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Left Alone

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  第 35 章 

「というわけなんだけど――って真奈、聞いてる?」
「ん……えっ?」
 顔を上げると、運転席の由真がジットリした目でこっちを睨んでいた。どうやらアタシは彼女のご高説の途中で眠りに落ちていたらしい。
「ごめん、聞いてなかった」
「ちょっと、自分が話せって言ったんでしょ。信じらんない」
「だから、謝ってるでしょお……」
 言葉尻に欠伸が混じる。仮眠はとったがまったく寝足りていない。
 そもそも、目覚めかたが良くなかったのだ。
 家に帰り着くなり、シャワーも早々にベッドに潜り込んだ。夜には藤田警部補と会う約束になっていて、それほど時間はなかったが少しでもいいから眠っておきたかった。枕に頭を横たえるのとほとんど同時に、スイッチを切るようにアタシの意識は暗闇の中に落ちていった。
 しかし、由真からは「七時になったら叩き起こすからね」と宣言されていて、実際にヤツはアラームが鳴り出すのと同時にアタシのタオルケットを引っ剥がしにかかった。まさか、本当に七時きっかりに起こされるとは思ってなかったのだが、こういうときの由真は必要以上に時間に正確になる。
 それはまあ、約束だからいい。問題は薄ぼんやりした頭の中で舌打ちしながら丸くなっていたら、パジャマを脱がされそうになったことだ。最初は何をやってるのかと思いつつそれも無視していたけど、ついに下着にまで手が掛かったのでさすがに飛び起きざるを得なかったというわけだ。
 BMWは渡辺通一丁目の大きな交差点を通り過ぎて、住吉通りに入ったところだった。左手に柳橋の連合市場が見える。戦前からあるという歴史のある市場で、狭苦しい細い路地にズラリと生鮮食料品(主に魚屋が多い)が軒を連ねている。中洲から目と鼻の先という立地もあるのか、一般客だけじゃなくてプロも食材の買い付けに来るのだそうだ。バイト先の板長もちょくちょく顔を出しているらしい。
「で、何の話だったっけ?」
 BMWの乗り心地が抜群に良いことを差し引いても、由真の助手席で眠れるのだからアタシの疲れ具合は相当なものだ。自分が何の話をしていたのかもよく覚えていない。
 由真は大げさなため息をついた。
「真奈のお父さんが書いた、例の捜査報告書のことだよ」
「ああ、おかしな点があるって言ってたやつね」
 昼の電話のときにもざっと説明は受けたのだが、正直、あんまりよく理解できていなかった。なので、由真にもう一度説明してくれと頼んだのだ。
「そもそも、不思議なことがあるのよ。お父さんが渡利純也を死なせちゃった後――つまり、お父さんの逮捕後、警察は残りのメンバーの誰一人として逮捕してないのよね?」
「そのはずよ。和津実はメンバー全員が逃げ出したって言ってたし」
 渡利の密売グループの主要な関係者は本人を除いて七人。今は中洲のホストクラブにいるらしい双子のキックボクサー、ホスト崩れの男、バーテン崩れの男、白石葉子、吉塚(当時は千原)和津実、そして若松郁美。使い走りが数人いたらしいがそれは置いといても差し支えはないだろう。
 バーテン崩れが別件で逮捕された以外に警察に身柄を拘束された者はいないはずだ。父の公判中に誰かに聞いた話では捜査そのものが打ち切りになっている。
「それっておかしくない?」
「何が? 警察はウチのバカ親父があんなことしちゃったんで、捜査を継続しなかったんじゃないの?」
「ありえないよ、そんなこと。担当の刑事がグループのリーダーを死なせたからって、他のメンバーを見逃さなきゃならない理由なんてないもん。それはそれ、これはこれだよ」
「そうかもしれないけど。それで、そのことと報告書に葉子や郁美の名前がなかったことと、どういう関係があるわけ?」
「関係っていうほどハッキリしたもんじゃないけど、何となくしっくりこないんだよね」
 由真が言うには、すべて合わせると五〇ページを越える父親の報告書の中には渡利を始めとしてグループの男性メンバーの名前はちゃんと出てくるのに、白石葉子と若松郁美の名前は見当たらなかった。そうだと思われる人物については”匿名の情報提供者”という記述が報告書の最初のほうにいくつか見受けられるだけだということだ。和津実は最初から関係者と思われてなかったらしくて該当する人物は登場していない。
「真奈のお父さんを悪く言うつもりはないんだけど、こんな書類がよく報告書として通用したもんだよね」
「……どういう意味よ?」
「報告書を受け取る側の立場で考えてみれば分かるよ。”匿名の情報提供者”って誰だよって思わない? 電話の密告とかいうならともかく、真奈のお父さんはその人物と接触してるんだよ。なのに、上司にそれを伏せてるってどういうこと?」
「提出先は直属の上司じゃないからね」
 それについては、多少は警察の内部事情に通じているアタシには反論の材料がある。報告書は中央警察署(渡利たちの根城であった親不孝通りは中央署管轄)の署長宛になっていた。つまり、捜査を県警の刑事が行っていても渡利の事案は中央署の所管だったことになる。あるいは県警薬物対策課と中央署の合同捜査ということになっていたのかもしれない。
 ところが、だからと言って仲良く協力関係というわけにいかないのが、警察も立派なお役所だという証拠だ。福岡でも県警と所轄署の間には厳然たる縄張り意識がある。派遣されてきている県警の刑事はお客さん扱いの部分があるし、県警の刑事はどうしても所轄所の刑事を下に見る。したがって完全に捜査情報が共有されているわけでもなければ、その帰結として少々いい加減な報告書になったとしても煩く言われることはないのだ。それでなくても、アタシの父親は報告書を書くことを不得手としていた。大半は村上に代筆させていたはずだ。
 だとしても、その二人の名前を伏せていたのは確かに不自然だ。そうしておく必要があったとは思えない。
「どういうことなんだろ?」
「その二人が――あるいはそのどちらかが、真奈のお父さんの個人的な知り合いだった可能性くらいだね、考えられるのは」
「どこにそんな接点があるのよ?」
「さあね」
 由真はふうっと息をついた。彼女にだってそんなことが分かるはずはない。
「捜査が打ち切られたのは、渡利が死んだことで証拠が押さえられなくなったからじゃないかな。何せ、当の本人たちですらクスリやお金の在り処は知らなかったわけだし」
「それはそうかもね。でも、捜査そのものが打ち切りっていうのは納得いかないな。どこかから圧力でもかかったのかな?」
「そんなバカな」
 いったい、どこの誰がそんなことをすると言うのだ。渡利がどこかの大物政治家のご落胤だとでもいうなら話は違うかもしれないが。
「……あっ!?」
 アタシは根本的な見落としに思い当たった。
 由真の仮説はあり得ない話じゃない。渡利には警察内部にコネクションがあった可能性があるからだ。それがどういうものであったかはともかく、ノンさんの旦那さんの話では警察は渡利に庇護を与えていたとしか思えない対応を実際にやっている。現場の誰かだけでできることじゃないだろうから、それなりに力がある誰かが指示したと考えるのが自然だろう。
 だとすれば――例えばそれが警察のスキャンダルをネタにした強請りだったとすれば――渡利の死後、うやむやになった取引材料が第三者の手に渡ったり、捜査を引き継いだ捜査陣によって明るみに出されるのを嫌った”誰か”が横槍を入れた可能性は充分にあった。その結果が捜査打ち切りであってもおかしくはない。
 ふと、村上がこの事件に心を残している理由が分かったような気がした。追う側の警察にとっても、追われる側の渡利の仲間たちにとっても終わったはずの事件。しかし、その真相は何も明らかになっていない。罪を償うべき連中の誰一人として罪を問われていない。
 普通の刑事なら憤りを感じつつも終わった事件として過去へ押し流してしまうのだろう。しかし、村上がそういう矛盾に対して折り合いをつけていける人間であれば、そもそもアタシの父親の求めになんか応じていないはずだ。

「着いたよ。ここでいいんだよね?」
 博多駅前の空港通りから折れた路地、博多スターレーンに程近いところでBMWがスローダウンした。飲食店ビルの看板に藤田が指定した割烹の名前がある。頷くと、由真は隣に建っているタワー・パーキングにBMWを乗り入れた。
 クルマを降りるときに、車内で音楽が鳴っていなかったことに気づいた。普段なら由真は話をするときでも低いヴォリュームでB’zを鳴らしている。アタシが眠っていたから消してくれたのかは何となく訊きそびれた。
「意外と渋い店だよね」
 ビルの地下にある素っ気ないとすら言えそうな店構えを見て、由真は感心したような口ぶりで言った。
「知り合いの知り合いがやってる店だって言ってた。そこだったら、人払いができるお座敷があるからって。なんでも、アタシたちと接触するのを誰かに見られちゃまずいらしいわ」
「へえ。なんだか大物になった気分だね」
 飲むには少し早い時間だからか、客は三分の入りといったところだった。割烹着姿の女性に藤田の名前で予約が入っていると言うと奥の座敷に通された。
 藤田はすでに卓について座椅子でくつろいでいた。着替えに帰ったのか、今朝方のスーツじゃなくて小ざっぱりしたポロシャツとチノパンツというくだけた格好だ。天ぷらや刺身の皿が出ているが、この後も用事があるということで手元にはウーロン茶のグラスが置かれていた。アタシは同じものを、由真はオレンジジュースを注文した。
 今朝の緊張した面持ちは影を潜めて、藤田はいつものように調子のよさそうな笑顔を浮かべていた。乾杯をするような場面でもないけど、グラスを持つとやってしまうのは習性のようなものだ。三人でグラスの端を軽く打ち合わせた。
「今日は一日大変だったけど、とりあえずお疲れさん。まだ、ちょっと目が腫れぼったいようだな」
「できれば、もうちょっと寝てたかったんですけどね」
 由真は横目でチラリとアタシを睨んでいた。藤田がその様子を見て、何故か苦笑いを浮かべた。
「ところでお二人さん、仲直りはできたのかい?」
「……何のことです?」
「とぼけるなよ。高坂女史から話は聞いてるんだぜ。朝っぱらから村上のことでやりあったんだって?」
「そんな、やりあったとか、そういうことじゃないですよ」
 隣で由真も「そうですよぉ」と口を揃えた――表面上はものすごくにこやかに。
「そうか、だったら良いんだけどさ。これから話がややこしくなるのに、ケンカしたままじゃ大変だからな」
 だったら、そんなことを本人たちの前で口にするべきじゃない。もし、未だに朝と同じ状態のままだったら火に油を注いでいるようなものだからだ。この辺りのデリカシーのなさが五年も彼女がいない理由なんだと、そのうち教えてやらねばなるまい。
「村上さんの様子は?」
 由真はそんなことなどまるで気にしていないような口調だった。
「意識は戻ったらしいが、それ以上のことは分からんね。なにせ監察官室の連中にがっちりマークされてるんで、病室に近づくこともできない。高坂女史がいろいろと手を尽くしてるみたいだが、相手は堅物の片岡警視だから、どれだけのことがやれるかは未知数だな」
 それでも容疑は分かったと藤田は言った。不正アクセス禁止法違反と地方公務員法の守秘義務違反というお題目は一緒だが、藤田のほうがいくぶん詳しかった。
「村上が侵入したとされてるのは、上層部しかアクセスが許可されていないデータベースだよ。どうやったのか知らないが、そこのパスワードを手に入れて自分の端末からデータをアクセスしたらしい」
「何のデータなんですか?」
「ハッキリとしたことは言えないな。ただ、二年前の例のファイルである可能性がある」
「例の?」
「熊谷幹夫のファイルだよ」
 思わず由真を見た。由真は初めて見せる硬い表情をしていた。

 由真の叔父のような存在である熊谷幹夫は経営コンサルタントという表の顔とは別に、元警察官という立場とさまざまな形で築いた情報網を駆使して警察の捜査情報を売る情報屋という裏の顔を持っていた。
 現場の捜査官から県警幹部まで多岐に渡る熊谷の情報網は、なかなか捜査陣にその全容をつかませなかった。そして、つかんだと思っても裏社会の大物や政治家などの”顧客”から圧力がかかるという仕掛けになっていた。
 そんな熊谷の裏稼業のすべてが収められたファイルを、母親が起こした事件に絡んで熊谷と取引をする必要に迫られた由真が持ち出したのだ。そして彼女は熊谷の手に落ち、ファイルは彼女の元彼を通じてアタシの手へ届けられた。
 結局、拘束されたときにはファイルが由真の手元になかったことや、由真の母親の事件の展開でその取引自体がなかったのと同じになってしまった。
 アタシの手元のファイルも、そして、持ち出されて由真の元彼が持っていたオリジナルのファイルも事件の関連証拠の一つとして警察が押収したはずだ。あとで聞いた話では元彼がオリジナルを提出したのは、由真が冒したとされるいくつかの罪を立件しないこととの交換条件だったとも言われている。
 しかし、それは村上が追っている渡利の事件とは何の関係もないはずだ。

「そんなことはないよ」
 藤田は飲み干したウーロン茶のお替りに口をつけた。
「どういうことですか?」
「熊谷が関わったとされる事案の一つに、渡利のグループに情報を流したとされるものがある。村上がそう言ってたのを聞いたことがあるんだ」
「ちょっと待って。あの人はそんな小さな依頼は受けなかったはずだけど」
 由真が言った。事件直後は「叔父さん」だった熊谷の呼称は、いつごろからか「あの人」に変わっている。ついでに由真は藤田への敬語もやめていた。
「俺もそういう認識だったんだが、一つだけ例外があるのさ。実はそれが渡利純也への内偵の情報漏れ――佐伯さんの事件の発端なんだ」
 思い出した。二年前、警察の非公式な会議に引っ張り出されたアタシを家まで送りがてら、権藤課長がそんなことを言っていた。グループの中に西区の地主のドラ息子がいて、その地主が所有する土地を譲る話と引き換えに捜査情報が渡利にもたらされたとかいう話だったはずだ。そして、その情報を元に渡利はアタシの父親の裏をかいたのだ。
「でも、それだけハッキリ分かってることのために、そんな危ない橋を渡るなんて納得できないな」
「確かにな。まあ、村上が何を調べてたんだか知らないが、そのために確認しておかなきゃならない事柄があったのかもしれない」
「でも――」
 由真を手で制した。仮定の話を言い募っても何にもならない。由真はチラリと視線を送って、少しだけ不満そうにうなずいた。
「ところで真奈ちゃん、村上の容疑のことは知ってたみたいだけど?」
「ええ、まあ」
 アタシは博多署の受付で怒鳴り散らしていた高坂菜穂子と出くわして、桑原警部から村上のことを聞き出すように言われた経緯を話した。
「まったく、あのオッサンのおしゃべりにも困ったもんだな」
「自分たちの捜査の邪魔をされた腹いせもあるんでしょうけどね。いろいろ教えてくれましたよ。村上さんの部屋からノートパソコンが持ち出されたこととか」
「そうなの?」
「うん、かなり荒っぽい手口みたいだったけどね」
 由真は目を丸くした。帰ってすぐに眠ってしまったので、彼女にその辺りの詳しい話はしていない。
「そのノートって、これのことかい?」
 藤田は卓の下から無造作にメタリック・レッドのDELLの筐体を取り出した。
 アタシは――たぶん由真も――目が点になった。それは村上が、それまで使っていたノートパソコンが調子が悪くなったといって春先に買い換えた代物だった。
「藤田さんが盗んだんですか!?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。これでも警官だぞ。いくら同僚の家でも勝手に上がったりしない」
「じゃあ、それは――?」
「これはある”善意の第三者”から提供されたものだよ」
 いくら緊急事態だからって、ケーブルをぶっちぎってパソコンを持ち出す輩を”善意の”と言っていいかはかなり疑問だが。
「まさか、顔にペイントして別人とか言わないでくださいよ」
「グレート・ムタじゃあるまいし。――そろそろ、その第三者が来るはずなんだけどな」
「へっ?」
 アタシの変な声がキューの合図だったように、さっきアタシたちを案内してくれた女性が襖の向こうから「お連れ様がお見えです」と声をかけた。襖が開いて姿を現したのは、ジョン・トラボルタに似たいかつい大男だった。
「上社さん!?」
「……そんなに驚くことないだろ」
 上社はちょっと憮然とした表情で座敷に上がりこんできた。藤田の隣に当然のように腰を下ろすと、誰も手をつけていなかったエビの天ぷらの尻尾をつまんで口に放り込んだ。
 アタシは由真を見やった。彼女は戸惑ったように肩をすくめるだけだ。
 まるで意味が分からなかった。

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