Left Alone

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  第 48 章 

 国体道路沿いにあるガラス張りのカフェで倉田兄弟を待っている間、ぼんやり後悔していたのは彼らについてシュンに調べてもらう必要がなかったことだ。
 揉めずに済むとは思っていなかったので、彼らの格闘技者としての側面を知っておきたかった。だから、異なる競技でも比較的やっている人間が重なっているボクシング関係者のシュンに話を訊いたのだ。しかし、さっきの慌てっぷりを見る限りではその心配は要らないように思えた。アタシの中で苦い感情が浮かんでは消えてを繰り返していた。シュンに無駄な手間をかけさせたことと、それがなければ、また顔を会わせて気まずい思いをする必要がなかったという事実に。
 しばらくして留美さんがメイク直しから戻ってきた。どこが乱れていたのかまるで分からないが、おそらくアタシがそういうことに鈍いというだけの話だ。
「なに考えてんの?」
「……んー、ちょっと予想外の展開だったもんで」
「だよねぇ。でも、荒っぽいことにならなくて良かったじゃない。あいつらも素直にしゃべりそうだし」
 それはまだ安心できないのだが、アタシは曖昧に笑っておいた。
 二つ隣のテーブルのギャル雑誌の表紙に出ていそうな三人組が入口のほうを見やって何やら囁きあっていた。おそらくそうだろうなと思いつつ視線を向けると、倉田兄弟が店内を見渡していた。
 和成はビジュアル系のロックバンドによくいるようなゴシック風の飾りがついた白いシャツとスタッドの打たれた細身のパンツ、康之はステューシーの黒いTシャツとスリムなシルエットのデニムだった。どちらもシルバーのアクセサリを魔よけのように鈴なりにしている。二人とも意外とがっしりしていて、特に康之は身体のラインが出る格好なので余計に逞しく見えた。
「ホント、双子には見えませんね」
「だよねぇ。あたしと真奈ちゃんのほうが似てるんじゃない?」
「どこらへんがですか?」
「背丈とか。あと、元ヤンなところもね」
「……アタシ、特攻服なんか着たことないんですけど。あのセンスにはちょっと着いていけないんで」
「なによぉ、自分だけ良い子ぶっちゃって」
 留美さんが不満そうに口を尖らせる。そんな顔をされても違うものは違う。アタシはちょっとだけ夜の街でフラフラしていただけだ。
 キョロキョロしていた二人がアタシたちを見つけて近寄ってくる。その瞬間、二つ隣のテーブルから殺気にも似た視線が襲い掛かってきた。そんなに欲しいなら熨斗をつけて譲ってあげたいところだが、とりあえず話を訊き終わるまではそうするわけにもいかない。留美さんは無視してわざとらしい欠伸をしてみせていた。
「……よぉ」
「遅かったじゃない。来ないかと思った」
 和成が顔をしかめた。
「来ないわけないだろ。お前とはキッチリ話をつけないとな」
「話ってどんな?」
「そういうすっとぼけた態度で人を強請るなって話だよ」
「人聞きが悪いわね。誰が強請ったのよ」
「やめとけ、カズ。この女に口喧嘩で勝てるわけねえだろ。飲み物、何にする?」
「俺、カプチーノ」
「同じもんで」
 二人は素早くジャンケンを交わして、負けた和成が舌打ちしながらカウンターに飲み物を買いに行った。康之はアタシたちの向かいに腰を下ろして、外したサングラスの蔓を無造作にTシャツの胸元に差し込んだ。
「で、俺たちに何を訊きたいんだ?」
「待ってなくていいの?」
 留美さんは火をつけていないペルメルで和成を指した。康之は片頬に薄い笑みを浮かべて首を振った。
「カズがいても話をややこしくするだけだ。筋道立てた話はできねえからな」
「勢いだけで生きてるってわけ?」
「そんなところだ。そっちが訊かねえなら、こっちから良いか?」
「何よ?」
「そっちの彼女は何モンだ?」
 常に何かを訝っているような眼がアタシを真っ正面から見据えていた。まったく似ていないこの双子にも一つだけそっくりなところがある。心の奥底では誰も信じていないクセのある眼差しだ。
「アタシの後輩だって言ったでしょ」
「だったら席を外してくれ。昔の話になるんだろ。無関係なヤツには聞かれたくないことだってある」
「別にそんな――」
 アタシは留美さんを手で制した。
「関係者というほどのこともないんだけど、まったくの無関係でもないわ。改めて自己紹介させてもらってもいい?」
「どうぞ」
「名前は榊原真奈。本名っていうか、昔の名前は佐伯真奈。あんたのお仲間をあの世に送った刑事の娘よ」
 過去へ遡るためのほんの数秒の間。
「純也を殺した刑事の?」
「お悔やみを言ったほうがいいかしら?」
 康之はわざとらしい失笑を洩らした。
「関係ねえ、と言うほど冷たかないつもりだが、今ごろになってそんなこと言われてもな。――で、それがどうして留美なんかとつるんでるんだ?」
「半分は行きがかり上の偶然。まさか、半分騙されて始めた仕事で、あの事件と繋がりのある人と知り合いになるなんて思ってなかったから」
「残りの半分は?」
「利害が一致したから。アタシは三年前の事件のことが知りたい。留美さんは従妹の死の真相が知りたい」
 隣で留美さんがうなづく。
「その二つが繋がってるって証拠は?」
「今のところ、決定的なものはないわ。ただ、二つの事件は見た目はまるで違うけど、双子のように登場人物が重なるのよ。あんたとあのHydeの出来損ないみたいにね」
 康之の目がスゥッと細くなった。笑っているようでもあり、その裏側で懸命に考えを巡らせているようでもあった。
 その出来損ないが戻ってきた。手にしたカップを康之の前に置いた。
「どうしたのさ。えらく和んでるみたいだけど」
「これが和んでるように見える?」
 留美さんは呆れたように眉をひそめた。康之はいつものことと言わんばかりに片頬に苦笑いを浮かべた。和成は傷つけられたような表情で康之の隣に座った。
 康之は和津実が殺されたときの状況について知りたがった。アタシは和津実が夫である吉塚正弘――この名前が出た瞬間、双子の表情に重い翳が過ぎった――が作った借金を返すために、渡利純也が手付かずのままで残したはずのドラッグや金を手に入れようとしていたこと、しかし、その目論見は紆余曲折の末に潰えてしまい借金取りに拉致されそうになったこと、遂に夫の下から逃げ出す決意をしたことを話した。
 そして、その逃避行のさなか、何者かによって駅のホームから誰かに突き飛ばされてしまったこと。
「それ、吉塚と借金取りを疑ったほうがいいんじゃねえの?」
 康之は言った。
「でしょうね。ただ、どっちにも和津実を――」
 言いよどんだアタシを留美さんが引き継いだ。
「殺すだけのメリットがあるとは思えないのよね。別に保険金が掛かってるわけでもなさそうだし。それなら連れ戻して風俗に売り飛ばしたほうがマシじゃない?」
「あんなのでも従妹だろ。おまえ、ひでえこと言うな」
「事実だもん。ま、どっちにしたってそれを調べるのは警察の仕事だわ」
「確かにそうだな」
 藤田警部補の手回しで吉塚正弘の身柄は中央署の手中にある。当面の容疑はMDMAの不法所持だが、彼が何者かはすぐに博多署の捜査本部に伝わるだろう。被害者に借金を背負わせた上に姿を消していた夫は、桑原警部にとっては叩き甲斐のある獲物に違いない。
 立花たちに捜査の手が及んでいるかどうかは知る術がない。ただ、警察は市営住宅のポストに突っ込まれた督促状の差出人にはすべて事情を訊きにいくはずだ。その中で引っかかるかどうかはむしろ警察の捜査力の問題だった。
 知っていることを話さないのは事実上の捜査妨害じゃないか、という思いはなくもない。
 言い訳をするなら、立花が和津実の身柄を押さえようとしたことと彼女が殺されたことの間に必ずしも関係があるとは言えない。余計な先入観を与えないことも協力のうちだ――というのは屁理屈に違いないが。いずれにしても、和津実の拉致未遂については藤田には説明してある。必要だと判断すれば彼が情報を流すはずだ。率直に言って、警察の捜査の進捗などアタシの知ったことではなかった。
「しっかし純也のヤツ、ホントにそんなもん残してたんだ?」
 和成がポツリと口を挟んだ。予想外の一言だった。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかったわけじゃないけど。どっちかっていうと信じてなかったつーのかな。――ホントのとこ、俺たちはあんまりクスリの売り買いに関わってなかったんで」
「どういう意味よ」
「うーん、そうだな。どこから話したらいいんだろ」
「……いいよ、カズ。俺が話す」
 康之はフウッと長い息をついて和成を制した。
「ジュンの仲間ってあんたたちの他にも何人かいたわよね?」
「そうだな。モリさんが取引相手との折衝役、シノさんが情報収集。純也は表には出なかったから、その二人が代理人みたいなことになってた。それと下働きみたいなガキが何人か。最後は三人――蓑田、酒井、飯島だったかな」
 はっきり覚えていないがそんな名前がランクCの中にあったような気がする。モリさんは守屋卓、シノさんは篠原勇人だろう。
「あんたたちはジュンのボディガードだったってわけ?」
「そんなところかな。言っとくが、俺らだって自分たちがまったくシロだって言うつもりはねえよ。純也に言われてブツを運んだりしてたからな。それなりに分け前にも預かったし。でも、俺たちは純也がどこからクスリを仕入れているのかも知らなかったし、どれくらい儲けてるのかもよく知らなかった。正直に言って興味もなかった」
「興味なかったっていうのはちょっと信じらんないけど?」
「知ったところで取って代われるわけじゃないからな。俺らにはそんな頭も度胸もねえよ」
「若いのにずいぶん謙虚じゃない」
「……純也がどれだけぶっ飛んでるか、俺らは傍で見てたからな。そりゃあ、最初は俺らだってあれくらいのことはできると思ってたさ。でも、途中からは着いていけなくなった。表沙汰にはなっちゃいないが代金を払わなかったヤツを首まで土の中に埋めたこともあるし、ドラッグをネコババしようとした下っ端のチンポをナイフで詰めたこともある。馬並みにデカイってのが自慢だったんだが、可哀そうに子供より短くなっちまった」
 性器を表す単語をことさら強調したのは、アタシたちへのささやかな当てつけだろう。アタシは何とか顔を赤らめるのをこらえた。留美さんは最初から気にもしていないようだった。
「それで、和津実はあんたたちの中でどんな役回りだったの?」
 康之は小さく肩をすくめた。
「何も。あいつは純也のオンナってだけで、商売には一切関わってなかった。おまえがいるから庇ってるわけじゃないぜ。女は危ない商売に関わらせないってのが純也のポリシーだったんだ。自称・フェミニストってヤツらしいけど」
 そう言いながら渡利は自分の姉を商売に関わらせている。とんだフェミニストがいたものだ。
「和津実にはあと二人、連れの子がいたわよね」
 康之は少し怪訝そうにアタシを見た。何故そんなことを知っているのか、という感じだ。
「葉子と郁美だろ。三人とも同じ学校だった。純也の後輩だ」
「そうね。彼女たちはどうだったの」
「どうだったって……和津実と一緒だよ。別に何かをしに来てるってわけじゃなかった。純也が好きにさせていいって言うから、俺らも別に構わなかった」
「変ね。アタシが聞いたとこによると、郁美はあんたたちの性欲の掃け口にされてたって話だけど」
 自分たちの悪行を突かれたせいか、二人の目に剣呑な光が灯った。どれだけ取り繕ったところでそれがこの二人の本性なのだ。
「誰がそんなことを言った?」
「和津実。あんたたち二人と郁美が三人でホテルに入ってくところを目撃したそうよ。それも何回も」
「まったく、双子だからってホントに”兄弟”にならなくてもいいでしょうに」
 留美さんが混ぜっ返した。凛とした表情から繰り出される下世話な台詞に双子は怒ったものか、笑ってごまかしたものか、判断しかねているようだった。
「ま、それはいいわ。今さら追求しても始まらないし。ただ、一つだけ確認しておきたいの。あんた、渡利は女をドラッグ取引には関わらせないようにしてるって言ったわよね?」
 アタシの問いに康之が小さく頷く。
「言ったよ。それがどうした?」
「だったら、どうして最後の取引――アタシの父親が渡利を殺したあの夜だけ現場に郁美がいたの?」
 双子の表情に緊張が走った。郁美の名前を出したのは半ばブラフだったが、これであの少女が彼女だったのを確信することができた。
「あれは……俺らも詳しいことは知らない。それまであんなことはしたこともなかったんだ」
「あんなことって?」
「純也が取引相手に会いに行ったこともなかったし、そもそも、モリさんに行かせるときだってその場所にドラッグを持って行かせたことはなかったんだ。話だけつけて実際のやり取りは宅配便とネット振込みだったからな」
「そうなの?」
「当たり前だろ。サツにしろマトリにしろ、取引の現場が一番狙われるんだから」
 サツはもちろん警察、マトリは厚生省の麻薬取締官のことだ。両者は商売敵とまでは言わなくとも縄張り争いのような関係にあって、父が内偵中の獲物を掻っ攫われて悪態をついているのを何度か聞いたことがある。いや、それはともかく。
「それなのに、あのときだけは渡利は自分で出向いたのね」
 渡利純也がそうした理由は分かっている。警察に自分を売ったのが誰かを確かめるためだ。
 しかし、それは筋が通らないような気がした。第一に密売グループはそんなことをしなくてはならないほど大所帯ではない。商売に無関係なはずの女子高生三人を入れても主要なメンバーはわずか七人。下っ端の連中を入れても一〇人程度だ。しかも、そのうちの郁美には現場での重要な役目を負わせている。
「あんたたち、渡利が警察に強力なコネを持ってたことは知ってるわよね?」
「もちろん。そいつのおかげで俺らはずいぶん助かってる。ヤクザの下部組織に本気で目をつけられたこともあるんだ。正直、それを知ったときには生きた心地がしなかったけど、いつの間にかあっちから勝手に手を引いてくれた」
「それだけのことができるってことは、相当なネタを持ってなきゃならないわ。それが何なのか、知ってる?」
「そいつは俺らも知らねえ」
「……俺、一回だけ見せてもらったことある」
 ようやく巡ってきた発言の機会なのに、和成の口調は鉛の塊のように重かった。
「なんだよ?」
「いや、中身を見せてもらったわけじゃないんだ。ただ、純也が酔っ払ってちょっと機嫌がいいときに、これが俺の力の秘密だってDVDをヒラヒラさせてたことがあるんだ。DVDって言っても普通のヤツじゃなくて、カメラとかに使う小さいやつだけど」
 ハンディサイズのDVDカムには八センチの専用サイズのディスクがある。由真がDVDカムを持っていて旅行とかドライブのときにはずっと撮影しているので、アタシにはそれなりに馴染みがある。アタシの最初のショーのときにもそれで撮影したものを祖母に見せていた。
 和津実が欲しがっていたのは、おそらくそのヒラヒラしていたDVDだ。
 アタシは留美さんを見た。平静を装った表情の中で目だけが爛々と煌っていた。さっきは何気なく言ったことだが、無鉄砲なアタシを心配してくれるのと同時に留美さん自身も従妹の死の真相を知りたがっているのだ。
「とにかく、渡利にはそれだけのネタがあった。当然、警察の取り締まりに関する情報も入ってきてたってことよね」
「多分な。何度か、取引の途中で急に「これはヤバイから手を引く」って言い出したことがあった」
「だったら、どうしてあの時だけ渡利はそんな手の込んだことをしたの?」
 アタシの疑問は彼らには伝わらなかった。仕方ないので、アタシは父と村上が現場に踏み込んだとき、渡利が「これで誰か裏切り者か分かった」と話したことを説明した。
「それの何がおかしいのさ?」
 和成が言った。康之はウンザリしたような目を片割れに向けた。
「変だろ、それは。そんなことしなくたって誰が警察にタレこんだかは分かるだろ。教えてもらえばいいんだから」
 そうなのだ。あの日、内偵中だった父と村上が来ることを渡利は予期していた。それはつまり、警察の捜査情報はすべて筒抜けだったことを意味する。
 由真が指摘したように、父が提出した捜査報告書には密告した人物の存在は記されていたがその名前はなかった。一見すればそれで情報提供者の身元を隠せたようにも見える。実際、内通者は渡利に訊かれてもその名前を告げることはできなかったはずだ。しかし、少しでも頭が回れば密告者が名前の出てこない三人――葉子、郁美、和津実――の中にいることくらい、すぐに思い至るだろう。
 想像したくないが、渡利たちにとって女子高生ごときの口を割らせるのは造作もなかったはずだ。特に郁美は――和津実の話によればだが――頭のてっぺんまでクスリ漬けだったのだ。一方、和津実は渡利の目の届くところにいたし、あの時点で彼が没落しても何のメリットもない。そうなると、三人の中で一番疑わしかったのは葉子ということになる。
 しかし、渡利が現場に伴ったのは郁美だった。ここが話の整合がつかないところだ。
 知り得た限りの当時の状況を鑑みても、そこから葉子が密告者だという結論は出てこない。いつか、村上がアタシを家に送りながら語ってくれた事件の概要は前提条件から崩れてしまっている。
 渡利は最初から郁美を密告者だと見抜いていたのだろうか。そうだとすると、今度は父との会話と整合がつかない。もちろん、誰もが常に理詰めで言葉を発しているわけではないが、渡利純也の事実上の勝利宣言だった一言が無意味なものだったとは思えない。
「どうして郁美だったの?」
 無駄とは思いつつも双子に訊いた。案の定、康之は肩をすくめて小さく首を振った。
「……はっきりと聞いたわけじゃないんだけどさ」
 和成は気まずそうな上目遣いになっていた。
「なんだよ?」
「純也のヤツ、同じことをシノさんにも訊かれてたんだよ。どうして郁美なんか連れて行くんだって。そしたら「あいつは保険だ」って言ったんだ」
「保険? どういう意味よ?」
「そこまで分かんねえよ」
 吐き捨てるように言って、和成はせっかくの優男が台無しになるほど顔をしかめた。

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