い残して、タクシーで帰ってしまっていた。
 アタシは引き止めなかった。やはり、そのほうが都合がよかったからだ。彼女とどんな顔をして話せばいいか――由真は自分が何を言ったのか、まるで気にしていないような様子だったが――まるで分からなかった。目の前にいなければ、そして宮下との話に集中していれば、とりあえず村上を巡るやり取りのことを頭から追い払うことができる。
 これまでも由真とは何度もケンカしたことがある。それでも、彼女のことをこんなに疎ましく感じたことはない。胸の中がどす黒いものに満たされてしまったような自己嫌悪がアタシを捉えて離さなかった。

 
 ”隠れ家”という言葉を連想させようと照明を落とした店内は、むしろ”巣窟”という言葉を連想させた。バー・カウンターの上のレールから逆さにぶら下がる様々な形のグラスが僅かな灯りを反射して、出来損ないのプリズムのような光を放っている。流れているのはブラック・コンテンポラリーと呼ばれるジャンルの曲だが、ウーファーから吐き出される重低音が強調されすぎていてかえって聞きづらかった。もっとも、この店で音楽を聴こうとしている客などいないだろうが。
 宮下はシンガポール・スリングを、アタシはブラッディ・メアリー用のトマトジュースを注いでもらった。
「いいの、そんなんで?」
「クルマなんで。――訊いてもいいですか?」
「なに?」
「宮下さんってホントに渡利の友だちだったんですか? とてもそうは見えませんけど」
 シュンから、宮下が渡利純也の友人ではあったけれど、ドラッグの密売を始めとする渡利の商売上の関係者でないことは聞かされていた。考えてみれば当然のことで、そうでなければこの会談そのものが不可能だった。仮に会えていたとしても雰囲気はもっと剣呑なものになっていただろう。
 それでもアタシは抱いていたイメージと目の前の男の落差から立ち戻れていなかった。
「純也のことは呼び捨て?」
 宮下は言った。声にかすかな非難の響きがある。
「すいません、宮下さんにとっては友だちなんですよね」
「……ん、まぁ、別にいいけど。あいつは誰に呼び捨てにされても仕方がないことをやってたしな」
「そうなんですか。実はアタシ、渡利純也って人のこと、ほとんど何にも知らないんですよね」
「なるほど。そのあたりから話したほうがいいのかな」
「お願いします」
 宮下は口を湿らすようにグラスの中身を少しだけ啜った。
「純也は俺とは小、中の同級生でね。家が近所だったこともあって、ずっとつるんでた」
「どんな人だったんですか?」
「あんたのイメージとはまるで違うだろうけど、気のいいヤツでね。天性のリーダーって感じだった。成績は抜群、サッカー部ではキャプテンでゴールキーパー。俺はスウィーパーでいつも後ろから怒鳴られてたよ。サッカーのことは分かる?」
「ルールくらいは」
 アタシの周りにはサッカー好きがいないので、もともとそれほど興味がないアタシはテレビで代表チームの試合を見る以外に接点はない。ルールを知っているのは小学生のときに住んでいた地域のチームに入っていたからだ。背が高いからという理由でアタシもゴールキーパーだった。

「サッカー部だったらもてたんじゃないですか?」
「俺はね」
 宮下は小さく笑った。自信家というわけじゃないけれど、彼は確かに女の子ウケするタイプだった。
「純也はね、あれで顔が良ければモテモテだったんだろうけど、神様はそこまでお人好しじゃなかった。昔の写真を持ってきたけど見るかい?」
 写真にはユニフォームに身を包んだ男の子二人が肩を組んで映っていた。泥まみれの白いユニフォームを着た宮下と、さらに泥まみれの赤いゴールキーパー用のユニフォームだと分かる浅黒い顔の少年。

 キーパーの少年は手足の長いしなやかそうな体つきで、はにかんだような笑顔はどこにでもいる中学生の男の子だった。ソガハタ(字は知らない)というアタシが知っている数少ないJリーグの選手に何となく似ている。目の上が張り出した典型的なサル顔で、長い顎と相まってのっそりとした印象を与えている。少年の仇名が”ゴリ”だったことは賭けてもいい。
 アタシは渡利純也の顔を見たことがない。事件当時、渡利は未成年だったので新聞や雑誌に顔写真が出ていないからだ。アタシの想像の中で、渡利の顔はいつも逆光の中で真っ黒に塗りつぶされている。そのせいか、この写真を見ても特に何の感慨も湧かなかった。
「結びつかないって顔だね」
「何がです?」
「その写真とドラッグ密売グループのリーダーが。実を言うと、俺もなんだ」
 渡利のことを語る宮下の口調には、長年の知己に対する親しみとその人物がやらかしたことへの侮蔑が入り混じっている。アタシはこんなしゃべり方をする人を数人知っている。すべて父親の関係者だ。
「高校一年のとき、親父の仕事の都合で俺が引っ越したせいもあって、高校のときはまったく会ってない。男同士で手紙のやり取りってのもなんだし、お互いに電話で話すのは苦手だったしね。純也とまた会うようになったのは専門学校に通うために、俺だけ福岡に戻ってきてからだな。とは言っても、最初は声をかけられても誰だか分からなかったけどね。まるで別人だったから」
「そのころにはもう、ドラッグの密売をやってたんですか?」
「だと思うよ。えらく羽振りが良かったからね。ガキのくせに派手な化粧した女を連れてたし」
「……多分知ってます、その人」
「言ってみて」
「千原和津実」
 どうしても口調に苦々しさが混じる。アタシは滅多に人を嫌いにならないが、和津実はその滅多にいない一人だった。宮下はアタシの気持ちを察したように苦笑いしていた。
「こう言っちゃなんだけど和津実って、ホントに男なら誰でもいいんじゃないかと思うよ。まあ、純也の場合はカネも持ってたしケンカも強かったから、そのオンナってことでずいぶんデカイ面だったようだな」
 額面どおりに受け取っていなかったが、和津実の「気がついたらヤクの売人のオンナにされていた」という言葉はやはり勝手な言い分だったわけだ。
 それからしばらく、宮下は和津実が渡利の目を盗んで自分にちょっかいを出してきたときの話をしてくれた。同性のアタシから見るとロクでもない女以外の何者でもないが、男の心の琴線に触れる何かを持っているらしく、渡利はなかなか和津実に強いことを言えなかったらしい。それをいいことにかなり好き勝手をやっていたのだと宮下は言った。
「で、宮下さんは結局、和津実とは?」
「俺にだって選ぶ権利はあるよ」
 宮下は心底嫌そうに言った。アタシは小さく笑った。
「ところで、宮下さんと会ってなかった間に渡利の身に何があったのか、訊いたことはないんですか?」
「あるよ。あんまり話したくなさそうだったんで、突っ込んだことは聞けなかったけど。それでも周りからだいたいのことは耳に入ってきた。まあ、悲惨な話だったよ」
 宮下はシンガポール・スリングを飲み干していた。グラスを振ってお替りをオーダーした。
「あいつが高校の三年になってすぐ、婿養子のオヤジさんに愛人がいるのがバレて、オフクロさんがその愛人相手に刃傷沙汰を起こして逮捕されたんだ。で、それが元でジイさんとオヤジさんが大喧嘩になって、経営してた会社がつぶれた。オヤジさんは怖いお兄さんたちと東南アジアに旅行に行ったまま帰ってきてないらしいね。その後、ジイさんは心筋梗塞で亡くなって、お姉さんは借金のカタに何処かの温泉地に売られたそうだ。もともと親戚とは絶縁状態にあったせいもあって、天涯孤独の身になった純也は高校を中退して転落人生をまっしぐらってわけさ」
「確かに悲惨ですね」
 言ってはみたが我ながら心はこもっていなかった。家の事情や不幸な出来事がもとで非行に走る子供は多い。アタシもそうだし、かつては由真もそうだった。ただ、自分の身に起こった不幸をどれだけ並べ立てたところで、他人を傷つけることを許す免罪符とはなり得ない。
「そういえば、転校するまでは高校は一緒だったんですか」
 宮下は首を振った。
「俺は頭が悪かったから、何とか滑り込みで私立の工業高校に入ったんだけど、純也は頭が良かったんで博多中央に行ったよ。わざわざ越境入学までして。ほら、公立は学区制になってるだろ」
 二つのキーワードが頭の中でカチリと音を立てた。博多中央高校。そして西区からの越境入学。学年は二つ違うけれど、どちらも白石葉子と一致する。
「渡利には和津実の他に付き合ってた女の子はいなかったんですか? 例えば、中学校のころから知ってたような」
「いるよ、一人。白石葉子って子。まぁ、あいつらが付き合ってたと言えるかどうかは疑問だけど」

「どういうことですか?」
「幼馴染なんだ。純也が小学校に入るまではご近所さんだったのさ。純也んちがジイさんと同居することになって下山門に越してきてからは、中学のときに塾で一緒になるまで付き合いはなかったそうだけど」

「その塾で再会してからも、付き合ってはいなかったんですか」
「純也に言わせればね」
 宮下は苦笑いを浮かべていた。
「あいつにとって葉子は妹みたいなもんで、女扱いする相手じゃなかったらしい。葉子も葉子でそんな感じでもなかったし。ま、葉子の場合、誰に対してもクールっていうか、何考えてるのか分かんないところがあったけど」

「へえ……」
 自分が立てた仮説どおりといっても意外だったが、アタシの疑問は別のところにあった。二人が幼馴染だったのなら、何故、白石葉子の両親はあのスクラップブックの記事と渡利を結びつけて考えなかったのだろう?
 答えは簡単だった。いずれの記事でも渡利は”少年A”だったからだ。ついでに言うなら十数年も前に引っ越してしまった上に、事件のときにはすでに一家離散状態にあった渡利家のことに考えが及ばなくても特に不思議はない。
「ところであんた、和津実だけじゃなくて、葉子のことも知ってるのか?」
「……ええ、まあ」
 シュンがこの会談をセッティングしてくれるのに当たって、宮下にどの程度の事情を話しているのかを訊いてみた。宮下はシュンから「渡利のことを知りたいって子がいるから話してやってくれ」と頼まれただけだと答えた。
 宮下にアタシと葉子の繋がりを話すかどうかは考えどころだ。
 話しても特に困るわけではない。ただ、そのためにはアタシの父の事件のことや、葉子の死の前後に彼女の周りで起こったことも話さなくてはならない。それ以前に、宮下は葉子が事故死したことも知らないようだった。
 少し迷って、アタシはできるだけ関係なさそうなことを端折りながら、宮下に自分が渡利純也のことを知ろうとするに至った経緯を話した。宮下は合点がいったように何度もうなずいていた。
 タバコに火をつけると、宮下はため息のように長く煙を吐き出した。
「そうか、葉子のやつ、死んじまったのか……」
 感慨深そうな、でも、どことなく他人事のような口調。
 渡利についてもそうだ。初めて会うアタシにペラペラと話ができるのは、彼にとって渡利が――どれほど仲のいい友人だったとしても――過ぎ去った過去の存在になっているからだ。

「付き合ってなくても、葉子は渡利のグループに出入りしてたんですよね」
「そうだな。和津実がいたから、二人っきりでいることはなかったと思うけど。和津実って自分は浮気するくせに、男が浮気するのは許さないんだよな」
「渡利は何故、自分を慕ってる葉子じゃなくて、和津実と付き合ってたんでしょうね。妹みたいなものっていうけど、和津実だって葉子と同い年ですよね」
「……どうして葉子が純也を慕ってたって言えるのさ?」
「好きでもない男を追いかけて越境入学まですると思います? 渡利みたいに成績が良かったってわけでもないのに」
 中学三年の夏、葉子が学区外の博多中央高校に進むと言い出したときの騒動は、彼女の霊前を訪ねたときに父親から聞かされていた。
 我が子が進学校に進むことに意欲を燃やすのを喜ばない親はいないだろうが、残念ながら当時の葉子の成績順位は下から数えたほうが断然早いという状態だった。無謀な挑戦をして挫折するよりも身の丈にあった学校に進むことを勧める両親に対して、言い出したら聞かない性格だったという葉子は「絶対に博多中央に行く」と言い張ったのだそうだ。
 それからというもの、葉子は人が変わったように勉強に明け暮れたのだという。そして、見事に志望校に合格を果たした。それが二つ年上の幼馴染の後を追ってのことだったとしたら、そこには何らかの恋愛感情があったとみるのが普通だろう。

 そこまで考えて、アタシは呆然とした。和津実の話を聞いたときにも違和感を覚えてはいたが、そこにも大いなる食い違いがある。
 アタシが聞き及んでいる”密告者の少女”はあくまでも被害者のはずだ。彼女はドラッグ密売のグループを抜け出すためにアタシの父を頼った。父は彼女からもたらされた情報を元に渡利を検挙しようとして、そこに仕掛けられていた罠に陥った。そして父は”密告者の少女”を守るために凶行に及んだ。
 もちろん、宮下から聞かされた人間関係は事件よりもずいぶん前の話だ。それがその後、醜く変質していったのだとすれば――その可能性は充分にある――話の辻褄は合う。
 しかし、そこに何かの違う要素があったのだとすれば。ひょっとして、父は犯さなくてもいい罪を犯してしまったのではないだろうか。
 自分を支える何かが脆く崩れ落ちるような思いに駆られた。
「どうかした?」

 宮下は心配そうにアタシの顔を覗き込んだ。
「え、いえ、何でもないですけど……」
 そんなはずはない。心の中で呪文のようにそう唱えた。事件のとき、渡利は歯噛みする父と村上に向かって自分のグループの裏切り者を焙り出せたことを感謝する台詞を吐いている。仮に渡利がその場を離れることができていた場合に、裏切った葉子がどんな目に遭わされたかは想像の域を出ない。ただ、そこには父が危惧した葉子の身の危険が確かに存在したはずだ。

 それ以上は考えても無駄なことだ。アタシは脳裏に浮かんだ不吉な考えを必死で追い払った。

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