Left Alone

Prev / Index / Next

  第 36 章 

 まごつくアタシを尻目に上社は誰も一向に手をつけようとしない皿――賀茂なすと地鶏のあんかけ――を一人で片付けていた。藤田がそれを何か面白い見世物のような顔で見ている。
「いや、これ、意外といけるな」 
「おい、オッサン。板長はあんたの友だちだろ。つーか、ここはあんたの店だろうが」
「俺は自分の店じゃメシは食わないんだよ」
「よそで食っても同じじゃねえの? 飲食店の内幕なんて、どこもそんなに違わないだろ」
「そこがトモ、お前がまだまだ世慣れてない証拠だよ。他人のやりようを観察してりゃ、良きにつけ悪しきにつけ、何かの発見があるもんさ」
「あんた、絶対、探偵より実業家のほうが向いてるよ」
 ……何なんだ、このお気楽な会話は。
 どう見ても一回り弱の年齢差があるのに、まるで旧友のような気安さだ。漫才のような軽口もどっちがボケでどっちがツッコミかよく分からない。強いて言うなら両方ボケか。
「ねえ、藤田さん。ちょっと訊いてもいい?」
 もはや敬語を使う気は完全に失せていた。上社には元々使ってないが。
「なんだい?」
「その人とずいぶん仲がいいみたいだけど、いったいどういう関係なの?」
「どういうって……どうなんだ?」
「肉体関係じゃないことだけは確かだな」
「そうか? 俺、あんたの性感帯知ってるぜ?」
 由真が飲んでいたジュースを吹き出しかけて、思いっきりむせた。呆れてモノが言えない、というのはこういうことを言うのだろう。
「……アタシ、真面目に訊いてるんだけど?」
「いや悪い、悪い」
 さすがにまずいと思ったのか、藤田はとりなすような苦笑いを浮かべた。
「もう四、五年の付き合いなんだが、俺にとっちゃオッサンは表向きじゃできないことを手配してくれる便利屋、オッサンからすれば俺は職業柄必要な情報を集めるときの便利な窓口ってとこかな。まあ、俺には馴染みのクルマ屋のオヤジってほうがしっくりくるんだけどね」
「宗像のほうに中古車屋も持っててね」
「へえ……」
 探偵に貸しビルの所有者兼管理人、割烹のオーナー、ついでに中古車屋。最初の一つ以外ならどれでもしっくりくるが、それはアタシが探偵という職業に明確なイメージを持っていないだけの話かもしれない。紆余曲折の多い人生のおかげで十九歳の女子大生にしてはいろんな職業の人と知り合いのアタシも、さすがに探偵の知り合いはいない。
「ところで……上社さんって、村上さんとも、同じような付き合いだったの?」
 由真が言った。まだ、さっきのダメージからは回復しきっていない。
「トモと同じって意味か? まあ、そういう部分もなくはないが、恭吾と俺は別の繋がりがあってね」
「どんな?」
「兄弟なんだ」
 今度はアタシがむせそうになった。由真も目を白黒させている。
「……何ですって?」
「どーゆーこと?」
「もちろん血は繋がってないよ。カミさん同士が姉妹なんだ。どっちも上に”元”が付くが」
 要するに上社龍二は高坂姉妹の姉、朋子の”元”旦那ということだ。だったら最初からそう言え、紛らわしい。
「それはともかく、どうしてその――上社さんがあいつの部屋からパソコンを持ち出したりしたのよ?」
「そりゃ、恭吾に頼まれたからだよ。俺の携帯にメールが届いてたんだ。大至急、自分の部屋の赤いノートパソコンを持ち出してくれって」
「それ、いつの話?」
「今朝方、六時半……七時前くらいじゃなかったかな」
 ちょうど権藤がアタシの携帯に電話をしてきた頃だ。助けに来てくれ、ではないところがいかにも村上らしい。
「ところで一つ訊きたいんだけど」
「何だい?」
「あいつ、権藤さんに折られた自分のとは別にボーダフォンのプリベイドを持ってたらしいんだけど、何か知らない?」
「これのことか?」
 上社はおもむろにジャケットの内ポケットからケイタイを取り出した。最近、あんまり見かけない丸みを帯びたストレート型のボディ。
「男二人でお揃いってのも気持ち悪いが、俺と恭吾で一台ずつ持ってたのさ。こいつの連れでメールを打ってから、自分のと同じように折って捨てたんだろうな」
 念のために例の名刺裏の番号を呼び出してみた。上社の手の中でプリベイド携帯がけたたましく鳴った。
「なるほどね。……で、あいつがパソコンを持ち出すように言った理由は何なの?」
「そこまでの説明は受けてないな。メッセージは<俺の部屋のノートを持ち出して真奈に預けてくれ>ってだけだったし」
「どういうこと?」
「とっさに信用できそうな人間を考えて、君のことが浮かんだんじゃないのか」
「……そりゃ光栄な話ね」
 村上は何を考えて――あるいは何を期待して、アタシにノートパソコンを託そうとしたのだろう。単に無難な預け先という意味なのか。それとも、それ自体が何らかのメッセージなのか。
「パソコンの中は見たの?」
「まさか。探偵だからって、何でもかんでも覗き見するわけじゃないよ」
 上社はビールを口に運んだ。
「ま、本当のところは見たくてもセキュリティがかかっててどうにもならんという物理的な事情なんだがね。知り合いにはその道のエキスパートもいるが、何が入ってるか分からんものを迂闊に第三者に見せられんしな。そういえば、そっちの彼女はコンピュータに詳しいんだって?」
「えっと、まぁ、それなりには――」
 唐突に回ってきたお鉢に戸惑っているようだったが、由真はすぐに自信に満ちた表情を浮かべた。
「セキュリティを破ればいいの?」
「頼むよ。やっぱりコンピュータの中を見てみないことには始まらんだろうしな」
「オッケー、帰ってさっそくやってみる」
 力強く答える由真に藤田はDELLのノートパソコンを渡した。
「でも、変なもんが出てきたからって怒るなよ」
 思わず彼のほうに向き直る。上社は含み笑いを浮かべていた。
「変なものって何よ?」
「お宝画像とか、ちょっとヤバそうな動画とか。あと、妙なメールだな」
「バッカじゃないの。あんたじゃあるまいし」
 思わず反論したが村上だって健康な成人男性だ。何が出てきてもおかしくはない。この非常事態にそんな心構えをしなきゃならないのは馬鹿げているが、後の平穏のために忠告は聞いておいたほうがよさそうだ。
「とりあえず、こっちの用事はそれで終わりだ。何か訊いておきたいことがあったら言ってくれ」
 藤田はそう言うと、ようやく目の前の料理に箸を伸ばした。この男とは何度か食事をしたことがあるが、いい歳をして箸の持ち方がまるっきりなっていない。矯正してやりたくなる衝動を何とかこらえた。
「そういえば、権藤さんはどうなったの?」
「今のところ進展なし。手掛かりすら見つからないんで、地域課の管理官がブチ切れそうになってる」
「田所か。あいつ、血圧高かったんじゃないか?」
 上社が口を挟んだ。藤田はフンと鼻を鳴らしただけだった。
「緊急配備のほうはどうなの? 桑原警部はそっちに引っかかるのを待ってるみたいなことを言ってたけど」
「あのオヤジがそんなもんに引っかかる間抜けだったら苦労しないよ。おまけに唯一の情報源のはずの村上は、片岡監察官に押さえられてるからな」
「事情聴取くらい、させてやればいいのにな」
「それすらできないってもの不自然な話なんだよ。不都合はないはずだし」
「村上さんの容疑って、そんなに重大なことなの? その……内容を警察内部にも洩らせないような」
 大切な存在だった人が残したものが絡んでいるせいか、由真の声は硬かった。
「どうなんだろうな。確かに熊谷のファイルの存在は誰にでも言っていいもんじゃないが、だからってまったく知られてないってわけでもない。詳しい内容が洩れるのは問題だが、村上を拘束する必要まであるかってのは俺も疑問だ」
「だとすると、他に理由があるってことだな。恭吾を自由にしておきたくない連中がいるんだろう。ひょっとしたら、不正アクセス自体が仕組まれた罠かもしれん」
 上社はすっかり冷めた茶碗蒸しを口に運んでいた。
「どういうこと?」
「トモ、恭吾は自分のデスクの端末からデータベースにアクセスしたんだったな?」
「データベースに侵入したときのログが残ってる」
「恭吾は石橋を叩き過ぎて壊すことはあっても、何も考えずに渡るなんてことは間違ってもやらない。そんな間の抜けた証拠を残すとは思えないんだがな」
「確かにそうだな」
「それは言える」
 村上がどんな人間だと思われているのか、ちょっとだけ不安になった。でも、確かに彼らが言うとおりだ。
「でも、それじゃどうしてログが残ってるの?」
「そんなもん、システム管理者を抱き込めば簡単にデッチ上げられるさ。そこまでしなくても、恭吾の端末から誰かが操作をすれば済むことだ」
「まあ、そうなんだが……。だとすると厄介だな。悪魔の証明になりかねん」
 藤田はため息を洩らした。村上が違法行為をしたことを証明するのは証拠を積み重ねるだけでいい。でも、しなかったことを証明するのは不可能だ。
「結局のところ、村上が盗み出したデータを持ってるところを押さえない限り、言われてる罪で立件するのは無理だろうだけどな。端末機を本人が操作したことを証明するのもまず不可能だろうし」
「意外と村上さんがこのノートを隠したのも、それを避けるためだったのかもね。押収された後に仕込まれたらアウトだもん」
「あり得るな」
「でしょ?」
 由真はちょっと得意げだった。
 不意に藤田が真顔になった。バイブにしていたケイタイが鳴っているようだ。
「――ちょっと失礼」
 そのまま、藤田は座敷を出て行った。
 その場に残されたアタシと由真、上社は急に押し黙ってしまった。会話の主導権は藤田よりもむしろ上社が握っていたが、そもそもアタシたちと上社はそれほど話したことがあるわけではなかったし、それ以前にここで顔を合わせるとは思っていなかった。
「ところでお二人さん、この後の予定は?」
 いつもそうしているような自然な誘い文句だった。由真はニッコリ笑ってノートパソコンをコンコンと叩いた。
「これがあるから帰らなきゃ」
「そうだったな。真奈ちゃん、君は?」
 この男にちゃん付けで呼ばれる謂れはなかったが、呼び捨てはおかしいし、さん付けも何となく変だ。
「とりあえず、何も予定はないけど――って言うか、できることもないし」
「だったらこの後付き合わないか。いい店があるんだ」
 アホか。
「せっかくだけど、このところずっと午前様なんで。たまには早く帰らないと祖母に叱られるわ」
「あれっ、お祖母ちゃんは今日は高校のときの同窓会だよ。遠くから来た人と一緒にグランド・ハイアットに泊まるって言ってなかったっけ?」
 由真が口を挟んでくる。くそっ、余計なことを。
「行っておいでよ、真奈。お祖母ちゃんには黙っててあげるから」
「いや、そういうことじゃ――」
「そんなに遠慮することないじゃない」
「遠慮なんかしてないわよ。――とにかく、アタシも帰るから」
 アタシが祖母のことを持ち出したのが上社の誘いを断る方便だと分からないはずはない。ということは、コイツはアタシを陥れようとわざとやっているということになる。アタシと彼女は未だに冷戦状態にあるのだ。
 ご馳走様でしたと言い残して立ち上がろうとするアタシを、上社はニヤニヤと気味の悪い笑みで見上げていた。
「おいおい、そんなに素気無く断らなくてもいいじゃないか。言っとくが、君にはでっかい貸しがあるんだぜ」
「……貸し?」
「そうさ。二年前の須崎埠頭。廃車が迫ってたとは言えサファリを一台、体当たりで潰しちまったんだからな」
 何を言い出すのだ、この男は。
 しかし、次の瞬間にはアタシの中でいくつかのキーワードが組み合わさっていった。一昨年の夏、廃車寸前のサファリ、宗像の中古車屋、体当たり。
 二年前の敬聖会の事件のさなか、アタシは熊谷幹夫の手下たちに拉致されそうになったことがある。藤田がアタシを載せたキャラバンにサファリをぶつけて助けてくれたのだけど、そのサファリの出所が宗像にある藤田の知り合いの中古車屋だった。
「ひょっとして二年前の――?」
「あたり。サファリを貸してくれたのはこのオッサンだよ」
 電話を終えた藤田が襖から顔を出していた。これ以上ないほど愉快そうな人の悪い笑顔だった。
 脳裏にあのときの光景が浮かぶ。そういえば藤田はサファリの助手席から降りてきて、アタシを助けた後は自分のパトカーに乗っていた。運転していたのは他の誰かだった。
 別れ際に一瞬だけ見えた運転席の人物は、トラボルタっぽい面長で造作の大きな顔立ちだった。
「運転してたのは俺だよ」
「……そうなの?」
「つまり、俺は君の命の恩人の一人ってことだ。どうだい、ちょっとくらいデートしてもいいかなって思わないか?」
 上社は小さな目を更に細くして微笑んでいた。職業柄か生来のものかは分からないが、他人の心の内側に一足飛びに踏み込んでくるような無邪気さだった。
「……分かったわよ。付き合えばいいんでしょ?」
 たっぷり一分以上、この男の顔を見据えてから、ここ数日で最大級のため息をついた。

Prev / Index / Next
Copyright (c) All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-