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Left Alone

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  第 22 章 

 遠くから裂帛の気合いと呼ぶには可愛らしい声が聞こえる。
(あー、もう。うるさいなぁ……)
 ベッドの上でモゾモゾと寝返りを打つ。音を遮りたいが、タオルケットを蹴飛ばしてしまっていて何も被るものがない。
 ぼんやりとした頭の片隅で、そういえばちゃんとメイクを落とさずに眠ってしまったことを思い出した。それどころかシャワーすら浴びていない。帰ってくるなり着ていたものを脱ぎ散らかして、下着姿のままでベッドに倒れこんでしまったのだ。
 枕元の時計に目をやった。朝の八時を少し回っている。帰ってきたのが五時少し前だから三時間くらいしか寝てないことになる。
「――めえええんっ!!」
 由真の甲高い声にバシッという竹刀が練習用の人型のダミーを叩く音が続く。二日酔いの頭に錐でも刺し込んだように不快に響いた。タオルケットを引っ張りあげて被り、もう一度ゆっくりと寝返りを打ちながら小さく舌打ちした。
 この早朝の剣道の打ち込み稽古の声は、実は榊原家の伝統的な朝の光景だったりする。
 祖父母に引き取られる前からアタシはこの家によく泊まりにきていた。官舎やアパート暮らしも嫌ではなかったが、広々とした数寄屋造りのお屋敷で迎える朝は子供心にも格別で、何だか裕福になったような気がしたものだ。一時期、料理教室を開くことを本気で検討していたという祖母が作ってくれる豪勢な朝食も楽しみだった。
 そんな優雅なお泊りの唯一の邪魔者が、自称・示現流の達人である祖父、榊原誠一が朝っぱらからがなり立てる猿叫(示現流独特の「チェストォ!!」という気合い)だった。
 その祖父も寄る年波には勝てず入退院を繰り返す生活を続けていて、アタシも祖母もようやくご近所で顔を伏せなくて済むようになったと思っていた。ところが、その伝統を何故か由真が継いでしまったのだ。中学生まで剣道をやっていたことは知っていたが、先輩モデルの留美さんの誘いでもう一度剣道を始めると言ったときには心底驚いた。由真と武道はアタシの中ではイチローとレフトフライくらい縁がないものだったからだ。
 ノロノロと起き上がって、少しだけ開いていた窓をピシャリと閉めた。後から増築されたガレージ(アタシの部屋はその二階だ)は母屋と違って防音もしっかりしている。外の音はまったく聞こえなくなった。
 ベッドに戻ってもう一度眠ろうとしたが、中途半端に目が覚めてしまってすんなりと眠りに落ちていけなかった。仕方ないので天井のクロスの模様をジッと見詰めながら、まとまる様子のないボンヤリとした考えを弄んぶことにした。
 二日連続の深酒は、身体よりもむしろアタシの自意識を強烈に苛んでいた。
 
 昨日――というよりも今朝、アタシは免許を取って初めて代行運転というやつで帰ってきていた。宮下との会話の中で脳裏に浮かんだ不吉な思いを追い払うのに、呑まずにはいられなかったのだ。
 宮下はあの後も渡利のことをいろいろ話してくれた。
 一家離散後の渡利の境遇は悲惨の一語に尽きるらしい。せっかく進んだ進学校は退学を余儀なくされた。収容された施設では屈強な養護教諭に生意気だと殴られ、同じように施設にいる連中からはひどい虐めを受けたのだそうだ。今どき、そんな施設があることにも驚いたが、同じような境遇同士でイジメがあるのは更に意外だった。アタシがそう言うと、宮下は訳知り顔で「同じ境遇だからさ」と答えた。
 程なく施設から飛び出した渡利は街をフラフラするうちに不良グループに入り、そこでもいろいろあって――宮下も詳しいことは知らないらしい――かつてのチームメイトと再会したときには、立派な違法ドラッグの密売人に成り下がっていたというわけだ。
 いつか、二人が一緒に呑んだときに語ったところによると、何よりも渡利を打ちのめしたのは母親の逮捕の際に父親が自分の非を認めようとせず、そして、事業の破綻で一家離散するとなったときにも彼自身や彼の姉を守ろうとしなかったことだそうだ。誰にも助けてもらえずにたった一人で残された渡利は、宮下に向かって「喰い散らかされる弱者はイヤだ、俺は喰い散らかす側に回る」と暗い眼差しで語ったのだと言う。
 一家を襲った不幸は渡利の心を捻じ曲げるのに充分なものだっただろう。その気持ちは同じように世間の疎外を受けたアタシにとって、まったくの他人事ではない。ただ、アタシには愛情を注いでくれる祖父母がいたし、由真や元彼との出会いがあった。村上恭吾という手っ取り早く怒りや憎しみをぶつけられる相手もいた。渡利にはそういう人物はいなかったわけだ。もちろん、それでも渡利のことを正当化することなど出来はしないが。
 宮下はドラッグの密売人としての渡利のことはあまり知らないと言った。同じように街の不良少年だったといっても、宮下はどちらかと言えばケンカや走りのほうが専門だった。旧友のあまりの変貌ぶりに近寄りがたいものを感じていたのだろうし、渡利が関わっている代物の危険さを察知していた部分もあったのだろう。
 誰か、他に彼ら――渡利純也や白石葉子、千原和津実――のことを知ってそうな知り合いはいないかと訊くと、宮下は心当たりがあるから連絡をとってみると答えた。
 結局、宮下とは店が終わるまで飲んでいた。バーに来るくらいだから酒は強いのかと思っていたら、途中から見るからにガクンとペースが落ちた。アタシは最後までバーボンをロックで飲んでいた。初めて会った男の前で酔いつぶれるほど無防備ではないことを差し引いても、アルコールはアタシの頭の中の冷たく凍りついた部分を溶かす役には立たなかった。

 考え事をしている間に眠ってしまっていて、次に目を覚ましたときには昼を少し回っていた。
 ケイタイの着信があったことをランプが点滅している。手にとってみると宮下からメールが入っていた。<言ってた知り合いと連絡が取れたよ。会うってさ。支障がなければ直接連絡させるけど?>という要件を簡潔に伝える営業マンらしいメールだ。
 返事の文面を少しだけ迷って<お願いします>という色気も素っ気もない返事を送った。会って話してくれたことへのお礼の言葉を入れておくべきだったと思ったときには、すでに送信したあとだった。
 何もやる気は起きなかったが、いつまでもベッドでゴロゴロしながら自己嫌悪にまみれていても始まらない。とりあえずシャワーを浴びて何か食べ物を探しに母屋に行く。
 勝手口から上がるとダイニングのほうからみのもんたの声が聞こえてきた。今日が平日だったことを思い出した。休みが続くとどうしても曜日の感覚がおかしくなる。
「お祖母ちゃん、おはよ」
「おはよう、真奈。ずいぶんゆっくり寝てたのね。昨日は遅かったの?」
「んー、まあ、ぼちぼち」
「何か食べる?」
「軽いものがいいな」
 祖母は蕎麦を茹で始めた。いつもの和服でなく萌黄色のサマードレスを着ている。ほっそりとした祖母の体格によく似合っていて、シックなのに年寄りっぽく見えないセンスの良い色使いだった。
「どうしたの、それ?」
「ああ、これ? 由真ちゃんが買ってきてくれたの。ちょっと前に、こういうの持ってないのよね、って言ってたのよ」
「……へえ」
 アタシは自分が祖母に最後にプレゼントした物が何だったか思い出そうとした。思い出そうとしなくてはならないくらい過去のことだった。言い訳をするなら榊原家にはもともと家庭内でプレゼントのやりとりをする習慣がない。祖父母だってアタシにプレゼントを買ってくれることはほとんどないのだ。
 肝心の何を贈ったかは思い出せなかった。
「で、その由真は?」
「約束があるから出かけるって。お昼前くらいだったかしら。そうそう、クルマの鍵がないって困ってたみたいだけど、真奈、あなた知らない?」
「さあ?」
 反射的にとぼけた。BMWのキーはアタシのバッグに放り込んだままだ。おそらく由真はアタシを起こすまいとスペア・キーを探していたのだろう。
 取りに来れば良かったのに。
 アタシは思わず舌打ちしていた。気を使ってくれているのに――というより、気を使われていることが気に喰わない。あんな唐突な宣戦布告をしておきながらいい人ぶるな、としか思えない。
 ところで由真は何処へ行ったのだろう。
 一緒に調べると言った舌の根も乾かないうちに自分の用事で出かけるなんて、由真の約束もその程度のものだ。もちろん、こんな気持ちのままで由真と一緒に何かをする気になんてならなかっただろうが。
 蕎麦を胃に収めて部屋に戻ると、ケイタイのランプが点灯していた。かけてきていたのは先輩モデルの留美さんだった。留守電には「都合がいいときに電話して」とメッセージが残してある。
「……何の用事だろ?」
 若いのに(アタシより二つ上だ)事務所でも姐さん的なポジションにいる留美さんだが、プライベートではあまりモデル仲間とは遊んだりしないと聞いている。アタシや由真を遊びに連れて行ってくれるのもほとんどが一緒の現場だったときで、何もないときにわざわざ待ち合わせて遊んだりしたことはなかった。
 折り返し、電話をかけた。留美さんはワンコールで出た。
「ああ、真奈ちゃん?」
 特徴のあるちょっと低めのハスキー・ヴォイス。スッと通った鼻梁と切れ長で生気に満ちた眼差しが脳裏に浮かんだ。アタシもよく宝塚の男役系の顔立ちだと言われるけれど、この人に比べたらお面のようなものだ。
「どうも。電話戴いてたみたいですけど」
「うん、ちょっとね。話したいことがあって」
「どうしたんですか?」
「えー、まあ、そんなに大したことじゃないんだけどさ」
 この人には珍しく歯切れの悪い物言いだ。一瞬、由真がアタシとの仲を取り持ってもらおうと何か言ったんじゃないかと思った。
 でも、すぐにそんなはずはないことに思い至った。由真は何事においても間に誰かを挟んで想いを伝えることを嫌う。高校三年のとき、三村美幸という彼女の中学からの友人を通じて由真に告白してきた男の子がいたのだが、彼に対して由真がやったのはゾッとするほど素気なく「……意気地なし」と言い放つことだった。
「どうかしたんですか?」
 もう一度訊いた。留美さんは尚も切り出しにくそうに口ごもっていたが、やがて思い切ったようにフッと短く息を吐いた。
「あのさあ、真奈ちゃん、宮下徹って知ってるよね?」
「えっ!?」
 思わず大声が出た。
「ひょっとして宮下さんの知り合いって……?」
「うん、実はさ。あたしがその知り合いってやつなんだよねぇ」
「はぁ……」

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