Left Alone

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  第 42 章 

 せっかく天神に出ていたのに、上社が連れて行ってくれたのは薬院駅の近く――要するにアタシの家の近く――の小さな蕎麦屋だった。高砂だの白金だのと高級そうなイメージの地名に反してゴチャゴチャと入り組んだ宅地の路地沿いで名前は聞いたことがあったが、来るのは初めてだった。
「目当ての店の予約が取れなかったんだ。ま、昨日もずいぶんと重たかったし、暑いからサッパリしたものがいいかと思って。イヤなら他の店でもいいが?」
「ううん、ここで。アタシもこの頃、油モノばっかりだし」
「そう言ってくれると助かる。店は小さいが味は保証するよ」
「期待してるわ」
 自然な素振りで上社はドアを開けてくれた。アタシは彼の脇を通って暖簾をくぐった。
 流行りの言い方をするなら”大人の隠れ家”という感じの、手狭だが小粋な店構えだった。上社はそこでも馴染みのような顔ですんなりカウンターの一番奥に通された。
 上社がメニューも見ずにそば会席を注文したのでアタシも同じものにした。ビールを頼もうとしたので「クルマじゃないの?」と訊いてやると、上社は悪戯っぽく片目を閉じた。苦笑する女将さんが二人分のお茶を運んできてくれた。
「どうした、ずいぶんと沈んでるようだが?」
「ちょっと、いろいろあってね」
 父親でもおかしくない年齢の男性とタメ口を利くのは、特に一つ違いのシュンに敬語を使った後だと不自然なぎこちなさが混じる。しかし、これまでさんざん失礼な口をきいておいて今さら敬語というのも変だ。
「何なら愚痴を聞いてもいいぞ。これでも聞き上手で通ってるんだ」
 アタシは小さく笑った。
「……さっき、男の子に告白のお断りをしてきたところなの」
「そりゃまた切ない話だな」
「でしょ?」
「でも、君がふられたわけじゃないのに、そんなに落ち込むことはないんじゃないのか?」
「そういう問題じゃないの。ちょっと思わせぶりなことを言っちゃったんで、その自己嫌悪ってとこ」
「ずいぶんとお優しいことだな。それで傷心を紛らわすために街を彷徨ってたってわけか」
「そういうこと」
「女の子には感傷的な午後が必要って誰か言ってたな」
「まだお昼だけどね」
 最初に出されたそば寿司(そばと梅肉を湯葉で巻いたもの)をつまみながら、上社は三つ折りにされたA4サイズの紙を気障な手つきで差し出した。
「そうそう、こいつがご所望のリストのプリントだ」
 箸を置いてその紙を広げた。リストの名前のいくつかには赤ペンで小さなチェックが入っている。
「このマークは?」
「俺が居所を捜した人物だ。大半が福岡在住者なんで、そんなに手間はかからなかったな」
 チェックが入っている名前を一つ一つ見ていった。総勢四十二人のうち、該当者は十二人。ランクB以上は四人しかいない。守屋卓と倉田兄弟、若松郁美。四人ともリストにあるのは名前とランク付けだけで住所は空白だ。それと郁美のところは一度入れたチェックが横線で消されている。
「これは?」
「捜したが、本人の発見には至らなかった。フッとかき消しちまったように足跡がなくなってる。ひょっとしたら何処かの山の中に埋まってるのかもしれない」
「サラッと怖いこと言うのね」
「あり得ない話じゃないだろ。ドラッグ密売に関わってたんだぜ?」
「そうだけど」
 聞いた話では女子三人は商売にはノータッチだったというが、それはあくまでも内部の話で外から見れば上社の言う通りなのかもしれない。しかし、そうならば葉子や和津実だって同じだ。
「郁美の家庭の事情は知ってるか?」
「両親が離婚して母親に着いてったんだけど、交通事故か何かで亡くなったってことなら。母方の叔母さんに引き取られたんじゃなかったっけ?」
「そうだ。そこの爺さんがちょっとした資産家でな。爺さんはこの孫娘をいたく可愛がっていて、娘の死後は自分が引き取るつもりだったようだが、ちょうど同じ頃に自分もぶっ倒れたもんで母親の姉に引き取らせたんだそうだ。ちょいと訊き回ったところによると、この姉妹は仲が悪いことで有名だったらしいが、姪の郁美を引き取ることには気味悪いくらいあっさり同意したらしい。この意味は分かるか?」
「財産目当て」
「ご名答」
 和津実の話を思い出した。郁美の叔母の目当てはあくまでも妹の相続分を自由にすることで、そういう事情もあってか、郁美は家に帰りたがらなかった。叔母のほうもよほどのことがなければ放任状態だったと言う。
「ちなみに俺がつかんだ最後の郁美の居場所は清川にあるワンルームマンションだ。彼女はほとんどそこから学校に通っていたらしい」
「どうやって部屋を借りたの?」
「他人の名義だ。グループに二人いた成年の一人だが、何といったかな?」
 上社はアタシの手元を覗き込んだ。
「守屋卓だ。もっとも、事件があった三年前の五月までしか家賃が払われてないんで、八月には家賃滞納で強制退去ってことになってる」
「そのことは郁美の叔母さんには伝わってるの?」
「当然だ。部屋の荷物から郁美の制服や教科書が出てきたから、学校のほうに連絡がいってる。まぁ、さんざん引き取りに来てくれと言ったにも関わらず無しのつぶてだったそうだが」
「そのくらいしてあげればいいのに」
「同感だな。しかし、話はそれで終わらないのさ。博多中央には知り合いがいるんで聞いてみたが、叔母は学校側の言うことには一切耳を貸さずに郁美の退学の手続きだけして帰ったそうだ。驚いたことに失踪届すら出してないらしい」
「いくら仲が悪かったからって、そこまでしなくても」
「それが現実だよ。兄弟愛って言葉とか美しいエピソードは世の中に溢れているが、遺産相続の場で骨肉の争いを演じるのも同じ兄弟や姉妹なんだぜ」
 確かにそうだろうが。
「……で、その後の郁美の行方は遥として知れないってわけね」
「そういうことだ。郁美は失踪当時、それなりに現金を持っていた形跡がある。叔母はロクに金をやろうとしなかったが、祖父が毎月、十五万程度が郁美の口座に振り込まれるように手配していた。おそらくマンションの家賃もそいつから自分で払っていたんだろうな」
「それがどういうことになるの?」
「郁美は何処へでも行けたってことさ。行った先で部屋を借りるのだけは難儀するだろうが、なに、歳を偽って働かせるところはいくらでもあるし、そういうところは住人の身の上に煩くない大家に知り合いがいるもんだ」
「そんなもの?」
「ああ。この高砂の辺りにだって、そういうお姐ちゃんたち用に中洲のソープが借り上げてるマンションがあるぜ」
「ひょっとしてオーナーなの?」
「昔な。ところでそろそろメシを食わないか?」
 食事の席には似つかわしくない話を一旦やめて、せっかくのそば会席をせっせと胃袋に納めた。そば粉十割の細打ちはスルスルとは入っていかなかったが、その分だけ噛んだときの味わいのようなものがある。他にもてんぷらなどを平らげた後、最後にそばがきのおはぎをゆっくりと。甘いものが苦手なアタシにも食べられる上品な甘さだった。最初は少々食べごたえに欠けるような気がしていたが、終わってみると満腹だった。さっきまで落ち込んでいたというのに美味しいものを食べて気が紛れるあたり、アタシも現金なものだ。
「それじゃあ、ホントに手掛かりはないのね」
 アタシの質問に、上社はお茶をすすりながら小さく頷いた。
「念のために戸籍の附票も調べてみたが住民票を移動させた形跡はない。とりあえず分かっているのは、郁美の死亡届が出てないってことだけだ。身元不明の行き倒れで無縁仏ってケースも考えられなくはないが、一〇代の女の子がそれで警察が事件性無しと判断するとは考えられないからな。どこかでとりあえず生きてるか、死体が見つかっていないかのどっちかだろう」
「いずれにしても、あんまりいい状況じゃないってことよね」
 ふと、一つの可能性に思い当たった。
「ひょっとして、郁美は大阪にいるんじゃないかな?」
「大阪?」
 アタシは今朝、桑原警部が和津実が大阪に行ってなかったかを尋ねてきたことと、村上が自分以外の誰か――おそらく権藤のために頻繁に大阪のホテルを取ってやっていたことを話した。
「恭吾のやつ、そんなことしてたのか」
「知らなかったの?」
「ああ。しかし、そうか――権藤が和津実だけを追いかけてたとは限らないな。大阪に通い詰めるほどご執心だった理由はハッキリしないが、可能性はある」
「でしょ?」
「大阪になら同業の知り合いがいるが、捜させてみるか?」
「……お願いしたいところだけど、幾らくらいかかるの?」
「そうだな。少なくとも二〇〇万はかかるだろう」
「そんなに?」
「そりゃそうさ。大阪近郊にどれだけ人がいると思ってるんだ。その中からほとんど手掛かりなしに女の子一人捜すんだぜ。しかも、いるって確証があるわけもない女の子をな」
「いくらなんでも、アタシに都合できる金額じゃないわね」
「せめて、大阪説にもうちょっと確かな根拠が欲しいところだな。そうすればそいつには貸しがあるんで、もうちょっと費用を抑えられるかもしれない」
「それでも出せるかどうか分かんないけどね」
 
 店を出て駐車場まで歩いた。アタシのロードスターはともかく上社のメルセデスが入るコインパーキングが近くになかったので、結構遠くまで歩かなくてはならなかった。
「どうだ、なかなかだったろ?」
 上社は得意な笑みを浮かべていた。
「そうね。――目当ての店の予約云々、嘘でしょ?」
「バレちゃ仕方ないな。君みたいなタイプにはこの手の外し技が効くと思ったんだ」
「アタシを口説いてどうすんの?」
「手厳しくお断りされて、君の胸を痛める憐れな一人になるのさ。ところでさっき気づいたんだが、君は笑ってるよりもさっきみたいな憂いの表情のほうがいいな」
「あんまり嬉しくない」
 よくもまあ、次から次に歯の浮くような台詞が言えたものだ。しかし、それをなじったところでこの男には褒め言葉にしか聞こえないはずだ。
「ところで、これからどうするんだ?」
「……とりあえず、このリストの人たちを辿っていくしかないんじゃないかって思ってるわ。あとは渡利の仲間だった連中を捜すくらいかな。それと若松郁美の居所を捜すこと」
「そうだろうな」
 ケイタイの時計に視線を落とした。午後一時を過ぎている。まだ何かつかめているとは思えないが、留美さんには昼過ぎに一度連絡を入れると言ってあった。
「しかし、考えてみると空恐ろしい話だな。筋モンを向こうに回してドラッグを捌くなんて危ない橋を渡ってた連中が、二人を除いてガキばっかりだったなんてな」
「そいつらがそうできたのは、ちゃんと理由があるのよ」
「そいつは初耳だな。聞かせてもらおうか」
 アタシは渡利純也が警察から庇護を受けていたらしい、という話をした。上社はヒュウと短い口笛を吹いた。
「きな臭い話だな」
「でしょ?」
 権藤や藤田などの当時の捜査に関わった者の多くが、渡利に情報を流していたのを熊谷幹夫だと考えていることも話した。しかし、その可能性が低いことも。上社はあっさりと同意した。
「そうだろうな。あの男がそんなチンケな仕事をするはずがない」
「知ってるの?」
「面識はないがね。噂を耳にしたことはある」
「へぇ……」
 口調はそうは思えなかったが、問い詰めたところでこの男が認めるはずはない。
「村上さんが調べてたのは渡利がどうやって警察と取引してたのか――たぶん、何か警察のスキャンダルを握って強請ってたんだと思うけど、その証拠とか事実関係じゃないかな」
「ありうる話だ。まあ、警察を強請れるネタってのが何か、想像もつかないがね」
「そりゃあ、そうなんだけど」
 アタシの推測に大きな穴があるとしたらそこだ。
 二時間もののサスペンス劇場を引き合いに出すまでもなく、脅迫には常に誤算が付き纏う。相手が開き直って脅迫そのものが成立しなくなるケースと、被害者が脅迫者を亡き者にしてしまおうと考えるケースだ。
 脅迫に応じている形跡がある以上、前者はなさそうだった。熊谷が「脅迫は二度目を防げるかどうかが重要だ」という意味のことを言っていたが、警察の場合は事情が違う。一度でも応じてしまえば応じたこと自体が弱みになってしまうからだ。
 しかし、警察は後者にも及んでいない。
 ヤクザのように身柄を攫って埋めてしまうという暴挙には出ないとしても、渡利は叩けばいくらでも埃が出てくる身の上なのだ。警察がその気になればどうにでもなるはずだった。それこそ”匿名の第三者”の密告をでっち上げて任意同行(という名の事実上の逮捕)して、その間にガサ入れして目当てのネタを回収すればそれで済んでしまう話だ。弁護士が後でどれだけ不当逮捕と騒ごうとも、すべては後の祭りでしかない。
 しかし、実際には渡利はアタシの父の手で命を落とすまで自由の身であり、その直前まで彼への警察の庇護――捜査情報の漏洩は行われていた。それはすなわち、渡利と警察内部の誰かの蜜月関係が続いていたことを意味する。
 警察が易々と渡利の脅迫に屈した理由がどうにも理解できなかった。

 上社と別れてから留美さんに電話をかけると、何故か由真が出た。
「……何やってんのよ、あんた」
「留美さんと一緒にいるよ」
「それは分かってる。あんた、何かやることがあるって言ってなかった?」
「そうなんだけど、一人でウロウロするのがやだったから、留美さんに付き合ってもらおうと思って電話したの。そしたら、留美さんも若松郁美を捜すことになったっていうから合流したんだよ」
「へぇ……。悪いんだけど、留美さんと替わってくれない?」
「運転中」
 耳を澄ますと話し声の向こうで風を切る音とディーゼルエンジンの唸り声がしていた。それにガンズ・アンド・ローゼスの曲が混じって聞こえる。〈Welcome to the Jungle〉のような気がするが、ガンズはどれも似たような曲調なので判別はつかなかった。さすがの由真も留美さんのクルマで自分の趣味を押し通したりはしないらしい。
「真奈こそどうしたの?」
「連絡するって言ってあったの。郁美のことで分かったことがないか」
「あるよ」
 由真は事も無げに言った。
「……何が分かったの?」
「郁美の行方。――ちょっと待って、今、コンビニに停まったから。留美さんと替わるね」
 由真の声が遠くなった。留美さんを呼ぶ声とドアが閉まるバタンという音が重なる。
「もしもし、真奈ちゃん?」
 電話に出た留美さんの声は弾んでいた。
「郁美がどこにいるか、かなり近いとこまで分かったわよ」
「すごいですね、昨日の今日の話なのに」
「まあね――って言っても、たまたまラッキーだったんだけどさ。レディーズ時代の仲間に博多中央に行ってた知り合いを片っ端から当ってもらったの。そしたら、中の一人が手紙をもらったことがあるんだけど、その消印が大阪だったって言うの」
「やっぱり……」
 アタシは嘆息した。権藤が追っていたのは和津実ではなく郁美だったのだ。
「やっぱりって、真奈ちゃん、そのこと知ってたの?」
「いえ、ひょっとしたらっていうのがあったもんで」
 アタシは警察が権藤の頻繁な大阪行きを和津実と結びつけて調べている話をした。ついでに和津実が大阪に所縁がないか訊いてみた。留美さんは親類一同を見回しても大阪には縁も所縁もないと答えた。
「権藤って刑事さんは郁美を捜してたの?」
「それはハッキリとは言えませんけど、逆に例の事件のことを調べてたんなら、和津実だけを捜してたっていうほうが不自然ですからね。でもまあ、見つからなかったみたいですけど」
「そりゃそうだよ。郁美は今、福岡にいるからね」
「へっ!?」
 今度こそアタシは度肝を抜かれた。
「どういうことなんですか?」
「それなんだけど、話すとちょっと入り組んだことになるしな……。真奈ちゃん、今、どこ?」
「高砂です。そっちは何処ですか?」
「姪浜。由真ちゃんが用事があるからって回ってきたのよ」
「……由真が?」
「うん、ちょっとね。えーっと、それじゃあ、薬院大通のロイホは?」
「いいですよ。近いんで席とって待ってます」
「喫煙席だよ」
 留美さんは朗らかにそう言って電話を切った。

 二人が店内に入ってきた途端、混み合う昼時を過ぎて静かだった店内が急にざわついたような気がした。
 スタンドカラーのドレスシャツにバギーパンツというマニッシュな装いの留美さんと、控えめなフリルがついたグラスグリーンのワンピースの由真は、まるでお互いを引き立てあっているようだった。おまけに由真はワイン色のフレームの伊達メガネをかけていて、それが余計に周囲の目を惹いていた。村上のメガネを冗談半分でかけたら驚くほど似合っていて、それ以来、ときどきかけるようになったのだ。
 ちなみに同じメガネをかけたアタシは威圧的な割に妙にエロティック――率直に言ってアダルトヴィデオに出てくる女教師みたいだった。以来、絶対にかけないことにしている。
「お待たせ。もう、何か頼んだ?」
「いえ、他のところでお昼は済ませたんで」
「真奈ってば、チョイ不良オヤジとデートだったんですよ」
 由真がからかうような口調で口を挟んだ。留美さんが面白がるように話を聞きたがったので、村上の協力者である探偵と会っていたのだと説明した。白金の蕎麦屋でご馳走になったと言うと、由真が「あたしもあそこ行きたかったのに〜」とほざいた。自腹で行けと心の中で吐き捨ててやった。
「ふうん、何だかすごいことになってるんだね」
「ええ、まあ」
 二人とも日替わりのランチとドリンクバーを注文した。連れ立ってアタシと留美さんはコーヒー、由真は紅茶を注いでテーブルに戻った。
 向かいに座った二人は真ん中に灰皿を引き寄せた。留美さんがペルメルを取り出すと、驚いたことに由真もヴァージニア・スリムのボックスを取り出した。
「……あんた、タバコなんて喫うの?」
「あれっ、知らなかった?」
 欠片ほどの屈託もない口調に二の句が継げなかった。
「そっか、家では喫わないからね。事務所の人たちはみんなヘビースモーカーだからさ。いつの間にか、あたしも喫うようになっちゃった」
「いつの間にかって……」
 出生のことでグレてた中学生時代に喫っていたという話は聞いたことがある。しかし、アタシと知り合ってからはそんな素振りすら見せたことがない。他のクラスメイトが喫っているのを注意していたくらいなのだ。
 留美さんの手前、喫煙そのものを非難することはできなかった。おそらく由真もそれを見越してカミングアウトしたはずだ。まあ、好きにすればいい。アタシが知ったことではなかった。
「で、本題なんだけど。何から話そうか」
「由真が留美さんと合流した理由から説明してもらえると助かるんですけど」
「えっ?」
 由真はきょとんとした顔をしていた。
「さっき、留美さん”も”郁美を捜すことになったって言ったでしょ。ってことは、あんたも郁美を捜してるの?」
「……すっごい、真奈ちゃん。シャーロック・ホームズみたい」
 留美さんは目を丸くして口を挟んだ。由真はヴァージニア・スリムの灰を軽く落とした。
「郁美を捜してたってわけじゃないんだけど、結果的に手掛かりをつかんだの。これ見て」
 由真が差し出したのは西日本シティ銀行のロゴ入りの封筒だった。折り畳んだ用紙が入っていて結構分厚い。中身は白石葉子の銀行口座の取引明細書だ。
「どうしたの、これ?」
「葉子に成りすまして、銀行から取り寄せたの」
「ああ、なるほど」
 長期間に渡って通帳記入をしなかったときに”おまとめ”として合算される分の明細は、窓口でなくても電話で取り寄せることができる。アタシも二つ持っている口座のうち、あまり使わないほうで同じことになって取り寄せたことがある。
「でも、それは葉子の自宅に届くんじゃないの?」
「だから毎日、姪浜のアパートに様子を見に行ってたんじゃない。さすがに違う住所に送ってくれとは言えないもんね」
「部屋の鍵はどうしたのよ?」
「真奈のマネしたら開いちゃった。意外と簡単なんだね」
「……あ、そう」
 明細書に目を通した。毎月二十五日に六〇万円前後の給料が振り込まれていて、葉子はだいたいその日に一〇万円くらいを引き出していた。おそらく生活費なのだろう。月初めには公共料金や家賃、国民健康保険、年金保険料、携帯電話の料金などが引き落とされていた。あとはサプリメントかコスメティックの通信販売への振込み。部屋の様子から想像はついていたが、ショッピング・クレジットの類は存在しない。せいぜい家電の細々したローンがあるくらいだ。それらがトータルして約一〇万円。
 単純に計算すれば葉子の口座には毎月四〇万円近くが残っていたことになる。しかし、実際はそうではなかった。毎月十五日に”イリョウホウジンケンジンカイ”に三〇万円程度の金額を振り込んでいたからだ。
「由真、このケンジンカイって知ってる?」
 彼女の両親は福岡市近郊に系列病院をいくつも持つ医療法人の元経営者だ。現在の経営権は由真の大叔父の手にあるが、由真も理事には名を連ねている。
「大阪にある医療法人だよ。賢い、仁愛の仁で”賢仁会”って書くんだけど」
「これも大阪なわけね」
 葉子が大阪の病院に大金を支払っていた理由は一つしか考えられない。彼女に所縁がある誰かが賢仁会の病院に入院していて、その治療費を肩代わりしていたのだ。そして、葉子がそんなことをしてやらねばならない人物はそうはいない。
「でもさっき、郁美は福岡にいるって言いましたよね?」
 留美さんはコーヒーをすすりながらうなずいた。
「実は大阪の病院に電話をかけたの。悪いなとは思ったんだけど葉子の遺族のふりをしてね。口座を調べてたら定期的にそちらに振込みをしてたみたいですけど、どういうことなんでしょうかって。そしたら、お友だちが今年の五月まで高槻市ってとこにある系列病院に入院してて、その費用を払ってたんだって」
 明細を目で追った。確かに五月十五日にいつものようにATMからの振込みがされている。そして、それが最後の振込みだった。
「郁美は五月に退院したんですか?」
「それがちょっと違うの。実家がある福岡の病院に転院したのよ」
「どこの病院に?」
「それはさすがに教えてくれなかったわ。と言うか、向こうもそこまで把握してないみたい。どうやら葉子が大阪まで出向いて、郁美を引き取って帰ったみたいなのよ。何処に入院させる気かって訊いたら、古い知り合いの紹介のところだって言ったらしいけど」
「郁美はいったい何の病気で入院してたんですか?」
「それがね――」
 留美さんは言いよどんだ。由真がその後を引き継いだ。
「郁美が入院してたのはアルコールとか麻薬の依存症患者を専門に受け入れる病院なの。ハッキリとは言わなかったけど、どうやら郁美は後者。職員の人の口ぶりじゃ、症状はかなり酷かったみたいね」
「……そういうことか。で、福岡県内にそういう病院ってどれくらいあるの?」
「そんなに多くはないはずだよ」
「じゃあ、それをしらみ潰しに当たればいいってことか」
「そっちはあたしに任せて」
 由真はため息混じりにタバコの煙を吐き出した。
「アテでもあるの?」
「これでも医療法人の理事だよ」
 名目だけとは言え、その権限を持ってすればその程度のことは容易いのだろう。どのみち個人情報保護が煩い昨今では、親族でもないアタシたちが窓口に出向いたところで、郁美が入院しているかどうかなど教えてくれるとは思えなかった。
 餅は餅屋の喩えもある。郁美の行方を追うのは由真に任せることにした。

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